電子制御 ― 2013年06月17日 01:16
電子制御
(991GT3発表されましたねぇー!)
http://blogs.yahoo.co.jp/oka_oka2/66349512.html
「初期の性能は新しいモノが優れているんでしょうけど、10年10万キロ乗った時の耐久性、そしてOHなどのリフレッシュの可能性はどうなんでしょうか?」
「いまだ水冷カレラエンジンはブローした場合は本国に送ってリビルドエンジンに載せ替えるというのがメインの修理方法になっていますが、30年40年と生き残るナローの様な存在になれる車なんでしょうか?」
「それともブローしたらリビルドエンジンを安く供給するから大丈夫!20年後までは知りません!ということだとちょっと悲しい。」
「ポルシェは手を掛けてあれば限りなく新車の状態に近く戻せるというのが魅力だと思っています」
「ファーストオーナーだけではなく、未来の車好きが中古で買ってもポルシェスピリッツを感じられるプロダクトになっていると良いな」
「速さは増すのかもしれないが、実は電子パーツの耐用年数とか壊れた時の修理費用、サーキット走行の気持ち良さということを考えると本当にそれが答えだったのか気になります。
全カット出来る仕様になっていて、アナログシャシー性能も徹底的に鍛えられていることを切に期待します。」
なんかなあ、全部引用してしまったような気がする。
電子制御は、隆盛を極め、エンジン、サスペンションはおろか、エンジンマウント、ステアリング、ブレーキ、空力にも及んでいる。
これって、メカトロニクスとしては正解なんだろうが、電子制御を切った時の性能ってどうなんだろう?。
なんてことを、考える時代は、もう終わったのかもしれない。
電子制御なしの、素の性能なんて、意味がなくなったのかもしれない。
エンジンも、サスペンションも、ボディさえも、消耗品であり、電子の助けがなければ、まともな走りが出来ないのは、当たり前なのだ。
チーターは、時速100kmで走る陸上最速の動物だが、体重の半分にもなる重さの筋肉のコントロールには、当然、神経系が寄与していて、高度なバランスをもたらしている。
浮沈子も、運動神経はバツグンなのだが、筋肉が付いていかず、付いているのは、贅肉だけ・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
筋肉であるエンジン、アクチュエイターと、電子制御がうまく連動して、動的な性能を遺憾なく発揮できるように設計、製造する。
今は、各社バラバラなんだろうが、そのうち、統一のインターフェースが出来て、電子制御のCPUが共通化され、インターネットでダウンロードしたファイルを当てると、ポルシェ味になったり、フェラーリ味になって、日替わりで楽しめたりするような感じ?。
シャシーとボディ骨格だけは仕方ないが、外装は、まるでボディーカバーをかけるような感じで、手軽に交換できて、表面のフィルムには液晶が付いていて、色やデザインも自由にコントロールできる。
痛車なんかも、簡単に作れるわけだな。
それもこれも、基本となるシャシーが極めて強固なカーボン製になって、強度が滅茶苦茶高くて、架装するボディは強度メンバーにならなくてもいいからである。
コーチビルダーの復活かもしれない。
ネットでこんな動画を見つけた。
(New Porsche 991 GT3. First Drive. - /CHRIS HARRIS ON CARS)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=KVdme4ISq8Y
ついでに、これも。
(Driving the 887hp Porsche 918 Spyder - CHRIS HARRIS ON CARS)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mu_GezgxQ4o
メカニカルな仕掛けだけで、軽量化と性能を追及することには限界があるのかもしれない。
究極の姿は、素材そのものが、非線形特性を獲得したり、脳波を検知して変形したりすることになるんだろうが、当面は電子制御の力を借りて、ドライバーの意思をクルマに伝えるしかない。
チーターの走りを獲得するには、人の作りし物は、まだまだ未熟なのである。
(991GT3発表されましたねぇー!)
http://blogs.yahoo.co.jp/oka_oka2/66349512.html
「初期の性能は新しいモノが優れているんでしょうけど、10年10万キロ乗った時の耐久性、そしてOHなどのリフレッシュの可能性はどうなんでしょうか?」
「いまだ水冷カレラエンジンはブローした場合は本国に送ってリビルドエンジンに載せ替えるというのがメインの修理方法になっていますが、30年40年と生き残るナローの様な存在になれる車なんでしょうか?」
「それともブローしたらリビルドエンジンを安く供給するから大丈夫!20年後までは知りません!ということだとちょっと悲しい。」
「ポルシェは手を掛けてあれば限りなく新車の状態に近く戻せるというのが魅力だと思っています」
「ファーストオーナーだけではなく、未来の車好きが中古で買ってもポルシェスピリッツを感じられるプロダクトになっていると良いな」
「速さは増すのかもしれないが、実は電子パーツの耐用年数とか壊れた時の修理費用、サーキット走行の気持ち良さということを考えると本当にそれが答えだったのか気になります。
全カット出来る仕様になっていて、アナログシャシー性能も徹底的に鍛えられていることを切に期待します。」
なんかなあ、全部引用してしまったような気がする。
電子制御は、隆盛を極め、エンジン、サスペンションはおろか、エンジンマウント、ステアリング、ブレーキ、空力にも及んでいる。
これって、メカトロニクスとしては正解なんだろうが、電子制御を切った時の性能ってどうなんだろう?。
なんてことを、考える時代は、もう終わったのかもしれない。
電子制御なしの、素の性能なんて、意味がなくなったのかもしれない。
エンジンも、サスペンションも、ボディさえも、消耗品であり、電子の助けがなければ、まともな走りが出来ないのは、当たり前なのだ。
チーターは、時速100kmで走る陸上最速の動物だが、体重の半分にもなる重さの筋肉のコントロールには、当然、神経系が寄与していて、高度なバランスをもたらしている。
浮沈子も、運動神経はバツグンなのだが、筋肉が付いていかず、付いているのは、贅肉だけ・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
筋肉であるエンジン、アクチュエイターと、電子制御がうまく連動して、動的な性能を遺憾なく発揮できるように設計、製造する。
今は、各社バラバラなんだろうが、そのうち、統一のインターフェースが出来て、電子制御のCPUが共通化され、インターネットでダウンロードしたファイルを当てると、ポルシェ味になったり、フェラーリ味になって、日替わりで楽しめたりするような感じ?。
シャシーとボディ骨格だけは仕方ないが、外装は、まるでボディーカバーをかけるような感じで、手軽に交換できて、表面のフィルムには液晶が付いていて、色やデザインも自由にコントロールできる。
痛車なんかも、簡単に作れるわけだな。
それもこれも、基本となるシャシーが極めて強固なカーボン製になって、強度が滅茶苦茶高くて、架装するボディは強度メンバーにならなくてもいいからである。
コーチビルダーの復活かもしれない。
ネットでこんな動画を見つけた。
(New Porsche 991 GT3. First Drive. - /CHRIS HARRIS ON CARS)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=KVdme4ISq8Y
ついでに、これも。
(Driving the 887hp Porsche 918 Spyder - CHRIS HARRIS ON CARS)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mu_GezgxQ4o
メカニカルな仕掛けだけで、軽量化と性能を追及することには限界があるのかもしれない。
究極の姿は、素材そのものが、非線形特性を獲得したり、脳波を検知して変形したりすることになるんだろうが、当面は電子制御の力を借りて、ドライバーの意思をクルマに伝えるしかない。
チーターの走りを獲得するには、人の作りし物は、まだまだ未熟なのである。
感覚と運動 ― 2013年06月17日 02:31
感覚と運動
以前、こんな記事を書いた。
(外骨格)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/04/14/6776491
この週末は、体調不良のため、ダイビングのトレーニングをキャンセルして、自宅で寝てばかりいた。
身体が鈍る。
風邪気味なのか、鼻も詰まって息苦しい。
自分の体(だけかあ?)が思うようにならないのは、今に始まったことではないのだが、実に鬱陶しい。
まあいい。
人間は、脳に心の座があって、人格や記憶、意識が宿っているとはいうけれど、身体の感覚も重要で、内臓や、筋肉の状態を常にモニタリングしているわけで、それによって気分も変わる。
健全な精神は、健全な肉体に宿るのである。
人の作りし自動車になぞらえるまでもなく、自分の体を自分の感覚にマッチさせて、自由に動かすことができるというのは、当たり前のようだが、考えてみれば凄いことである。
動物界は、概ねそういうことになっているのだろうが、クラゲの一部などは、風任せ、潮任せだったり、ハエトリグサは、植物のクセに、生意気にもハエを捕まえたりする。
(カツオノエボシ:正確にはクラゲではなく、ヒドロ虫だそうです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%82%B7
(ハエトリグサ:補虫は、栄養塩の補給ですか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%82%B5
人間は、まあまあの運動機能をもった動物であり、採集による捕食で生きていくことが出来る。
狩をするといっても、道具がなければあまり効果的ではない(崖から落とす程度か)。
さて、身体が思うように動かないということになると、通常、動物はは餓死することになるのだが、有り難いことに、人間は高度に進化した社会的動物であり、コンビニなどという怠惰な生活を保障してくれるシステムを編み出したので、餓死どころか、体重が増えてきてしまった。
食っちゃ寝の生活、運動不足による便秘、いいことないです!。
クルマに乗るにも、この自前の身体が動かないことには仕方ない。
まだ、脳波で自由自在に運転できるような自動車は、少なくとも市販されていない。
(「脳波制御の自動車」、公道デビューへ(動画))
http://wired.jp/2011/03/02/%E3%80%8C%E8%84%B3%E6%B3%A2%E5%88%B6%E5%BE%A1%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%80%8D%E3%80%81%E5%85%AC%E9%81%93%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%B8%E5%8B%95%E7%94%BB/
寝てばかりいる中で、夢を見た。
強く念じると、ドアが開く夢だ。
どうやら、このところ調子が悪い500Eのリモコンドアロックが、モチーフになっているらしい。
夢の中では、サイコキネシスも自由自在である。
脳の活動と、物理的な作用、感覚をフィードバックさせた制御、筋肉のコントロールを外部化する仕組み、コンピューターの能力を使って、精密制御を行い、自動運転技術との融合で、究極の外骨格を得る。
そのうち、脳を生かしておければ、体の方は機械的に交換できるようになるかもしれない。
ま、脳死という概念が、実体を伴ったものになるんだろうな。
(ロボットに人間の脳を移植する計画 ロシア)
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120305/wir12030515000003-n1.htm
別に、自動車の形をしたレシピエントに脳を移植してもいい。
で、ガソリンスタンドに行くわけだな。
「いらっしゃい!。今日は、イキのいいのがはいってますよ!。」
「じゃあ、おまかせで!。」
「・・・」
「おい、チョット混ぜ物してないかあ?。」
「すいません、タンクの清掃、サボってたもんで・・・。」
なんだかなあ、運転席のスピーカーから声がして、スタンドの作業員(当然、ロボット)との無粋な会話が交わされて、クルマ(?)は、走り出していく。
「今日は、変なガソリン入れられて、胸がムカムカするから、少し飛ばしてスッキリするかあ!?。」
健全な精神は、健全なガソリンに宿るわけですな。
以前、こんな記事を書いた。
(外骨格)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/04/14/6776491
この週末は、体調不良のため、ダイビングのトレーニングをキャンセルして、自宅で寝てばかりいた。
身体が鈍る。
風邪気味なのか、鼻も詰まって息苦しい。
自分の体(だけかあ?)が思うようにならないのは、今に始まったことではないのだが、実に鬱陶しい。
まあいい。
人間は、脳に心の座があって、人格や記憶、意識が宿っているとはいうけれど、身体の感覚も重要で、内臓や、筋肉の状態を常にモニタリングしているわけで、それによって気分も変わる。
健全な精神は、健全な肉体に宿るのである。
人の作りし自動車になぞらえるまでもなく、自分の体を自分の感覚にマッチさせて、自由に動かすことができるというのは、当たり前のようだが、考えてみれば凄いことである。
動物界は、概ねそういうことになっているのだろうが、クラゲの一部などは、風任せ、潮任せだったり、ハエトリグサは、植物のクセに、生意気にもハエを捕まえたりする。
(カツオノエボシ:正確にはクラゲではなく、ヒドロ虫だそうです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%82%B7
(ハエトリグサ:補虫は、栄養塩の補給ですか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%82%B5
人間は、まあまあの運動機能をもった動物であり、採集による捕食で生きていくことが出来る。
狩をするといっても、道具がなければあまり効果的ではない(崖から落とす程度か)。
さて、身体が思うように動かないということになると、通常、動物はは餓死することになるのだが、有り難いことに、人間は高度に進化した社会的動物であり、コンビニなどという怠惰な生活を保障してくれるシステムを編み出したので、餓死どころか、体重が増えてきてしまった。
食っちゃ寝の生活、運動不足による便秘、いいことないです!。
クルマに乗るにも、この自前の身体が動かないことには仕方ない。
まだ、脳波で自由自在に運転できるような自動車は、少なくとも市販されていない。
(「脳波制御の自動車」、公道デビューへ(動画))
http://wired.jp/2011/03/02/%E3%80%8C%E8%84%B3%E6%B3%A2%E5%88%B6%E5%BE%A1%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%80%8D%E3%80%81%E5%85%AC%E9%81%93%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%B8%E5%8B%95%E7%94%BB/
寝てばかりいる中で、夢を見た。
強く念じると、ドアが開く夢だ。
どうやら、このところ調子が悪い500Eのリモコンドアロックが、モチーフになっているらしい。
夢の中では、サイコキネシスも自由自在である。
脳の活動と、物理的な作用、感覚をフィードバックさせた制御、筋肉のコントロールを外部化する仕組み、コンピューターの能力を使って、精密制御を行い、自動運転技術との融合で、究極の外骨格を得る。
そのうち、脳を生かしておければ、体の方は機械的に交換できるようになるかもしれない。
ま、脳死という概念が、実体を伴ったものになるんだろうな。
(ロボットに人間の脳を移植する計画 ロシア)
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120305/wir12030515000003-n1.htm
別に、自動車の形をしたレシピエントに脳を移植してもいい。
で、ガソリンスタンドに行くわけだな。
「いらっしゃい!。今日は、イキのいいのがはいってますよ!。」
「じゃあ、おまかせで!。」
「・・・」
「おい、チョット混ぜ物してないかあ?。」
「すいません、タンクの清掃、サボってたもんで・・・。」
なんだかなあ、運転席のスピーカーから声がして、スタンドの作業員(当然、ロボット)との無粋な会話が交わされて、クルマ(?)は、走り出していく。
「今日は、変なガソリン入れられて、胸がムカムカするから、少し飛ばしてスッキリするかあ!?。」
健全な精神は、健全なガソリンに宿るわけですな。
リブリーザー選び ― 2013年06月17日 22:19
リブリーザー選び
近藤さんのブログに、注目すべき記事があり、CCRを考える上で重要な発信をしているので、ここでも紹介する。
(Rebreather Myths(リブリーザー神話))
http://nolimit.ti-da.net/e4920652.html
(Rebreather Myths:元記事)
http://addhelium.com/site/articles/rebreather-myths/
ちょっと読みづらいところもあるのだが、様々なリブリーザーが出てきて、競争するのはいいことだし、狭い市場でアシを引っ張り合うこともあるだろうし、誰もが、田中さんとこみたいに、リブリーザー博物館を運営しているわけじゃないし・・・。
浮沈子的に気になったのは、「一般的な誤解」の13番。
「13. 浮力コントロールはOCより難しいですか?
CCRの浮力コントロールはOCとは異なりますが、けっして難しくはありません。むしろより簡単です。CCRの浮力調整が難しいと感じる人は、インストラクターが適切なウエイト調整とバランス調整を行わなかったためでしょう。それほど簡単です。」
まあ、オープンサーキットの浮力コントロールがCCRより簡単だとは言わない。
ファンダイブで30本も潜っていないのに、オープンサーキットのボイヤンシー・コントロールを云々するわけにはいかないからね!。
しかし、浮沈子の場合に限って言えば、足掛け5年の歳月をかけて、ようやくストレスを感じなくなったというシロモノである。
Peter Sotis氏には申し訳ないが、CCRの浮力調整は、原理的にも実践的にも容易ではない。一般のOCダイバーに、「むしろより簡単」といってしまうのは、考え物だ。
ただ、これだけはいえる。
そんなことぐらいでは、CCRを諦める理由には絶対ならないということだ。
できのいい脳細胞があれば、5分でマスターできるかもしれない!。
費用の点にしても、消耗品に酸素やソフノライムを計上しないのは公平ではない。少なくとも日本では、合法的に水中で酸素を吸わせることは、本日現在でも認められていない。
医療用酸素を、病院でないところに売った方も処罰の対象になる。
だから、売ってくれないのだ。
工業用酸素(といっても、こっちの方が純度が高い)とかを、何とか手に入れたりして、細々とやっているに過ぎない。
もちろん、世界に目を向ければ、そんなアホな国はどこにもないから、金持ちのダイバーがいるところでは、CCRのサービスを受けることが出来るのかもしれない。
しかし、浮沈子がCCRで潜りたいと思っているロタ島には、そんなサービスはない。
フロリダの狭い世界(!?)では、あたりにはウヨウヨとリブリーザーダイバーがいるのだろうが、東洋の島国では、犯罪者扱いされているに等しい。
ダイビングプールで、タンクフィーを払うといっても、持込の酸素タンクを使用することは認められないといって、追っ払われる始末である。
まあいい。
浮沈子も、いろいろなCCRを試してみたい。
メカマニアだからというわけではなく、優れた製品に触れる喜びを味わいたいからである。レンタルができるのであれば、機種転換訓練を受けてみるのも面白い。
安全を確保し、より使いやすい製品を開発して普及させようとする、メーカーの真摯な姿勢を感じるとき、この器材に出会えて良かったと感じるからだ(といっても、インスピレーションしか知りませんが)。
浮沈子は、オープンサーキットのテクニカルトレーニングはおろか、ほぼ、いきなりCCRで潜り始めてしまったので、ヨーク式のファーストステージの付け方も良く覚えていない(この前も、セブで間違えたし・・・)。
あとは、ちまちまとCCRで潜り続けて年数だけが経ってしまい、あろうことか、サイドマウントに改造までしてしまった。
ダイビングは、CCRに限ると本気で思っている。
700気圧の高圧タンクが普及して、6リットルのナイトロックス2本をサイドマウントにして、3時間潜れるようになったとしても、CCRの方を選択するだろう。
CCRは、適切な訓練を受けて運用すれば、実に素晴らしい潜水具である。
本当にちゃんとした普及を図ってもらって、是非とも素敵なダイビングの経験をしてもらいたいものだ。
CCRの静けさに慣れた後で、オープンサーキットで潜ると、その轟音に驚くことだろう。水中暴走族である。バリバリ伝説(古っ!)。
幸か不幸か、APDが一番と信じているインストラクターに教わっていることもあって、「バイアス」のかかった情報しか得ることが出来ないので、レボとか、メグとか、センチネルとか、プリズムとか、JJとか、キスとか、ウロボロスとか、マーク6とか、オプティマとか、その他百花繚乱のCCRに触れる機会がない(メグは田中さんとこで触りましたが)。
水中という、人類が長時間滞在することが許されない世界において、僅かの投資でアットーテキな性能を得られ、安全に長時間の潜水を可能にする器材である。
この器材は、オープンサーキットなどと比較してはいけないのだ。
宇宙服や、潜水艦と比較すべき器材である。
宇宙服は、1着1億円と言われていた。
潜水艦は、数百億であろう。
それぞれの運用コストは、さらに高い。
一般市民が手を出せる代物ではない。
CCRは、高いといっても数十万円から、フルオプションでもせいぜい200万円程度である。
個人で、ダイビングを楽しむために、現在求め得る最良の選択が、CCRである。
浅く、明るく、暖かい海で、纏わり付く小魚どもを追っ払いながらCCRで潜る時(まあ、40mも行けば、十分でしょう!)、生きてて良かったと実感すること間違いない。
まあ、できれば、生きたまま浮上するに越したことはない・・・。
画像は、Peter Sotis氏の記事があるサイトから拝借。エキジットしてきたCCRダイバー。
ハブ ア ナイス・ダイビング?。
近藤さんのブログに、注目すべき記事があり、CCRを考える上で重要な発信をしているので、ここでも紹介する。
(Rebreather Myths(リブリーザー神話))
http://nolimit.ti-da.net/e4920652.html
(Rebreather Myths:元記事)
http://addhelium.com/site/articles/rebreather-myths/
ちょっと読みづらいところもあるのだが、様々なリブリーザーが出てきて、競争するのはいいことだし、狭い市場でアシを引っ張り合うこともあるだろうし、誰もが、田中さんとこみたいに、リブリーザー博物館を運営しているわけじゃないし・・・。
浮沈子的に気になったのは、「一般的な誤解」の13番。
「13. 浮力コントロールはOCより難しいですか?
CCRの浮力コントロールはOCとは異なりますが、けっして難しくはありません。むしろより簡単です。CCRの浮力調整が難しいと感じる人は、インストラクターが適切なウエイト調整とバランス調整を行わなかったためでしょう。それほど簡単です。」
まあ、オープンサーキットの浮力コントロールがCCRより簡単だとは言わない。
ファンダイブで30本も潜っていないのに、オープンサーキットのボイヤンシー・コントロールを云々するわけにはいかないからね!。
しかし、浮沈子の場合に限って言えば、足掛け5年の歳月をかけて、ようやくストレスを感じなくなったというシロモノである。
Peter Sotis氏には申し訳ないが、CCRの浮力調整は、原理的にも実践的にも容易ではない。一般のOCダイバーに、「むしろより簡単」といってしまうのは、考え物だ。
ただ、これだけはいえる。
そんなことぐらいでは、CCRを諦める理由には絶対ならないということだ。
できのいい脳細胞があれば、5分でマスターできるかもしれない!。
費用の点にしても、消耗品に酸素やソフノライムを計上しないのは公平ではない。少なくとも日本では、合法的に水中で酸素を吸わせることは、本日現在でも認められていない。
医療用酸素を、病院でないところに売った方も処罰の対象になる。
だから、売ってくれないのだ。
工業用酸素(といっても、こっちの方が純度が高い)とかを、何とか手に入れたりして、細々とやっているに過ぎない。
もちろん、世界に目を向ければ、そんなアホな国はどこにもないから、金持ちのダイバーがいるところでは、CCRのサービスを受けることが出来るのかもしれない。
しかし、浮沈子がCCRで潜りたいと思っているロタ島には、そんなサービスはない。
フロリダの狭い世界(!?)では、あたりにはウヨウヨとリブリーザーダイバーがいるのだろうが、東洋の島国では、犯罪者扱いされているに等しい。
ダイビングプールで、タンクフィーを払うといっても、持込の酸素タンクを使用することは認められないといって、追っ払われる始末である。
まあいい。
浮沈子も、いろいろなCCRを試してみたい。
メカマニアだからというわけではなく、優れた製品に触れる喜びを味わいたいからである。レンタルができるのであれば、機種転換訓練を受けてみるのも面白い。
安全を確保し、より使いやすい製品を開発して普及させようとする、メーカーの真摯な姿勢を感じるとき、この器材に出会えて良かったと感じるからだ(といっても、インスピレーションしか知りませんが)。
浮沈子は、オープンサーキットのテクニカルトレーニングはおろか、ほぼ、いきなりCCRで潜り始めてしまったので、ヨーク式のファーストステージの付け方も良く覚えていない(この前も、セブで間違えたし・・・)。
あとは、ちまちまとCCRで潜り続けて年数だけが経ってしまい、あろうことか、サイドマウントに改造までしてしまった。
ダイビングは、CCRに限ると本気で思っている。
700気圧の高圧タンクが普及して、6リットルのナイトロックス2本をサイドマウントにして、3時間潜れるようになったとしても、CCRの方を選択するだろう。
CCRは、適切な訓練を受けて運用すれば、実に素晴らしい潜水具である。
本当にちゃんとした普及を図ってもらって、是非とも素敵なダイビングの経験をしてもらいたいものだ。
CCRの静けさに慣れた後で、オープンサーキットで潜ると、その轟音に驚くことだろう。水中暴走族である。バリバリ伝説(古っ!)。
幸か不幸か、APDが一番と信じているインストラクターに教わっていることもあって、「バイアス」のかかった情報しか得ることが出来ないので、レボとか、メグとか、センチネルとか、プリズムとか、JJとか、キスとか、ウロボロスとか、マーク6とか、オプティマとか、その他百花繚乱のCCRに触れる機会がない(メグは田中さんとこで触りましたが)。
水中という、人類が長時間滞在することが許されない世界において、僅かの投資でアットーテキな性能を得られ、安全に長時間の潜水を可能にする器材である。
この器材は、オープンサーキットなどと比較してはいけないのだ。
宇宙服や、潜水艦と比較すべき器材である。
宇宙服は、1着1億円と言われていた。
潜水艦は、数百億であろう。
それぞれの運用コストは、さらに高い。
一般市民が手を出せる代物ではない。
CCRは、高いといっても数十万円から、フルオプションでもせいぜい200万円程度である。
個人で、ダイビングを楽しむために、現在求め得る最良の選択が、CCRである。
浅く、明るく、暖かい海で、纏わり付く小魚どもを追っ払いながらCCRで潜る時(まあ、40mも行けば、十分でしょう!)、生きてて良かったと実感すること間違いない。
まあ、できれば、生きたまま浮上するに越したことはない・・・。
画像は、Peter Sotis氏の記事があるサイトから拝借。エキジットしてきたCCRダイバー。
ハブ ア ナイス・ダイビング?。
空冷ポルシェ ― 2013年06月17日 23:58
空冷ポルシェ
今日も、宵の明星になった浮沈子。
保土ヶ谷サービスエリアのスタミナ丼が、トッピングを変えた(なんて、ローカルな話題・・・)。
ほうれん草に刻みノリ。
うーん、ノリが丼に貼り付くんだよね。
んなこたぁ、どーだっていい!。
このクルマ、実に楽しい。
今日は、130km程で、チンタラ走る(道、混んでたし)。
それでも、4速に落として5000回転位回してやると、いい感じで加速する。
踏んでよし、流してよし。
なぜ、空冷ポルシェは楽しいのか?。
そりゃ、水冷だって楽しいが、質が違うような気がする。
気のせいか?。
たぶん、気のせいなんだろうが、そこが重要である。
(50. 憧れの空冷911に試乗)
http://knboxster.blogspot.jp/2013/04/50-911.html
ちょっと検索してみたら、ボクスター(最新!)をお乗りの方のブログを発見!。
なかなか面白いのだが、この方が書いているように、「生」の感覚が重要なのだろうと思う。
Kジェトロ初め、メカメカしい機構はあるが、電子制御されているものなど、皆無である(930)。
電子制御どころか、パワステもない。
ジマンできるのは、電動ミラーと電動サイドウインドウ!。
最近付けた、電動アンテナ!。
まあいい。
電気仕掛けのない機械の塊のメカメカしさ、それを操るダイレクト感、失敗した時のギクシャク感と、自己嫌悪。うまくいったときのとろけるようなスムーズさ、そして満足感(ま、自己満足ですが)。
しかし、何にも付いていなかった、同時代のダイハツ・ミラ(商用車なので、ラジオもなかった:当時、60まんえん)に乗っていても、こんな満足感はなかった。
まあ、ポルシェと比べられてはかわいそうなんだが。
機械としての出来が違う。比較にならない。世界が違うのだ。王様と乞食のようなものである。走ることは同じだが、目指す高みが異なる。
150km普通に出せて、そこからさらに加速するクルマと、100kmで青息吐息の軽自動車(当時550cc)の違い。
このクルマが棲む世界は、この国ではないと確信する。
そんなゴキゲンなクルマを、30年経って乗り回す。
ダイレクトな機械、ウソ偽りのない世界。
据え切り出来ないハンドル、グニャグニャしたシフト(ポルシェ・シンクロです)、重いペダル、唐突に繋がるクラッチ、低いローギア、当てにならないサイドブレーキ、もっと当てにならないサスペンション、(たぶん)直せばちゃんと利くブレーキ・・・。
これがスポーツカーでなくて、何なんだろう?。
快適さと、気持ちよさの違い、安楽と楽しみの違い。
努力して、獲得した技量に報いる機械。
機械との対話を楽しめるクルマ。
そう、空冷ポルシェは、人間の言葉が分かるに違いない。
ハンドルの操作、アクセルの踏み具合、クラッチの繋ぎ方、シフトレバーのこねくり回し方、それらを通して、機械の塊と会話する。
「こんなもんかあ?」
「ちょっと、早いかも・・・」
「じゃ、こうかあ?」
「いい感じじゃね!」
お話しながら、ドライブする。
そう、このクルマを走らせている時は、決して孤独ではない。
もちろん、03ボクスターも話しかけては来るのだが、ちょっと気取っている。ダイレクトじゃない。都会風だ。
空冷ポルシェは、粗忽者だが正直だ。そんなクルマが好きならば、傍に置きたいクルマである。
今日も、宵の明星になった浮沈子。
保土ヶ谷サービスエリアのスタミナ丼が、トッピングを変えた(なんて、ローカルな話題・・・)。
ほうれん草に刻みノリ。
うーん、ノリが丼に貼り付くんだよね。
んなこたぁ、どーだっていい!。
このクルマ、実に楽しい。
今日は、130km程で、チンタラ走る(道、混んでたし)。
それでも、4速に落として5000回転位回してやると、いい感じで加速する。
踏んでよし、流してよし。
なぜ、空冷ポルシェは楽しいのか?。
そりゃ、水冷だって楽しいが、質が違うような気がする。
気のせいか?。
たぶん、気のせいなんだろうが、そこが重要である。
(50. 憧れの空冷911に試乗)
http://knboxster.blogspot.jp/2013/04/50-911.html
ちょっと検索してみたら、ボクスター(最新!)をお乗りの方のブログを発見!。
なかなか面白いのだが、この方が書いているように、「生」の感覚が重要なのだろうと思う。
Kジェトロ初め、メカメカしい機構はあるが、電子制御されているものなど、皆無である(930)。
電子制御どころか、パワステもない。
ジマンできるのは、電動ミラーと電動サイドウインドウ!。
最近付けた、電動アンテナ!。
まあいい。
電気仕掛けのない機械の塊のメカメカしさ、それを操るダイレクト感、失敗した時のギクシャク感と、自己嫌悪。うまくいったときのとろけるようなスムーズさ、そして満足感(ま、自己満足ですが)。
しかし、何にも付いていなかった、同時代のダイハツ・ミラ(商用車なので、ラジオもなかった:当時、60まんえん)に乗っていても、こんな満足感はなかった。
まあ、ポルシェと比べられてはかわいそうなんだが。
機械としての出来が違う。比較にならない。世界が違うのだ。王様と乞食のようなものである。走ることは同じだが、目指す高みが異なる。
150km普通に出せて、そこからさらに加速するクルマと、100kmで青息吐息の軽自動車(当時550cc)の違い。
このクルマが棲む世界は、この国ではないと確信する。
そんなゴキゲンなクルマを、30年経って乗り回す。
ダイレクトな機械、ウソ偽りのない世界。
据え切り出来ないハンドル、グニャグニャしたシフト(ポルシェ・シンクロです)、重いペダル、唐突に繋がるクラッチ、低いローギア、当てにならないサイドブレーキ、もっと当てにならないサスペンション、(たぶん)直せばちゃんと利くブレーキ・・・。
これがスポーツカーでなくて、何なんだろう?。
快適さと、気持ちよさの違い、安楽と楽しみの違い。
努力して、獲得した技量に報いる機械。
機械との対話を楽しめるクルマ。
そう、空冷ポルシェは、人間の言葉が分かるに違いない。
ハンドルの操作、アクセルの踏み具合、クラッチの繋ぎ方、シフトレバーのこねくり回し方、それらを通して、機械の塊と会話する。
「こんなもんかあ?」
「ちょっと、早いかも・・・」
「じゃ、こうかあ?」
「いい感じじゃね!」
お話しながら、ドライブする。
そう、このクルマを走らせている時は、決して孤独ではない。
もちろん、03ボクスターも話しかけては来るのだが、ちょっと気取っている。ダイレクトじゃない。都会風だ。
空冷ポルシェは、粗忽者だが正直だ。そんなクルマが好きならば、傍に置きたいクルマである。
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