傾向42014年08月21日 02:11

傾向4
傾向4


ナイジェリアについては、実数が少ないのと、感染源が特定されていて感染者に接触した人の特定もある程度行われているようなので(あくまで、ある程度・・・)、今回の分析(?)からは割愛する。

で、グラフは、4か国のトータルである。

感染初日は、もちろん2013年12月1日。

元ネタは、例によってここ。

(2014 West Africa Ebola virus outbreak:Timeline of the outbreak)
http://en.wikipedia.org/wiki/2014_West_Africa_Ebola_virus_outbreak#Timeline_of_the_outbreak

感染者を感染初日からの日数で割った数字を見ている。

あれほど特徴的だった国別の傾向が、見事に打ち消されてしまっているのがわかる。

ということは、この感染症が、地域的に移動していったということを示している。

ギニアから、リベリアへ、そして、シエラレオネへ。

ギニアに見られる複数回の沈静と再発は、リベリアやシエラレオネからの逆輸入かも知れない。

ギニアが流入を恐れて国境を閉鎖したというのは、妥当な措置だったといえるかもしれない。

戦略的には、つまり、広域的には、航空機を通じての世界への飛び火感染を防ぎ、戦術的には地域間の移動を制限して、封じ込めを図るというのは、まずい対応ではない。

通常なら、患者の治療と隔離が適切に行われ、地域内の感染が沈静化していくはずなのである。

隔離された患者が逃げ出すとか、隔離していた病院のマットレスが盗まれるとか、感染対策のプロであるはずの医療スタッフが感染し、院長や看護師が次々と死んで病院が閉鎖されるとか、杜撰な感染管理の医療機関自身が感染拡大の温床になるなどというのは、前代未聞、古今未曾有、想定の範囲を遥かに超えた、言語道断の事態である。

しかし、グラフをトータルで見ても、4月末から5月下旬にかけて、沈静化しつつあったように見えることは確かだ。

そこで押え切れなかったのは、実際には、感染が広域化して捕捉が遅れていたからであって、この間にも実態としての感染が起こっていたことは間違いない。

そのことを考えに入れると、3月以来の勢いは、ほぼ一貫して拡大しているということになる。

5月、6月の実績を無視して眺めてみると、4月から7月までが、綺麗なカーブで繋がっている(図の中の赤線)。

報告されなかった数字があることを伺わせる傾向だな。

その後の数字だって、怪しいもんだ。

しかし、このグラフを見るにつけ、浮沈子は、この地域の過酷な環境の中で、実績を把握しようとして奮闘した担当者のことを考えると、胸が痛む。

きっと、今だって、限られた資源の中で、最善を尽くしているのだと信じたい。

シエラレオネの数字(やたらと感染確定が多い)とか、怪しい要素はまだあるが、世界が注目する中で、真っ当な数字が出てくることを期待するしかない(といっても、たぶん、きっと、おそらく無理だろうなあ・・・)。

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