運転の自由2013年06月26日 01:33

運転の自由
運転の自由


完全自動運転自動車や、ロボットカー(ん?、どう違うんだあ?:後述)の記事をネットで追う。

(運転手いらず「ロボットカー」 トヨタ、米見本市で展示)
http://www.asahi.com/business/update/0108/TKY201301080050.html

朝日は、「大矢アキオ」と契約しているらしく、たまに、読み応えのあるクルマの記事が出ることがある。

(大矢アキオ 大矢麻里 ITALIA)
http://lavitatoscana.blog.so-net.ne.jp/

(クルマへのアモーレ、永遠に:連載コラムの最終回)
http://www.asahi.com/car/italycolumn/TKY201212200387.html

浮沈子が、ロボットカーといわれて思い出すのは、なんといっても、コレ!。

(ムラタセイサク君)
http://www.murata.co.jp/corporate/boy_girl/boy/index.html

センサー技術のアピールを目的として、株式会社村田製作所が作った傑作。

いとこには、ムラタセイコちゃんというのもいる(ある?)。

(ムラタセイコちゃん)
http://www.murata.co.jp/corporate/boy_girl/girl/index.html

キャラの設定といい、安易なネーミングといい、日本のもの作りの典型的なパターンだな。

そのくせ、技術の水準は、超一流である。

このギャップが、スゴイ・・・。

ロボットカーというのは、人間を乗せて走ることを必ずしも前提といていない。

搭乗者の安全を考慮する必要はないのだ。

積載物や、自身のデバイスを守れれば、許容される加速度や、乗り心地(乗ってないので、何ていうのか?)などを気にすることはない。場合によっては、原子力エンジンなどもアリだろう!。

頚椎損傷になるほどの急発進、急停車や、ハンドル操作が出来ないほどの横Gをかけても構わない。

ドラビリがどうのとか、乗り味がよくないとか、エンジンの音が良くないとか、つべこべ言う「ドライバー」(あるいは、カーキチ、エンスーなどともいう?)などに気を使うことはないのだ。

機械の世界!、物理の法則が支配する理科系の世界だ!。

内装がどうの、操作系へのフィードバックがどうの、シートの座り心地や、ホールド性がどうのなどという、文科系的情緒的気まぐれ的好みの問題的スキホーダイ言ってんじゃねえよ!的要素は、微塵もない!。

自動車評論家の99パーセントは、この世界に入ることさえ出来ない。

人間が乗らないモビリティに、彼らの出る幕など、ないのだ。

唯一、浮沈子が知る限り、福野礼一郎(レイちゃん)だけが、堂々とこの世界に入ってくる。

機械としての自動車、物作りとしての生産工程、要素技術の隅々に至るまで、首を突っ込んでくる。

食い足りないのは、それらを、どう統合して「自動車」という総合機械が成立するのか、要素技術の選択と、それら同士のインターフェースの問題、要求水準(公差)の相対的決定のプロセスに踏み込めない点だ。

それをバラされては、トヨタもおまんまの食い上げになるので、明かさないのだろう。

世にある部品を繋ぎ合わせても、自動車は出来ない。

少なくとも、商品として競争力のあるクルマにはならないのだ。

(【運転手いらずの「ロボットカー」実現へ】開発競争、米グーグルが先頭走る 夢の車、早くも主導権争い激化)
http://www.47news.jp/47topics/e/242321.php

米国では、運転手がいらないクルマもロボットカーというらしく、自動運転車と同等の意味で使うことがあるようだ。

(ロボットカー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%BC

「Autonomous car」、「Unmanned Ground Vehicle」とある。

(Autonomous car)
http://en.wikipedia.org/wiki/Autonomous_car

まあ、こっちが自動運転車だな。

(Unmanned ground vehicle)
http://en.wikipedia.org/wiki/Unmanned_Ground_Vehicle

こっちは、完全に走行するロボットだ。人間は関係ない。

どうも、ロボットカーというと、ラジコンカーくらいの大きさで、ある程度の自律走行が可能で、せいぜい一人乗りの、公道を流れに乗って走ることなどもってのほかの、研究者御用達的、実験的、ロボコン的、自己満足的、補助金目当的、基礎研究的なイメージになってしまう。

来年には実用車が発表されるかもしれないという世界の情勢とは、かけ離れたイメージである。

「グーグルとの協力を模索しているのは、米電気自動車ベンチャーのテスラモーターズだ。マスク最高経営責任者(CEO)は「将来、自動運転の車をつくることになる。チャンスはある」と強い意欲を示す。」と先に引用した47ニュースにある。

既に、数十万キロ(もう、100万キロくらい?)の公道走行を行っているグーグルと、「自動運転のクルマを作る」と明言しているイーロン・マスク。

鬼に金棒のようなものか。

トヨタの社長は、逆に「運転補助に徹し、自動運転車は作らない」と明言している。

(主導権はドライバー=トヨタ自動車の豊田章男社長〔ほっとライン〕)
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130617-00000037-jijnb_st-nb

(トヨタ、2013年3月期通期の営業利益は271.4%増の1兆3208億円、純利益は239.3%増の9621億円)
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20130508_598633.html

「豊田社長は、自動運転の考え方についても触れた。」

「「クルマというモビリティが、ほかのモビリティとは違うのは、ドライバーが自由に道を選べる、自由に止められるというフリーなところである。トヨタがやる自動運転は、ハンドルやアクセル、ブレーキなど、人がクルマと接している部分のオーナーシップをドライバーに置いておきたい。それが基本的な考え方。だが、モータリゼーションの機能が進化していくなかで、ちょっとサポートしてもらうことで、自分の運転技能よりも少し上手になったということや、危険回避というところで人間の限界をサポートするといったことも必要だろう。ドライバーにリスペクトした上での自動運転を考えていきたい」と語った。」とある。

日本では、多分法改正の時に、警察庁が真っ先に反対するだろうな(いったい、誰を取り締まることになるのか。経産省との縄張り争いだな)。

浮沈子は、豊田章男氏の見解は、時代を見誤ったミスリーディングになるような気がする。

創業家出身のボンボンで、米国の記者会見のときに泣いちゃった社長さんは、きっと、部下の誰かの入れ知恵で、ドライバー中心の自動運転のビジョンを語ったのだろうが、世界の流れは違う。

「危なっかしい人間には、もう、これ以上運転させないぞ!」

「自動運転に任せた方が、遥かに安全で、環境に優しく、事故も減るというのは、既に常識だ!」

「人間主導で運転する時代は、最早、過去になった!」

ここ数日、ネットを調べていると、間違いなく、「矢印」はこっちの方を向いている。

「クルマというモビリティが、ほかのモビリティとは違うのは、ドライバーが自由に道を選べる、自由に止められるというフリーなところである。」という認識自体を、コペルニクス的に転換しなくてはならない。

エコが叫ばれているなかで、運転計画も立てずに、自由気ままにドライブするなどということは、最早、無条件に許されることではない。

最も環境への負荷が少ないコースを選択し、無線LANを通じて申告し、規制当局の運行許可を得て、渋滞を起こさないタイムスケジュールで運行することになるのだ。

うーむ、宵の明星とか言ってる場合じゃないぞ!。

そう、自動運転というのは、機械の意思で運転するわけじゃない。

交通事故や移動体による環境汚染、騒音などによる静穏な住宅環境の破壊をなくし、安全でクリーンな交通社会をもたらしたいという、人々の意思で行われるものだ。

それは、手段であり、目的ではない。

自動運転は、ドライバーの自由を奪うことになるのだろうか。

「トヨタがやる自動運転は、ハンドルやアクセル、ブレーキなど、人がクルマと接している部分のオーナーシップをドライバーに置いておきたい。」という。

どこか目的地へ向かう運転というのは、ドライバーにとって自由な行動なのだろうか。

本当は、逆なのではないか。

未成熟で、危険な自動車という機械を、安全に運行するための奴隷となり、空腹や、眠気や、疲れや、尿意(!)、便意(!!)に耐え、家族の談笑に加わることも出来ずにハンドルやアクセルブレーキなど、人がクルマと接している部分に縛り付けられている、難行、苦行そのものではないのか。

「トヨタがやる自動運転は、ハンドルやアクセル、ブレーキなど、人がクルマと接している部分の<難行苦行に、奴隷である>ドライバー<を縛り付けて置きたい>。」(<>内、浮沈子)。

少なくとも、自動運転モードと、手動運転モードを選択する「自由」を備えた自動車を送り出す責務があるのではないか。

それを与えることが出来ない、自由とは、一体何なのか。

「ドライバーにリスペクトした上での自動運転」というなら、そこのところをしっかり考えてもらいたい。

べつに、運転がうまくなったと思わせなくてもいい。

運転がうまい自動運転でも、浮沈子は一向にかまわないんだが(たまにはね!)。

画像はこのページから。

(サウジアラビア:あれから一年。女性たちはいまだ自由への道を運転し続けている:アムネスティのページ)
http://www.amnesty.or.jp/news/2012/0702_3228.html

こんなヨタ記事を書いていられる浮沈子は、幸せ者なんでしょうな。

(本記事は、内容を一部訂正しました:レーザー測距の件は、浮沈子の勘違いでした!。)