サクラ前線2015年03月22日 18:49

サクラ前線


(桜前線)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%89%8D%E7%B7%9A

「桜前線(さくらぜんせん)は、日本各地の桜(主にソメイヨシノ)の開花予想日を結んだ線のことである。「桜前線」という言葉はマスメディアによる造語で、1967年(昭和42年)頃から用いられている。」

「3月初めから気象庁が発表する「さくらの開花予想」の中にて示されていた。「桜前線」はマスコミによる造語であり、気象庁の公式用語ではない。気象庁の資料では、さくらの開花予想の等期日線図といっていた。」

まあ、どうでもいいんですが。

(鹿児島 名古屋 熊本でサクラ開花相次ぐ)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150321/k10010023651000.html

「気象庁は21日、鹿児島市と名古屋市、それに熊本市で「サクラが開花した」と発表しました。これから来週にかけては、西日本や東日本の太平洋側の各地でサクラが開花する見込みです。

(静岡でサクラ開花 去年より2日早く)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150322/k10010024131000.html

「静岡地方気象台は22日、静岡市でサクラが開花したと発表しました。静岡市のサクラの開花は去年より2日早く、ほぼ平年並みだということです。」

(ソメイヨシノ各地で開花 東京も開花目前)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000046855.html

「いよいよ桜の季節がやってきました。続々と開花の便りが届いています。21日に続いて、22日は福岡や静岡などでソメイヨシノが開花し、東京も開花目前です。」

そんなポカポカと暖かい日差しの中、愚弟と03ボクスターの屋根を開け放って、多摩川沿いの道を走る。

暑いくらいだ。

春本番の暖かさ。

春分の日も越えた。

曇りとか雨の日が多かったので、久々の日差しだったような気もする。

何より、風が冷たくないのがいいな。

夕方になると、さすがに気温が下がって屋根を閉めたが、それでも窓は開けていた。

オープンカーの季節、空を見上げれば、霞がかったパステルカラーの色合い・・・(PM2.5のせいかあ?)。

昨日は、体調が優れずにドライブできなかった分、今日は存分に走りを楽しむ。

駐車場に収めて、破れたカバーを掛ける(前回、仕舞うときに「ビリッ」っといってしまった:調達依頼中)。

986ボクスターの純正カバーは、本国でも在庫切れだという。

早いとこ、調達してやらねば・・・。

バベルの塔2015年03月22日 22:45

バベルの塔


(バベルの塔)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94

「旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。」

「全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。」

「そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。」

「そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。」

「主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。」

「主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。」

浮沈子は、敬虔な無神論者(?)なので、「主」といわれている人(?)は、随分と意地悪なんだなあと、単純に考えている。

旧約聖書の記述には、主が怒ったからとか、バベルの塔が破壊されたとかは、一切書かれていない。

別の文献には、そのようなことが書かれているともある。

後知恵だな・・・。

(ローマ法王:原発は「バベルの塔」 現代文明のひずみ指摘)
http://mainichi.jp/select/news/20150322k0000m030132000c.html

「フランシスコ・ローマ法王は・・・人間のおごりと現代文明のひずみの一例として原発の開発に警鐘を鳴らした。」

「法王は「人間は神の定めた自然のおきてに逆らってはいけない」と指摘。」

「原発を旧約聖書の「バベルの塔」になぞらえ「天に届く塔を造ろうとして、自らの破滅を招こうとしている」と表現し、「人間が主人公になって自然を破壊した結果の一つ」と述べたという。」

バチカンが、原発事故を念頭に置いて発言するのは、これが初めてではない。

(ローマ法王、科学技術の過信に警鐘 自然災害に言及)
http://www.afpbb.com/articles/-/2796089?pid=7101888

「ローマ法王ベネディクト16世は17日、・・・「科学技術を超越した神の顔を追い求めよ」と信者らを戒めた。」

「われわれにはまだ限界もある。この数か月、人類に多大な苦しみをもたらした大災害についても、考えなければならない」

2011年4月の記事である。

もちろん、大災害というのは、東日本大震災とそれに引き続いて起こった福島第一原子力発電所の事故以外にはない。

バチカンは、科学技術を認める一方で、人間がそれにのめりこんで、神様のことを思わなくなることを恐れている。

バベルの塔の物語は、概ねこの文脈の中で語られている。

フランシスコ教皇が今回使ったのも、原発反対とかいう卑近な(?)話としてではなく、人間の驕りに対する戒めとして語っているような気がする。

しかし、原発は神の定めた自然のおきてに従ったものであり、人間が享受して良いものなのではないか。

電子が持つ化学エネルギー(石油燃やすとか)は良くて、原子核エネルギーはダメというのは、ちょっとね。

そんなこといったら、太陽エネルギーだって核融合エネルギーなわけだから、きっとこれもダメということになるんだろう。

もちろん、光合成によって得られたでんぷんから作られたパンや、ブドウの絞り汁から作ったぶどう酒なんかもダメということになり、最後の晩餐もパーだ。

どこで折り合いをつけるかというのは、宗教にとっても悩みの種である。

このあいだ、ようやく地動説を認めたばかりなので、あと400年位すれば原発も認めてもらえるようになるかもしれないな。

(ローマ法王、地動説初めて認める ベネディクト16世)
http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008122201000809.html

「天文学の父、ガリレオ・ガリレイについて「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」と述べ、同16世として初めてガリレオの地動説を公式に認めた。」

「法王は「ガリレオは神の業と自然の法則をわれわれに教えてくれた」と強調した。」

うーん、このくらいの図太さがないと、宗教なんてやってられないんだろう。

旧約聖書の記述では、バベルの塔は建設半ばで放棄されてしまったが、原発の方は事故ったまま放置するわけにはいかない。

ミュー粒子とか、ロボット使って調査して、何とか解体しなければならない。

まあ、聖書の方も、この後、もう一回洪水起こせばチャラに出来たものを・・・(バベルの塔の物語は、ノアの洪水の後にでてくるという)。

「彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。」

この辺は、現代人にはぴんと来ないが、きっと当時のハイテクなんだろうな。

真空管の代わりに超LSIを、鉄板の代わりに炭素繊維強化プラスチックを用いた、というところか。

まあ、どうでもいいんですが。

要するに、人間の技術が未熟なのである。

レンガとアスファルトで高層建築しようとするから、「主」に意地悪されるわけだな。

多少データを改竄してても、免振ゴムとか使ったハイテク高層建築なら、認めてもらえたかもしれない。

(免震装置 疑いに気付いたあと12棟に納入)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150317/k10010018761000.html

21世紀になっても、人間って、懲りないんだなあ・・・。