ドイツ車 ― 2015年03月24日 19:59
ドイツ車
午前零時の自動車評論8を読み進めている。
順番どおりに読んでいないので、目次と前後する。
今日は、以下の2章を読んだ。
・困った話
・ドイツ車の心を読書で知る
5ナンバーミニバンについて書かれた「困った話」は、こういうクルマに関心がない浮沈子にも、結構面白かった。
まあ、買わんけどな。
ドイツ車の、というより、ドイツ人の性格というか国民性について成書から引用している記事は、なかなか興味深かった。
不器用だから良い道具が生まれるとか、イタリア人は微分でドイツ人は積分だという辺りは、当っているような気がする。
過剰品質については、もう少し掘り下げて欲しかったな。
道具や乗り物について、頑丈さを求める気風を、佐貫氏は「体質的」といい、沢村氏は「本能」だという。
そうなのかもしれないが、浮沈子は、人間が作り出す物への思い入れが違うのではないかと考えている。
というか、命にかかわるそれらの物への拘りを徹底することによって、ドイツ人は生きてきたのではないか。
浮沈子は、たまたま3台のドイツ車を所有しているが、ちゃらちゃらしたところは微塵もない。
贅沢というのではない。
コストを削るところは、徹底して削減している。
500Eでは、さほど感じることはないが、ポルシェにいたっては、ハッキリしている。
何度も書いているが、03ボクスターのウインカーレバーは、軽自動車以下だ。
内装もショボイ。
その代わり、走りの基本の部分では、高い水準を保っている。
各車とも、高い運動負荷を想定しているので、車体性能が高いのは当然だが、これでもかという剛性感や過剰な品質を肌で感じる。
ペナペナしたところは、一切ない。
技術的なことは良くわからないが、車体の振動とか、サスペンションの動きとかについては、国産車とは明らかな相違がある。
もう、同じクルマではない。
まあ、レクサス辺りになると、この辺も考慮されているのだろうが、並の国産車とは一線を画している。
そして、長年乗ってどーよ?、ということになると、もう、比較の対象ではないな。
道具としてのクルマは、新しい方が良くて、6年乗ったら下取りにして買い換えていくというのが当たり前になっていて、20年も30年も乗り続けるというのは本来の姿ではないというのが国産車の実態だ。
いや、国産に限らず、世界の大衆車の実態だろう。
それは、それで仕方がないのかもしれないし、そのことで文句を言っても始まらない。
昔読んだ福野礼一郎の記事で、ベンツの過剰品質をエジプトのピラミッドに例えたくだりがあったように記憶している。
そりゃあ、500Eだって、ピラミッドには敵わないが、命預けて走る上で感じる安心感の例えとしては、分かるような気もする。
アットーテキな品質、過剰なまでの剛性感。
人間が運転する自動車は、必ず事故を起こす。
自動車の設計は、その際に乗員を保護することが前提になっていなければならない。
100kmで走ることを前提とするのか、200kmで走ることを前提とするのかによって、その基準は大きく変わってくるだろうが、それをギリギリでクリアしてコストを削減し、チャラ装備に向けるのか、余裕でクリアして安全性を高めるのかは選択の問題だ(最近のベンツは、チャラ装備優先ですが)。
最近の車は、クルマ自体が壊れることで、相手のクルマとか歩行者を保護するようになってきた。
もちろん、乗員の乗る部分は強固に作っているが、前後の張り出しについては、ヤワになっている。
そうなる前に設計されたW124の車体が与える剛性感や、スポーツカーとして成立しているポルシェのボディは、今の車と比較しても、高いレベルにあると感じる。
もう、こういうクルマは作られないんだろう。
省エネ軽量化とか、クラッシャブルボディでは、あの感じは出ないに違いない。
そりゃあ、戦車じゃないんだから、サンルーフ開けた500Eとか、オープンのポルシェで、分かったようなことをいってもはじまらない。
しかし、それでも我が国で乗るには、確かに過剰なクルマだ。
BMWとかVWをそれなりに走らせたことはないので、ドイツ車全般について同じかどうかは分からない。
「困った話」の中で、トヨタの凄いところは、クルマ作りのレベルの見切りだという話が出てくる。
世界中の車が、同じような考え方で作られるようになり、世界中がトヨタ車(あるいは、同じようなクルマ)で溢れかえっていても、ドイツ車はどこか違っていて欲しい。
もっとも、ヨーロッパ市場で売られている日本車は、きちんとローカライズされていて、国内販売のクルマとは出来が違うという話もある。
適正な市場が形成されているということだな。
そういう意味では、その国で走っているクルマを見れば、国民性が分かるのかもしれない。
100kmで走る国で走っているクルマは、100年経っても変わらないだろう・・・。
午前零時の自動車評論8を読み進めている。
順番どおりに読んでいないので、目次と前後する。
今日は、以下の2章を読んだ。
・困った話
・ドイツ車の心を読書で知る
5ナンバーミニバンについて書かれた「困った話」は、こういうクルマに関心がない浮沈子にも、結構面白かった。
まあ、買わんけどな。
ドイツ車の、というより、ドイツ人の性格というか国民性について成書から引用している記事は、なかなか興味深かった。
不器用だから良い道具が生まれるとか、イタリア人は微分でドイツ人は積分だという辺りは、当っているような気がする。
過剰品質については、もう少し掘り下げて欲しかったな。
道具や乗り物について、頑丈さを求める気風を、佐貫氏は「体質的」といい、沢村氏は「本能」だという。
そうなのかもしれないが、浮沈子は、人間が作り出す物への思い入れが違うのではないかと考えている。
というか、命にかかわるそれらの物への拘りを徹底することによって、ドイツ人は生きてきたのではないか。
浮沈子は、たまたま3台のドイツ車を所有しているが、ちゃらちゃらしたところは微塵もない。
贅沢というのではない。
コストを削るところは、徹底して削減している。
500Eでは、さほど感じることはないが、ポルシェにいたっては、ハッキリしている。
何度も書いているが、03ボクスターのウインカーレバーは、軽自動車以下だ。
内装もショボイ。
その代わり、走りの基本の部分では、高い水準を保っている。
各車とも、高い運動負荷を想定しているので、車体性能が高いのは当然だが、これでもかという剛性感や過剰な品質を肌で感じる。
ペナペナしたところは、一切ない。
技術的なことは良くわからないが、車体の振動とか、サスペンションの動きとかについては、国産車とは明らかな相違がある。
もう、同じクルマではない。
まあ、レクサス辺りになると、この辺も考慮されているのだろうが、並の国産車とは一線を画している。
そして、長年乗ってどーよ?、ということになると、もう、比較の対象ではないな。
道具としてのクルマは、新しい方が良くて、6年乗ったら下取りにして買い換えていくというのが当たり前になっていて、20年も30年も乗り続けるというのは本来の姿ではないというのが国産車の実態だ。
いや、国産に限らず、世界の大衆車の実態だろう。
それは、それで仕方がないのかもしれないし、そのことで文句を言っても始まらない。
昔読んだ福野礼一郎の記事で、ベンツの過剰品質をエジプトのピラミッドに例えたくだりがあったように記憶している。
そりゃあ、500Eだって、ピラミッドには敵わないが、命預けて走る上で感じる安心感の例えとしては、分かるような気もする。
アットーテキな品質、過剰なまでの剛性感。
人間が運転する自動車は、必ず事故を起こす。
自動車の設計は、その際に乗員を保護することが前提になっていなければならない。
100kmで走ることを前提とするのか、200kmで走ることを前提とするのかによって、その基準は大きく変わってくるだろうが、それをギリギリでクリアしてコストを削減し、チャラ装備に向けるのか、余裕でクリアして安全性を高めるのかは選択の問題だ(最近のベンツは、チャラ装備優先ですが)。
最近の車は、クルマ自体が壊れることで、相手のクルマとか歩行者を保護するようになってきた。
もちろん、乗員の乗る部分は強固に作っているが、前後の張り出しについては、ヤワになっている。
そうなる前に設計されたW124の車体が与える剛性感や、スポーツカーとして成立しているポルシェのボディは、今の車と比較しても、高いレベルにあると感じる。
もう、こういうクルマは作られないんだろう。
省エネ軽量化とか、クラッシャブルボディでは、あの感じは出ないに違いない。
そりゃあ、戦車じゃないんだから、サンルーフ開けた500Eとか、オープンのポルシェで、分かったようなことをいってもはじまらない。
しかし、それでも我が国で乗るには、確かに過剰なクルマだ。
BMWとかVWをそれなりに走らせたことはないので、ドイツ車全般について同じかどうかは分からない。
「困った話」の中で、トヨタの凄いところは、クルマ作りのレベルの見切りだという話が出てくる。
世界中の車が、同じような考え方で作られるようになり、世界中がトヨタ車(あるいは、同じようなクルマ)で溢れかえっていても、ドイツ車はどこか違っていて欲しい。
もっとも、ヨーロッパ市場で売られている日本車は、きちんとローカライズされていて、国内販売のクルマとは出来が違うという話もある。
適正な市場が形成されているということだな。
そういう意味では、その国で走っているクルマを見れば、国民性が分かるのかもしれない。
100kmで走る国で走っているクルマは、100年経っても変わらないだろう・・・。
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