外堀2014年07月12日 07:25

外堀
外堀


さて、朝4時から起きて、EFRIの勉強に取り組む。

初めてのテキストを、10時までに読んで、ナレッジレビューを書いて、横浜まで行かなければならない。

一夜漬けならぬ、「朝」漬けである。

キャパシティの小さい頭は、爆発して、プシューッと湯気を上げている。

電車の中で読み始め、7時くらいに横浜に着いて、喫茶店に入って2時間半くらいで仕上げる。

いくつか、思い違いがあったり、設問が不適切だったり(PADIらしい・・・)、まあ、いろいろあったが、座学の方は、なんとか凌いだ。

浮沈子ともう一人の生徒さん(IE受けるんだそうです)が、一緒の授業。

さすがに、午後の実地講習では、インストラクターを目指すだけあって、教え慣れしている。

人にものを教える稼業に就いていなかったので、なんとなくギクシャクするが、まあ、なんとか及第点を取れたようで、ファイナルエグザムを提出すれば(テキストを見ながら書いていいというオープンブックなので、お持ち帰り)、合格との評価を頂いた。

やれやれ。

ファイナルエグザムを提出し、申請して、登録料を払えば、浮沈子も晴れてEFRインストラクターである。

(エマージェンシー・ファースト・レスポンス・インストラクター)
http://www.padi.co.jp/visitors/pro/pro_015.asp

ダイブマスターの外堀は、全て埋まった!。

驚いたことに、生徒の方には2年に1度の更新があるのに、インストラクターにはそれがない(義務付けは登録の更新だけ)。

そのかわり、最新の知識や技術を習得する義務が生じる。

そういう仕掛けになっているようだな。

まあいい。

もちろん、浮沈子は、リトルアンを買って、ダイバーやノンダイバー向けにEFRを講習するために認定を取ったわけではない。

ダイブマスターと、遥か彼方のインストラクターを目指すための方便である。

しかも、その先にあるのはCCRのインストラクターである(CCRのダイブマスターって、ないんだろうか?)。

遠いな。

遥かに霞んで、よく見えない・・・。

日本では、まだ数十人しかいないだろう。

CCRダイバーの数と、そんなに違わないんじゃなかろうか。

先読みして、これが商売になると思ってスキルアップしようとしているわけではない。

浮沈子は、自分がCCRで潜りたいだけで、そのためには、なにしろ数を増やさなければ環境が追いつかないだろうと思うわけだ。

多くのダイバーがCCRに親しみ、厚生労働省の意向に反して、水中で酸素をガバガバ吸い、時にはヘリウムまで吸ってダイビングする時代を啓こうというのだ。

そのためには、浮沈子一人がCCRで潜っても、焼け石に水である。

仮に、浮沈子が2人に教え、その2人がさらに2人に教えていくとすると、10回目には、1024人になる。

こういう規模の数字になるには、テクニカルダイビングの範疇に入るCCRではだめだ。

そして、今のところ、それに対応できる機種としては、インスピのデチューン版と、マーク6(セブンでもいいですが)くらいが関の山だろう。

他機種がどれほどタイプRに熱心に取り組んでいるかは知らないが、浮沈子の身の回りではこんなものだ。

「リブリーザーは難しいものではありません。
たとえばPADIでは、オープン・ウォーター・ダイバー認定+25ダイブ経験+エンリッチドエアー・ナイトロックス認定があればリブリーザーコースに入ることができます。」

(トレーニングコース)
http://www.poseidon-j.com/#!training/czxn

別に、始めるのに難しいことは何もないのだ。

SCRじゃだめなんだろうか。

エクスプローラーとか、GEMのような新世代のSCRなら、ハイパーオキシアのリスクは少ないし(器材のトラブルによるリスクはない。最大運用深度守らなければ同じ)、構造は簡単で操作もシンプルだ。

しかし、浮沈子は、これは違うだろうと思っている。

ナイトロックスタンクだけでいいとはいえ、呼吸回路を持つリブリーザーならば、ハイポキシアやハイパーカプニアのリスクは同じだし、浅い深度での濃い酸素のメリットを享受できない。

選択肢としてあっていいが、こっちが普及しても、浮沈子が潜りたい環境にはならない。

ナイトロックスではなく、CCRで使う純酸素が自由に手に入る環境が必要なのだ。

ここが普及のネックだろう。

酸素を自由に手に入れられる環境こそ、CCR普及の鍵だ。

それには、ナイトロックスの普及も、SCRの普及も、ダイバーの理解を得るためには役に立つ。

浮沈子がCCRを始めた動機も、最適なナイトロックスが吸い放題(!)というのが理由の一つであった。

この話題は、項を改めて書く。

酸素2014年07月12日 15:06

酸素
酸素


酸素屋さんに医療用酸素を充填してくださいといっても、基本的には医療機関にしか売ってくれない。

工業用酸素は別なんだが、どこで頼んだらいいのかわからない。

(オーバーホールセンター)
http://www.ohc.co.jp/air/air.html

ここでは、やっているらしい(詳細未確認)。

(オゾンウェイブに関するご質問)
http://www.shancall.jp/faq/wave/wave103.html

広島じゃあ、ちょっとね。

(信光実業)
http://www.shinko81.co.jp/

工業用酸素といっても、簡単には詰めてくれそうにない。

酸素は、可燃物と合わせると爆発的に燃焼するので(ロケットとか)、業務上の取り扱いには資格がいるようだし、浮沈子のような素人が、酸素タンクもって行って「100気圧ください!」とかいっても、胡散臭い目で見られて追っ払われるのがせいぜいだろう。

皆さん、どうしているんだろうか?。

CCR普及のネックになっている酸素タンクの充填については、引き続き調査する予定だ。

さて、昨日終了したEFRIの講習のファイナルエグザムを、午前中一杯掛かって仕上げる。

生徒用の問題は素直でいいのだが、講師用の設問は、ひねくれていたり、例によって用語が不統一だったりして、難儀する(一例を挙げれば、ファイナルエグザムに出てくる「幼児」という語は、テキストにはない)。

実際に教えることになれば、医師や看護師などの医療職にも講習する可能性があり、不安になるが、一応、回答を書いて提出することにした。

浮沈子は専門家ではないし、PADIはオーソライズされた基準に則ってテキストを作成し、随時更新しているはずだから、いいということにしよう。

この手の設問は、深く考えすぎないで、ぱっぱと回答していくに限る。

考え過ぎて回答できないより、誤って回答しても、訂正してもらって正しく覚えた方がいい。

テキストを読み込んで、完璧にしてからでないと回答できないということになれば、浮沈子が回答を書くことは不可能である。

まあいい。

とりあえず、提出してしまえばいいのだ。

というわけで、これから出かけることにする。

隣人2014年07月12日 20:29

隣人
隣人


以前、ダイバーの救命救急について、調べたことがあった。

(善きサマリア人)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199838

「我々は専門職ではないが、「バイスタンダー」(隣人?)となった場合は、「善きサマリア人」でありたい。」

EFRの講習の中で、柏崎さんも刑事訴訟法(緊急避難)の話や民法(緊急事務管理)の話をしてくれた。

そして、実質的にグッド・サマリタン・ローに当たるものが日本にもあるので、安心して救命措置に当たって欲しいという。

EFRIの講習なので、ある程度は分かっている生徒に話しているので、そういう言い方もあるかもしれないし、一般の生徒(参加者)向けの講習の際に、補助資料を使って説明する例として挙げていたので、まあ、直ちに問題はないと思うが、一応、講習の中では、直接該当する法律はないという点は指摘しておいた。

故意又は重大な過失がないことの立証責任も、救助者側にある。

我が国に於いては、法的に完全に保護されているわけではない。

もちろん、家族についての救命行為については一般的に問題はないので、その意味だけでも知識とスキルを身に付ける意義は大きい。

しかし、「隣人」については、浮沈子は慎重な立場を取る。

講習の中で、我が国にはそのような法律は「ない」という説明をし、民法第698条の緊急事務管理と刑法第37条の違法性阻却事由の一つである緊急避難を紹介するに留める。

そうでなければ、彼らが責任を問われた時に、浮沈子がとばっちりを受ける恐れもある。

そんなことは御免だ!。

PADIのテキストには、一旦救命を始めたら、救助者の安全を脅かす事態が生じるなどの正当な理由なく中断することは出来ないともある。

もういやになったから、なんていう理由で止めちゃうと、後で問題になる可能性がある。

意識がなくて呼吸していない患者の場合は、問題になることは少ないだろう。

だって、それ以上状態が悪化することは、事実上ないからだ。

放って置けば、確実に死ぬ。

何かやったからといって、余計悪くなるなんてことはない。

しかし、本当に意識がなかったのか、呼吸をしていなかったのか。

救助者以外に誰もいなかった時、それを証明することは出来ない。

救助者が訴えられるリスクは常にあるのだ。

EFRの講習を受けた参加者が、実際の状況下で救命行為を行うかどうかは、十分な情報を与えられた上で、参加者自身が判断するべきだ。

しかし、どうやったらいいか分からないとか、ヤバイ状態にある患者を見てビビッてしまったからということでは、ちと情けないということだ。

それでは、自分の家族も救えない。

隣人を助けるかどうかは、その隣人との関係、隣人の家族との関係もある。

例えは悪いが、ダイビングなどというヤクザなレジャーに現を抜かしているダンナに、かみさんが猛反対していて、普段から浮沈子の顔を見るなり噛み付いてくるような関係だったら、そのダンナには申し訳ないが、救命行為を行わないという選択はある。

それでも、おそらく不作為で訴えられるだろうし、一生後悔して過ごすことになるだろう。

EFR講習なんて受けなければ、どうすればいいか分からなかったので、という言い訳が立つんだが・・・(もう遅いじゃん!?)。

まあいい。

見ず知らずの他人だったらどうするか。

浮沈子自身は、その時になって見なければ分からないというのが、今の正直な感想だな。

EFRインストラクターにあるまじき態度だが、安全確保と救急隊への連絡だけして、後は他の救助者を探しに行くかもしれない。

それだけやっておけば、保護責任者遺棄致死に問われることはないだろう。

場合によっては、救命行為を行うことになるかもしれないが、必ず行うという覚悟はない。

米国法の管轄権が及ぶところでは、安心して積極的に行うだろう。

救助者自身の安全確保とは、全く異なる話だが、法的責任を阻却される明確な根拠がなく、判例もなければ具体的な公式のガイドラインもない我が国で救命行為を行うというのは、それなりの社会的なリスクが伴う。

AEDについては、行政の見解もあるし、医療機器としての認可も受けているので、相対的にはリスクは低いが、何らかの理由で故障していて、それが理由で予期せぬ事態が起こった時の話は大丈夫なんだろうか?。

地面が濡れていて、機器から漏電して、周りにいる人が感電死するとか。

注意義務違反に問われる可能性はあるな。

もともと、医学的に管理されていない状況下での救命行為には限界があるし、それを行ったからといって成果が得られるという保証はない。

浮沈子は、正直な話、もっと消極的でいいんじゃないかと思っている。

米国の開拓文化を背景にした相互扶助的救命行為の、文化的側面まで真似しなくてもいいのではないか。

家族を救うため。

我が国に於いては、それだけで十分のような気がする。

隣人への救命行為は、社会的なリスクを踏まえて、各自の判断で行うべきだろう。

EFRでは、喉に物を詰まらせた時の対応や、怪我や病気の際の初動についても学ぶことが出来る。

CPRとAEDの使い方は、別にPADIでなくても、最寄の消防署で格安で受講できるし、二次対応もやっているようだ(詳しくは知りません)。

まあ、営業的なことを考えれば、PADIの資料は、カラーで見やすいし、具体的な事例も豊富で、消防署の講習とは違う。

だいたい、どちらにしても、1度受けただけでは使い物にならないだろうし。

2年に1度の再講習は、知識や技量の維持というより、繰り返すことによる定着の効果もある。

隣人かあ。

我が国には、遠い親戚より近くの他人、ということわざがある。

(遠くの親戚より近くの他人)
http://kotowaza-allguide.com/to/tookunoshinseki.html

まあ、日頃の近所付き合いというのも、大事なんだろうな(そういうことかあ?)。

逆に、我が国では、他人が助けてくれるのはそれだけ稀で、尊いことだから、こんなことわざが生まれるんだろう。

その意味では、他人が助けてくれなくても、仕方ないと諦める文化があるのかもしれない。

余計なことはしない。

関わりを持たない。

人様のことだから。

そういうふうに子供の頃から育ってきて、相互扶助といっても、生活関係がある近隣だけ。

キリスト教のように、人類全体に敷衍するなんて発想はない。

ダイバーのように、何時死んでもおかしくない環境で遊んでいる人々にしたって、実際に救命を要する事態になれば、ムラ意識が頭をもたげてくるに違いない。

ウチのショップの人だからとか・・・。

EFR講習はそれとして、我が国に於いて、地に足がついた救命方法を、形式だけではなく、文化的、社会的背景を考慮した、実態を踏まえた具体的な対応として整備しなければならないのではないか。

それまでは、家族だけ救命するという、ミニマムな動機で凌ぐしかないのかもしれない。

最後に、浮沈子は、決してEFRを行うことを阻害しようしているわけではないということを明言しておきたい。

我が国に於いて、上記のような状況の中で行われる市民の救命行為は、もっと賞賛されていい。

社会の中で、おらがムラを越えて発揮される公共の利益に目を向けるという点でも、命の尊さをしっかりと見つめるという点でも、救命行為の普及は重要だ。

浮沈子は、集団的自衛権については、必ずしも否定的ではないのだが、専任の大臣置いて関連法の整備をする前に、日本版グッド・サマリタン・ローを作ってもらいたいものだとつくづく思う。

あれっ?、隣人って、米国のことだったんだっけ?。

個計2014年07月12日 21:35

個計
個計


時計というのは、時を計る機械だが、個人を計るということで、個計(こけい)。

こじつけがましいが、そんな感じのアンドロイドウォッチである。

(塩田紳二のアンドロイドなう 第75回 LGのスマートウォッチ「G Watch」)
http://androwire.jp/articles/2014/07/11/now75/

衝動買いに走りたいのを、ぐっと堪えて人様の感想を読む。

「腕に付けてみた第一印象は、「ちょっとデカイ」という感じです。世の中にはダイバーウォッチなどの大きな時計はありますが、それに匹敵するぐらい大きな感じです。」

この人、ダイバーなのかあ?。

(塩田紳二のプロフィール)
http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%A1%A9%E7%94%B0%E7%B4%B3%E4%BA%8C_200000000205019/biography/

「コンピューター、ネットワーク、インターネット全般のフリーライター。雑誌編集者、電機メーカーを経て現職。アスキー、インプレス、日経BPなどの専門誌やWeb雑誌での連載、記事企画協力などを行う。PDAからサーバーまでの技術解説や入門からシステム構築まで「ゲームとアダルト」を除く幅広い分野をカバー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『ビジネスPCユーザーに伝授するNexus 7 2013 虎の巻』より」

略歴を見る限り、そんなことは書いていない。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイバーウォッチというのも、いささかダイバー離れ(?)した用語である。

ダイバーは、水中でダイバーウォッチはしない(してる人もいますけど)。

昨今は、皆、ダイビングコンピューター(ダイコン)をして潜る。

ダイバーウォッチというのは、たぶん、ダイバーじゃない人が、ダイバーに憧れて着けるか(ホントかあ?)、陸上でも、「俺は(私は)ダイバーだぞ!」と主張したい人が着けるもんだろう。

実際の役には立たない代物だな。

それとも、単に、ダイコンとダイバーズウォッチを取り違えているだけなんだろうか。

まあいい。

Gウォッチに戻ろう。

「本体の形は長方形で、厚みが1センチ近くあり、装着しているときには、ちょっと注意しないとあちこちに引っかかる感じがあります。」

「G Watchは、Androidのスマートフォンに表示される通知を表示してくれるため、スマートフォンを見ることなく、メールや電話、メッセンジャーなどの着信、Google Nowの天気やスポーツ結果などの通知結果を表示してくれます。」

「音声認識によるコマンドの実行は、スマートフォン側のGoogle Nowなどが持つ機能を使って音声認識を行い、コマンドとして認識できるものは、それに応じた処理を行い、コマンドでないと判断されるとインターネット検索が行われます。」

「LGのG Watchでは、Qualcomm社のSnapdragon 400を最大1.2GHzで動作させています。液晶は、1.65インチで解像度は280×280ドット。メインメモリは512メガバイトで、内蔵ストレージは4ギガバイトになっています。センサーとしては加速度計、コンパス、ジャイロスコープを装備しているほか、マイク入力があります。ただし、サウンド出力はなく、通知は基本的にはバイブレーターで行われます(オフにすることも可能です)。」

なんか、肝心の使用感とか書いてない。

「基本的にスマートウォッチに表示されるのは、アンドロイドの通知の情報などを簡略表示した「カード」です。」

「これをタッチパネルで画面をスクロールさせて見ていくという形になります。」

「また、カードは、右方向にフリックすることで消去することができます。」

「実際に使って見た感じ、一般的な通知は、この操作で問題ないのですが、Google Nowが表示する天気予報なども、同じように消えてしまいます。Google Nowの天気カードはしばらくすると再び表示されるのですが、いまのところ、消した直後にすぐ天気カードを再表示する機能はありません。」

「このあたりの操作性は、いまいちな感じがあります。スマートウォッチは、通知に関してスマートフォンを取り出す手間を省くもので、積極的に何かを見るのなら、スマートフォンを直接操作しろという感じなのでしょうか。」

うーん、なんか、いまいちだな(ホントに!)。

「音声コマンドとしてどのようなものがあるのかに関してのちゃんとしたドキュメントがなく、何が利用できて、どういう文章が認識可能なのかがはっきりしません。」

この辺りは、解説書が出るのを待つしかなかろう。

「さて、2~3日ほどつかってみた感じとしては、ユーザーインターフェースがもう少しこなれた感じになってほしいことと、対応アプリなどがまだまだ少ない感じがあります。」

対応アプリが少ないのは、仕方あるまい。

「スマートフォンは、パーソナルなデバイスなので、デスクトップマシンでの検索に比べると、個人的な機能のほうが優先されるべきで、該当する曲を持っているような場合、インターネット検索を行うのは間違った方向です。スマートフォンなどのパーソナルなデバイスで使うなら、保存してある音楽や自分の予定、連絡先などを優先して検索すべきです。」

「そういう意味では、まだ「未知数」的な部分があり、簡単に人にオススメできる状態ではないようです。」

まあ、そうだろうな。

ユーザーインターフェースを、アンドロイドに期待してはいけないのだ。

その意味では、アップルのアイウォッチに期待するところは大きい。

10月にも発表になるらしいが、UIについては、下手なものは出せない。

そんなことをすれば、アップルの命取りになりかねない。

くだらないアプリの本数を競っても仕方ない。

使えるアプリが、操作性良く動かせればいいのだ。

そして、スマホの時代は終わる。

時計(個計)がスマホの代わりになって、スマホの機能はクラウドの彼方に消えていく。

バッテリーの持ちとか、表示画面の貧弱さとかはあるだろうが、それこそ技術とデザインで何とかしてもらいたいもんだ。

高機能化し続けるスマホは、もういらない。

身に着けて、必要最小限の情報をタイムリーに提供してくれるガジェットの時代だ。

当分の間、スマホは通信用の中継器としての需要を賄うことになるだろうが、インフラが整備されれば個計だけでいい。

あらゆるところにネットワークのアンテナが張り巡らされて、省電力で通信できれば、バッテリーの持ちも良くなるだろうし。

逆に、詳しい情報を見たくなったら、スマホよりも大きい画面の方がいい。

そんな状況になれば、タブレットと個計の間で、スマホの肩身が狭くなっていくだろう。

そんな未来を思い描きつつ、使えないGウォッチの記事を読んだ。