Sクラスと闇 ― 2015年03月23日 20:32
Sクラスと闇
久々に、「午前零時の自動車評論」を手に取る。
(午前零時の自動車評論 8)
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106482857/
「目次:
ゴルフGTI今昔物語
困った話
ドイツ車の心を読書で知る
知られざる究極
Sに見た闇
狼の謎
Wの悲劇
Fly me to the moon
21世紀の電脳構図」
「Sに見た闇」の章を読んで、深く考えさせられた。
このシリーズは、欠かさず買っている。
浮沈子的には、著者の見解に必ずしも同意できない点はあるのだが、それはそれとして、クルマに対するブレない視線という点では、読んでいて気持ちがいい。
その根底にあるのは、物理の法則と人間の感性を、とことん信じているという点だ。
だから、その両方をだまくらかそうとする「電制」こと電子制御については、なかなか手厳しい。
現代のクルマは、エンジンなんかは電子制御していないものはないといっていい。
完全に機械的に駆動されているエンジンなんてない。
そこは、さすがに諦めているんだろうが、電子制御サスペンションに対してはうるさい。
特に、ばねを柔らかくして、ショックアブソーバーを固めて、乗り心地と運動性を両立しようというアプローチに対しては、なかなか合格点を出さない。
ボディの剛性や作りに対しても、Sクラスが採用したアルミボディについて、完成度が低いと嘆いている。
そして、クルマの骨格に金を掛けずに、様々なオプション品に血道をあげ、売らんかなの姿勢を示すベンツ(ダイムラー)に対して、「アプリ屋になった」と指摘している。
浮沈子は、Sクラスに短時間試乗して、その出来の良さに感心しただけに、これらの指摘については認識を新たにした。
(Sクラス)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/11/22/7064786
「音も振動も、見事に消し去られていて、あらゆる摩擦感、ひっかかり、もっといえば、眉をひそめるようなことが一切ない、完璧な仕上がりであった。」
「いつもは滑らかだと思っている(500Eの)ハンドル操作や、アクセルに対するエンジンの反応、過不足ないブレーキが、最新のSクラスの新車(たぶん、出たばっかり)に乗った後に運転すると、ガサツに感じる。」
浮沈子は、現代の自動車が、ある意味でいくところまでいってしまって、ギミックやデザインや快適装備で競争しなければならない情況は、止むを得ないと考えている。
Sクラスを買う顧客にとって、リニアなハンドリングとか、きついコーナーを限界まで追い込んでいったときのサスペンションの特性なんて、どーでもいいのだ。
そこに拘る方は、少なくともSクラスをそんなことのために使うことはない。
あと2、3台、それ用のクルマを所有して、床まで踏んで攻めればいい。
ホテルの玄関でサマになり、A地点からB地点に快適・安全に移動できればそれで十分なのだ。
沢村氏としては、どうやらそれでは不満のようだ。
90年代半ばから、ベンツはトヨタを目指している。
最早、技術者が好きなように作ったクルマのコストに、儲けを載せて値札をつけると飛ぶように売れた時代、最善か、さもなくば無、といって憚らなかった時代ではない(最近、また言い出してますが)。
コストを削減し、値段に見合った満足を顧客に届けることでよしとする会社になったのである。
クルマ作りの基本は押さえた上で、付加価値を増大し、収益を最大化する健全な会社になった。
浮沈子は、それは仕方がないことだと諦めている。
クルマは商品であり、買ってくれる人がいて初めて作ることが出来る。
どんなに優れた商品を開発しても、適正な値段で買ってくれる人がいなければ意味はない。
Lセグメントの大衆車(?)であるSクラスの場合、その商品価値は、高そうに見えること、偉そうに見えること、安全・快適であることに尽きると浮沈子は考える。
ロールスロイスやベントレーに乗る方は、「普段乗り」として、Sクラスを所有されることがあるかもしれないが、高級車の中では「目立たない」というのも、重要な要素である。
それではちょっと物足りないという方へは、A8などもある。
(【試乗】アウディ 新型 A8 ・A8L[2014年モデル] 試乗レポート/大谷達也 (1/4))
http://autoc-one.jp/audi/a8/report-1703739/
アウディはちょっと、というブランド志向なら7シリーズだな。
しかし、BMWは個性はあってもプレステージ性は薄い(浮沈子の偏見かあ?)。
そこへいくと、Sクラスは、押しも押されぬスタンダードだ。
レクサスがどうのこうのといっても、世界共通言語ではない。
まあ、このレンジになると、好みの問題ともいうな。
どれでも、好きにしていい。
それより、浮沈子的に気になるのは、自動運転時代になったら自動車評論はどうなるんだろうということだ。
最早、ハンドリングとかアクセルへの反応なんて、語る意味はなくなる。
助手席とか、後席に乗って、ひたすら乗り心地や静粛性について語ることになるんだろう。
あるいは、カーステの音がいいとかなんとか・・・。
それこそ、Sクラスを突き詰めていった時に見えてくる闇のような気がするんだが・・・。
久々に、「午前零時の自動車評論」を手に取る。
(午前零時の自動車評論 8)
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106482857/
「目次:
ゴルフGTI今昔物語
困った話
ドイツ車の心を読書で知る
知られざる究極
Sに見た闇
狼の謎
Wの悲劇
Fly me to the moon
21世紀の電脳構図」
「Sに見た闇」の章を読んで、深く考えさせられた。
このシリーズは、欠かさず買っている。
浮沈子的には、著者の見解に必ずしも同意できない点はあるのだが、それはそれとして、クルマに対するブレない視線という点では、読んでいて気持ちがいい。
その根底にあるのは、物理の法則と人間の感性を、とことん信じているという点だ。
だから、その両方をだまくらかそうとする「電制」こと電子制御については、なかなか手厳しい。
現代のクルマは、エンジンなんかは電子制御していないものはないといっていい。
完全に機械的に駆動されているエンジンなんてない。
そこは、さすがに諦めているんだろうが、電子制御サスペンションに対してはうるさい。
特に、ばねを柔らかくして、ショックアブソーバーを固めて、乗り心地と運動性を両立しようというアプローチに対しては、なかなか合格点を出さない。
ボディの剛性や作りに対しても、Sクラスが採用したアルミボディについて、完成度が低いと嘆いている。
そして、クルマの骨格に金を掛けずに、様々なオプション品に血道をあげ、売らんかなの姿勢を示すベンツ(ダイムラー)に対して、「アプリ屋になった」と指摘している。
浮沈子は、Sクラスに短時間試乗して、その出来の良さに感心しただけに、これらの指摘については認識を新たにした。
(Sクラス)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/11/22/7064786
「音も振動も、見事に消し去られていて、あらゆる摩擦感、ひっかかり、もっといえば、眉をひそめるようなことが一切ない、完璧な仕上がりであった。」
「いつもは滑らかだと思っている(500Eの)ハンドル操作や、アクセルに対するエンジンの反応、過不足ないブレーキが、最新のSクラスの新車(たぶん、出たばっかり)に乗った後に運転すると、ガサツに感じる。」
浮沈子は、現代の自動車が、ある意味でいくところまでいってしまって、ギミックやデザインや快適装備で競争しなければならない情況は、止むを得ないと考えている。
Sクラスを買う顧客にとって、リニアなハンドリングとか、きついコーナーを限界まで追い込んでいったときのサスペンションの特性なんて、どーでもいいのだ。
そこに拘る方は、少なくともSクラスをそんなことのために使うことはない。
あと2、3台、それ用のクルマを所有して、床まで踏んで攻めればいい。
ホテルの玄関でサマになり、A地点からB地点に快適・安全に移動できればそれで十分なのだ。
沢村氏としては、どうやらそれでは不満のようだ。
90年代半ばから、ベンツはトヨタを目指している。
最早、技術者が好きなように作ったクルマのコストに、儲けを載せて値札をつけると飛ぶように売れた時代、最善か、さもなくば無、といって憚らなかった時代ではない(最近、また言い出してますが)。
コストを削減し、値段に見合った満足を顧客に届けることでよしとする会社になったのである。
クルマ作りの基本は押さえた上で、付加価値を増大し、収益を最大化する健全な会社になった。
浮沈子は、それは仕方がないことだと諦めている。
クルマは商品であり、買ってくれる人がいて初めて作ることが出来る。
どんなに優れた商品を開発しても、適正な値段で買ってくれる人がいなければ意味はない。
Lセグメントの大衆車(?)であるSクラスの場合、その商品価値は、高そうに見えること、偉そうに見えること、安全・快適であることに尽きると浮沈子は考える。
ロールスロイスやベントレーに乗る方は、「普段乗り」として、Sクラスを所有されることがあるかもしれないが、高級車の中では「目立たない」というのも、重要な要素である。
それではちょっと物足りないという方へは、A8などもある。
(【試乗】アウディ 新型 A8 ・A8L[2014年モデル] 試乗レポート/大谷達也 (1/4))
http://autoc-one.jp/audi/a8/report-1703739/
アウディはちょっと、というブランド志向なら7シリーズだな。
しかし、BMWは個性はあってもプレステージ性は薄い(浮沈子の偏見かあ?)。
そこへいくと、Sクラスは、押しも押されぬスタンダードだ。
レクサスがどうのこうのといっても、世界共通言語ではない。
まあ、このレンジになると、好みの問題ともいうな。
どれでも、好きにしていい。
それより、浮沈子的に気になるのは、自動運転時代になったら自動車評論はどうなるんだろうということだ。
最早、ハンドリングとかアクセルへの反応なんて、語る意味はなくなる。
助手席とか、後席に乗って、ひたすら乗り心地や静粛性について語ることになるんだろう。
あるいは、カーステの音がいいとかなんとか・・・。
それこそ、Sクラスを突き詰めていった時に見えてくる闇のような気がするんだが・・・。
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