歴史の必然2014年04月10日 00:38

歴史の必然
歴史の必然


もう二度と作られることがない車というと、正確には全部のクルマが該当することになる。

復刻版のクルマが製造されることは有り得ない。

旧車をレストアするとか、そういうこととは違う。

見た目が似た車というのは確かにあるな。

ミニとかビートルとかは、そういうクルマである。

また、後継車種として、ネーミングやコンセプトやスタイルを引きずることもある。

911なんかは、ある意味で典型的な車だ。

しかし、もちろん、機械としてのクルマは同じではない。

年式が同じであっても、中身が変わっていることもある。

同じクルマは、その時代だけに作られ、モデルチェンジや生産中止となって、歴史から忘れ去られていく。

そういえば、ランエボが生産打ち切りになるという話が最近話題になった。

(【三菱 ランエボ 生産終了】ACD新採用、電子制御技術で完全武装…7代目[写真蔵])
http://response.jp/article/2014/04/08/220768.html

(三菱・ランサーエボリューション)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

「エボI〜III、エボIV〜VI、エボVII〜IX、エボXでそれぞれベースモデルが切り替わっているため、第1世代、第2世代、第3世代、第4世代という呼び分け方をされる。」

浮沈子が知っているのは、エボ7まで。

一つ前のエボ6は、リュック・ベッソンのタクシー2に敵役として登場する。

(TAXi2)
http://ja.wikipedia.org/wiki/TAXi2

「三菱・ランサーエボリューションⅥ
劇用車は左ハンドル(劇中車は、欧州仕様車「カリスマGT」を使用していたが、日本名が「ランサー」なので)。」

まあ、どうでもいいんですが。

リュック・ベッソンのタクシーといえば、第一作に登場する「強盗段メルセデス」の500Eである。

(TAXi)
http://ja.wikipedia.org/wiki/TAXi

「メルセデス・ベンツ 500E
強盗「メルセデス」の愛車。逃走用なのでリアスポイラーなどといったかなりの改造がされている(ダニエルのタクシーには及ばなかった)。」

プジョー406になんか、負けるわきゃないじゃないの・・・。

というわけで、本日のお題は、歴史の必然から生まれた500Eの話。

「ポルシェとの関係が非常に深いモデルで、チューニングはポルシェのバイザッハ研究所が担当した。パフォーマンスは最高ながら非常な高コストになってしまったため、ダイムラー側では市販するか否かかなり悩んだが、結局少しだけパーツをコストダウンした」

「北米市場での販売不振のために経営が悪化したポルシェが、遊休ラインで生産の一部をメルセデスから請け負っていた」ということだ。

よく、92年型はポルシェラインとか言われるが、実際には最終型まで一貫してポルシェが生産に関与していたらしい。

(今尚、語り継がれる「PORSCHE LINE 500Eの真実」に迫る!)
http://ameblo.jp/jautoceo/page-2.html

「今尚、多くの方が、「1992年モデルの500Eだけがポルシェ生産で、それ以降はメルセデス生産に改められた。」と、間違った認識をされて居られる様ですが、それは完全に間違いです。」

「1991年の最初の500Eから、最終モデルの1995年E500-LIMITEDまで、全ての500E・E500がPORSCHEの生産だった」とある。

W124は、ミディアムクラスのベンツとして1985年から生産された。

(メルセデス・ベンツ W124)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84_W124

「W201型 (190E) をそのまま大型化したようなデザインで、台形の小ぶりなテールランプが特徴。リアサスペンションは長らく続いたセミトレーリングアーム式から190E譲りのマルチリンク式に変更されている。フラッシュサーフェイス (外板の平滑化) が推し進められた結果、メルセデス市販車では史上初となる0.29のCd値となった。」

ハッキリ言って、横風に弱い。

高速性能重視で、その辺の詰めが甘い。

浮沈子がかつて乗っていた300Eは、東京湾アクアラインで横風に苦しめられた。

500Eでも、その傾向は残っている。

クルマの設計としては、どうということのないセダンの設計だ。

箱型(凸型)のルーミーなキャビンを持った普通の車である。

技術者が好きなように作ってコストをはじき、それに利益を乗せて値付けをしたクルマだ。

それでも、飛ぶように売れた。

「ベンツは自動車を作っているが、他のメーカーは、「自動車のようなもの」を作っている」

と、言ったとか言わなかったとか・・・。

それ程のものかと思うが、この時代のベンツは、そのくらいの実力があり、コストも掛けてクルマ作りをしていたわけだな。

そのW124型のセダンの中で、V型8気筒5リッターエンジンをぶち込み、330馬力のモンスターセダンを作ってきたわけだ。

今となっては、スカイラインのハイブリッドモデル(360馬力)にも劣る性能だが、22年前は超ド級の迫力だった。

こんなクルマをメーカーが作っていいのかあ?。

エンジン載せ換えて、ボディまで弄ってきたわけで、掟破りのメーカー純正の改造車であり、しかも、チューナーは泣く子も黙るポルシェというわけだな。

おまけに、製造の一部をポルシェの工場のラインで行ったというおまけまで付く。

クラクラする。

鼻血が出そうだ。

それだけではない。

この時代は、ボディの作りが頑丈で、クラッシャブルソーンはあったものの、大きなクルマが積極的に壊れて小さいクルマを守るコンパティビリティという発想を取り入れてはいない(実車は1995年のW210から)。

(コンパティビリティ)
http://www.mercedes-benz.jp/brand/safety/compatibility.html

ということは、500Eのボディ設計は、自車の安全だけ考えた頑丈なクルマを自由に作ることが出来た最後の時代ということになる。

環境性能とか言われ出す以前、エンジンのパワーは、大排気量とそれを実現するための多気筒化であると、誰もが信じていた時代だ(ターボもありましたが)。

頑丈に作られたボディに、大排気量のエンジンを載せ、容量の大きいATで、一気に加速する。

熱的に、ちと苦しいが、なに、250kmで走れば、走行風でよく冷える・・・。

そんな発想で現代の車を作ることは、もはや許されない。

この時代から、電子制御による自動車のスマホ化は既に始まっていて、スロットルアクチュエーターなどの電気信号でクルマをコントロールする技術が普及しだしている。

83タルガには、薬にしたくてもない。

機械の王国が隆盛を極め、電子制御の帝国へと発展していこうとする矢先である。

その時期に、500Eは作られた。

世界に1万台余り、ベンツが市販化を迷うほどのコストを掛けて、しかし、しっかりと利益を載せて売り出したスーパーセダンである(当時の値段は300Eの2倍以上)。

この時期を外していたら、きっと生産されることはなかっただろう。

1993年以降のW124の後、Eクラスと呼ばれるようになったミディアムクラスは、1995年にW210となり、フロントサスペンションがW124のストラットからダブルウィッシュボーンに変更されたほか、ステアリングが伝統のボール&ナット式からラック&ピニオン式となった。

(メルセデス・ベンツ W210)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84_W210

「1990年代中盤に発表されたメルセデス・ベンツの他の車種同様にコスト削減に伴う品質低下を指摘する声も多く、現在の中古市場の価格はW124と逆転しているケースも見られる。」

浮沈子の知人もW210のオーナーだったが、品質の低下を嘆いていたな。

ベンツは、普通の自動車メーカーになり、コスト管理をキッチリしてくる健全な会社になった。

そうして、500Eは、文字通り、二度と作られることのない不世出のクルマとなったのである。

浮沈子は、このクルマの登場は歴史の必然だったと考える。

連綿と続いてきた機械の王国、その頂点に於いて登場したこと、電子制御の恩恵を控えめに受けながら、まだ、その影響が限られていたこと、社内にSLやT124といった優れた部品を流用できる車種があったこと、設計製造にポルシェが関与できたこと、Cクラス開発で始まったコスト管理が及ぶ前であったこと、車体の設計に、コンパティビリティの思想が取り入れられる前であったこと。

他にも、セルシオが登場して、高級車の裾野が広がり、新たなフラッグシップを作り出そうというベンツ社内での動きがあったのかもしれないし、SLの4ドアバージョンを望む声が多かったのかも知れない。

この時(1990年頃)でなければ、決して世に出ることがなかったと思われる。

全ての要素が重なり、全ての要件が満たされた。

生まれるべくして生まれ、消えるべくした消えたクルマである。

最終型(95年型)が出てから、19年にもなる。

未だに根強い人気があるのは、その卓越した乗り味が、現代の他のどんなクルマにもないからである。

ベンツが作った、ベンツの中のベンツである。

まあ、ポルシェもちょこっと作ってますが。

その後、このサイズの乗用車は、コモディティ化し、セダンは売れなくなり、ワンボックスやSUVになり、各メーカーとも同じようなクルマを作るようになり、没個性化し、誰からも見向きもされなくなった。

さらに追い討ちを掛けるように、機械の王国は電子制御の帝国に取って代わられ、自動車という機械は、車載コンピューターのデバイスに成り下がる。

クルマはスマホと同じになり、コンピューターの許しがなければ、ピクリとも動かなくなった。

500Eのようなクルマ(そう、人間の意思で、人間の操作で、人間が予想したような動きをするクルマだ)が、今後作られることは決してない。

・・・。

いや、浮沈子は、金太郎飴のようなこのステレオタイプの決め台詞を、最近見直そうかと考えている。

特に、アルファロメオの4Cが、サーキットでポルシェ・ケイマンと同タイムを出したという記事を読んでからは、なおさらである。

(同タイム!!)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/03/19/7248307

「値段は4Cの方が安いだろうが、カーボンボディという強みがある。」

「これは、ⅰ3とかと違って、バスタブ型の本格的なものだ(しかも、オートクレーブ(圧力釜)を使った『プリプレグ方式』)。」

21世紀の500Eは、フルカーボンボディを纏い、最低でも700馬力を超えるハイブリッド直噴電動ターボエンジンを備え、ブレーキはセラミックディスクは当然として、オプションで逆噴射が付き(!)、全自動運転で時速350kmでアウトバーンを爆走するのだ。

電子制御は往年の500Eのフィーリングを完全にデッドコピーし、なんと、横風に弱いところまで再現している(するなよ!)。

ベンツのアルファベット順のクラスには、Fクラスというのが欠番になっている。

ここは、是非とも「最善か、さもなくば無か」とか気取ってないで、中途半端でもいいからF700とかいって、復刻を出して欲しいな。

開発は、ポルシェが忙しいので、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、同じフォルクスワーゲングループのアウディになるだろう。

アウディにしても、カーボンボディの市販車の開発になるので、力が入るに違いない。

ボンネットを開けると、フォーシルバーリングスの紋章が付いた部品があちこちにあるのは気になるが、フロントグリルには、レーダー装置と共に、陸海空を表すスリーポインテッドスターが、ばっちり付いているからOKさ・・・。

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