未来は今2013年11月07日 11:40

未来は今
未来は今


浮沈子が幼少の頃、鉄腕アトムや鉄人28号などの漫画で描かれていた未来には、空飛ぶクルマや、ロボットが、日常生活の中に溢れていた。

実際に21世紀になってみると、確かにパソコンの普及やインターネットの広がりで、情報世界の変革は著しいが、自動車は相変わらず地べたを這っているし、ロボットで普及しているというのは、ホットケーキのようなお掃除ロボットくらいである。

超高層ビルや、鉄塔などは高くなったが、せいぜい数倍の高さで、革新的なイメージはない。

東京タワーは55年前、霞ヶ関ビルも45年前の出来事である。

(東京タワー:333m)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC

(東京スカイツリー:634m)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC

(霞が関ビルディング:147m)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9E%E3%81%8C%E9%96%A2%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

(ブルジュ・ハリファ:828m)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1

歳をとると、だんだんわかってくるのは、未来は突然やってくるのではなく、いつの間にか周辺に転がっているということだ。

アクアラインで木更津まで10分でいけるとか(スピード、出し過ぎでね?)、400km上空の国際宇宙ステーションまで6時間で行けるとか、20世紀の頃に聞いたらぶったまげる話が、日常の世界になっている。

(東京湾アクアライン:延長15.1km、制限時速80km)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B9%BE%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

(国際宇宙ステーション:413km~418km)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

(若田さんを乗せるソユーズ 発射台に:打ち上げのおよそ6時間後には、国際宇宙ステーションにドッキング)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131105/k10015811071000.html

今まで見聞きした中で、最も急速な変化を体験したのは、レコードがCDになってしまった時である。

僅か2年ほどで、CDは音楽メディアを席巻した。

そのCDも、最早、メディアとしての役割を終えつつある。

ネットワークをデータが飛び交う世界で、媒体となるのはネットワークそのものであり、コールドストレージにストックされていくデータは、増加の一途を辿っている。

そう、情報のように無形なものの変化は、技術の進歩に上手に乗っかって、急速にその態様を変えていくのだ。

だが、有体物は、なかなかそうはいかない。

たとえば、自動車。

100年以上の間、基本的な構造や動力は変わっていない。

蒸気自動車から初期の電気自動車を経て、内燃機関になって以降、本質的には同じ仕組みである。

動力を別にすれば、馬車の時代から同じといえる。

車輪という、大層な発明以来、革新的な進歩はない。

技術の粋を尽くした燃料電池車といえども、馬なし馬車といわれた初期のガソリン自動車と、見かけは同じである。

(自動車:歴史:マルクスカー参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

自動車における、今後の革新的な進歩は、正に自動運転に尽きる。

電気自動車であろうが、ハイブリッドであろうが、動力装置は時代によって変わっていくだろうが、人間の運転を必要としない自動車の登場は、時代を画する技術である。

それでも、見た目は同じであろう。

その意味では、磁気浮上式鉄道は、画期的な変化といえる。

鉄輪や鉄路がないのに、鉄道と呼んでいいのかあ?。

まあいい。

(磁気浮上式鉄道)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%81%E6%B0%97%E6%B5%AE%E4%B8%8A%E5%BC%8F%E9%89%84%E9%81%93

営業路線としては、中国が世界の最先端をいっている(技術的にはドイツのものだが)。

(上海トランスラピッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%89

「超高速運転を行う磁気浮上式鉄道で一般営業を行っている全世界で唯一の路線である。」

時速430kmで空中を飛んでいくのである。

うーん、これこそ、未来であるな。

しかし、中国のは、既に10年も前の話だ。

未来は、どんどん過去になっている。

どんな未来も、いずれは過去になる。

現在だって、過去には未来だったわけだし。

(KDDIが未来の携帯電話を創造するWeb上の「研究所」開設、一般ユーザーも参加)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20131106/516375/?top_nhl

「最初の研究テーマとして、ユーザーのことを自ら学習する「自ら育つ携帯電話」、時空を超えた通信を目指すという「未来が見える携帯電話」、一般からアイデアを公募する「“未来の携帯電話”アイデア開発」の三つを挙げた。各テーマについて一般から「研究員」の参加を求めている。」

時空を超えた通信を目指す、「未来が見える携帯電話」とある。

浮沈子は、まず、「見える」というところに引っかかってしまうな。

電話なんだから、「聞こえる」というのが、正しいのではないか。

「時空」という概念を持ち出すところをみると、相対論的通信を意識しているのだろうが、未来を見るためには、光速を超えて通信しなければならないので、原理的には困難だ(特異点間通信とかを実現できれば、可能かも)。

(特異点)
http://ja.memory-alpha.org/wiki/%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9

「2378年にヴォイジャーはタキオンビームを特異点ではね返すことによってアルファ宇宙域とデルタ宇宙域の間のリアルタイム通信を可能にした。」

24世紀にならないと、実現しないらしい・・・。

現在の通信は、一定の遅延を伴っている。

火星とかに住むようになれば、地球との交信の際に、実用的な問題になるだろう(数分から数十分の遅延)。

現在を見るのも困難な状況である。

未来を見る話は、SFではしょっちゅう出てくる。

浮沈子イチオシのSF映画は、何といっても「猿の惑星」。

というか、ラストシーンだけ(ガーン!:画像参照)。

あれは、衝撃的だったな。

(猿の惑星 (映画))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

そう、未来を見ることは出来る。

毎日が、昨日から見れば、未来なのだから。

浦島太郎も、猿の惑星と同じパターンだ。

しかし、地道に漁師をして一生を終わるのと、竜宮城で飲めや歌えの乱痴気騒ぎをして一生を過ごすのと、どちらがいいかと聞かれたら、浮沈子は絶対、竜宮城だな!。

(浦島太郎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E

「苛められている亀を救うという浦島太郎の善行は結果的に自身に不幸を招くことになり、お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっている。」

そうか、亀を見つけたら、悪がきと一緒になって、虐めなければならないということだな。

それにしても、玉手箱という装置は、実に都合がいい。

「亀の返礼は浦島太郎に対し短期的な快楽と引き換えに生まれ育った家庭やコミュニティの人間関係を全て失わせ、かつ (玉手箱の中身を見たいという) 知的好奇心を抑制できなかったことによる因果応報の形式をとりながら、人生経験を積むことなく瞬時の肉体的な老化を経験させられた上で完全な孤独状態で別世界に放り出されることをもたらす結果に終わっている。」

意識喪失のまま、数十年が経過して、突如意識が戻るというような病気とか、宇宙旅行における冬眠とか。

人工冬眠で歳をとらずに、未来に行けたらいいと思っている人も多いだろう(150年とかの懲役刑を食らった囚人とか?)。

近所に気に入らない隣人がいて、不愉快な日常を送っている人は、しばらく冬眠して、そいつがこの世にいなくなってから目覚めるようにしておけば、善隣関係が保てるかもしれない(そいつの子供が、輪をかけて性悪だったらどーする?)。

まあ、どうでもいいんですが。

冬眠だろうが、浦島太郎だろうが、未来を見ることは可能だが、それを現代に生かすことは出来ない。

時空を超えて旅することは可能でも、故郷へ戻ることはない。

惑星間旅行における冬眠や、地上での冬眠が日常的に運用されるようになると、法的な分野でもややっこしい話が出てくるだろう。

子供から遺産相続したり、孫と恋に落ちたり・・・。

冷凍冬眠が可能になれば、事実上、無期限に保存が出来るようになる。

乾燥保存できれば、ミイラのようにして長期保存が可能だ。

お湯を掛ければ、3分で甦る(そう簡単ではないだろう?)。

(クリプトビオシス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%93%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%82%B9

(ネムリユスリカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%A6%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%82%AB

「幼虫は、孵化直後を除けばどのステージでもクリプトビオシスに入る能力を有する。乾燥と蘇生は何回でも繰り返すことが可能である。それ以外のステージ(卵、蛹、成虫)では乾燥耐性を持たない。また、現在分かっている範囲ではこの性質を持つ昆虫類は、唯一ネムリユスリカだけである。」

「クリプトビオシス時には、ネムリユスリカ幼虫の乾燥重量の約20%がトレハロースで占められる。乾燥過程において幼虫体内で合成されたトレハロースは、適合溶質として水と置換され、細胞膜やタンパク質の構造を保持する役割を果たしている。またトレハロースは高濃度になるとガラス化しやすい性質を持ち、ネムリユスリカの体内でもガラス化することによって、生体成分の運動性を低下させてその変性を防止している。」

ミジンコの耐性卵なども、クリプトビオシスになっているらしい。

しかし、そうやって時間を経て見た未来は、結局、その人にとっては、現在以外の何物でもない。

ミジンコだろうが、ネムリユスリカだろが、今を生きるしかないのだ。

毎晩眠りに就いて、朝目覚める時、やはり、未来の今を見ているとはいえないだろうか(周り中が、同じなのでピンとこないが)。

この話、機会があれば、また書く。

F1=V6+T2013年11月07日 22:38

F1=V6+T
F1=V6+T


フォーミュラー1のエンジンが、来年から1.6リッターのV6エンジンに、ターボを組み合わせたものになるという。

(2014年のF1世界選手権)
http://ja.wikipedia.org/wiki/2014%E5%B9%B4%E3%81%AEF1%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9

「1.6L 90度 V型6気筒直噴シングルターボエンジンに統一」

「シリンダーボア80mm、最高回転数15,000rpm、過給圧は無制限、燃料の瞬間最大流量100kg/h」

過給圧が無制限ということはだな(ブッ!、鼻血が・・・)、可変ベーンを付ければ、とてつもないエンジンができるわけだ。

ルノーの1.5リッターターボの記憶が甦る。

(ルノーF1:ターボの先駆者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BCF1#.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.83.9C.E3.81.AE.E5.85.88.E9.A7.86.E8.80.85

「3L自然吸気のフォード・コスワース・DFVエンジンが大勢を占める当時のF1界に、グランプリ史上初の1.5LV6ターボエンジンを搭載した車体で「フルコンストラクター」(車体もエンジンも自社で製作するチーム)として参入した。」

浮沈子の記憶が確かならば、900馬力位は出ていたような記憶があるな。

初めのころは、よく壊れていたようだ。

2バールもの圧力で送り込まれたガスを、爆発させるのだから、壊れないほうがおかしい。

「その後のF1界は、ターボエンジンを搭載した車体で勝利を重ねるルノーに倣って、自然吸気エンジンからターボエンジンへの移行が大きな流れとなった。」

1988年をもって、ターボが禁じられ、NAエンジンの時代が続く。

(F1ワールド・チャンピオンシップとエンジン)
http://www.pupukids.com/jp/zf1/htmls/f1-engine.html

なかなか良く纏まっている。

1.5リッター時代のターボは、この記事によると、1000馬力以上の出力があったようだ(ブーッ!)。

(ルノーが公開した「次世代F1エンジン」に見え隠れする、日の丸サプライヤーの勝機と課題【連載:世良耕太⑮】)
http://engineer.typemag.jp/article/f1newengine

(ルノー、新F1エンジン発表…1.6ターボは760ps)
http://response.jp/article/2013/06/22/200609.html

どうやら、600馬力のエンジンに、運動エネルギーと熱エネルギーの回生パワーの160馬力をエクストラとして一時的に付加し、最高出力を760馬力にするという構想らしい。

まあ、直ぐに1000馬力位になっちゃうんじゃないか。

世良氏の記事では、排熱回収について触れられている。

「排気の持つ熱エネルギーを電気エネルギーに変換する仕組みは複数が存在する。熱を直接電気に変換する「熱電変換材料」がそうだし、熱で蒸気を発生させ、その蒸気でタービンを回して電気エネルギーを得る「ランキンサイクルシステム」(超小型の火力発電所を車両上に構築するようなもの)もそうだ。」

「現実性が最も高いのは「ハイブリッドターボ」と呼ばれるシステムで、ターボチャージャーのタービンハウジングとコンプレッサーハウジングの間にMGUを挟んだ構造だ。」

「ターボチャージャーは排気のエネルギーでタービンを回し、同軸上にあるコンプレッサーで吸気を圧縮する装置だが、その軸上にMGUを置くと、吸気を圧縮するだけでなく、発電にも熱エネルギーを使うことができる。」

「ターボの場合はアクセルペダルを踏み込んだときの応答遅れ(ターボラグ)が課題になるが、アクセルオン時にMGUを駆動してタービンに力を与えてやれば、応答遅れを解消することができる。」

MGUというのは、モーター・ジェネレーター・ユニットのことだそうだ。

発電機とモーターだな。

そんな中で、熱い視線を密かに浴びているのが、ポルシェだったりする。

(ポルシェ、F1復帰のうわさを否定)
http://www.topnews.jp/2013/10/23/news/f1/others/porsche/98430.html

「F1参戦に向けた準備が着々と進んでいるとの憶測をポルシェが再度否定した。」

否定したことが記事になるのだから、その期待度は、並みではない。

「ポルシェは、コンストラクターズ選手権4連覇中のレッドブルからF1通算9勝のドライバー、ウェバーを引き抜いただけでなく、フリッツ・エンツィンガー(元BMW)、アレックス・ヒッツィンガー(元レッドブルおよびトロロッソ)、マイク・クラック(元ザウバー)、ウルス・クラトル(元ザウバー)ら、F1経験を持つエンジニアを次々と獲得してきた。」

「ヴァイザッハにあるポルシェの研究所にも、風洞設備付きの世界最先端モータースポーツファクトリーを建設中だ。」

「『Auto Motor und Sport(アウト・モートア・ウント・シュポルト)』のトビアス・ グルーナー記者は、ポルシェが近い将来の「F1復帰の可能性」をちらつかせ、F1からの優秀な人材獲得にこぎつけたのではないかと示唆している。」

「2014年からF1にターボエンジンが復活するため、1980年代にマクラーレンのタイトル獲得に一役買ったTAGポルシェエンジンの開発者であるハンス・メッツァーにポルシェのエンジニアが連絡を取った、とある記事の中で紹介されているのだ。」

にもかかわらず、ポルシェは一貫してF1復帰を否定している。

「「F1へ参入する予定はありません」と広報責任者は断言している。」

今はなくても、明後日くらいには新たな予定が入るかもしれない。

まあいい。

ポルシェは、かつて、F1にエンジンサプライヤーとして参入し、一定の成果を上げている。

(ポルシェ:F1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7#F1

「1961年からフォーミュラ1が1.5Lエンジンになるとフォーミュラ1へステップアップ。当初は水平対向4気筒エンジンを搭載した787、1962年は水平対向8気筒エンジンを搭載した804で戦い、ダン・ガーニーのドライブによりフランスグランプリにて1勝を挙げた。」

「マクラーレンからのオファーを受け、1983年から1987年まで1.5L V6ターボエンジンを供給した(バッジネームはTAG:画像参照)。特に1984年から1985年にはニキ・ラウダ、アラン・プロストによってドライバーズ・タイトル、コンストラクターズ・タイトルを獲得。翌1986年もプロストのドライバーズ・タイトル獲得に貢献した。」

「ターボ禁止後の1991年、フットワークへ3.5L V12エンジンを独占供給した。917の水平対向12気筒と同じように6気筒を2つつなぎ合わせ、クランクシャフトの中央からスパーギヤでバンク中央のシャフトに出力するセンターテイクオフを採用したが、200kgと重いうえに大きく、更にパワーが出ない駄作であった。実はこのエンジンは、もともと1987年のシーズンオフにマクラーレンに提案されていたのだが、当時のデザイナーであったゴードン・マレーから大きすぎると却下をくらったいわくつきの代物で、フットワーク・アロウズは3500万ドルを投じたものの、あまりの信頼性のなさにシーズン半ばでコスワースDFRに換装し、ポルシェは事実上の撤退を余儀なくされた。」

まあ、いろいろあったようですな。

耐久レースでは、他を寄せ付けない強さを見せるポルシェも、究極のスプリントレースであるF1では、その魔術を披露することが出来ない。

モータースポーツの面白いところである。

今は、LMP1に注力して、耐久レースに完全復帰していただくのがいいだろう。

それから先は、じっくり考えて決めればよい。

F1は、当分無くなることはなさそうだし・・・。