空冷ポルシェ2013年06月17日 23:58

空冷ポルシェ
空冷ポルシェ


今日も、宵の明星になった浮沈子。

保土ヶ谷サービスエリアのスタミナ丼が、トッピングを変えた(なんて、ローカルな話題・・・)。

ほうれん草に刻みノリ。

うーん、ノリが丼に貼り付くんだよね。

んなこたぁ、どーだっていい!。

このクルマ、実に楽しい。

今日は、130km程で、チンタラ走る(道、混んでたし)。

それでも、4速に落として5000回転位回してやると、いい感じで加速する。

踏んでよし、流してよし。

なぜ、空冷ポルシェは楽しいのか?。

そりゃ、水冷だって楽しいが、質が違うような気がする。

気のせいか?。

たぶん、気のせいなんだろうが、そこが重要である。

(50. 憧れの空冷911に試乗)
http://knboxster.blogspot.jp/2013/04/50-911.html

ちょっと検索してみたら、ボクスター(最新!)をお乗りの方のブログを発見!。

なかなか面白いのだが、この方が書いているように、「生」の感覚が重要なのだろうと思う。

Kジェトロ初め、メカメカしい機構はあるが、電子制御されているものなど、皆無である(930)。

電子制御どころか、パワステもない。

ジマンできるのは、電動ミラーと電動サイドウインドウ!。

最近付けた、電動アンテナ!。

まあいい。

電気仕掛けのない機械の塊のメカメカしさ、それを操るダイレクト感、失敗した時のギクシャク感と、自己嫌悪。うまくいったときのとろけるようなスムーズさ、そして満足感(ま、自己満足ですが)。

しかし、何にも付いていなかった、同時代のダイハツ・ミラ(商用車なので、ラジオもなかった:当時、60まんえん)に乗っていても、こんな満足感はなかった。

まあ、ポルシェと比べられてはかわいそうなんだが。

機械としての出来が違う。比較にならない。世界が違うのだ。王様と乞食のようなものである。走ることは同じだが、目指す高みが異なる。

150km普通に出せて、そこからさらに加速するクルマと、100kmで青息吐息の軽自動車(当時550cc)の違い。

このクルマが棲む世界は、この国ではないと確信する。

そんなゴキゲンなクルマを、30年経って乗り回す。

ダイレクトな機械、ウソ偽りのない世界。

据え切り出来ないハンドル、グニャグニャしたシフト(ポルシェ・シンクロです)、重いペダル、唐突に繋がるクラッチ、低いローギア、当てにならないサイドブレーキ、もっと当てにならないサスペンション、(たぶん)直せばちゃんと利くブレーキ・・・。

これがスポーツカーでなくて、何なんだろう?。

快適さと、気持ちよさの違い、安楽と楽しみの違い。

努力して、獲得した技量に報いる機械。

機械との対話を楽しめるクルマ。

そう、空冷ポルシェは、人間の言葉が分かるに違いない。

ハンドルの操作、アクセルの踏み具合、クラッチの繋ぎ方、シフトレバーのこねくり回し方、それらを通して、機械の塊と会話する。

「こんなもんかあ?」

「ちょっと、早いかも・・・」

「じゃ、こうかあ?」

「いい感じじゃね!」

お話しながら、ドライブする。

そう、このクルマを走らせている時は、決して孤独ではない。

もちろん、03ボクスターも話しかけては来るのだが、ちょっと気取っている。ダイレクトじゃない。都会風だ。

空冷ポルシェは、粗忽者だが正直だ。そんなクルマが好きならば、傍に置きたいクルマである。

コメント

_ maru ― 2013年06月18日 07:59

本当にその通りですね!
しかし浮沈子さんは文才がありますね。(偉そうですいません)
空冷のポルシェを表現する文章として最高だと思います。

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