正念場2014年09月08日 02:51

正念場
正念場


スペースXで、アジアサット6が、上がった。

(スペース X、静止通信衛星「AsiaSat6」を打ち上げ)
http://response.jp/article/2014/09/07/231795.html

(SpaceX Falcon 9 v1.1 launches ASIASAT-6 mission)
http://www.nasaspaceflight.com/2014/09/spacex-falcon-9-asiasat-6-mission/

「8月5日のアジアサット8打ち上げに続き、当初はアジアサット 6も8月中に打ち上げを予定していた。しかし、8月22日にスペース X社の再使用型ロケット実験機『F9R』が打ち上げ試験中に異常を検知し、自己破壊した。F9Rと同型のエンジンを搭載するファルコン 9は安全確認のために8月26日に予定していたアジアサット 6の打ち上げを24時間延期した。さらに打ち上げは9月へと延期されていた。」

このブログを書いている時点では、スペースX社のページは更新されていない。

フェイスブックでは、打ち上げを報じている(画像はそのページから)。

最近は、みんなそうしているんだろうな。

まあいい。

予定では、この後、ISSミッションが今月行われるという。

ということは、例によって、1段目の再利用実験が行われるということだな。

期待しよう。

バチカン2014年09月08日 05:15

バチカン
バチカン


知らなかったが、バチカンラジオというのがあるんだそうだ。

(バチカン放送)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%B3%E6%94%BE%E9%80%81

「バチカン放送(バチカンほうそう、英語:Vatican Radio)は、世界で最も面積が小さい都市国家であるバチカン市国から放送されているカトリック系列の宗教ラジオ放送局(宗教放送)である。」

「バチカンおよびローマ市内向けのFM放送の他、世界各地に向けて短波放送を実施している。バチカンはカトリックの総本山であることから、カトリックに関連する番組を中心として、バチカンとその周辺を取り囲むイタリアの国勢・生活・文化・音楽関連の番組にも力を入れて放送している。」

このバチカンラジオのホームページ(英語版)にエボラの記事があった。

(UN issues international rescue call for Ebola outbreak)
http://en.radiovaticana.va/news/2014/09/06/un_issues_international_rescue_call_for_ebola_outbreak/1106016

このあいだ、フランシスコ教皇がお隣の韓国に行ったりしてたようだが、バチカンは、エボラ対策は何かしてるんだろうか?。

報道記事では、Ebola Crisis Centerの設置と、エボラとの戦いに6億ドルを必要としていることを淡々と報じている。

そういえば、ミサの手順を変えたという話があったな。

(スピード12)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/08/23/7419941

(西アフリカの大主教「エボラのために祈る主日を」 現地教会は予防のための教育も)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13909/20140822/ebola-sunday-church-education.htm

「サルフォ大主教は、聖職者たちが説教壇から教会員にエボラについて教え、注意を促すべきだと言う。また、聖餐式で一つの杯を分かち合うという伝統的な慣習を控えるようにという指示も出されている。「聖餐式は、聖体を聖別したワインに浸して頂くか、個別の小さなカップを使って行うのが最適」と大主教は言う。」

こんな記事もある。

(世界キリスト教情報 第1231信(2014.08.25))
http://www.kohara.ac/news/2014/08/25.html

「◎エボラ熱に慈善病院船も立ち往生
 【CJC=東京】エボラ出血熱の急激な流行で、慈善病院船団体『マーシー・シップス』(本部米テキサス州ガーデンバレー)も、同名の病院船(1万6500トン)の派遣を見合わせている。」

「今回の流行の最初、昨年12月に発症したギネア(ギニア?)への出航を4月に中止した。さらにベナンのコトヌー港へ10カ月間にわたり訪問する予定だったが、隣接のナイジェリアでも発症したため、出航を延期した。同船はカナリア諸島のドックに定期点検のため入っている。」

「ドナルド・スティーブンス総裁によると、診療のための設備や専門医も手配しているが、ウイルスによる症状への対応はされていない。「アフリカは常に優先順位の上位にあるが、乗組員の安全がとにかく最優先だ。未感染国への展開も含め、目下検討中」と言う。」

バチカンは、動いていない。

少なくとも、スペイン人の神父が死亡したという記事しか記憶にない。

(エボラ熱感染のスペイン人神父、マドリードの病院で死亡)
http://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2014/08/132218.php

「西アフリカのリベリアで宣教活動中にエボラ出血熱に感染し、スペインに帰国して治療を受けていたカトリック神父のミゲル・パハレス氏(75)が、マドリードの病院で死亡した。」

この話には、裏がある。

(残された尼僧、エボラ熱で死去=帰国のスペイン人神父の同僚-リベリア)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201408/2014080900362

「西アフリカのリベリアでエボラ出血熱に感染し、完全隔離の特別機で7日に帰国したスペイン人のミゲル・パハレス神父(75)と一緒に働いていたコンゴ人の尼僧が9日、エボラ出血熱によりリベリアの首都モンロビアの病院で死亡した。」

「神父や尼僧は慈善団体がリベリアで運営する病院に勤務。慈善団体は5日、スペイン政府に対し、神父のほか、コンゴ人やギニア人の尼僧をスペインに至急移送するよう要請した。」

「しかし、スペイン当局はスペイン人だけを避難させると回答し、神父とスペイン人の尼僧だけが7日、政府が用意した特別機で帰国した。」

この後、この病院の複数の関係者が死亡している。

シエラレオネは啓発活動に乗り出している。

(シエラレオネの諸教会、エボラ出血熱の危機に対応)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13900/20140821/churches-sierra-leone-ebola.htm

「同国の諸教会はこの病気とその予防、そしてエボラ出血熱の被害者についての意識を高めるプログラムを開始した。」

しかし、まあ、せいぜいそんなところだ。

フランシスコ教皇が、エボラについて語ったという記事は殆どない。

(教皇フランシスコの2014年4月6日の「お告げの祈り」のことば)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0103.htm

「ギニアと隣接諸国で増加しているエボラウイルスの犠牲者のためにも祈りたいと思います。主が、この伝染病の始まりと戦い、困難のうちにあるすべての人を介護し支援する努力を支えてくださいますように。」

せいぜい、こんなもんだ。

しかも、この日の説教の主題はラザロの復活ときた!。

(ラザロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD

「ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、ラザロが葬られてすでに4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。」

「ラザロの蘇生の奇跡は、人類全体の罪をキリストが救済し生に立ち返らせることの予兆として解釈されてきた。」

まあ、どうでもいいんですが。

エボラで死んだ人々が蘇ったら、バチカンを赦してくれるんだろうか。

10億人の信徒を率いる世界最大の宗教組織の総本山は、殆ど他人事であるな。

別に、ミサを特別にやってくれとか、徒手空拳でエボラに立ち向かってくれとかいうわけではない。

なんか、できることはないのかあ?。

フランシスコ教皇は、結び目のマリアという絵画をアルゼンチンにもたらしたという(オリジナルはドイツで、精巧な複製画を作成したらしい:画像参照)。

(Maria Knotenlöserin:ドイツ語)
http://de.wikipedia.org/wiki/Maria_Knotenl%C3%B6serin

すいません、わけわかなので、別のページを。

(「結び目を解く聖母マリア」って知っていますか?)
http://ameblo.jp/yututa1107/entry-11798782117.html

「キリスト教のなかでも、願い事がかなうように聖人に祈る「信心」があります。
「結び目を解く聖母マリア」は、うまくいかない人間関係や心の中のもやもやなど「もつれた問題を解きほぐす」願いを聞き入れてくださるといわれています。
右側の天使が聖母に差し出しているのは、結び目がたくさんあるひもです。
そのひもがマリアの手をとおると、結び目がきれいに解けています。
この信心は、教皇フランシスコによってアルゼンチンをはじめ世界へと広がっています。」

いや、解説よりも、このページに癒されるような気がするな。

浮沈子はひねくれものなので、マリアが結び目を作っているようにも見えるんだが、そうじゃないのかあ?。

悲壮感さえ漂うエボラの状況を、是非ともバチカンの力で解いて欲しいと思うんだが、やっぱ、アフリカって、遠いいんだろうか。

米軍2014年09月08日 09:32

米軍


米軍が動く。

(米軍、エボラ対策支援へ=感染拡大に危機感-オバマ大統領)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014090800017

「隔離棟など米軍が持つ資源を投入し、医療関係者による対策を支援する考えを明らかにした。」

なんだ、在庫処分かあ。

それよりも、オバマ大統領が口にしたこの一言が気になる。

「今努力しなければ、アフリカだけでなく世界の他の地域に感染が広がる。そうなればウイルスが突然変異し、感染しやすくなる可能性がある」

CDCの入れ知恵だろうが、2つの点で、米国の認識がハッキリしている。

一つは、放置すれば世界に広がるという点。

これは、まあ、想定内だ。

もう一つは、それとの因果関係の妥当性はともかく、ウイルスの突然変異による感染性の変化(強化)を懸念している点だ。

こっちの方が問題だなあ。

今のところ、人間に感染するエボラウイルスは、接触感染、せいぜい飛沫感染といわれている。

しかし、人間には感染せず、サルにだけ感染するタイプのエボラウイルスの中には、インフルエンザのように空気感染(飛沫核感染)するものがあることが分かっている。

((エボラ出血熱のワクチン、9月にも人間に投与実験 米国)
http://www.cnn.co.jp/world/35051775.html

「今年3月には、テキサス大学医学部の研究者グループに対しエボラの治療法として有望な3方法の研究深化を促すため計2600万ドルの資金援助を5年間にわたって実施することが決まった。このグループは、サルだけに感染する空気で運ばれるエボラウイルス株を見付けたトーマス・ガイズバート教授が率いている。」

しかもだ、今回のウイルスをトレースしている研究者によれば、結構なスピードで遺伝子変化が起きていることが突き止められている。

(エボラウイルスに急速な遺伝子変化、シエラレオネの研究が指摘)
http://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2014/08/133380_1.php

「シエラレオネでエボラ出血熱に感染した患者からサンプルを採取して行われた遺伝子研究によると、ウイルスがヒトからヒトへと感染する過程で300回以上の遺伝子変化が起きていたことが明らかになった。」

当面の心配は、有効とされているワクチンや治療薬が効かなくなってしまうんじゃないかということだが、最悪の事態として感染形態が変わってしまうと、ことは重大だ。

オバマ氏は、感染の広がりが先で、突然変異が後だと言っているが、これが逆になるということもあるんじゃないか。

今の変異の中で、飛沫核感染になり、そんでもって世界中にばら撒かれる、と。

「国家安全保障上の優先事項だ」

最優先事項でないことは確かなようだ(こっちは、イスラム国かあ?)。

しかし、オバマ氏の認識がどうあれ、在庫処分であれ、米軍が動くという点は、評価しなければならない。

物資の援助から始めて、人員の援助へと拡大してもらいたいものだ。

米国が動くということは重要な要素で、対抗上(?)フランスとか、黙って見ているわけにはいかなくなる(たぶん)。

中国が動くかどうかは微妙だが、各国の動きに弾みがつく可能性はある。

マーガレット・チャンがワシントンに行った効果はあったわけだ。

(エボラ熱死者1900人超える)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140904/k10014331201000.html

「WHOのチャン事務局長は3日、アメリカのワシントンで記者会見し、西アフリカでエボラウイルスに感染、または感染の疑いがある人は3500人に上り、死者の数は1900人を超えたことを明らかにしました。」

やるねえ!。

2009年のインフルエンザの時、レベル6を出した割には影響が少なかったと批判されているようだが、こういう時には頼りになるかも。

まあ、我が国が積極的に関与するかどうかは、中国以上に微妙ではある。

国連でPKOが組織されて、後方支援が求められれば、兵站部分を請け負うことになるかもしれない(それって、極めて重要ですが)。

バイオテロに対応する態勢があるのかどうかは知らないが、ちょっと期待できそうもないな。

ロシアは、クリミアコンゴ熱で、出血熱の対応経験もあるし、ウクライナ東部なんてチンケな権益はさっさと見限って、NATO軍と一緒になって駆けつければいいのに。

(ロシアでクリミア・コンゴ出血熱が発生)
https://www.forth.go.jp/keneki/fukuoka/201007211.pdf


(オバマ大統領、エボラ対応で米軍派遣の可能性に言及:追加)
http://www.cnn.co.jp/usa/35053445.html

ダイビングVS宗教2014年09月08日 21:47

ダイビングVS宗教


先月下旬頃から、PADIダイブマスターのマニュアルを読んでいる。

ナレッジ・レビューという、練習問題(?)をやらないと、次のステップに進めない。

(大分マスター?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/08/22/7419605

とりあえず、第8章までは読んで、ナレッジ・レビューを書いた。

第7章に、「ダイビングビジネスの焦点」という項目があって、ダイビングの本質的なことについて触れている。

人生を変える、とまで言っている。

まあ、人にもよるだろうが、大きな影響を受ける人はいるだろう。

そうでなければ、ダイビング業界などというものは成り立たない。

イルカと泳ぐと、人生観が変わると聞いた記憶もある。

浮沈子は泳いだ経験はないが、聞いたところによると、その人は別に変わらなかったそうだ。

それでも、水中世界を垣間見るというのは、陸上生物である人間にとっては非日常的経験であることは確かだ。

昨今は、メディアの発達で、映像で水中を見たり、水族館の大水槽で見たり、水中トンネルを潜って、あたかも水中にいるかのような感覚を味わうことも出来る。

しかし、浮沈子に言わせれば、それらの代替手段は、いささかインパクトに欠けるな。

初めてテニアンのタチョンガビーチでレギュレーターを咥えて水中で呼吸したときのことを、今でも忘れない。

おお、息が出来る!。

オ、オレは、水中で呼吸しているんだ!。

耳抜きに苦労して、ふと水面を見上げると、サヨリのような細長い魚が小さな群れを成して頭上を泳いでいくのが見え、背後の水面は、太陽の光を反射して(透過して?)キラキラと輝いていた。

シュノーケリングとは全く違う、新しい世界がそこに広がっていた。

クソ重いタンクを担ぎ、ウエットスーツで殆ど熱中症になりながら砂に足をめり込ませながら水際に行く。

浅瀬を歩き、水を被って頭を冷やし、器材を点検して水中に潜る。

中性浮力も何もあったもんじゃなかったが、何とか泳いで砂地まで辿り着き、耳抜きをして圧平衡がとれれば、そこは新世界だ。

浮沈子にとっては、確かに劇的な体験だったな。

その後、CCRを始めた時も、劇的だった。

PADIは、プロフェッショナルであるダイブマスターに対して、結構いろいろなことを要求している。

それは、PADIスタッフとしてのクオリティを管理するということなのだが、最も重要なのは、ダイバーの劇的体験をサポートすることなのだろうと、浮沈子は勝手に解釈している。

安全管理や、インストラクターのサポートなど、すべてのスキルや役割は、この劇的体験のサポートに尽きるだろう。

そして、そのためにプロフェッショナルを目指すということは、十分に人生を変えるということに値する。

ああ、逆でもいいんですが。

人生を変えたいから、ダイビングしたり、別の要因で人生が変わったから、仕方なくプロフェッショナルを目指したり・・・。

ガイドやインストラクションで飯を食っていくのは、楽ではない。

決して、人様にオススメできるような仕事ではない。

浮沈子が係わったダイビングのプロたちは、皆苦労しているのが分かる。

お客様相手の商売で、気は使うし、段取りや手配も面倒だ(だから、商売になるんですが)。

タンク運びなどの肉体労働もある。

水中では、講習の時はもちろん、認定ダイバーをガイドしている時にも、安全管理を徹底しなければならない。

一度、ダイビングの世界を知ってしまうと、そこに嵌ってしまうということはある。

プロフェッショナルを目指さなくても、スキルを向上させたり、安全管理上の理由から、体調に気を配ったりするようになる(人もいる・・・)。

プロになろうというなら、当然、自己管理能力が問われる。

自分のリスクマネジメントができていなければ、水中というヤバイ環境で、他人(お客様:これも、PADI語なのかあ?)の面倒なんか見られっこない。

ダイブマスターが水中で具合が悪くなってしまっては、示しがつかないだけでなく、その時潜っていた他のダイバーを危険に晒すことにもなりかねない。

うーん、やっぱ、浮沈子には向かないのかなあ・・・。

などということを考えつつ、マニュアルを読んでいて、エボラ関係の記事を追っていたら、こんなページに当たった。

(教皇フランシスコの2014年6月29日「お告げの祈り」のことば)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0131.htm

「キリストのことばとの出会いは、わたしたちの生活を完全に変えることができます。みことばを聞いたら、なすがままにこれまでの習慣を続けることなどできません。」

断っておくが、浮沈子は宗教を持たない。

だから、カトリックの信者ではないし、この話を引用して、勧誘しようとしているわけではない。

ということを前提とした上で、しかし、この言葉は心に響いた。

話の中身は、ペトロとパウロの改心(?)についてである。

2人とも、いわくつき(?)の人物なのだ。

(ペトロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD

「新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。シモン・ペトロ、ペテロ、ケファともいわれる。」

ケファ(石ころの意)は、イエスが付けたあだ名のようだ。

「ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。」

一番の高弟であったにも拘らず、ペテロはイエスを裏切る。

「イエスの受難においてペトロが逃走し、イエスを否認したことはすべての福音書に書かれている。」

(ペトロ物語(19)「ペトロとユダの違い」)
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/petoro19.htm

「ペトロは、「あなたもイエスの仲間であろう」と問われたとき、「あんな人は知らない」と、イエス様との関係を完全に否定することによって、イエス様を裏切りました。」

業界の人(キリスト教の信者)にとっては、当たり前の知識なんだろうが、浮沈子は、ユダが裏切り者という話しか知らなかった。

で、ここにも書いてあるように、ペトロは悔い改め、キリスト教の布教に力を尽くすことになる。

パウロは、イエスの死後に使徒となった。

(パウロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD

「初期キリスト教の理論家であり、新約聖書の著者の一人。キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロとも呼ばれる。」

「熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。」

「ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。」

なんか、作り話っぽいな。

いずれにしても、2人とも、すんなりと使徒になったわけではない。

フランシスコ教皇の説教は、これらを踏まえて書かれている。

まあ、この説教の趣旨は、イエスの言葉に従いましょうということなのだが。

こんな記事も見つけた。

(教皇フランシスコ、8月31日「お告げの祈り」でのことば)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0147.htm

「あなたがたはこの世にならってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神のみ心であるか……わきまえるようになりなさい」

「実際、わたしたちキリスト者は、現代の社会的、文化的背景を完全に反映した世界で生活し、順応しています。しかしそれにより、わたしたちが「世俗的」になる恐れがあります。「塩に塩気がなくなる」危険があります。」

「福音の力がキリスト者の中にまだ残っているのなら、キリスト者は「人間の判断基準、価値観、関心の的、思想傾向、インスピレーションの源、生活様式」を変えることができます。」

(ち‐の‐しお〔‐しほ〕【地の塩】)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/142144/m0u/

「イエス=キリストの教え。神を信じる者は、腐敗を防ぐ塩のように、社会・人心の純化の模範であれとの意。模範や手本のたとえ。」

かつて、ヤニを喰らい、浴びるように酒を飲み、大食し、醜く太りかえってしまった浮沈子は、とても「地の塩」とはいえないな。

それまでの生活習慣を変え、ライフスタイルとしてのダイバーとして生きようと考えている浮沈子だが、残念ながら御心に適っているとはとてもいえない。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイブマスターになるというのは、インストラクターになるための通過儀礼で、さっさと取ってしまって、早いとこIDCを受けようなどと考えていたのだが、これは、とんでもない思い違いである。

悔い改めて(食い改め、ではない!)、しっかりとマスタリーしなければならない。

さて、飯でも食いに行くか・・・。