アメ車は何処?2013年11月21日 09:28

アメ車は何処?
アメ車は何処?


第43回東京モーターショーが開幕した。

国産自動車は、大手全社が出展した。

海外勢もボルボが復帰、テスラが初参加と僅かながら復調の兆しがある。

しかし、GM、フォード、クライスラーの御三家は、今回も出展はない。

(出展車両一覧)
http://www.tokyo-motorshow.com/press_release/20131107dat/20131107_02.pdf

3回連続である。

米国は、我が国に於ける自動車販売の展開を、明確に諦めたわけで、フォーカスという世界で最も売れたCセグメント車をアピールしたり、泣く子も黙るキャデラックをどーんと見せびらかしたり、見上げるようなダッジラムで、米国の真のモータリゼーションを紹介してくれることもない。

我が国のクルマは、アメ車を見ながら作ってきた。

ヨーロッパの高機動車ではなく、ゆったりと走るアメ車の小型版を作ってきたのだ。

V8への憧れ、船酔いしそうなサスペンション、無駄にデカイ車体・・・。

オートマチックトランスミッションは、一世を風靡し、オートマ限定免許なるものまで生み出した。

最近でこそ、DSGに代表されるクラッチ式が流行っているが、トルコン式のオートマは、米国の発祥である。

自動車評論家や、一部のエンスーは、マニュアルシフトの方がいいとかいうが、やつらだって、普段使いのクルマはオートマに決まってる!。

広大な国土を、安楽に移動できる自由な交通手段。

アメ車は、その意味では、世界を席巻したのだ。

今を時めくミニバン、SUVなども、アメ車が発祥である。

(アメリカ車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%BB%8A

浮沈子は、アメ車には疎いが、工業製品として、また、長距離移動手段としての優れた点は、頭では理解しているつもりである。

唯一試乗した5000ccのムスタングが、小型車だといわれると、あれ?っとなるのだが・・・。

若かりし頃、米国の首都ワシントン郊外のダレス国際空港に降り立った時、地平線が見えた!。

この広大な国土に住むには、頑丈で大きくて、ゆったりとしたクルマが必要だろうと、心から思った。

そう、クルマとは文化、その国を象徴する工業製品なのだ。

日本を象徴するクルマは何だろう?。

プリウスなのか、GT-Rなのか。

いやいや、答えは軽自動車である。

世界に冠たるエコカーであるな。

米国では、(個人用としては)絶対に売れないクルマである。

日本では、アメ車が走っているのを見る機会は殆んどない。

(外国メーカー車モデル別トップ20の推移:年度)
http://www.jaia-jp.org/j/stat/change/

アメ車の影も形もない。

それでいいのかも知れないな。

日本の狭い国土と、整備された道路、鉄道による交通網を考えれば、アメ車の出る幕はない。

モーターショーは、一般には明後日から公開になる。

高級車か・・・2013年11月21日 13:49

高級車か・・・
高級車か・・・


(高級車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%B4%9A%E8%BB%8A

たかが移動のための機械に、高級も低級もなかろうとは思うが、ウィキにもあることだし、少し見てみる。

「いわゆる高級であると認識される乗用車のことである。」

手抜きだな。

「19世紀末に登場した乗用車は、貴族や大富豪など一部の上流階級のみが道楽として所有するものであり、高級車/大衆車という区分はされ得なかった。20世紀初頭、フォード・モデルTに始まる乗用車の普及・大衆化により初めて、相対的に高価でぜいたくな商品としての「高級車」が生じることになった。さらに、第二次世界大戦後、各国で次々にモータリゼーションが起こり、購買力の上昇と消費行動の多様化とも相まり、「高級車」は一般化・多様化している。」

歴史的には、もともと「自動車」自体が高級だったから、大衆車というのが後から出来たということである。

これは、まあ、分かりやすい。

「「A国にとっては高級車」であっても「B国では大衆車」扱いである、という場合も存在しうる。」

ちなみに、カローラは、東南アジアではれっきとした高級車である。

「低価格車から最高級車までのあらゆる需要に適用するフルラインシステムを消費者の欲望を駆り立てるための第三期におけるGMの経営方針として採用した」アルフレッド・スローンは、確かに頭がいい。

「ヨーロッパや日本では階級(クラス)が固定されていたが、新興国のアメリカでは階級はなく、経済的、金銭的に成功した人々はその成功を認め合いまた大衆は自らもそうなりたいと成功者に対し賞賛を送った。GMのフルラインは下層階級出身者のいわゆる「成金」でも、金銭的な成功の階段を昇ることが比較的容易なアメリカ型人生を販売戦略に組み入れたものだった。」

浮沈子は、成金ではないので、中古車を楽しむという選択をしている。

当然、誰も賞賛などしないな。

まあいい。

浮沈子は、高級車というのは、値段ではないような気がしている。

高級感の演出に優れたクルマ、静かで、広くて、心地よい内装、贅沢な装備。

そして、それに相応しい動力性能や遮音性、振動の処理を丁寧に行い、乗る人に安心感と寛ぎを与えるクルマ。

浮沈子は、LS600hに乗ったとき、こいつぁスゴイと思った。

ベンツのSクラス(新型)にも試乗して、やられた!と感じた。

BMWの750iは、Sクラスと比べると、ちょっとガサツだったが、しかし、十分な高級感はあった。

しかし、まあ、3台とも、500Eに乗り換えた時、ホッとした。

500Eは、下駄として、普段乗りにも十分使える実用車だが、癒し系だ。

今挙げたクルマ以外にも、ベントレーとかロールスとかもあるだろうが、乗ったことはない。

ただ、これからの高級車は、きっと電気自動車になるだろうな。

それだけは、間違いない。

音もなく、振動もなく、静かに心地よく加速して、完全に制御される。

いいなあ・・・。

しかも、その頃には、自動運転が当たり前になるだろう。

町を出て、高速に乗り、ワインディングが続く道に入ると、コンピューターが語りかけてくる。

「どうです?、たまには運転してみますか?。」

久しぶりに握るハンドル、深々と踏み込むアクセル、スキール音を鳴らしながら、コーナーを右に左に駆け抜ける・・・。

やっぱ、これでなくっちゃ!。

前方に遅いクルマが繋がりだして、楽しい時間が終わる。

自動運転に任せて、うとうとする。

Uターンして家路に向かう道は、今来た道である。

コンピューターは、最適な操縦特性を設定して、先ほどの手動運転を凌ぐペースでかっ飛ばしている。

サーキットを走り回る夢を見ながら、ドライバーは、深い眠りについていた・・・。