地上高2015年04月12日 02:12

地上高
地上高


ちょっとショックな記述があったので、ここに記しておく。

「ボクスターは、クランク中心の地上高が30cmを超えようという高さになってしまったのだ。」

「これは、巨大なウエットサンプを抱える乗用車なみの平凡な数字である。」

もうすぐ(たぶん)読み終わる沢村慎太郎著、スーパーカー誕生の691ページに書いてある。

この項は、ポルシェ911ターボがメインの話題なのだが、996を語る上でボクスターの登場は必然である。

986ボクスターと996が同時に開発されたということと、そのためにフロントのデザインだけではなく、リア、しかもエンジン搭載高が高くなってしまったというのは、ホントかな?、と思わないでもない。

同じエンジンを前後入れ替えてMRとRRにしたわけだから、その手の話はあるのかもしれないが、それが事実なら、現在の981・991も同じであるはずだ(未確認)。

996型GT3や996型ターボは、空冷ブロックを使った専用設計(997型も同じ)だったので、その辺りは対策されていたのかもしれない。

クランクシャフトの地上高なんて、考えたこともなかったな。

それにしたって、水平対向エンジンなんだから、エンジンの重心自体は低いだろう。

フロントに5リッターのV8を積む500Eよりも、03ボクスターの方が高いなんてことになったら、舌噛んで死んでやる!(まあまあ・・・)。

(ボクスター エンジン改造計画 その1♪:追加)
http://kyutey.exblog.jp/16812269/

(A460 W124 500E 119 エンジン本体:追加)
http://www.moshipon.net/yahooauction/index.php?cg_id=2084199242&item_code=j300531668

誤解を招かないように断っておくが、沢村氏は、911ターボ(930時代を含めて)をスーパーカーだといっているわけではない。

フェラーリを仮想敵として、それを凌駕すべく作られた刺客(スーパーカーキラー)として捉えているのだ。

何ともまあ、ポルシェ冥利に尽きる視点であるな。

だから、2座MRオープンというファンな仕立てのボクスターが、「プロムナードカー」(短距離を気楽に乗るクルマの意味か?:対語はGT(グランドツーリング)カー?)だとか、「格下」(911の)だとか、クソミソに書かれていても、浮沈子は許す。

プロムナードカーについては、こんなふうに説明している。

「スポーティーなルックスと走りの感触を備えつつも、ピュアスポーツをストイックに目指したりしないクルマ」

「例えばメルセデスSLのようなもの」

ちょっと待ってくれ!。

(4代目 R129(1989年-2001年))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84_SL%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9#4.E4.BB.A3.E7.9B.AE_R129.EF.BC.881989.E5.B9.B4-2001.E5.B9.B4.EF.BC.89

「「SL73 AMG」を追加。このモデルはSLクラス史上最も強力な自然吸気エンジンであるAMG製の7.3L V12を搭載する。」

V12気筒で7.3リッターのモンスターエンジンを搭載したコンプリートカーまで出現したモデルだ。

浮沈子が足代わりにしている500Eは、このR129のフロントを移植したといわれている。

それも、あろうことか、ポルシェの手による設計・生産だった。

これを、プロムナードカーといわれてもなあ・・・。

ちょっと納得できない。

SLKだったら、分からないでもないんだが。

(初代(1996年-2004年)R170)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84_SLK%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9#.E5.88.9D.E4.BB.A3.EF.BC.881996.E5.B9.B4-2004.E5.B9.B4.EF.BC.89R170

「日本での価格は504-809万円(最終モデル)。」

価格帯的にも、ボクスターと比較して語るなら、こっちじゃないのかあ?。

まあいい。

この本には、914の話とかも出てくるが、あくまで傍流としての捉え方だ。

スーパーカーとは、凡百のクルマとは違う性能と、カッコをしていなければならない。

誰もがスーパーカーと認める、マクラーレンF1とか、ブガッティベイロンとか、そういう鬼面人を驚かすクルマでなくてはならない。

エンジン搭載高が高く、構成的には不評なテスタロッサだって、カッコは抜群だった(マイアミバイスの観過ぎかあ?)。

そこにいくと、確かに03ボクスターはショボイな。

スーパーカーでないことは間違いない。

1300kgという車重は、ライトウエイトともいい難い。

スポーツカーもどき、スポーツカーの雰囲気を味わう楽しいクルマ、ファンカーだろう。

しかし、痩せても枯れても、2座MRであり、車体構成としては悪くない。

ホイールベースも2400mm台に留まっている。

格下にされているのは、ポルシェの販売上の理由であって、素性が悪いわけではない。

フロントのトランクなんか潰してしまって、ロッド仕込んでダブルウィッシュボーンにして、屋根なんか取っ払って上屋軽くして(S660くらいの巻取り型で沢山!)、リアにマルチリンク奢って、強化した9000回転まで回る4リッターのエンジン(GT3RS用)ぶち込んで、車体がひしゃげる程パワー出したら、911なんて目じゃないと思うんだが(ブッ、は、鼻血が・・・)。

「なにしろ事実上同じパワートレインを使ってRRとミドシップを造り分けたのである。誰が考えても、ミドシップのボクスターのほうが走りの能力に優れて当然だった。廉価なモデルのほうが速くなってしまうのである。」

昔、巨人の星という漫画があって、元々右利きだった主人公が、頑固オヤジに矯正させられて左投手に仕立てられるという話である。

で、後年、その左肩を壊してしまうんだが、封印していた右肩を使ってカムバックする。

(星飛雄馬:その後(新・巨人の星~巨人のサムライ炎~それ以降))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%A3%9B%E9%9B%84%E9%A6%AC#.E3.81.9D.E3.81.AE.E5.BE.8C.EF.BC.88.E6.96.B0.E3.83.BB.E5.B7.A8.E4.BA.BA.E3.81.AE.E6.98.9F.EF.BD.9E.E5.B7.A8.E4.BA.BA.E3.81.AE.E3.82.B5.E3.83.A0.E3.83.A9.E3.82.A4.E7.82.8E.EF.BD.9E.E3.81.9D.E3.82.8C.E4.BB.A5.E9.99.8D.EF.BC.89

「失踪から数年後、『新・巨人の星』では当時低迷する“長嶋ジャイアンツ”の元に当初は代打・代走選手として、更に右腕投手として不死鳥のごとく甦り、復帰を果たす(背番号は長嶋茂雄現役時代の3番を引き継いでいる)。」

ポルシェは、左腕の911の命脈が尽きたら、いつでも(失踪しなくても!?)右腕の本格的なMRスポーツを出せる体制を敷いているのである(たぶん)。

10年に1度、定期的に台数限定でスーパーカーを作りながら(当然、MR)、フェラーリやランボルギーニだけがスーパーカーじゃないぞ、カレラGTや918スパイダーだって作れるんだぞ、と睨みを利かせている。

マクラーレンP1や、ラフェラーリも出てきて、今回のビンテージイヤー(2013年)は、大変なことになったが、次回(2023年ころかあ?)は、みんな電気自動車になってるんだろうな。

インホイールモーターで、もう、MRどころか4輪車でもなくなって、8輪車(!)とか12輪車(!!)とかで、全輪ステアでコーナーなんか、文字通り蟹走りするかもしれない(!!!)。

まあ、どうでもいいんですが。

くだらん記事を書く暇があれば、さっさと読み終えてしまったほうがいいんだが、読み終わるのがもったいなくて、今日なんか、少し読んでは本を置き、また少し読むということを繰り返している。

この本を読んでいると、イタリアに行きたくなってしまうな。

もちろん、モデナ界隈。

(モデナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%8A

「自動車メーカー・フェラーリの本拠地マラネッロは郊外(モデナ県下)にある。」

(ボローニャ県:経済・産業)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3%E7%9C%8C#.E7.B5.8C.E6.B8.88.E3.83.BB.E7.94.A3.E6.A5.AD

「サンターガタ・ボロニェーゼには、ランボルギーニの本社がある。なお、隣のモデナ県マラネッロにはフェラーリの本社がある。」

704ページには、スーパーカーの条件として、こんな記述がある。

「大排気量マルチシリンダー・エンジンをミドに置いて、・・・強烈な動的パフォーマンスを備えつつ、人をあっと驚かすメカニズムとビジュアルを備えること」

133ページの記述とは、ビミョーに異なるが、現代の名だたるスーパーカー(スーパースポーツ)にも通じる定義だ。

この定義には、もちろん911ターボは、入らない。

日産GT-Rもダメ!。

トヨタ2000GTや、メルセデス・ベンツ SLRマクラーレンも入れてもらえない。

著者も断っているが、この定義は、この本だけのものだ。

オーソライズされたスーパーカーの定義があるわけではない。

しかし、それでいいではないか。

100人いれば、100通りのスーパーカーがあっていい。

逆に、その大らかさが、高が自動車などという機械に、人をこれ程のめり込ませるのだ。

本書には、ベイロンまでしか書かれていない。

その後に登場している、ケーニグセグ・アゲイラや、パガーニ・ウアイラ、その他の超スーパーカーについては、第二巻を待つしかない。

いや、多分、それは書かないだろうな。

それは、他の人の仕事になるはずだ。

1960年代から登場したスーパーカーは、自動車の技術の進歩と密接に絡んでいて、その時代ならではのクルマが登場したのだ。

実際に市販されたクルマ以外に、如何に多くのクルマが試作だけに終わったり、図面だけで消えていったことか。

そういった、試行錯誤の時代は終わって、厳密なマーケティングや個別の需要(ワンオフとか)で作られるスーパーカーばっかりの昨今、沢村氏の筆を振るうような話は余りないのかもしれない。

しかも、現代のスーパーカーは、電子制御の塊なのだ。

金属と樹脂とガラスとゴムとで出来た工業製品。

人間が陸上を移動するという機能を、極限まで高めた機械。

肉体の延長としての道具であり、脳の司る行動様式の発露。

その、最も先鋭たるスーパーカー。

エンツォ・フェラーリや、フェルッチオ・ランボルギーニ達がいた世界・・・。

オイルの焼ける臭いや、油塗れの手、叩き出しのボディや、やすり掛けの世界は、もう過去のものだ。

コンピューターによる応力解析でデザインされたシャシーや、3次元CGで作られたボディ、電脳によってコントロールされたエンジンやサスペンションなど、そこに人間の物語は見えてこない。

いや、そんなことは、決してないだろう。

人間が求め、人間が作る以上、そこには必ずドラマがある。

人と人との葛藤があり、欲望と戦いの日々があるのだ。

それを丹念に追求し、掘り起こそうという努力が為されるならば、第二、第三の「スーパーカー誕生」が書かれるに違いない。

いや、違うな。

誕生ではない。

うーん、「スーパーカー変身(!)」かあ?。