スピード632015年05月21日 04:41

スピード63


グアムから成田に着いた時に、機内アナウンスでは、3週間以内にギニアとシエラレオネに渡航した方は、申告するようにとあった。

リベリアは、しっかり除外されている。

まあ、42日間、新規の確定患者が出なかったということなんだろうが、性行為で感染したのは、さらに時間が経っての話らしい。

(エボラ回復の男性と性交渉、感染の可能性 WHOが見解)
http://www.asahi.com/articles/ASH591F0QH58UHBI03W.html

「WHOは、症状が出てから82日間たった後でも精液からエボラウイルスを分離することがあるとの研究事例を紹介。」

「回復後に血液からウイルスを検出しなくなった後かなり経過してからも、性交渉による感染拡大がありえるとした。」

「検査できない場合は少なくとも発症後半年間、男性がコンドームを正しく装着することを勧告した。」

半年くらいは、安心できないということか。

(Ebola Situation Report - 13 May 2015)
http://apps.who.int/ebola/en/current-situation/ebola-situation-report-13-may-2015

(Ebola Situation Report - 20 May 2015)
http://apps.who.int/ebola/en/current-situation/ebola-situation-report-20-may-2015

今見たら、20日付けのレポートも出ていたので、リンクを貼っておく。

もう、13日以降は、リベリアの新規データの棒グラフは出ていない。

ことは終わったのだ。

一応・・・。

このスピードシリーズも、そろそろケリをつけなければならないが、ギニアとシエラレオネが増え続けている以上、今回の流行は終息していない。

封じ込めに成功すれば、そのタイミングで一応打ち切りとしよう。

潜伏しているウイルスが、再び猛威を振るって、再燃する可能性はあるが、その際は新たな流行としてカウントされるのかも知れない。

現地は雨季に入っていて、支援の手が届きにくくなっているだろう。

疲弊した経済や、社会活動を軌道に乗せていかなければならない。

あと少しの時間が掛かると思われるが、それがどのくらいかを示すことは難しい。

散発的な感染の発生は、感染経路が遮断されていないことの証だ。

流行は下火になったが、エボラウイルスそのものは、弱毒性になったわけでもなければ、感染力が衰えたわけでもない。

(エボラウイルスは感染中も進化していくことが明らかに)
http://gigazine.net/news/20150520-ebola-genetic-diversity/

「今回の大流行においてもエボラウイルスの変異は「定常進化」にとどまっており、一部の科学者が懸念していた、大きな変質は見られなかったとしています。」

「エボラウイルスの生命力は尋常ではないため、ただちに大流行が終息したと結論づけるのは適当ではなく、今後も事態を注意深く見守っていく必要がありそうです。」

まあいい。

今回の流行が、未曾有の規模に膨れ上がった原因の一つが、現地の医療体制の貧弱さであったことは確かだ。

国際支援がタイムリーに行われていれば、亡くなったり苦しんだりした人々が、少なくて済んだであろうことも確かだ。

WHOの対応は、完全ではなかったが、浮沈子はよくやったと思っている。

後知恵は、いくらでも出てくるだろうが、それは今後に生かせばいい。

絶対的に医療資源が不足する中で、カンフル的な対応だけでは十分ではなかったわけだ。

西アフリカ地域だけでなく、世界には同じような環境があちこちにある。

我が国にいると、医療サービスは空気のようなもので、あって当たり前だが、そうでない地域は世界にはいくらもあるだろう。

感染症という観点からは、人間社会と隔絶していたウイルスが、人間の開発行為と共に広まり、航空機の発達で世界に広がり得るという新たなステージが見えてしまった。

幸い、飛び火感染でヤバかったのは、ナイジェリアだけで、他は今のところ、最小限の感染に押さえ込んでいる。

ナイジェリアで、リベリアのような大流行になったら、こんなもんじゃ済まなかったろう。

まだ終わったわけではないが、可能な限り早期に、今回の流行とその対応について総括する必要がある。

致死性が高く、人類にとって未知である新たな感染症は、今、この瞬間もその毒牙を研いでいるのだ。

いや、既に自然宿主を介して、人間社会に入り込んでいるかもしれない。

そしてある日、感染症レポートがWHOに届く。

原因不明の病気で、次々と死者が出ていると。

その日が来ないことを願いつつ、しかし、何時来ても対応出来るような仕組み作りが必要だ。

今のところ、今回のエボラは空気感染(飛沫核感染)はしていない。

しかし、ウイルスの変異によって、いつどうなるかは誰もわからない。

空気感染で致死性の高いウイルスが蔓延しだしたら、その時こそ人類の危機だ。

インフルエンザのように、瞬く間に世界中に広がり、だれもそれを押し留めることは出来ない。

亡くなった方や苦しまれた方、その家族や関係者には申し訳ないが、今回のエボラの流行はいい教訓になったはずだ。

いや、そうしなければならない。

それだけが、生き残った我々ができることだ。

これを書いている今、外では雷鳴が轟いている。

油断を戒めるかのように・・・。

エボラの季節は、もうすぐ終わりを迎えるだろう。

しかし、それは、新たな感染症の流行の始まりなのかもしれない。

沈船考2015年05月21日 18:50

沈船考
沈船考


浮沈子が沈船好きなのは、理屈はともかく、極めて情緒的な理由からだ。

人が作りしものが、しかも、物によっては、かなり巨大な構造物が、本来の姿を変えて永い眠りについている。

実際、水中で見ると、その巨大さに圧倒される。

ジンベイザメがでかいとか、クジラがでかいとか、そういうレベルではない。

中を泳ぐことができるほどデカイ!(もちろん、浮沈子は外の光が見える範囲ですが)。

今回潜ったのは、東海丸とコーモラン、アメリカンタンカー。

特に、コーモランは印象的だったな。

(SMS Cormoran (1909))
http://en.wikipedia.org/wiki/SMS_Cormoran_(1909)

1909年建造で、1917年に自沈している(1914年にコーモラン2と改名)。

画像は、後から沈んだ東海丸との接合部(左上が東海丸)。

多分、プロペラハブだと思うんだが(ここで水深30m)。

ということは、この下にプロペラブレードが落っこちてるというわけだ(絶対見に行く!)。

まあいい。

鋼鉄で出来た船は、あっけなく沈むな。

(鉄鉱石:鉄鉱石の形成)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%89%B1%E7%9F%B3#.E9.89.84.E9.89.B1.E7.9F.B3.E3.81.AE.E5.BD.A2.E6.88.90

「地球の誕生当時、・・・無酸素状態の酸素還元的な環境や酸性雨によって地表の鉄分は、鉄イオンとして大量に海水に溶解していた。」

「約22–27億年前に、・・・光合成生物が大量発生し酸素を吐き出したため大気中・海水中の酸素濃度が高まった。この酸素が海水中の鉄イオンと結びつき、それまで海水中に溶解していた鉄イオンを、酸化鉄 (Fe2O3) に変えた。酸化鉄は沈殿・堆積して、広大な赤鉄鉱の鉱床を形成した。」

「その後、造山運動により海底にあった鉱床は隆起し地上に押し上げられた。現在の主要な鉄鉱石鉱山はこのようにして形成された。」

地球誕生と光合成生物の産生した酸素がもたらした鉄。

それは、人の作りしものを経て、再び海に還っていく。

いろいろ事情はあったんだろうが、コーモランが浮かんでいた期間というのは、僅かに8年。

メンテナンスさえ怠らなければ、何百年も浮かんでいられるとはいえ、概ね100年未満で無事(?)スクラップになる。

事故や戦乱で沈む船も少なくない。

漁礁にするために、中をがらんどうにして沈めることもあるようだ。

もちろん、ダイビングスポットとして沈めることもある。

船を浮かばせておくことは大変な作業とコストが掛かるが、沈んでしまえば手間要らずだ(まあ、沈んだ場所にも寄りますが)。

鋼鉄の船は、沈船となって、初めて本来の姿に戻る。

宇宙船が宇宙を飛び、飛行機が空を舞うとか、物理の神様に喧嘩を売っているように、水より重い鋼鉄船もまた、水に浮かんでいるというのは異常である・・・。

もちろん、船は(潜水艦は別としても)浮かんでいるのが商売なので、人間の都合としては浮かんでいて欲しいが、鉄は水より重いので、穴が開けば沈んでしまうというのが神の摂理である。

航路を塞ぐなど、余程のことがなければ、海底に沈んだ船を引き揚げるということはない。

そこで静かに時を過ごし、神の御前にかしずくのだ。

ダイバーだけが、そんな彼女達を見に訪れる。

そのアットーテキな大きさ、重量感。

朽ち果てたものだけが持つ、無言の説得力。

この巨大なものを、石くれ(鉄鉱石)から作り上げた人の営みの偉大さと、いとも簡単に沈んでしまった愚かさ、神の御業の絶対的であることを見て、深くこうべを垂れるのだ。

幸いなことに、上田さんの話では、東海丸も含めて沈没に伴う犠牲者は居なかったそうである。

まあ、コーモランは自沈だしな。

(マリアナの沈没船)
http://www.outdoorjapan.com/magazine/story_details/342?language=japanese

「乗組員の一部は船とともに海へと沈んだ」

うーん、どっちなんだあ?。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイビングは、非日常の世界に身を置き、リラックスしてリクリエーションする娯楽だ。

沈んだ船を見に行くのに、ダイビングボートに乗っていくというのも何だが、本来浮かんでいるハズの巨大な船が、水底に横たわっているというのは、間違いなく日常とは隔絶した世界だ。

大いに気分転換になる。

ソフトコーラルが着き、サカナたちが群れる。

戦争でドンパチやらかしたり、魚雷で穴開けられたりと、水に浮いていた時にはろくなことは無かった。

水底に時を隔てて並んで沈み、生き物や、たまに見に来るダイバーの相手をしている今が、彼女たちにとっては一番幸せなのかもしれない。

人の営みの偉大さ、儚さの象徴。

沈船は、無言で何かを語りかけてくる。

その言葉に耳を傾けるために、浮沈子は、また彼女たちに会いに行くのだ・・・。