船酔・嘔吐・熱発・咳、そして、食欲不振 ― 2014年02月15日 23:53
船酔・嘔吐・熱発・咳、そして、食欲不振
このタイのド田舎の島に来て、思い切り体調を崩した。
初日(13日)のダイビングの後に、YASKOさんと食事。
港近くの落ち着いたレストランで、お食事する。
ちょうど、ご主人のヴォレさんも居て、なんか決まり悪い感じ・・・。
ヴォレさんは、穏やかで優しそうな方だった。
今年、正式に籍をいれるらしい。
小皿に取ったサラダを、スプーンでYASKOさんに食べさせたりしてる(テーブル、違うのに・・・)。
なんか、アツアツ振りを見せ付けられてしまったな(ごちそうさま!)。
ヴォレさんは、別のお友達とテーブルに就いていて、何やら話しているようだが、たぶんドイツ語。
この島は、日本語の会話というのがほぼ皆無だ。
街中を歩き回って、日本語を聞いたことは一度もない。
何といっても、中国語。
特に、港の周辺は、昼間は中国人だらけだ(日帰りが多いらしい)。
夜も徘徊する連中の、少なくとも4人に1人位は中国人だな。
ロシア語も多い。
英語は共通語としては使用するのだろうが、会話としては少ないのではないだろうか。
ヨーロピアンが多いのだ。
フランス語らしき会話も聞こえる。
ドイツ語もたまに聞く。
もちろん、現地のタイ語は一番良く聞く。
この島にはバイクがない(ポリス用など、一部を除く)。
自動車も、もちろんない。
荷物は2輪のリアカーで人間が運ぶ。
後は自転車。
これは全て現地の人だ。
というわけで、この島の交通の殆んどは、「徒歩」である。
パット見の印象だが、アラブ系の人もいるのではないか。
夜の9時だが、人通りが絶えることはない。
さて、注文したピーチ味の紅茶をこぼしたり、大騒ぎの夕食を終えた後は、港の西側のバーで催されたステージショーを鑑賞。
初めに、ピエロのおじさんがいろいろ手品などをやった後に、シージプシーの音楽をバックに、どうやら、バーのネエチャンがタイの衣装を着ているだけの踊りを披露する。
途中で、ミニスカートにTシャツという、本来の衣装に着替える(タイの衣装を脱ぐだけですが、ステージ上での着替えに、観客は大喜び!)。
これが、延々1時間以上も続いて、ようやくバーのオーナーも交えたギターとボンゴのメインステージになった。
我々は、ここで撤収する。
ヴォレさんは、ダイビングに来ていた日本人の女性にくっついて、いろいろ話しているようで、YASKOさんは気になってしょうがないらしい。
まあ、何事も大らかなのがよろしい。
ダイビング2日目(14日)は、ピピ・レ島のすぐ南にあるピダ・ノックとピダ・ナイという島(岩?)の根元で1本目、昨日ツマグロがウヨウヨいたところで2本目。
水中の生き物には、ほとんど興味がない浮沈子は、YASKOさんが見つけるいろいろな生物を、その都度、目で追いかけるのにいささか疲れる。
サイドマウントは、残圧管理はシングルの2倍、マウスピースの切り替えも頻繁に行う(浮沈子は、左右の差が30気圧以上にならないように運用している)ため、ゲージを確認する頻度は高い。
さらに、タンクの浮力の変化に応じて、タンクベルトをクリップしている可動式のDリングを動かす。
苦手の中性浮力を維持しながら、これらの作業を行い、その間にも、あれこれとコンフィギュレーションを弄くっている。
BCのテールに付いている尾鰭のDリング、ウエストベルトの固定されたDリング。
まあ、この辺りは、おいおい纏めて書くとして、2本目から上がってきたら、とたんに具合が悪くなった。
吐き気がして、立っていられない。
なんとか下船するまでは我慢したが、ドミに戻ってから、思い切り戻した(被害はコーヒーだけだったが)。
しかし、貰って帰ってきた弁当も食べられず、捨ててしまった。
午後中寝ていたが、具合は悪くなる一方で、熱発している模様。
咳もでる。
夜になっても症状は改善せず、なにより、食欲が湧かない。
あらゆる治療の中で最良の治療は食事であると、信じて疑わない浮沈子としては、最悪の事態となった。
2階のエアコンの調子が悪いので、1階に下りてくれというので、熱でふらつきながら引越し(階段を、3回も上り下り)。
隣のコンビニ(フレッシュマート)で、栄養ドリンク(たぶん)を買って、熱発で失われた体力の回復に努める(体重は、殆んど失われていないのが残念なんだが)。
翌朝(15日)には、なんとか歩けるようになって、目の前のシーフロッグへ。
YASKOさんは心配して、キャンセルしてもいいといってくださったが、ドミで腐っている方が身体に悪いような気がして、出かけることに。
1本目はピダ・ノック。
右の耳抜きが完璧にダメなので、少しずつ深度を下げていく。
抜けた感じはしないのだが、ゆっくりと抜けているようで、15mくらいまでいくことができた。
ボートに上がってくると、猛烈に空腹を感じて、ガーリックチキンライスをガツガツと食べる。
ああ、これで大丈夫だ・・・。
2本目は、カメのいるピピ・レの西側のポイント。
3匹くらい見た。
あとは、タツノオトシゴのような、ゴミのような、擬態したやつを2匹、オマケに小さいフリソデエビ。
今回は、調子よく耳も抜け、大きなボートでお客さんが少なかったということもあり、片づけを終えるとすぐに横になって船酔い防止に努めた(そもそも、酔い止めを飲み忘れてたし・・・)。
終わりよければ、全て良し。
明日は、いよいよ沈船である。
画像は、津波の際の避難経路の表示なんだが、YASKOさんによれば、行き止まりの道を指示していたりするらしく、当てにはならないということ。
何処の国にも、お役所仕事というのはあるんだな。
このタイのド田舎の島に来て、思い切り体調を崩した。
初日(13日)のダイビングの後に、YASKOさんと食事。
港近くの落ち着いたレストランで、お食事する。
ちょうど、ご主人のヴォレさんも居て、なんか決まり悪い感じ・・・。
ヴォレさんは、穏やかで優しそうな方だった。
今年、正式に籍をいれるらしい。
小皿に取ったサラダを、スプーンでYASKOさんに食べさせたりしてる(テーブル、違うのに・・・)。
なんか、アツアツ振りを見せ付けられてしまったな(ごちそうさま!)。
ヴォレさんは、別のお友達とテーブルに就いていて、何やら話しているようだが、たぶんドイツ語。
この島は、日本語の会話というのがほぼ皆無だ。
街中を歩き回って、日本語を聞いたことは一度もない。
何といっても、中国語。
特に、港の周辺は、昼間は中国人だらけだ(日帰りが多いらしい)。
夜も徘徊する連中の、少なくとも4人に1人位は中国人だな。
ロシア語も多い。
英語は共通語としては使用するのだろうが、会話としては少ないのではないだろうか。
ヨーロピアンが多いのだ。
フランス語らしき会話も聞こえる。
ドイツ語もたまに聞く。
もちろん、現地のタイ語は一番良く聞く。
この島にはバイクがない(ポリス用など、一部を除く)。
自動車も、もちろんない。
荷物は2輪のリアカーで人間が運ぶ。
後は自転車。
これは全て現地の人だ。
というわけで、この島の交通の殆んどは、「徒歩」である。
パット見の印象だが、アラブ系の人もいるのではないか。
夜の9時だが、人通りが絶えることはない。
さて、注文したピーチ味の紅茶をこぼしたり、大騒ぎの夕食を終えた後は、港の西側のバーで催されたステージショーを鑑賞。
初めに、ピエロのおじさんがいろいろ手品などをやった後に、シージプシーの音楽をバックに、どうやら、バーのネエチャンがタイの衣装を着ているだけの踊りを披露する。
途中で、ミニスカートにTシャツという、本来の衣装に着替える(タイの衣装を脱ぐだけですが、ステージ上での着替えに、観客は大喜び!)。
これが、延々1時間以上も続いて、ようやくバーのオーナーも交えたギターとボンゴのメインステージになった。
我々は、ここで撤収する。
ヴォレさんは、ダイビングに来ていた日本人の女性にくっついて、いろいろ話しているようで、YASKOさんは気になってしょうがないらしい。
まあ、何事も大らかなのがよろしい。
ダイビング2日目(14日)は、ピピ・レ島のすぐ南にあるピダ・ノックとピダ・ナイという島(岩?)の根元で1本目、昨日ツマグロがウヨウヨいたところで2本目。
水中の生き物には、ほとんど興味がない浮沈子は、YASKOさんが見つけるいろいろな生物を、その都度、目で追いかけるのにいささか疲れる。
サイドマウントは、残圧管理はシングルの2倍、マウスピースの切り替えも頻繁に行う(浮沈子は、左右の差が30気圧以上にならないように運用している)ため、ゲージを確認する頻度は高い。
さらに、タンクの浮力の変化に応じて、タンクベルトをクリップしている可動式のDリングを動かす。
苦手の中性浮力を維持しながら、これらの作業を行い、その間にも、あれこれとコンフィギュレーションを弄くっている。
BCのテールに付いている尾鰭のDリング、ウエストベルトの固定されたDリング。
まあ、この辺りは、おいおい纏めて書くとして、2本目から上がってきたら、とたんに具合が悪くなった。
吐き気がして、立っていられない。
なんとか下船するまでは我慢したが、ドミに戻ってから、思い切り戻した(被害はコーヒーだけだったが)。
しかし、貰って帰ってきた弁当も食べられず、捨ててしまった。
午後中寝ていたが、具合は悪くなる一方で、熱発している模様。
咳もでる。
夜になっても症状は改善せず、なにより、食欲が湧かない。
あらゆる治療の中で最良の治療は食事であると、信じて疑わない浮沈子としては、最悪の事態となった。
2階のエアコンの調子が悪いので、1階に下りてくれというので、熱でふらつきながら引越し(階段を、3回も上り下り)。
隣のコンビニ(フレッシュマート)で、栄養ドリンク(たぶん)を買って、熱発で失われた体力の回復に努める(体重は、殆んど失われていないのが残念なんだが)。
翌朝(15日)には、なんとか歩けるようになって、目の前のシーフロッグへ。
YASKOさんは心配して、キャンセルしてもいいといってくださったが、ドミで腐っている方が身体に悪いような気がして、出かけることに。
1本目はピダ・ノック。
右の耳抜きが完璧にダメなので、少しずつ深度を下げていく。
抜けた感じはしないのだが、ゆっくりと抜けているようで、15mくらいまでいくことができた。
ボートに上がってくると、猛烈に空腹を感じて、ガーリックチキンライスをガツガツと食べる。
ああ、これで大丈夫だ・・・。
2本目は、カメのいるピピ・レの西側のポイント。
3匹くらい見た。
あとは、タツノオトシゴのような、ゴミのような、擬態したやつを2匹、オマケに小さいフリソデエビ。
今回は、調子よく耳も抜け、大きなボートでお客さんが少なかったということもあり、片づけを終えるとすぐに横になって船酔い防止に努めた(そもそも、酔い止めを飲み忘れてたし・・・)。
終わりよければ、全て良し。
明日は、いよいよ沈船である。
画像は、津波の際の避難経路の表示なんだが、YASKOさんによれば、行き止まりの道を指示していたりするらしく、当てにはならないということ。
何処の国にも、お役所仕事というのはあるんだな。
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