ポルシェ博士 ― 2014年04月03日 01:01
ポルシェ博士
フェルティナント・ポルシェ博士については、このブログでも何度か触れた。
(もう一つのポルシェ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/06/19/6870684
「このクルマの設計で得た金で、戦犯として投獄されていたポルシェ博士は保釈されたわけだな。」
そう、ポルシェ博士は、第二次世界大戦後、2年間投獄されていたのだ。
(フェルディナント・ポルシェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7
彼は叩き上げの技術者であって、大学は講義を聴講した程度で、正式に卒業して博士号を得たわけではない。
「兄が早世したため若い頃から父親の仕事を手伝っていたが、この頃電気に興味を持って独学で実験を行なうなど単なる職人に留まらない好奇心を見せていた。父親は最初頑な態度を取ったが本人の熱意に負けてライヒェンベルク工業高校の夜間部通学を許した。」
「1894年、首都ウィーンに出たポルシェは、電気機器会社ベラ・エッガー(Béla Egger、現ブラウン)で働く傍ら、ウィーン大学工学部の聴講生として熱心に学んだ。」
「1917年にウィーン工科大学から名誉博士号を授与された。叩き上げの技術者で大学を卒業していないポルシェが「博士」の敬称で呼ばれているのは、自動車工学の実践的側面への傑出した功績を称えて授与されたこの名誉学位に由来する。」
ちなみに、ポルシェAGの正式名称は、「Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG」である。
彼は様々な設計を行い、いくつもの自動車会社を渡り歩く。
・1894年 ローナー(電気自動車)
・1906年 アウストロ・ダイムラー
・1923年 ダイムラー・モトーレン
・1926年 ダイムラー・ベンツ
・1929年 シュタイア
・1931年 ポルシェ事務所(シュトゥットガルト)
そして、1933年、ヒトラーに国民車の設計を依頼される。
「ようやく理想の小型大衆車開発を実現したポルシェは、3年後の1936年には流線型ボディ・空冷リアエンジン方式の1,000cc試作車を完成、1938年には計画通りの量産化に着手している。」
「またこれと並行し、やはりヒトラーの後援を受けたアウトウニオンの依頼で、ミッドシップ方式のレーシングカー「Pヴァーゲン」を1934年に開発。」
ドイツに居を置くポルシェが、時の権力者の後押しを得て、自らの夢を実現していったのである。
「ポルシェ自身はナチスの政治理念には反対であったが、ヒトラーと極めて密接な関係にあったこと、事実として枢軸側の戦力に多大な貢献をしたことからドイツ敗戦後の1945年、戦争犯罪人としてフランスにより逮捕、ディジョンの刑務所に収監され、シュトゥットガルトの本社敷地を始めとして財産は没収された。」
「収監から約20ヶ月後の1947年8月1日に釈放されるも、2年にわたる長い収監中に健康を害しており、その後は健康状態が優れなかった。」
1950年11月に脳卒中を発症、翌年1月30日死亡した。75歳没。
この伝記を追ったのは、こんな記事があったから。
(ポルシェに影落とす、創業者とナチスの過去)
http://www.afpbb.com/articles/-/3011521?pid=0
「ドイツの高級車メーカー、ポルシェ(Porsche)の名は長い間、スポーツカー愛好家を熱狂させてきた。しかし創業者フェルディナント・ポルシェ (Ferdinand Porsche)氏がナチ(Nazi)党員だった過去をめぐり、同氏の故郷であるチェコの町では論争が起きている。」
「チェコのブラティスラビツェ(Vratislavice)は2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。」
「町長のアレシュ・プレイスレル(Ales Preisler)氏によると、反ナチの退役軍人やユダヤ人社会は、記念施設がポルシェ氏とナチスとの関係に一切、言及していないことに異議を唱えたという。ポルシェ氏が戦前にナチス親衛隊(Nazi SS)に所属していたことや、同氏がフォルクスワーゲン(Volkswagen、VW)でトップを務めていた時代に、独ボルフスブルク(Wolfsburg)工場で戦争捕虜に強制労働させたことなどが非難された。」
「事態を沈静化するために昨年、施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。」
「ポルシェ社も自動車の貸与を中止したが、ポルシェ氏をめぐる論争については「地元の問題だ」として言及を控えている。以来、施設は空っぽのままだ。」
「また町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。町長は「これらは町の公金で賄われるべきものではない。ポルシェ氏は確かにナチスだった」と述べた。」
なんか、つれないな。
(Vratislavice nad Nisou:世界で一番難しいチェコ語)
http://cs.wikipedia.org/wiki/Vratislavice_nad_Nisou
「Významné osobnosti:
・・・
・Ferdinand Porsche (1875–1951) – automobilový konstruktér, továrník
・・・」
この町は、1919年以前は、Maffersdorf(マッフェルスドルフ)と呼ばれていたこともあり、その頃にポルシェ博士は生まれたのである。
「チェコ・テレジーン記念館(Terezin Memorial)の歴史学者ヤン・バイスケブル(Jan Vajskebr)氏は「ポルシェ氏は活動的なナチ党員で、ヒトラーと非常に良好な関係を築き、その関係を自分の事業を進めるために利用した」と解説している。」
「ヒトラーに勧められてポルシェ氏は、1935年にチェコ国籍を放棄した。それは故郷がナチス・ドイツに占領される4年前のことだった。バイスケブル氏によると「(国籍を放棄するのには)3秒もためらわなかった」という。」
「ペトル・イラスコ氏は、町の記念施設ではポルシェ氏とヒトラーの関係すべてを公開すべきだと主張する人々の一人だ。「彼はナチだった。歴史書は嘘をついていない」と憤る。」
「一方で、年金生活者のミノスラフ・シュピードレン氏は「ポルシェ氏はすべてのドライバーが感謝することを成し遂げた。どんな人物だったにせよ、評価はする」との意見だ。」
「ビール醸造所に自前のポルシェ記念館を作ってしまった自動車コレクターで、バス運転手のミラン・ブンバ氏は「ポルシェ氏に選択肢はなかった。ヒトラーがポルシェ氏を選んだんだ。ポルシェ氏が拒んでいたら、彼の人生は強制収容所で終わり、何も成し遂げられなかっただろう」と話し、ポルシェ氏は「車の開発に興味があっただけで、周囲で起きていることは見えていなかったんだと思う」と語った。」
浮沈子は、気が重くなる。
大好きなクルマのメーカーの創始者であり、20世紀最高の設計者といわれる人物が、故郷の町では戦犯扱いされている。
中には、善意に解釈している人もいるが、町としては公的にアピールすることを止めてしまった。
ポルシェも、当初は車両を貸し出したようだ。
「2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。」
しかし、前述のように、ポルシェは車両を引き上げ、「町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。」
ヨーロッパでは、戦後69年が経ってもなお、ナチスドイツへの反感が強い。
優秀な技術者であったればこそ、彼は時の権力と迎合し、その才能を発揮したのだ。
しかし、故郷の町でさえそれを許さない。
浮沈子は、最近ニュースで流れている慰安婦問題と重ね合わせて、気が重くなる。
戦後は終わってなどいない。
所を変え、形を変えて、今も我々の生活の傍らにある。
ドイツは、戦後の反省を徹底的に行ってきたという。
しかし、それでも、蹂躙された人々は、全てを許したわけではない。
「施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。」
この施設に、ポルシェのクルマが再び展示され、人々がその設計者の才能を愛でる日が訪れることがあるのだろうか。
ナチスドイツの行為を許せとは言わない。
ポルシェ博士が党員だったことを隠せとは言わない。
それと共に、賞賛されるべきものがあれば、故郷の町として誇っていいのではないか。
そんな、戦後生まれの甘ちゃんの願いなど許さないものがあるのかもしれない。
今日は、ちっと堪えたな。
フェルティナント・ポルシェ博士については、このブログでも何度か触れた。
(もう一つのポルシェ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/06/19/6870684
「このクルマの設計で得た金で、戦犯として投獄されていたポルシェ博士は保釈されたわけだな。」
そう、ポルシェ博士は、第二次世界大戦後、2年間投獄されていたのだ。
(フェルディナント・ポルシェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7
彼は叩き上げの技術者であって、大学は講義を聴講した程度で、正式に卒業して博士号を得たわけではない。
「兄が早世したため若い頃から父親の仕事を手伝っていたが、この頃電気に興味を持って独学で実験を行なうなど単なる職人に留まらない好奇心を見せていた。父親は最初頑な態度を取ったが本人の熱意に負けてライヒェンベルク工業高校の夜間部通学を許した。」
「1894年、首都ウィーンに出たポルシェは、電気機器会社ベラ・エッガー(Béla Egger、現ブラウン)で働く傍ら、ウィーン大学工学部の聴講生として熱心に学んだ。」
「1917年にウィーン工科大学から名誉博士号を授与された。叩き上げの技術者で大学を卒業していないポルシェが「博士」の敬称で呼ばれているのは、自動車工学の実践的側面への傑出した功績を称えて授与されたこの名誉学位に由来する。」
ちなみに、ポルシェAGの正式名称は、「Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG」である。
彼は様々な設計を行い、いくつもの自動車会社を渡り歩く。
・1894年 ローナー(電気自動車)
・1906年 アウストロ・ダイムラー
・1923年 ダイムラー・モトーレン
・1926年 ダイムラー・ベンツ
・1929年 シュタイア
・1931年 ポルシェ事務所(シュトゥットガルト)
そして、1933年、ヒトラーに国民車の設計を依頼される。
「ようやく理想の小型大衆車開発を実現したポルシェは、3年後の1936年には流線型ボディ・空冷リアエンジン方式の1,000cc試作車を完成、1938年には計画通りの量産化に着手している。」
「またこれと並行し、やはりヒトラーの後援を受けたアウトウニオンの依頼で、ミッドシップ方式のレーシングカー「Pヴァーゲン」を1934年に開発。」
ドイツに居を置くポルシェが、時の権力者の後押しを得て、自らの夢を実現していったのである。
「ポルシェ自身はナチスの政治理念には反対であったが、ヒトラーと極めて密接な関係にあったこと、事実として枢軸側の戦力に多大な貢献をしたことからドイツ敗戦後の1945年、戦争犯罪人としてフランスにより逮捕、ディジョンの刑務所に収監され、シュトゥットガルトの本社敷地を始めとして財産は没収された。」
「収監から約20ヶ月後の1947年8月1日に釈放されるも、2年にわたる長い収監中に健康を害しており、その後は健康状態が優れなかった。」
1950年11月に脳卒中を発症、翌年1月30日死亡した。75歳没。
この伝記を追ったのは、こんな記事があったから。
(ポルシェに影落とす、創業者とナチスの過去)
http://www.afpbb.com/articles/-/3011521?pid=0
「ドイツの高級車メーカー、ポルシェ(Porsche)の名は長い間、スポーツカー愛好家を熱狂させてきた。しかし創業者フェルディナント・ポルシェ (Ferdinand Porsche)氏がナチ(Nazi)党員だった過去をめぐり、同氏の故郷であるチェコの町では論争が起きている。」
「チェコのブラティスラビツェ(Vratislavice)は2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。」
「町長のアレシュ・プレイスレル(Ales Preisler)氏によると、反ナチの退役軍人やユダヤ人社会は、記念施設がポルシェ氏とナチスとの関係に一切、言及していないことに異議を唱えたという。ポルシェ氏が戦前にナチス親衛隊(Nazi SS)に所属していたことや、同氏がフォルクスワーゲン(Volkswagen、VW)でトップを務めていた時代に、独ボルフスブルク(Wolfsburg)工場で戦争捕虜に強制労働させたことなどが非難された。」
「事態を沈静化するために昨年、施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。」
「ポルシェ社も自動車の貸与を中止したが、ポルシェ氏をめぐる論争については「地元の問題だ」として言及を控えている。以来、施設は空っぽのままだ。」
「また町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。町長は「これらは町の公金で賄われるべきものではない。ポルシェ氏は確かにナチスだった」と述べた。」
なんか、つれないな。
(Vratislavice nad Nisou:世界で一番難しいチェコ語)
http://cs.wikipedia.org/wiki/Vratislavice_nad_Nisou
「Významné osobnosti:
・・・
・Ferdinand Porsche (1875–1951) – automobilový konstruktér, továrník
・・・」
この町は、1919年以前は、Maffersdorf(マッフェルスドルフ)と呼ばれていたこともあり、その頃にポルシェ博士は生まれたのである。
「チェコ・テレジーン記念館(Terezin Memorial)の歴史学者ヤン・バイスケブル(Jan Vajskebr)氏は「ポルシェ氏は活動的なナチ党員で、ヒトラーと非常に良好な関係を築き、その関係を自分の事業を進めるために利用した」と解説している。」
「ヒトラーに勧められてポルシェ氏は、1935年にチェコ国籍を放棄した。それは故郷がナチス・ドイツに占領される4年前のことだった。バイスケブル氏によると「(国籍を放棄するのには)3秒もためらわなかった」という。」
「ペトル・イラスコ氏は、町の記念施設ではポルシェ氏とヒトラーの関係すべてを公開すべきだと主張する人々の一人だ。「彼はナチだった。歴史書は嘘をついていない」と憤る。」
「一方で、年金生活者のミノスラフ・シュピードレン氏は「ポルシェ氏はすべてのドライバーが感謝することを成し遂げた。どんな人物だったにせよ、評価はする」との意見だ。」
「ビール醸造所に自前のポルシェ記念館を作ってしまった自動車コレクターで、バス運転手のミラン・ブンバ氏は「ポルシェ氏に選択肢はなかった。ヒトラーがポルシェ氏を選んだんだ。ポルシェ氏が拒んでいたら、彼の人生は強制収容所で終わり、何も成し遂げられなかっただろう」と話し、ポルシェ氏は「車の開発に興味があっただけで、周囲で起きていることは見えていなかったんだと思う」と語った。」
浮沈子は、気が重くなる。
大好きなクルマのメーカーの創始者であり、20世紀最高の設計者といわれる人物が、故郷の町では戦犯扱いされている。
中には、善意に解釈している人もいるが、町としては公的にアピールすることを止めてしまった。
ポルシェも、当初は車両を貸し出したようだ。
「2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。」
しかし、前述のように、ポルシェは車両を引き上げ、「町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。」
ヨーロッパでは、戦後69年が経ってもなお、ナチスドイツへの反感が強い。
優秀な技術者であったればこそ、彼は時の権力と迎合し、その才能を発揮したのだ。
しかし、故郷の町でさえそれを許さない。
浮沈子は、最近ニュースで流れている慰安婦問題と重ね合わせて、気が重くなる。
戦後は終わってなどいない。
所を変え、形を変えて、今も我々の生活の傍らにある。
ドイツは、戦後の反省を徹底的に行ってきたという。
しかし、それでも、蹂躙された人々は、全てを許したわけではない。
「施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。」
この施設に、ポルシェのクルマが再び展示され、人々がその設計者の才能を愛でる日が訪れることがあるのだろうか。
ナチスドイツの行為を許せとは言わない。
ポルシェ博士が党員だったことを隠せとは言わない。
それと共に、賞賛されるべきものがあれば、故郷の町として誇っていいのではないか。
そんな、戦後生まれの甘ちゃんの願いなど許さないものがあるのかもしれない。
今日は、ちっと堪えたな。
650S ― 2014年04月03日 02:19
650S
マクラーレン650Sについては、ポルシェ961の当て馬として、このブログでも触れた。
(二つの961)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/03/31/7263179
「(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」の画像と概要を発表!)
http://www.huffingtonpost.jp/autoblogjapan/650s_b_4840881.html
こっちは、当然フルカーボンだろう。
(マクラーレン、650Sの価格を発表)
http://carview.yahoo.co.jp/news/newmodel/200325/
「イギリスでの販売価格はクーペが19万5250ポンド(1ポンド=170円換算で約3320万円)から、スパイダーは21万5250ポンド(約3660万円)から設定される。」
わお、ガチンコだな。
割安感さえある。
ポルシェ961は、前門のフェラーリ、後門のマクラーレンという窮地に陥りかねない。」
ちと、引用が長いな。
まあいい。
で、日本でもお披露目となった。
(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」を日本初公開)
http://www.topnews.jp/2014/04/01/auto/105595.html
「マクラーレン東京は、1日(火)に新型スーパーカーである「650Sクーペ」と「650Sスパイダー」を日本初公開した。発売は今年の春を予定しており、価格は「650Sクーペ」が3,160万円、「650Sスパイダー」が3,400万円となる。」
フルカーボンボディ、バタフライドア、650馬力のV8ツインターボ、7速デュアルクラッチなどなど、高い商品性でこのお値段!。
バーゲン価格ですなあ!。
「<「650S」の概要と価格>
・エンジン:3.8リッターV型8気筒DOHCツインターボ
最大出力:650PS(478kW)/7,200rpm
最大トルク:678Nm(69.1kgm)/6,000rpm
・トランスミッション:7速シームレスシフト(デュアルクラッチ)
・タイヤサイズ:235/35R19(前)・305/30R20(後)
・車両重量:1,330kg(クーペ)・1370kg(スパイダー)
・最高速度:333km/h(クーペ)・329km/h(スパイダー)
・時速0-100km加速:3.0秒
価格】 クーペ/3,160万円 スパイダー/3,400万円」
(マクラーレン最新モデル「650S」デビュー:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=bkyRF6nxZm4#t=13
あーあ、ポルシェもこういうカッコいいクルマ作りたいだろうなあ(カエル面じゃなくて)。
(マクラーレン「650S」桜の下で披露! ドライバーとの一体感強化 - 画像63枚)
http://news.mynavi.jp/news/2014/04/02/034/
「ボルティガ氏は、「McLaren 650S」の名称について、「マクラーレン製3.8リッターV8ツインターボ・エンジン『M838T』の最高出力650PS(641bhp)に由来しています。(名称の末尾の)『S』はスポーツを意味し、優れたハンドリング、トランスミッション、ドライバビリティを実現します」と述べた。」
動画でしゃべってる人が、ボルティガさんだな。
まあ、どうでもいいんですが。
(マクラーレン「650S」日本初公開! 伝説のロードカー「F1」上回る加速を発揮)
http://news.mynavi.jp/news/2014/04/02/140/
「0-100km/h加速は3.0秒、0-200km/h加速は8.4秒ときわめて優れており、0-400m加速は10.5秒、最高速度は333km/hとなっている。これはマクラーレンの伝説のロードカー「F1」を0-200km/h加速で1秒、0-400m加速で0.6秒上回るものだ。」
うーん、F1との比較かあ。
F1は、636PS/7,400rpmだが、車両重量は1,140kg(2,513lb)と軽い。
最高速度 391km/h(メーター読み)となっており、比較の対象にはならないんじゃないか?。
21年も前のクルマだし。
(マクラーレン・F1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBF1
このクルマ、日本では、どうやらMP4-12Cの置き換えになるようだ。
(新型スポーツカー「マクラーレン650S」日本上陸)
http://www.webcg.net/articles/-/30538
「なお、これまで扱われていた12Cについては、日本で販売されるのは在庫限り。そのポジションは650Sに受け継がれることになる。」
まあ、スペックは殆ど同じだしなあ。
「ボディーサイズは、開発の元となった「12C/12C スパイダー」に準ずるもので、クローズドボディーのクーペの場合で全長×全幅×全高=4512×2093×1199mmと、12C(同4509×2093×1203mm)との違いはごくわずか。ホイールベースは変わらず、2670mm。」
「エンジンは、12Cのものと基本を同じくする、ツインターボ付きの3.8リッターV8ユニット。さらなるチューニングが施された結果、12Cに50psと7.9kgmの上乗せとなる、最高出力650ps/7250rpmと最大トルク69.1kgm/6000rpmを発生する。」
期待していた12Cの下位バージョンは、いつ出てくることやら。
マクラーレン650Sについては、ポルシェ961の当て馬として、このブログでも触れた。
(二つの961)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/03/31/7263179
「(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」の画像と概要を発表!)
http://www.huffingtonpost.jp/autoblogjapan/650s_b_4840881.html
こっちは、当然フルカーボンだろう。
(マクラーレン、650Sの価格を発表)
http://carview.yahoo.co.jp/news/newmodel/200325/
「イギリスでの販売価格はクーペが19万5250ポンド(1ポンド=170円換算で約3320万円)から、スパイダーは21万5250ポンド(約3660万円)から設定される。」
わお、ガチンコだな。
割安感さえある。
ポルシェ961は、前門のフェラーリ、後門のマクラーレンという窮地に陥りかねない。」
ちと、引用が長いな。
まあいい。
で、日本でもお披露目となった。
(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」を日本初公開)
http://www.topnews.jp/2014/04/01/auto/105595.html
「マクラーレン東京は、1日(火)に新型スーパーカーである「650Sクーペ」と「650Sスパイダー」を日本初公開した。発売は今年の春を予定しており、価格は「650Sクーペ」が3,160万円、「650Sスパイダー」が3,400万円となる。」
フルカーボンボディ、バタフライドア、650馬力のV8ツインターボ、7速デュアルクラッチなどなど、高い商品性でこのお値段!。
バーゲン価格ですなあ!。
「<「650S」の概要と価格>
・エンジン:3.8リッターV型8気筒DOHCツインターボ
最大出力:650PS(478kW)/7,200rpm
最大トルク:678Nm(69.1kgm)/6,000rpm
・トランスミッション:7速シームレスシフト(デュアルクラッチ)
・タイヤサイズ:235/35R19(前)・305/30R20(後)
・車両重量:1,330kg(クーペ)・1370kg(スパイダー)
・最高速度:333km/h(クーペ)・329km/h(スパイダー)
・時速0-100km加速:3.0秒
価格】 クーペ/3,160万円 スパイダー/3,400万円」
(マクラーレン最新モデル「650S」デビュー:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=bkyRF6nxZm4#t=13
あーあ、ポルシェもこういうカッコいいクルマ作りたいだろうなあ(カエル面じゃなくて)。
(マクラーレン「650S」桜の下で披露! ドライバーとの一体感強化 - 画像63枚)
http://news.mynavi.jp/news/2014/04/02/034/
「ボルティガ氏は、「McLaren 650S」の名称について、「マクラーレン製3.8リッターV8ツインターボ・エンジン『M838T』の最高出力650PS(641bhp)に由来しています。(名称の末尾の)『S』はスポーツを意味し、優れたハンドリング、トランスミッション、ドライバビリティを実現します」と述べた。」
動画でしゃべってる人が、ボルティガさんだな。
まあ、どうでもいいんですが。
(マクラーレン「650S」日本初公開! 伝説のロードカー「F1」上回る加速を発揮)
http://news.mynavi.jp/news/2014/04/02/140/
「0-100km/h加速は3.0秒、0-200km/h加速は8.4秒ときわめて優れており、0-400m加速は10.5秒、最高速度は333km/hとなっている。これはマクラーレンの伝説のロードカー「F1」を0-200km/h加速で1秒、0-400m加速で0.6秒上回るものだ。」
うーん、F1との比較かあ。
F1は、636PS/7,400rpmだが、車両重量は1,140kg(2,513lb)と軽い。
最高速度 391km/h(メーター読み)となっており、比較の対象にはならないんじゃないか?。
21年も前のクルマだし。
(マクラーレン・F1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBF1
このクルマ、日本では、どうやらMP4-12Cの置き換えになるようだ。
(新型スポーツカー「マクラーレン650S」日本上陸)
http://www.webcg.net/articles/-/30538
「なお、これまで扱われていた12Cについては、日本で販売されるのは在庫限り。そのポジションは650Sに受け継がれることになる。」
まあ、スペックは殆ど同じだしなあ。
「ボディーサイズは、開発の元となった「12C/12C スパイダー」に準ずるもので、クローズドボディーのクーペの場合で全長×全幅×全高=4512×2093×1199mmと、12C(同4509×2093×1203mm)との違いはごくわずか。ホイールベースは変わらず、2670mm。」
「エンジンは、12Cのものと基本を同じくする、ツインターボ付きの3.8リッターV8ユニット。さらなるチューニングが施された結果、12Cに50psと7.9kgmの上乗せとなる、最高出力650ps/7250rpmと最大トルク69.1kgm/6000rpmを発生する。」
期待していた12Cの下位バージョンは、いつ出てくることやら。
MH370長期化? ― 2014年04月03日 22:58
MH370長期化?
(不明マレーシア機、乗客に不審な点なし 警察)
http://www.cnn.co.jp/world/35046042.html
「同機が消息を絶ってから27日が過ぎた今も、同機に何が起き、どこに行き着いたのかを示す確固たる手がかりは見つかっていない。」
「オーストラリア海上保安局(AMSA)によると、同国西部沖のインド洋では3日も航空機8機と、英国の潜水艦1隻を含む船舶9隻が出動して捜索に当たる。」
「いつまでかかろうと捜索は続ける」
「何カ月も、何年もかかるかもしれない」
(自衛隊機が南インド洋で浮遊物発見、マレーシア機か)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2164823.html
「現地時間の午後6時前、海上に浮遊物を発見し、目印となる発煙筒を投下」
「南インド洋におけるマレーシア航空機の捜索には、日本の自衛隊のほかオーストラリアや中国など7か国が参加していますが、いまだに機体やその一部は発見されていません。」
衛星や航空機からの発見は、今のところ全てマレーシア機のものではなかった。
(米最新鋭哨戒機ポセイドンも苦戦、不明のマレーシア機捜索)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA3103O20140402
「航空史上最も複雑な謎を解くのに最も有力とされる米海軍の最新鋭哨戒機「P─8ポセイドン」をもってしても難航が続いている。」
「P─8ポセイドンはこのほど、インド洋で5時間にわたり海上90メートルまで低空飛行して機体の残骸などを捜した」
おいおい、大丈夫なのかあ?。
P-8は、中身は旅客機として開発されたB737である。
(P-8(航空機))
http://ja.wikipedia.org/wiki/P-8_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
「ボーイングは737-800ERX旅客機の改修型である「737MMA(Multimission Maritime Aircraft-多用途海上航空機)」を応募した。ボーイングは既存の自社旅客機の軍事利用をたびたび提案し、E-767、KC-767を開発したが、本機もその一環であった。」
「P-3Cで実施していた海面上低高度での索敵も想定していない。」
なんか不安だなあ・・・。
まあいい。
二次災害にならないように、気をつけて捜索してもらいたいもんだ。
1か月近くになる捜索は行き詰っている。
「3月8日に消息を絶ったMH370便の捜索には米国、中国、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本が参加。オーストラリア西部パースの西約2000キロの海域で活動を続けているが、これまでのところ、難破船の漂流物などしか見つかっていない。」
「何も見つからなかったとしてもその海域を捜索の範囲から排除できる」
そうなのか?。
同時に探したのならともかく、海は動いている。
見落としだってあるかもしれない。
航空機による捜索は、時間の制約も大きく基地から遠いエリアになればなるほどはかどらない。
そうして、もたもたしているうちに、海流によって流されてしまう。
こういうときは、マーフィの法則により、概ね既に捜索が行われたとして排除された海域に行ってしまうことになるのだ。
フライトレコーダーの音響発信は、バッテリー切れであと数日で切れてしまう。
どこに落ちたか特定できない状況の中、広大なインド洋をソナーを引きずりながら探すわけだ。
何年も掛かる、根気の要る作業だ。
英国は、原潜「タイアレス」を投入した。
(トラファルガー級原子力潜水艦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%B4%9A%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6
「1985年10月5日就役」とある。
今年辺り退役するかもしれない老朽艦である。
就役中の同型艦5隻のうち最も古い・・・。
「基本的に対潜任務に用いられているが、対艦攻撃や対地攻撃も可能。」
墜落旅客機の捜索には向かないんじゃね?。
退役に向けての花道作りかあ?。
「本艦級最後の1隻は2024年まで運用される予定である。」
大事に使ってください。
潜行深度600m、最大速力:水上20kt、水中29ktとあるが、浮沈子には評価はできない。
英国は、行方不明機の捜索については、インマルサットの解析をチェックするなどの役割を果たしている。
この潜水艦が何かの役に立つとは、浮沈子には思えないんだが、見当違いな協力でないことを期待しよう。
浮沈子は、時間がかかっても、この行方不明機の謎は解明すべきだと考える。
様々な情報が錯綜し、人工衛星まで使って探しても見つからない。
情報が少ないのは、マレーシア政府が小出しにしていることもあるが、実際に情報がないからでもある。
現在のところ、オーストラリアが推定した海域での捜索が行われているが、それもインマルサットの推測に修正を加えたもので、どれほどの正確さがあるかはわからない。
見当ハズレの場所を探しているかも知れないのだ。
捜索範囲はインド洋全体だといってもいい。
気の遠くなる話である。
MH370便に何があったのか。
消えた機体、乗客乗員、そして失踪の真実。
それらを明らかにして、評価することなく空の安全は確保できない。
(不明マレーシア機、乗客に不審な点なし 警察)
http://www.cnn.co.jp/world/35046042.html
「同機が消息を絶ってから27日が過ぎた今も、同機に何が起き、どこに行き着いたのかを示す確固たる手がかりは見つかっていない。」
「オーストラリア海上保安局(AMSA)によると、同国西部沖のインド洋では3日も航空機8機と、英国の潜水艦1隻を含む船舶9隻が出動して捜索に当たる。」
「いつまでかかろうと捜索は続ける」
「何カ月も、何年もかかるかもしれない」
(自衛隊機が南インド洋で浮遊物発見、マレーシア機か)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2164823.html
「現地時間の午後6時前、海上に浮遊物を発見し、目印となる発煙筒を投下」
「南インド洋におけるマレーシア航空機の捜索には、日本の自衛隊のほかオーストラリアや中国など7か国が参加していますが、いまだに機体やその一部は発見されていません。」
衛星や航空機からの発見は、今のところ全てマレーシア機のものではなかった。
(米最新鋭哨戒機ポセイドンも苦戦、不明のマレーシア機捜索)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA3103O20140402
「航空史上最も複雑な謎を解くのに最も有力とされる米海軍の最新鋭哨戒機「P─8ポセイドン」をもってしても難航が続いている。」
「P─8ポセイドンはこのほど、インド洋で5時間にわたり海上90メートルまで低空飛行して機体の残骸などを捜した」
おいおい、大丈夫なのかあ?。
P-8は、中身は旅客機として開発されたB737である。
(P-8(航空機))
http://ja.wikipedia.org/wiki/P-8_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
「ボーイングは737-800ERX旅客機の改修型である「737MMA(Multimission Maritime Aircraft-多用途海上航空機)」を応募した。ボーイングは既存の自社旅客機の軍事利用をたびたび提案し、E-767、KC-767を開発したが、本機もその一環であった。」
「P-3Cで実施していた海面上低高度での索敵も想定していない。」
なんか不安だなあ・・・。
まあいい。
二次災害にならないように、気をつけて捜索してもらいたいもんだ。
1か月近くになる捜索は行き詰っている。
「3月8日に消息を絶ったMH370便の捜索には米国、中国、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本が参加。オーストラリア西部パースの西約2000キロの海域で活動を続けているが、これまでのところ、難破船の漂流物などしか見つかっていない。」
「何も見つからなかったとしてもその海域を捜索の範囲から排除できる」
そうなのか?。
同時に探したのならともかく、海は動いている。
見落としだってあるかもしれない。
航空機による捜索は、時間の制約も大きく基地から遠いエリアになればなるほどはかどらない。
そうして、もたもたしているうちに、海流によって流されてしまう。
こういうときは、マーフィの法則により、概ね既に捜索が行われたとして排除された海域に行ってしまうことになるのだ。
フライトレコーダーの音響発信は、バッテリー切れであと数日で切れてしまう。
どこに落ちたか特定できない状況の中、広大なインド洋をソナーを引きずりながら探すわけだ。
何年も掛かる、根気の要る作業だ。
英国は、原潜「タイアレス」を投入した。
(トラファルガー級原子力潜水艦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%B4%9A%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6
「1985年10月5日就役」とある。
今年辺り退役するかもしれない老朽艦である。
就役中の同型艦5隻のうち最も古い・・・。
「基本的に対潜任務に用いられているが、対艦攻撃や対地攻撃も可能。」
墜落旅客機の捜索には向かないんじゃね?。
退役に向けての花道作りかあ?。
「本艦級最後の1隻は2024年まで運用される予定である。」
大事に使ってください。
潜行深度600m、最大速力:水上20kt、水中29ktとあるが、浮沈子には評価はできない。
英国は、行方不明機の捜索については、インマルサットの解析をチェックするなどの役割を果たしている。
この潜水艦が何かの役に立つとは、浮沈子には思えないんだが、見当違いな協力でないことを期待しよう。
浮沈子は、時間がかかっても、この行方不明機の謎は解明すべきだと考える。
様々な情報が錯綜し、人工衛星まで使って探しても見つからない。
情報が少ないのは、マレーシア政府が小出しにしていることもあるが、実際に情報がないからでもある。
現在のところ、オーストラリアが推定した海域での捜索が行われているが、それもインマルサットの推測に修正を加えたもので、どれほどの正確さがあるかはわからない。
見当ハズレの場所を探しているかも知れないのだ。
捜索範囲はインド洋全体だといってもいい。
気の遠くなる話である。
MH370便に何があったのか。
消えた機体、乗客乗員、そして失踪の真実。
それらを明らかにして、評価することなく空の安全は確保できない。
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