レーシングポルシェの系譜(その14)936 ― 2013年11月12日 17:15
レーシングポルシェの系譜(その14)936
この惑星上で、レギュレーション改正でしか止めることのできない、怒涛のモンスターマシンであった917が、耐久レースから締め出されて4年間(1972-75)、ポルシェのMR車は、実質的に908しかなかった。
910も出場はしていたが、最早戦力外、GTクラスでは、カレラRSRターボ、934、935が登場していたが、ルマン優勝を狙う位置にはいなかった(事実、この間の優勝はない)。
ルマンは、ハイパワーだけでも、高い運動性だけでも、磐石の耐久性だけでも勝てない、難攻不落の城だった。
72年からマトラ・シムカが、文字通り社運を賭けて3連覇を成し遂げ、フランス人の溜飲を下げていた。
(マトラ (自動車))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
「1962年からルネ・ボネで製造されていた世界初の量産ミッドシップスポーツカー「ジェット (Djet) 」を改良し、「マトラ・ジェット」として販売を継続。スポーツカーメーカーとして名を馳せた。」
手前味噌の浮沈子としては、「世界初の量産ミッドシップスポーツカー」にアンダーラインだな!。
「また、モータースポーツにおけるフランスの復権を唱えるド・ゴール政権の支援を得て、積極的にレース活動を展開した。F1では独自マシンで参戦する一方、ティレルと組んで1969年の世界タイトルを獲得。耐久レースでもル・マン24時間レースを1972年から3連覇するなどの功績を残した。」
「しかし、レース事業への注力で経営難に陥り、1969年12月にクライスラー傘下のシムカと合併し、社名を「マトラ・シムカ」に変更した。」
(マトラ・MS670)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BBMS670
(Matra Simca MS670:フランス語)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Matra_Simca_MS670
第二外国語がフランス語だった浮沈子は、しかし、ボンジュールの発音が出来ないことにショックを受け、「セ・ラ・ヴィ」だけ覚えて、諦めた。
(C'est la vie)
http://ja.wikipedia.org/wiki/C'est_la_vie
まあ、どうでもいいんですが(C'est la vie・・・)。
フランス語のウィキならば、多くの情報があるはずだと思ったが、素っ気無いもんだな。
1975年のガルフ・ミラージュ・GB8については、ウィキがない。
(1975 Gulf-Mirage GR8)
http://www.supercars.net/cars/5056.html
(Mirage (race car))
http://en.wikipedia.org/wiki/Mirage_(race_car)
かろうじて、英語のウィキを見つけた。
「from 1974 to 1978, the Mirages never finished outside of the top-ten positions at Le Mans」とあるので、一定の戦闘能力はあったようだな。
さて、1976年、彗星の如く現れ、いきなりルマンの覇者となったクルマがある。
(ポルシェ・936)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB936
(Porsche 936)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_936
(1976 24 Hours of Le Mans)
http://en.wikipedia.org/wiki/1976_24_Hours_of_Le_Mans
しかも、翌77年も優勝、78年は2位、79年は下位に沈んだが、80年は2位、81年は優勝し、ポルシェMRの系譜を保った。
ちなみに、79年は、935が優勝している。
しかし、この935というのは、とんでもないクルマだな。
(ポルシェ・935)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB935
「935/78 "モビー・ディック"
1978年さらに別のバージョン935/78が開発された。これは空気抵抗低減のため、ロングノーズ化・後部の最適化がなされ、その形状から「モビー・ディック」と呼ばれた。 エンジンは3.2Lに拡大、水冷式の4バルブのシリンダーヘッドに交換され、出力は950馬力(700kW)まで増加した。」
「この車はル・マン24時間レースで360km/h以上で走りストレートでは最も速い車でグループ6のポルシェ・936を簡単に追い抜くほどで、フロントとリアのダウンフォースの調整によりポルシェ・917に匹敵する390km/h(240mph)での走行も可能であった。」
なんてこった!、これじゃあ、DNA=MRの方程式は返上しなくちゃならないじゃないか!。
ダメ押しで、こんな記述も!。
「935 "K3"
ポルシェがこれらのエボリューションモデルを販売するのを躊躇したため、クレマーレーシングのように自身でエボリューションモデルを開発したチームもあった。」
「「935 "K3"」(クレマー・タイプ3の略;成功したK2の改良型)はクラウス・ルドウィグのドライビングで大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した。2位はロルフ・シュトメレンのドライビングしたファクトリースペックの車両だった。」
「1984年までにル・マン24時間レース、デイトナ24時間レース、セブリング12時間レース、シルバーストーン6時間レースを含む150以上のレースで勝利を収めた。また1977年と1979年の3年間ドイツのDRMで不敗であり、IMSA GTXのクラス優勝、ニュルブルクリンク1000kmでの勝利も獲得している。また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした。」
どうしよう!?。
「大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した」とか、「また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした」ってことは、「立役者」ってことじゃないか!。
(立役者)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/137732/m0u/
「1 芝居の一座で中心になる役者。立者(たてもの)。立役。
2 物事の中心となって重要な役割を果たす人。「軍縮会議の―」」とある。
まあいい。
ルマンの優勝だけに限れば、936の3回に対して、935は、クレーマー車を含めて2回しか優勝していない。
むむっ、なんとか徳俵で踏み止まったぞ。
(徳俵の深い意味:水はけのためとある。)
http://www.yoshimura-tatsuya.com/2011/10/blog-post.html
「得」俵ではないのだ・・・。
で、936のドイツ語のウィキを自動翻訳で読むと、908/03と、917/10と、911カレラRSRターボ2.1を組み合わせて作ったとある。
日本語のウィキでは、917の流用ということになっているが、917そのものが、908の発展形なので、融通が利いたのだろう。
詳しく読むと、フロントは908、中央部のドアと後部は917から取られたとある。
もちろん、細部はモディファイされているようだ。
エンジンは、76年はシングルターボ、77以降はツインターボで、さらにツインプラグとある。
78年型と81年型は、水冷ヘッドを採用した。
この水冷ヘッドは、78年型の935(モビーディック)も採用している。
さて、1981年の優勝の後、この優勝車は、重要な任務を帯びたようだ。
「1981年の優勝車を使用して新型の排気量2,650ccの935/76型エンジンテストを行ない、1982年に後継車ポルシェ・956に譲った。」とある。
この935/76エンジンというのも、ポルシェのエンジン一覧には出ていない(加筆しようかな)。
(935/76型)
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/251769/blog/13447681/
「このエンジン、956のエンジンですが、形式は935/76型。
そう、フラットシックスのターボはかの935から使用され、936へと続き、更に熟成されたものとなっています。」
ふむふむ・・・。
「その際のエンジンパワーの増大により熱的に耐えられなくなり、本体は空冷ながらDOHC化されたヘッド部分のみ水冷といった冷却方式へと変更されています。
画像の消火器みたいな赤の部分がエンジン本体空冷のエアーシュラウド。」
ほーっ、細かいねえ!。
その後、さらなるパワー増大にエンジンは全水冷といった方式へと変更、962への時代へ引き継がれる事となります。
ポルシェが空冷にこだわったのはそれが最適と思っていたためではなく、開発費などの財政面での問題だと聞いた事があるのですが、本当はどうだったんでしょうね?」
さあ・・・?。
「今回の1982年、ウィナー仕様では935/76型エンジンは予定していたボッシュのインジェクションユニットが間に合わず、クーゲルフィッシャーのメカトロニック・インジェクションユニットを使用しての参戦となっています。」
いやあ、模型マニアは、詳しいなあ!。
詳細は、956で扱うが、620馬力(83年に640馬力)のエンジンといえば、5リッターノンターボの917に匹敵する。
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・936スパイダー(1976-77)6気筒ターボ2142cc:540馬力」
ポルシェ本国のページ。
(Porsche 936 Spyder:1976-1977)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/70ies/1976-936spyder/
日本語のページ。
(1977 Porsche 936/77 Spyder)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1977-93677spyder/
「1976年の世界スポーツカー選手権に向けて特別に開発された936は、ポルシェがきわめて高い基準のもとで、生粋のレーシングカーを生み出していることを裏付ける一台として誕生しました。」
「ポルシェはグループ5で争われる世界メーカー選手権に935で、そしてこの936で世界スポーツカー選手権に挑戦していました。」
「技術に対するひたむきな取り組み、情熱をこめた走り、プロ意識の高いレースマネージメントによって、ポルシェはこの年、935と936で見事に世界選手権2冠を達成しました。」
どこを読んでも、ニコイチとか、サンコイチで作られたとは書いていない(書くわきゃないじゃん!?)。
この936というのは、名実共に繋ぎのクルマであるな。
907なんかと共通の感じがする。
そして、モンスター917の後という厳しい状況の中で、ルマン優勝を3回も成し遂げる快挙を始め、2位2回という安定した戦闘力を示し、立派にその役割を果たしたといえよう。
最後には、優勝車での開発テストも行うという、立つ鳥後を濁さずのお手本のような終わりかただ。
「1982年に新しいカテゴリとしてグループCがスタートしたが、ちょうど956が完成した年であったためクレマーレーシングやヨーストレーシングは956を受領するのに1983年まで待たなければならなかった。そのためこの2つのチームはグループCのレギュレーションに併せるため936に屋根を取り付け、新しいボディシェイプの車を製作した。ヨーストレーシングが作成した車は「936C」と名づけられ、クレマーレーシングの車は「CK5」と呼ばれた。」
プライベーターに対する援助もしているという、涙なくしては語れない最期であるな。
この惑星上で、レギュレーション改正でしか止めることのできない、怒涛のモンスターマシンであった917が、耐久レースから締め出されて4年間(1972-75)、ポルシェのMR車は、実質的に908しかなかった。
910も出場はしていたが、最早戦力外、GTクラスでは、カレラRSRターボ、934、935が登場していたが、ルマン優勝を狙う位置にはいなかった(事実、この間の優勝はない)。
ルマンは、ハイパワーだけでも、高い運動性だけでも、磐石の耐久性だけでも勝てない、難攻不落の城だった。
72年からマトラ・シムカが、文字通り社運を賭けて3連覇を成し遂げ、フランス人の溜飲を下げていた。
(マトラ (自動車))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
「1962年からルネ・ボネで製造されていた世界初の量産ミッドシップスポーツカー「ジェット (Djet) 」を改良し、「マトラ・ジェット」として販売を継続。スポーツカーメーカーとして名を馳せた。」
手前味噌の浮沈子としては、「世界初の量産ミッドシップスポーツカー」にアンダーラインだな!。
「また、モータースポーツにおけるフランスの復権を唱えるド・ゴール政権の支援を得て、積極的にレース活動を展開した。F1では独自マシンで参戦する一方、ティレルと組んで1969年の世界タイトルを獲得。耐久レースでもル・マン24時間レースを1972年から3連覇するなどの功績を残した。」
「しかし、レース事業への注力で経営難に陥り、1969年12月にクライスラー傘下のシムカと合併し、社名を「マトラ・シムカ」に変更した。」
(マトラ・MS670)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BBMS670
(Matra Simca MS670:フランス語)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Matra_Simca_MS670
第二外国語がフランス語だった浮沈子は、しかし、ボンジュールの発音が出来ないことにショックを受け、「セ・ラ・ヴィ」だけ覚えて、諦めた。
(C'est la vie)
http://ja.wikipedia.org/wiki/C'est_la_vie
まあ、どうでもいいんですが(C'est la vie・・・)。
フランス語のウィキならば、多くの情報があるはずだと思ったが、素っ気無いもんだな。
1975年のガルフ・ミラージュ・GB8については、ウィキがない。
(1975 Gulf-Mirage GR8)
http://www.supercars.net/cars/5056.html
(Mirage (race car))
http://en.wikipedia.org/wiki/Mirage_(race_car)
かろうじて、英語のウィキを見つけた。
「from 1974 to 1978, the Mirages never finished outside of the top-ten positions at Le Mans」とあるので、一定の戦闘能力はあったようだな。
さて、1976年、彗星の如く現れ、いきなりルマンの覇者となったクルマがある。
(ポルシェ・936)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB936
(Porsche 936)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_936
(1976 24 Hours of Le Mans)
http://en.wikipedia.org/wiki/1976_24_Hours_of_Le_Mans
しかも、翌77年も優勝、78年は2位、79年は下位に沈んだが、80年は2位、81年は優勝し、ポルシェMRの系譜を保った。
ちなみに、79年は、935が優勝している。
しかし、この935というのは、とんでもないクルマだな。
(ポルシェ・935)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB935
「935/78 "モビー・ディック"
1978年さらに別のバージョン935/78が開発された。これは空気抵抗低減のため、ロングノーズ化・後部の最適化がなされ、その形状から「モビー・ディック」と呼ばれた。 エンジンは3.2Lに拡大、水冷式の4バルブのシリンダーヘッドに交換され、出力は950馬力(700kW)まで増加した。」
「この車はル・マン24時間レースで360km/h以上で走りストレートでは最も速い車でグループ6のポルシェ・936を簡単に追い抜くほどで、フロントとリアのダウンフォースの調整によりポルシェ・917に匹敵する390km/h(240mph)での走行も可能であった。」
なんてこった!、これじゃあ、DNA=MRの方程式は返上しなくちゃならないじゃないか!。
ダメ押しで、こんな記述も!。
「935 "K3"
ポルシェがこれらのエボリューションモデルを販売するのを躊躇したため、クレマーレーシングのように自身でエボリューションモデルを開発したチームもあった。」
「「935 "K3"」(クレマー・タイプ3の略;成功したK2の改良型)はクラウス・ルドウィグのドライビングで大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した。2位はロルフ・シュトメレンのドライビングしたファクトリースペックの車両だった。」
「1984年までにル・マン24時間レース、デイトナ24時間レース、セブリング12時間レース、シルバーストーン6時間レースを含む150以上のレースで勝利を収めた。また1977年と1979年の3年間ドイツのDRMで不敗であり、IMSA GTXのクラス優勝、ニュルブルクリンク1000kmでの勝利も獲得している。また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした。」
どうしよう!?。
「大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した」とか、「また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした」ってことは、「立役者」ってことじゃないか!。
(立役者)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/137732/m0u/
「1 芝居の一座で中心になる役者。立者(たてもの)。立役。
2 物事の中心となって重要な役割を果たす人。「軍縮会議の―」」とある。
まあいい。
ルマンの優勝だけに限れば、936の3回に対して、935は、クレーマー車を含めて2回しか優勝していない。
むむっ、なんとか徳俵で踏み止まったぞ。
(徳俵の深い意味:水はけのためとある。)
http://www.yoshimura-tatsuya.com/2011/10/blog-post.html
「得」俵ではないのだ・・・。
で、936のドイツ語のウィキを自動翻訳で読むと、908/03と、917/10と、911カレラRSRターボ2.1を組み合わせて作ったとある。
日本語のウィキでは、917の流用ということになっているが、917そのものが、908の発展形なので、融通が利いたのだろう。
詳しく読むと、フロントは908、中央部のドアと後部は917から取られたとある。
もちろん、細部はモディファイされているようだ。
エンジンは、76年はシングルターボ、77以降はツインターボで、さらにツインプラグとある。
78年型と81年型は、水冷ヘッドを採用した。
この水冷ヘッドは、78年型の935(モビーディック)も採用している。
さて、1981年の優勝の後、この優勝車は、重要な任務を帯びたようだ。
「1981年の優勝車を使用して新型の排気量2,650ccの935/76型エンジンテストを行ない、1982年に後継車ポルシェ・956に譲った。」とある。
この935/76エンジンというのも、ポルシェのエンジン一覧には出ていない(加筆しようかな)。
(935/76型)
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/251769/blog/13447681/
「このエンジン、956のエンジンですが、形式は935/76型。
そう、フラットシックスのターボはかの935から使用され、936へと続き、更に熟成されたものとなっています。」
ふむふむ・・・。
「その際のエンジンパワーの増大により熱的に耐えられなくなり、本体は空冷ながらDOHC化されたヘッド部分のみ水冷といった冷却方式へと変更されています。
画像の消火器みたいな赤の部分がエンジン本体空冷のエアーシュラウド。」
ほーっ、細かいねえ!。
その後、さらなるパワー増大にエンジンは全水冷といった方式へと変更、962への時代へ引き継がれる事となります。
ポルシェが空冷にこだわったのはそれが最適と思っていたためではなく、開発費などの財政面での問題だと聞いた事があるのですが、本当はどうだったんでしょうね?」
さあ・・・?。
「今回の1982年、ウィナー仕様では935/76型エンジンは予定していたボッシュのインジェクションユニットが間に合わず、クーゲルフィッシャーのメカトロニック・インジェクションユニットを使用しての参戦となっています。」
いやあ、模型マニアは、詳しいなあ!。
詳細は、956で扱うが、620馬力(83年に640馬力)のエンジンといえば、5リッターノンターボの917に匹敵する。
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・936スパイダー(1976-77)6気筒ターボ2142cc:540馬力」
ポルシェ本国のページ。
(Porsche 936 Spyder:1976-1977)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/70ies/1976-936spyder/
日本語のページ。
(1977 Porsche 936/77 Spyder)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1977-93677spyder/
「1976年の世界スポーツカー選手権に向けて特別に開発された936は、ポルシェがきわめて高い基準のもとで、生粋のレーシングカーを生み出していることを裏付ける一台として誕生しました。」
「ポルシェはグループ5で争われる世界メーカー選手権に935で、そしてこの936で世界スポーツカー選手権に挑戦していました。」
「技術に対するひたむきな取り組み、情熱をこめた走り、プロ意識の高いレースマネージメントによって、ポルシェはこの年、935と936で見事に世界選手権2冠を達成しました。」
どこを読んでも、ニコイチとか、サンコイチで作られたとは書いていない(書くわきゃないじゃん!?)。
この936というのは、名実共に繋ぎのクルマであるな。
907なんかと共通の感じがする。
そして、モンスター917の後という厳しい状況の中で、ルマン優勝を3回も成し遂げる快挙を始め、2位2回という安定した戦闘力を示し、立派にその役割を果たしたといえよう。
最後には、優勝車での開発テストも行うという、立つ鳥後を濁さずのお手本のような終わりかただ。
「1982年に新しいカテゴリとしてグループCがスタートしたが、ちょうど956が完成した年であったためクレマーレーシングやヨーストレーシングは956を受領するのに1983年まで待たなければならなかった。そのためこの2つのチームはグループCのレギュレーションに併せるため936に屋根を取り付け、新しいボディシェイプの車を製作した。ヨーストレーシングが作成した車は「936C」と名づけられ、クレマーレーシングの車は「CK5」と呼ばれた。」
プライベーターに対する援助もしているという、涙なくしては語れない最期であるな。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。