オールブラック ― 2014年03月03日 05:33
オールブラック
馬小屋に良馬を囲って、たまに走らせたり、競争したりして自慢しあうというのは、洋の東西を問わず、男の子の共通点だな。
馬の代わりに、ミニカーとか、電車(もちろん、模型)とかでもいいし、バイクとか自動車でもいい。
(前ウクライナ大統領、秘密の高級車コレクション[動画])
http://response.jp/article/2014/03/02/218285.html
「メディアなどによって発見されたカーコレクションは、メルセデスベンツのスーパーカー、『SLS AMG』をはじめ、優れた悪路走破性を備えた高級SUV、メルセデスベンツ『Gクラス』やランドローバー『レンジローバー』など。中には、米国製のクラシックカーもあり、かなりの車好きだったことがうかがえる。」
「これらの高級車は、前大統領とその息子が所有していたもの。ボディカラーは、全て黒で統一するというこだわりのコレクション」とある。
ウクライナって、やっぱオフ車が人気なんだろうか。
(ウクライナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A
「17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し」とある。
(ウクライナ・コサック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF
「15世紀後半以降、リトアニア大公国内のウクライナと呼ばれるドニプロ川の中下流域の広域におけて存在したコサックの軍事的共同体、またはその共同体の系統をもつ軍事的組織である。」
「ウクライナ・コサック第一のポリシーは「自由と平等」で、これに反する者はその身分に拘らず社会から追放された。」
「ウクライナは貴族を中心に徐々にロシアに同化されていき、エカチェリーナ2世の時代までにはウクライナ・コサックの伝統は崩壊状態となった。」
「ウクライナの独立勢力はロシアのボリシェヴィキに敗れ、ウクライナ・コサックはまたもや辛酸を嘗める結果となった。」
「ソ連時代には、アニメや映画など文芸部門でウクライナ・コサックはしばしば取り上げられ、ウクライナ共和国国民から愛されるキャラクターとなっていった。ウクライナ独立後もその傾向は強まり、多くのウクライナ人にとってウクライナ・コサックのイメージは大切なものとなっている。」
「ウクライナ・コサックの軍隊の中心となったのは、対タタール戦を重視した軽武装の騎兵隊であった。」
「コサックは、えん月刀、マスケット銃、ピストル、弓、ダガー、棍棒、6つの刃の付いた棍棒など、さまざまな武器で武装していた。彼らは東方の武器とヨーロッパの武器の両方を使ったが、通常、鎧は着用しなかった。そのため、軽騎兵で構成されたタタール軍相手の戦闘では互角の戦闘を行えたが、西欧列強の重歩兵部隊との戦闘が増えるようになると、次第にその存在意義は薄れていった。」
「ウクライナが独立を目指す時代にはウクライナ・コサックのイメージが必ずといってよいほど用いられた。」
ウクライナを語る際には、きっと、ウクライナ・コサックは外せないな。
「コサック」という言葉は、「群(社会)を離れた者」という意味のトルコ語から来た言葉であるとされている。
ロシア・コサックは、日露戦争の際、大日本帝国陸軍と対峙したことで知られる。
(コサック:ロシア・コサック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF#.E3.83.AD.E3.82.B7.E3.82.A2.E3.83.BB.E3.82.B3.E3.82.B5.E3.83.83.E3.82.AF
「ロシア・コサックは、ウクライナのコサックをモデルにロシア帝国によって編成された半農武装集団である。」
半農武装勢力というのは、日本の中世において見られた地方豪族の姿と似ている。
領主によって、地域の自治を認められ、有事の際にはいざ鎌倉というわけだな。
「ロシア革命とそれに続くロシア内戦の際には、コサック兵たちは反革命側の強大な軍事勢力を形成し、各地で赤軍と大規模な戦闘を繰り広げた。クバーニなどのコサックはツァーリの処刑後独立を宣言したが、こうした「独立政権」は旧ロシア帝国領内に無数に誕生した。」
赤軍にとっては、目の上のたんこぶだったらしい。
いずれにしても、歴史的には反体制勢力として登場し、自由と平等を尊ぶ気風で知られ、やがて、時の権力との攻防を経て消えていったわけだ。
浮沈子が、このウクライナ・コサックに惹かれるのは、どうも、性分が似ているからかもしれない。
(ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
「1967年12月15日、17歳の時、「ピフノフカ」暴力団の一員として強盗事件に関わった。懲役3年の実刑判決を受けた。7月間をクレメンチュク刑務所で過ごしたが、模範的な行動で(同時期施設にいたムィコーラ・モスコヴチェンコによると警察との協力により)早く解放された。1970年7月8日、新たな強盗事件(一説には強姦事件)を起こしたために懲役2年の実刑判決を受けた」とある。
すいぶんと武闘派の元首だな。
「電気技師として働きながら、ドネツィク工業大学で学ぶなど苦学を続けた。労働者としては1974年に輸送部門の主任に昇進し、機械工学の学位を授与された1980年には輸送部門全体の総責任者に昇進する。」とある。
理系脳なわけだ。
その後、コテコテの共産党員生活が続き、政界へと転身する。
「2010年の大統領選挙に立候補し、1月17日に執行された第1回投票の結果、約35%の得票率で1位となったが過半数には届かなかったため、ユーリヤ・ティモシェンコとの決選投票に臨み、2月7日の投票の結果勝利。2月14日にティモシェンコが選挙にて不正が行われたと主張、法廷闘争に持ち込む意向を表明し、2月16日にウクライナ最高行政裁判所に提訴したものの、2月20日、ティモシェンコが訴えを取り下げたため、ヤヌコーヴィチの当選が確定した」
まあ、旧ソ連にありがちなパターンだな。
裏で、何が行われていたかを知る術はない。
今回も、プーチンに泣いて縋って、亡命させてもらったようだ。
「ヤヌコーヴィチの年収は公式には10万ドルとされていた。しかし、政権が崩壊し、ヤヌコーヴィチがキエフを離れてからマスメディアが邸宅に入り、贅沢三昧な暮らしをしていたことが明らかになっている」
当然、亡命に当たっては、いろいろとお土産を持っていったに違いない。
車庫に残されていたクルマ達は、大したものじゃないんだろう。
それでも、SLS AMGなんて、いい趣味してるよな。
なぜ、黒一色で統一していたのかは不明だ。
ひょっとしたら、息子さんの趣味なのかもしれない。
黒は手入れが大変で、浮沈子は83タルガで懲りている。
その前は、マツダ・ロードスターも黒だった(これも、お手入れが大変!)。
どっちにしても、既に没収されてしまったわけで、西側のオークションとかにかけられて、とんでもない値段が付くんだろう。
ウクライナ国民の血税を、こんなことに使うなんて、なかなかのもんじゃないか(結果的には、国庫が潤うことになるわけだ)。
まあいい。
ウクライナを巡っては、ロシアが軍事行動を起こすなど、波紋が広がっている。
ヨーロッパとロシアの綱引きになっているわけだ。
なぜか、米国が嘴を挟んできている。
(黒海艦隊:主要基地はウクライナ領セヴァストポリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B5%B7%E8%89%A6%E9%9A%8A
(セヴァストポリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%AA
「現在のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦の海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借、また2010年に再締結された協定によりさらに2045年まで駐留が認められることになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルであり、そのセヴァストポリ軍港租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められている。」
「ロシアとウクライナの政治対立から、セヴァストポリのロシア領土編入を求める運動が、同地に住むロシア人住民によって起きており、両国の対立の火種となっている。2010年以降のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権では対立は沈静化していた。しかし、2014年ヤヌーコヴィチ政権が崩壊したことをきっかけに、セヴァストーポリにもロシア軍が出動した。」
どうも、クリミア情勢は、この黒海艦隊がキーワードになりそうだな。
あれ?、黒海だからオールブラックなのかあ?。
馬小屋に良馬を囲って、たまに走らせたり、競争したりして自慢しあうというのは、洋の東西を問わず、男の子の共通点だな。
馬の代わりに、ミニカーとか、電車(もちろん、模型)とかでもいいし、バイクとか自動車でもいい。
(前ウクライナ大統領、秘密の高級車コレクション[動画])
http://response.jp/article/2014/03/02/218285.html
「メディアなどによって発見されたカーコレクションは、メルセデスベンツのスーパーカー、『SLS AMG』をはじめ、優れた悪路走破性を備えた高級SUV、メルセデスベンツ『Gクラス』やランドローバー『レンジローバー』など。中には、米国製のクラシックカーもあり、かなりの車好きだったことがうかがえる。」
「これらの高級車は、前大統領とその息子が所有していたもの。ボディカラーは、全て黒で統一するというこだわりのコレクション」とある。
ウクライナって、やっぱオフ車が人気なんだろうか。
(ウクライナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A
「17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し」とある。
(ウクライナ・コサック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF
「15世紀後半以降、リトアニア大公国内のウクライナと呼ばれるドニプロ川の中下流域の広域におけて存在したコサックの軍事的共同体、またはその共同体の系統をもつ軍事的組織である。」
「ウクライナ・コサック第一のポリシーは「自由と平等」で、これに反する者はその身分に拘らず社会から追放された。」
「ウクライナは貴族を中心に徐々にロシアに同化されていき、エカチェリーナ2世の時代までにはウクライナ・コサックの伝統は崩壊状態となった。」
「ウクライナの独立勢力はロシアのボリシェヴィキに敗れ、ウクライナ・コサックはまたもや辛酸を嘗める結果となった。」
「ソ連時代には、アニメや映画など文芸部門でウクライナ・コサックはしばしば取り上げられ、ウクライナ共和国国民から愛されるキャラクターとなっていった。ウクライナ独立後もその傾向は強まり、多くのウクライナ人にとってウクライナ・コサックのイメージは大切なものとなっている。」
「ウクライナ・コサックの軍隊の中心となったのは、対タタール戦を重視した軽武装の騎兵隊であった。」
「コサックは、えん月刀、マスケット銃、ピストル、弓、ダガー、棍棒、6つの刃の付いた棍棒など、さまざまな武器で武装していた。彼らは東方の武器とヨーロッパの武器の両方を使ったが、通常、鎧は着用しなかった。そのため、軽騎兵で構成されたタタール軍相手の戦闘では互角の戦闘を行えたが、西欧列強の重歩兵部隊との戦闘が増えるようになると、次第にその存在意義は薄れていった。」
「ウクライナが独立を目指す時代にはウクライナ・コサックのイメージが必ずといってよいほど用いられた。」
ウクライナを語る際には、きっと、ウクライナ・コサックは外せないな。
「コサック」という言葉は、「群(社会)を離れた者」という意味のトルコ語から来た言葉であるとされている。
ロシア・コサックは、日露戦争の際、大日本帝国陸軍と対峙したことで知られる。
(コサック:ロシア・コサック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF#.E3.83.AD.E3.82.B7.E3.82.A2.E3.83.BB.E3.82.B3.E3.82.B5.E3.83.83.E3.82.AF
「ロシア・コサックは、ウクライナのコサックをモデルにロシア帝国によって編成された半農武装集団である。」
半農武装勢力というのは、日本の中世において見られた地方豪族の姿と似ている。
領主によって、地域の自治を認められ、有事の際にはいざ鎌倉というわけだな。
「ロシア革命とそれに続くロシア内戦の際には、コサック兵たちは反革命側の強大な軍事勢力を形成し、各地で赤軍と大規模な戦闘を繰り広げた。クバーニなどのコサックはツァーリの処刑後独立を宣言したが、こうした「独立政権」は旧ロシア帝国領内に無数に誕生した。」
赤軍にとっては、目の上のたんこぶだったらしい。
いずれにしても、歴史的には反体制勢力として登場し、自由と平等を尊ぶ気風で知られ、やがて、時の権力との攻防を経て消えていったわけだ。
浮沈子が、このウクライナ・コサックに惹かれるのは、どうも、性分が似ているからかもしれない。
(ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
「1967年12月15日、17歳の時、「ピフノフカ」暴力団の一員として強盗事件に関わった。懲役3年の実刑判決を受けた。7月間をクレメンチュク刑務所で過ごしたが、模範的な行動で(同時期施設にいたムィコーラ・モスコヴチェンコによると警察との協力により)早く解放された。1970年7月8日、新たな強盗事件(一説には強姦事件)を起こしたために懲役2年の実刑判決を受けた」とある。
すいぶんと武闘派の元首だな。
「電気技師として働きながら、ドネツィク工業大学で学ぶなど苦学を続けた。労働者としては1974年に輸送部門の主任に昇進し、機械工学の学位を授与された1980年には輸送部門全体の総責任者に昇進する。」とある。
理系脳なわけだ。
その後、コテコテの共産党員生活が続き、政界へと転身する。
「2010年の大統領選挙に立候補し、1月17日に執行された第1回投票の結果、約35%の得票率で1位となったが過半数には届かなかったため、ユーリヤ・ティモシェンコとの決選投票に臨み、2月7日の投票の結果勝利。2月14日にティモシェンコが選挙にて不正が行われたと主張、法廷闘争に持ち込む意向を表明し、2月16日にウクライナ最高行政裁判所に提訴したものの、2月20日、ティモシェンコが訴えを取り下げたため、ヤヌコーヴィチの当選が確定した」
まあ、旧ソ連にありがちなパターンだな。
裏で、何が行われていたかを知る術はない。
今回も、プーチンに泣いて縋って、亡命させてもらったようだ。
「ヤヌコーヴィチの年収は公式には10万ドルとされていた。しかし、政権が崩壊し、ヤヌコーヴィチがキエフを離れてからマスメディアが邸宅に入り、贅沢三昧な暮らしをしていたことが明らかになっている」
当然、亡命に当たっては、いろいろとお土産を持っていったに違いない。
車庫に残されていたクルマ達は、大したものじゃないんだろう。
それでも、SLS AMGなんて、いい趣味してるよな。
なぜ、黒一色で統一していたのかは不明だ。
ひょっとしたら、息子さんの趣味なのかもしれない。
黒は手入れが大変で、浮沈子は83タルガで懲りている。
その前は、マツダ・ロードスターも黒だった(これも、お手入れが大変!)。
どっちにしても、既に没収されてしまったわけで、西側のオークションとかにかけられて、とんでもない値段が付くんだろう。
ウクライナ国民の血税を、こんなことに使うなんて、なかなかのもんじゃないか(結果的には、国庫が潤うことになるわけだ)。
まあいい。
ウクライナを巡っては、ロシアが軍事行動を起こすなど、波紋が広がっている。
ヨーロッパとロシアの綱引きになっているわけだ。
なぜか、米国が嘴を挟んできている。
(黒海艦隊:主要基地はウクライナ領セヴァストポリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B5%B7%E8%89%A6%E9%9A%8A
(セヴァストポリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%AA
「現在のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦の海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借、また2010年に再締結された協定によりさらに2045年まで駐留が認められることになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルであり、そのセヴァストポリ軍港租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められている。」
「ロシアとウクライナの政治対立から、セヴァストポリのロシア領土編入を求める運動が、同地に住むロシア人住民によって起きており、両国の対立の火種となっている。2010年以降のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権では対立は沈静化していた。しかし、2014年ヤヌーコヴィチ政権が崩壊したことをきっかけに、セヴァストーポリにもロシア軍が出動した。」
どうも、クリミア情勢は、この黒海艦隊がキーワードになりそうだな。
あれ?、黒海だからオールブラックなのかあ?。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。