6インチ? ― 2013年04月13日 01:02
6インチ?
まあ、6インチということにしておこう。
(サムスン、大画面「GALAXY Mega」スマートフォンを発表--5.8インチと6.3インチの2機種)
http://japan.cnet.com/news/service/35030754/
(サムスン、6.3/5.8インチのAndroidスマホ「GALAXY Mega」発表)
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20130412_595644.html
この間の日曜日に、秋葉原に行って、クアッドコア入りの5.7インチ(3万円弱)を手にとって、30秒だけ悩んでやめた。
だって、浮沈子が持っているデュアルコアと、大きさが同じだから。
分かりやすい基準というか、簡単な話というか、単純な頭というか・・・。
で、今日発表されたのが5.8インチ・・・。
6.3インチの方は、もう、立派なタブレットであり胸のポケットには入らないだろう。
入ったとしても、世界最大のスマホとして、お高めの価格設定は免れない運命となる。
5.8インチを買うか、6.3インチに飛躍するか。
サムスンは、どうしてこんな手の込んだ商品展開をするんだあ?。
浮沈子が兼ねてより、6インチのタブレット(というかスマホというか)を理想と考えているということは、このブログでも取り上げてきた。
(6インチ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/06/06/6471015
(6インチなら)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655916
(4台目)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/06/28/6494372
これだけ、ラブコールを送っているからには、本当に出たら当然買うだろう・・・。
しかし、6.3インチも、5.8インチも、正確には6インチではない。
ここが、悩ましいところなのだ。
しかも、ある意味で中途半端なスペックの製品群である。
フラッグシップのノートではなく、下位機種だ。厚みも同じくらいで、アイポッドタッチのような、「生きてて良かった!」と思えるような感動がない。
実物が出てきて、見に行く時には、ワイシャツを着ていく。
当然だろう。
ポケットに入る方を買う。
両方入ってしまったら、両方買うのかあ?。
入れば6.3を買うだろうが、それに見合った幸せが付いてくるのかが問題だ。
こういう衝撃的なブランド品が出てくる陰で、同時進行している激安真似っこ中華スマホが出てくれるのではないか。
きっと、今夜もどこかのビルの片隅で、数人の設計者が集まって、OSは、4.1でいくか、4.2に上げるか、もう少し待って最新のを入れて差別化しようか。液晶はどうするか、バッテリーの容量は、通信インターフェースは何を仕込むかで、最後の詰めをやっているに決まっている。
大メーカーが一斉に量産に入った後の余剰生産力を使って、同じ工場、同じラインで、よく似た安物をうまく作っては安く大量に供給して市場の需要を満たす。
この手の製品は、時間の関数である。生鮮食料品のようなものだ。出荷する側も心得ている。
ハイスペック品と、すこーし買いやすくした抱き合わせ品。市場の掴みに成功すれば、バージョンアップ品と更なる普及品と、水平的にバリエーションを増やし、色とかコラボ品で展開し、高機能化によるフェイスリフトを経て、特売品にしてお蔵入り。
いま、高速通信(LTEとか)と近接通信(ブルートゥースとか)が付いていて、クラウド機能が自由に使用できて、コンテンツをある程度閲覧できるモバイル端末といったら7インチクラスになってしまう。
これは、ぎりぎりプレゼンテーション的な使い方もできるが、そこまではいらない、自分だけ分かればいい。そのかわり、かばんの中ではなく、ワイシャツのポケットから取り出して、すぐに使えなければダメだ。
そう考える、真のモバイルシンキングパースンのためのギアが、6インチタブレット兼スマートホンである。
胸ポケットに入る薄さと軽さ、大きさ。ストレスのない動作。ブルートゥースに対応したイヤホン等での使いやすさ。
アーキテクチャは全く違うが、ビルゲイツが模索していたウォレット(財布)のイメージに近い。
交通機関に乗るときも、店で支払いをするときも、名刺データを取り交わす時も、ビジネス情報を閲覧する時も、親しい友人や家族とコミニュケーションをとるときも、片時も離さず、それだけで全てが行え、この地球上の(或いは宇宙の)どこにいても、コンピューター群に監視管理された環境が保障され、安全が守られている。
6インチ端末は、事実上常に持ち運べる最大の端末だし、丸1日の運用を可能にするバッテリーを積め、ネットワークの支援を地球上のどこからでも受けられ、世界中の誰とも通信でき、マルチメディアでの娯楽を与える。
5インチでは小さすぎ、7インチでは大きすぎる。
だから6インチだといっていたのに・・・。
6.3と5.8か。
サムスンは、ちっとも分かってないなあ!。
まあ、6インチということにしておこう。
(サムスン、大画面「GALAXY Mega」スマートフォンを発表--5.8インチと6.3インチの2機種)
http://japan.cnet.com/news/service/35030754/
(サムスン、6.3/5.8インチのAndroidスマホ「GALAXY Mega」発表)
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20130412_595644.html
この間の日曜日に、秋葉原に行って、クアッドコア入りの5.7インチ(3万円弱)を手にとって、30秒だけ悩んでやめた。
だって、浮沈子が持っているデュアルコアと、大きさが同じだから。
分かりやすい基準というか、簡単な話というか、単純な頭というか・・・。
で、今日発表されたのが5.8インチ・・・。
6.3インチの方は、もう、立派なタブレットであり胸のポケットには入らないだろう。
入ったとしても、世界最大のスマホとして、お高めの価格設定は免れない運命となる。
5.8インチを買うか、6.3インチに飛躍するか。
サムスンは、どうしてこんな手の込んだ商品展開をするんだあ?。
浮沈子が兼ねてより、6インチのタブレット(というかスマホというか)を理想と考えているということは、このブログでも取り上げてきた。
(6インチ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/06/06/6471015
(6インチなら)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655916
(4台目)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/06/28/6494372
これだけ、ラブコールを送っているからには、本当に出たら当然買うだろう・・・。
しかし、6.3インチも、5.8インチも、正確には6インチではない。
ここが、悩ましいところなのだ。
しかも、ある意味で中途半端なスペックの製品群である。
フラッグシップのノートではなく、下位機種だ。厚みも同じくらいで、アイポッドタッチのような、「生きてて良かった!」と思えるような感動がない。
実物が出てきて、見に行く時には、ワイシャツを着ていく。
当然だろう。
ポケットに入る方を買う。
両方入ってしまったら、両方買うのかあ?。
入れば6.3を買うだろうが、それに見合った幸せが付いてくるのかが問題だ。
こういう衝撃的なブランド品が出てくる陰で、同時進行している激安真似っこ中華スマホが出てくれるのではないか。
きっと、今夜もどこかのビルの片隅で、数人の設計者が集まって、OSは、4.1でいくか、4.2に上げるか、もう少し待って最新のを入れて差別化しようか。液晶はどうするか、バッテリーの容量は、通信インターフェースは何を仕込むかで、最後の詰めをやっているに決まっている。
大メーカーが一斉に量産に入った後の余剰生産力を使って、同じ工場、同じラインで、よく似た安物をうまく作っては安く大量に供給して市場の需要を満たす。
この手の製品は、時間の関数である。生鮮食料品のようなものだ。出荷する側も心得ている。
ハイスペック品と、すこーし買いやすくした抱き合わせ品。市場の掴みに成功すれば、バージョンアップ品と更なる普及品と、水平的にバリエーションを増やし、色とかコラボ品で展開し、高機能化によるフェイスリフトを経て、特売品にしてお蔵入り。
いま、高速通信(LTEとか)と近接通信(ブルートゥースとか)が付いていて、クラウド機能が自由に使用できて、コンテンツをある程度閲覧できるモバイル端末といったら7インチクラスになってしまう。
これは、ぎりぎりプレゼンテーション的な使い方もできるが、そこまではいらない、自分だけ分かればいい。そのかわり、かばんの中ではなく、ワイシャツのポケットから取り出して、すぐに使えなければダメだ。
そう考える、真のモバイルシンキングパースンのためのギアが、6インチタブレット兼スマートホンである。
胸ポケットに入る薄さと軽さ、大きさ。ストレスのない動作。ブルートゥースに対応したイヤホン等での使いやすさ。
アーキテクチャは全く違うが、ビルゲイツが模索していたウォレット(財布)のイメージに近い。
交通機関に乗るときも、店で支払いをするときも、名刺データを取り交わす時も、ビジネス情報を閲覧する時も、親しい友人や家族とコミニュケーションをとるときも、片時も離さず、それだけで全てが行え、この地球上の(或いは宇宙の)どこにいても、コンピューター群に監視管理された環境が保障され、安全が守られている。
6インチ端末は、事実上常に持ち運べる最大の端末だし、丸1日の運用を可能にするバッテリーを積め、ネットワークの支援を地球上のどこからでも受けられ、世界中の誰とも通信でき、マルチメディアでの娯楽を与える。
5インチでは小さすぎ、7インチでは大きすぎる。
だから6インチだといっていたのに・・・。
6.3と5.8か。
サムスンは、ちっとも分かってないなあ!。
スピード! ― 2013年04月13日 21:40
スピード!
本日、浮沈子の元に1枚のハガキが届いた。
運転免許の累積点数が4点になったという。
03ボクスターと83タルガのせいである(棚に上げて・・・)。
制限速度超過(21kmと22km)。
悲しい・・・。
60kmオーバーとかなら、諦めもつくが、セコ過ぎる・・・。
両方とも実際には150km以上出していて、本来なら免停3か月のところ、大マケにまけてもらっているので(気付いてブレーキ踏んだし)文句は言えない。
何にしても、スピードの出し過ぎは、他の交通の迷惑になるだけでなく、危険な運転である。道路の設計速度や車両の性能にもよるが、自爆事故の原因ともなり、道路そのものや交通に甚大な被害を与える。
事故の処理に当る警察官などの公務員や、道路管理者の職員、事故車の撤去、修理(又は廃車)に当る方々に多大な迷惑をおかけすると共に、貴重な工業製品であるクルマを壊すという勿体無いことになってしまう。
人身事故に至れば、場合によっては取り返しの付かない事態になりかねない。
保険についても、適用になれば保険料率のアップに繋がり、無事故で加入されている方々にも影響が及ぶ。
事故がなくても著しい高速での走行は、等比級数的に増大する空気抵抗に逆らうためにエネルギーの殆んどを使うことから、燃費の悪化に繋がる。
タイヤもオイルも減っていく(免許の点数も・・・トホホ)。
いいことなんて、なーんにもない。
適正な速度を守って走行するに限る。
著しいスピード違反は、反社会的な行為であり、言い訳の余地はない。
事故を起こしてかけがえのない命を奪われたり、苦しんだ挙句、重度の後遺症を負った方々やご家族にしてみれば、許しがたい行為である。
高性能車に乗るということは、心のブレーキも高性能でなければならないのだ。
「速く走れなければ生きていけない。優しく走れなければ生きている資格はない。」って、ハードボイルド作家が書いてるじゃないですか(ちょっと、違うような・・・)。
ってなことは、百も承知なのだが、右足と理性にコントロールが利かない浮沈子は、今日もスピードメーターを見るよりも、周囲の確認を怠りなく行いながら、深々とアクセルを踏み込んでしまうのであった・・・(架空の話ですって!)。
と、前振りはこのへんにして、本題。
(ブガッティ ヴェイロン グランスポーツ、量産オープンカーの世界最高速記録…408.84km/h)
http://response.jp/article/2013/04/12/195877.html
記事の最後に、「なお、この計測には、ドイツに本拠を置く第三者試験認証機関、テュフが立ち会い408.84km/hの最高速を、量産オープンカーの世界最高速記録と認定している。」とある。
あれ?、ギネスじゃねえの?。
そう思った方は、鋭い!。
こんな関連記事があった。
(ブガッティ ヴェイロン、市販車のギネス世界最高速記録を剥奪…431.072km/hは無効に)
http://response.jp/article/2013/04/10/195681.html
「2010年の最高速チャレンジは、リミッターを解除した状態で行われた。この点をギネス・ワールド・レコーズは、「記録計測において、市販車に手を加えることは規則に反する」と判断したのだ。」とある。
おいおい・・・。
(ギネス世界記録)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%8D%E3%82%B9%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2
アイルランド(英国)の会社である。
フランス車であるブガッティ(VWのブランドだから、ドイツ車か?)に、何か恨みでもあるんじゃないか。
リミッター解除したことが最高速チャレンジの改造規定に引っかかるとしたら、日本車なんかギネスのスピード記録には絶対載らない(そんなクルマもないですが)。
「ギネス世界記録の日」(毎年11月の中頃)なんてのがあるとは知らなかったな。
まあいい。
仮に、制限速度が400kmの道路があっても、免停になってしまうクルマが売られていたということ自体は変わらない(リミッター付ですが)。
オープンカーで、400kmオーバーというのもすごい!。
写真を見ると、ドライバーはフルフェイスのヘルメットを着用しているが、安全のためなのか、風の巻き込みに耐えられないのかは不明である。
記録のための走行であり、公道上でこんなスピードを出すということは危険極まりないことである。
くれぐれも、安全運転を心がけよう(少なくとも、点数が消えるまでは・・・)。
本日、浮沈子の元に1枚のハガキが届いた。
運転免許の累積点数が4点になったという。
03ボクスターと83タルガのせいである(棚に上げて・・・)。
制限速度超過(21kmと22km)。
悲しい・・・。
60kmオーバーとかなら、諦めもつくが、セコ過ぎる・・・。
両方とも実際には150km以上出していて、本来なら免停3か月のところ、大マケにまけてもらっているので(気付いてブレーキ踏んだし)文句は言えない。
何にしても、スピードの出し過ぎは、他の交通の迷惑になるだけでなく、危険な運転である。道路の設計速度や車両の性能にもよるが、自爆事故の原因ともなり、道路そのものや交通に甚大な被害を与える。
事故の処理に当る警察官などの公務員や、道路管理者の職員、事故車の撤去、修理(又は廃車)に当る方々に多大な迷惑をおかけすると共に、貴重な工業製品であるクルマを壊すという勿体無いことになってしまう。
人身事故に至れば、場合によっては取り返しの付かない事態になりかねない。
保険についても、適用になれば保険料率のアップに繋がり、無事故で加入されている方々にも影響が及ぶ。
事故がなくても著しい高速での走行は、等比級数的に増大する空気抵抗に逆らうためにエネルギーの殆んどを使うことから、燃費の悪化に繋がる。
タイヤもオイルも減っていく(免許の点数も・・・トホホ)。
いいことなんて、なーんにもない。
適正な速度を守って走行するに限る。
著しいスピード違反は、反社会的な行為であり、言い訳の余地はない。
事故を起こしてかけがえのない命を奪われたり、苦しんだ挙句、重度の後遺症を負った方々やご家族にしてみれば、許しがたい行為である。
高性能車に乗るということは、心のブレーキも高性能でなければならないのだ。
「速く走れなければ生きていけない。優しく走れなければ生きている資格はない。」って、ハードボイルド作家が書いてるじゃないですか(ちょっと、違うような・・・)。
ってなことは、百も承知なのだが、右足と理性にコントロールが利かない浮沈子は、今日もスピードメーターを見るよりも、周囲の確認を怠りなく行いながら、深々とアクセルを踏み込んでしまうのであった・・・(架空の話ですって!)。
と、前振りはこのへんにして、本題。
(ブガッティ ヴェイロン グランスポーツ、量産オープンカーの世界最高速記録…408.84km/h)
http://response.jp/article/2013/04/12/195877.html
記事の最後に、「なお、この計測には、ドイツに本拠を置く第三者試験認証機関、テュフが立ち会い408.84km/hの最高速を、量産オープンカーの世界最高速記録と認定している。」とある。
あれ?、ギネスじゃねえの?。
そう思った方は、鋭い!。
こんな関連記事があった。
(ブガッティ ヴェイロン、市販車のギネス世界最高速記録を剥奪…431.072km/hは無効に)
http://response.jp/article/2013/04/10/195681.html
「2010年の最高速チャレンジは、リミッターを解除した状態で行われた。この点をギネス・ワールド・レコーズは、「記録計測において、市販車に手を加えることは規則に反する」と判断したのだ。」とある。
おいおい・・・。
(ギネス世界記録)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%8D%E3%82%B9%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2
アイルランド(英国)の会社である。
フランス車であるブガッティ(VWのブランドだから、ドイツ車か?)に、何か恨みでもあるんじゃないか。
リミッター解除したことが最高速チャレンジの改造規定に引っかかるとしたら、日本車なんかギネスのスピード記録には絶対載らない(そんなクルマもないですが)。
「ギネス世界記録の日」(毎年11月の中頃)なんてのがあるとは知らなかったな。
まあいい。
仮に、制限速度が400kmの道路があっても、免停になってしまうクルマが売られていたということ自体は変わらない(リミッター付ですが)。
オープンカーで、400kmオーバーというのもすごい!。
写真を見ると、ドライバーはフルフェイスのヘルメットを着用しているが、安全のためなのか、風の巻き込みに耐えられないのかは不明である。
記録のための走行であり、公道上でこんなスピードを出すということは危険極まりないことである。
くれぐれも、安全運転を心がけよう(少なくとも、点数が消えるまでは・・・)。
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