AI講習その後 ― 2015年04月21日 23:08
AI講習その後
浮沈子のPADIアシスタントインストラクターの講習が続いている(
いつになったら終わることやら・・・)。
2回目の知識開発プレゼンテーションを実施(危うい合格・・・)、その後、2回目の限定水域プレゼンテーションも、なんとかクリア。
後は、前回コテンパンに落第したオープンウォーター講習プレゼンテーションのやり直しを行う予定。
限定水域プレゼンテーションの際に、ホバリングのスキルに問題があったので、今日は浮世の雑事の後、大井町のプールで自主練習。
その後、他の生徒さん(ダイブマスターコース受講中)が、柏崎さんからスキルチェックを受けているのをプールサイドから見学した。
うーん、人様にものを教えることの難しさと、教える側の一言で見事にクリアしていく魔術を実感する。
経験がものをいう場面だ。
あと、良く観察すること。
生徒さんが、どこで躓いているのか、何をどうすればクリアできるのかを注意深く見ることが大切だ。
言葉に出す前にやることが沢山あるわけだな。
それは、実際に教えているところを見るのが一番だ。
確かにセンスみたいなものはあるのだろうが、学習要素を細かくしていって、適用するスキルを一つ一つ見ていけば、ある程度は教えるテクニックに還元することができる。
そのプロセスを観察と経験で的確に行えば、魔術になる。
なーるほど・・・。
翻って、教えることを教わっている浮沈子は、要素に分解されたスキルをこなせないでいる。
うーん、習得以前の問題だな。
そこで、こうして見学したり、自主練習したりするわけだ。
教えることの難しさと、教えてできるようになる魔法を見る。
種を明かせば、人間の学習能力ということになる。
できるようになるのは、生徒さんが学習するからであって、基本的には教える方の力量ではない。
躓いているポイントを指摘して、壁を越えられるようにアドバイスするだけだ。
後は、繰り返し練習して、安定させていくことになる。
そこは、生徒さんによって差はあるかもしれないが、競争とかではないので、自分のペースで身に着ければいいだけだ。
PADI語でいうところの、マスタリーすればいい。
教える技術も、基本的には同じだろう。
インストラクションの品質管理上、木目細かく定められた事項を、漏れなく、順番に伝えて、さらに予想されるトラブルに備えて注意を与え、実施の際は的確に対応する。
それだけのことなのに、やはり本番に弱い浮沈子は、上がってしまって肝心のことを言い忘れたり、トラブルを見過ごしたりする。
余裕がないのだ。
それは、とりもなおさず、自分自身のスキルが出来ていないことと、教えるという立場に身をおいた経験がないということによる焦りだ。
早く上手く教えられるに越したことはないが、最初からそうはいかない。
慌てずに、良く観察して見落としなく行うことの方が、遠回りのように見えて、逆に近道なのだ。
まずは、基本に忠実に。
しかし、こんなに大変だとは思わなかったな。
ダイブマスターのトレーニングをしていたときは、自分自身のス
キルのことを考えていればよかったが、あの頃は気楽だった・・・。
教えるということは、当該スキルは出来て当然で、その10倍くらいの上手くいかないパターンを踏まえたうえで、どこをどう押すとどうなるという経験値を背景に、ピンポイントで助言できなければならない。
こんな小話を思い出した(記憶で書いているので、正確ではありません)。
「あるところに、非常に人気があるヘアドレッサーがいて、それを聞きつけた客が髪の毛を切ってもらったところ、ほんの数か所にハサミを入れただけで大層な金額を請求されたそうだ。」
「客が、これっぱかしのカットにしては高いのではないか、と文句を言ったところ、そのヘアドレッサー曰く・・・。」
「奥様、わたくしは切った髪の毛の量で料金をいただいているのではございません、残した髪の価値に対して対価を頂いているのでございます。」
まあ、どうでもいいんですが。
ああでもない、こうでもないと弄繰り回された揚句、生徒さんがわけが判らなくなるような教え方ではダメなんだろう。
教えることは、確かに難しい。
でも、だからこそ、それは楽しいのだ。
浮沈子のPADIアシスタントインストラクターの講習が続いている(
いつになったら終わることやら・・・)。
2回目の知識開発プレゼンテーションを実施(危うい合格・・・)、その後、2回目の限定水域プレゼンテーションも、なんとかクリア。
後は、前回コテンパンに落第したオープンウォーター講習プレゼンテーションのやり直しを行う予定。
限定水域プレゼンテーションの際に、ホバリングのスキルに問題があったので、今日は浮世の雑事の後、大井町のプールで自主練習。
その後、他の生徒さん(ダイブマスターコース受講中)が、柏崎さんからスキルチェックを受けているのをプールサイドから見学した。
うーん、人様にものを教えることの難しさと、教える側の一言で見事にクリアしていく魔術を実感する。
経験がものをいう場面だ。
あと、良く観察すること。
生徒さんが、どこで躓いているのか、何をどうすればクリアできるのかを注意深く見ることが大切だ。
言葉に出す前にやることが沢山あるわけだな。
それは、実際に教えているところを見るのが一番だ。
確かにセンスみたいなものはあるのだろうが、学習要素を細かくしていって、適用するスキルを一つ一つ見ていけば、ある程度は教えるテクニックに還元することができる。
そのプロセスを観察と経験で的確に行えば、魔術になる。
なーるほど・・・。
翻って、教えることを教わっている浮沈子は、要素に分解されたスキルをこなせないでいる。
うーん、習得以前の問題だな。
そこで、こうして見学したり、自主練習したりするわけだ。
教えることの難しさと、教えてできるようになる魔法を見る。
種を明かせば、人間の学習能力ということになる。
できるようになるのは、生徒さんが学習するからであって、基本的には教える方の力量ではない。
躓いているポイントを指摘して、壁を越えられるようにアドバイスするだけだ。
後は、繰り返し練習して、安定させていくことになる。
そこは、生徒さんによって差はあるかもしれないが、競争とかではないので、自分のペースで身に着ければいいだけだ。
PADI語でいうところの、マスタリーすればいい。
教える技術も、基本的には同じだろう。
インストラクションの品質管理上、木目細かく定められた事項を、漏れなく、順番に伝えて、さらに予想されるトラブルに備えて注意を与え、実施の際は的確に対応する。
それだけのことなのに、やはり本番に弱い浮沈子は、上がってしまって肝心のことを言い忘れたり、トラブルを見過ごしたりする。
余裕がないのだ。
それは、とりもなおさず、自分自身のスキルが出来ていないことと、教えるという立場に身をおいた経験がないということによる焦りだ。
早く上手く教えられるに越したことはないが、最初からそうはいかない。
慌てずに、良く観察して見落としなく行うことの方が、遠回りのように見えて、逆に近道なのだ。
まずは、基本に忠実に。
しかし、こんなに大変だとは思わなかったな。
ダイブマスターのトレーニングをしていたときは、自分自身のス
キルのことを考えていればよかったが、あの頃は気楽だった・・・。
教えるということは、当該スキルは出来て当然で、その10倍くらいの上手くいかないパターンを踏まえたうえで、どこをどう押すとどうなるという経験値を背景に、ピンポイントで助言できなければならない。
こんな小話を思い出した(記憶で書いているので、正確ではありません)。
「あるところに、非常に人気があるヘアドレッサーがいて、それを聞きつけた客が髪の毛を切ってもらったところ、ほんの数か所にハサミを入れただけで大層な金額を請求されたそうだ。」
「客が、これっぱかしのカットにしては高いのではないか、と文句を言ったところ、そのヘアドレッサー曰く・・・。」
「奥様、わたくしは切った髪の毛の量で料金をいただいているのではございません、残した髪の価値に対して対価を頂いているのでございます。」
まあ、どうでもいいんですが。
ああでもない、こうでもないと弄繰り回された揚句、生徒さんがわけが判らなくなるような教え方ではダメなんだろう。
教えることは、確かに難しい。
でも、だからこそ、それは楽しいのだ。
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