ペネトレーション ― 2016年04月19日 08:22
ペネトレーション
ヘルメットとハファダイの内部に入る。
インスピでは、入れる場所は限られるが、加藤さんの先導で、入れそうなところを選んで入る。
途中で、バックしなければならないところはなかったが、その練習もする。
CCRでのバックキックが出来るくらいに、トリムが取れてきたということだ。
集中して練習する効果を実感する。
といっても、コンフィギュレーションの変更による効果が大きい。
ダイバーのスキルの向上があったわけではない・・・。
まあいい。
3歩進んで、2歩下がるような状況だが、進まなければ下がる一方になる。
3年ぶりに再開した去年の12月の前回に比べれば、格段の進歩だが、インスピを中断した直前に比べれば、スキル的にはまだ戻っていないということになる。
次回には、減圧ダイビングを再開することになった。
久々の軽いペネトレーションだが、閉鎖空間内でのストレスは、あまり感じない。
外部からの光が差しているということもあるが、それよりも浮力やトリムのコントロールがシビアになる方がストレスだな。
開口部を出入りする際に、自分の幅の方が広いということも分かった。
高さは、今の器材では結構高い。
肩が通れば、抜けられることも分かった。
そういう車両感覚(?)を、もっと研ぎ澄ましていかなければならない。
とはいえ、浮沈子は、ペネトレーションには、あまり魅力を感じないんだがな。
1本差しのサイドマウントで、スキルの練習のために潜るのはいいかもしれないが、少なくともヘルメットやハファダイで、狭い通路を抜けるのは趣味じゃない。
浮力やトリムのコントロールの練習以外の何ものでもない。
1本目のヘルメットで、脛を切ってしまった。
ショップで消毒して、メンソレータムの液体絆創膏を塗っておく。
対策として、古いウエットスーツの膝上から脛までを切り取った、デイドリームオリジナルの膝当てをお借りする。
これが、なかなか具合がいい。
履いた時は、ずり落ちないか心配になるが、意外と平気だ。
ハファダイでは、むき出しの部分をあまり気にせずに潜れた(ブーツの上のところはカバーできていない)。
今後も、似たようなトレーニングが続くようなら、全身カバーのスーツを作ることも含めて考えよう。
安全停止もバッチリ50cm以内のブレに収まって、自己満足・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
ハイポジションの1.3での深度維持にも、だんだん慣れてくる。
相当意識していないと、回路から抜く量を間違える。
無意識でコントロールできるくらいにならないと、ホバリングは難しい。
実際の減圧ダイビングでは、フロートを上げてしまうんだろうが、今は練習中なのでペトレルとにらめっこである。
最終ダイビングを終えて、何の感慨も湧かない。
当たり前のようにエントリーし、当たり前のように潜り、当たり前のようにペネトレーションし、当たり前のように浮上し、当たり前のようにボートに上がる。
この6日間の集大成として、当たり前になったということが、考えてみればすごいことだ。
しかし・・・。
次回のファーストダイブでは、全然当たり前ではなく、ジタバタしながら再開することになるのだ。
それは分かっている。
分かっちゃいるけど、止められない・・・。
CCRって、やっぱ、面白いな・・・。
ヘルメットとハファダイの内部に入る。
インスピでは、入れる場所は限られるが、加藤さんの先導で、入れそうなところを選んで入る。
途中で、バックしなければならないところはなかったが、その練習もする。
CCRでのバックキックが出来るくらいに、トリムが取れてきたということだ。
集中して練習する効果を実感する。
といっても、コンフィギュレーションの変更による効果が大きい。
ダイバーのスキルの向上があったわけではない・・・。
まあいい。
3歩進んで、2歩下がるような状況だが、進まなければ下がる一方になる。
3年ぶりに再開した去年の12月の前回に比べれば、格段の進歩だが、インスピを中断した直前に比べれば、スキル的にはまだ戻っていないということになる。
次回には、減圧ダイビングを再開することになった。
久々の軽いペネトレーションだが、閉鎖空間内でのストレスは、あまり感じない。
外部からの光が差しているということもあるが、それよりも浮力やトリムのコントロールがシビアになる方がストレスだな。
開口部を出入りする際に、自分の幅の方が広いということも分かった。
高さは、今の器材では結構高い。
肩が通れば、抜けられることも分かった。
そういう車両感覚(?)を、もっと研ぎ澄ましていかなければならない。
とはいえ、浮沈子は、ペネトレーションには、あまり魅力を感じないんだがな。
1本差しのサイドマウントで、スキルの練習のために潜るのはいいかもしれないが、少なくともヘルメットやハファダイで、狭い通路を抜けるのは趣味じゃない。
浮力やトリムのコントロールの練習以外の何ものでもない。
1本目のヘルメットで、脛を切ってしまった。
ショップで消毒して、メンソレータムの液体絆創膏を塗っておく。
対策として、古いウエットスーツの膝上から脛までを切り取った、デイドリームオリジナルの膝当てをお借りする。
これが、なかなか具合がいい。
履いた時は、ずり落ちないか心配になるが、意外と平気だ。
ハファダイでは、むき出しの部分をあまり気にせずに潜れた(ブーツの上のところはカバーできていない)。
今後も、似たようなトレーニングが続くようなら、全身カバーのスーツを作ることも含めて考えよう。
安全停止もバッチリ50cm以内のブレに収まって、自己満足・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
ハイポジションの1.3での深度維持にも、だんだん慣れてくる。
相当意識していないと、回路から抜く量を間違える。
無意識でコントロールできるくらいにならないと、ホバリングは難しい。
実際の減圧ダイビングでは、フロートを上げてしまうんだろうが、今は練習中なのでペトレルとにらめっこである。
最終ダイビングを終えて、何の感慨も湧かない。
当たり前のようにエントリーし、当たり前のように潜り、当たり前のようにペネトレーションし、当たり前のように浮上し、当たり前のようにボートに上がる。
この6日間の集大成として、当たり前になったということが、考えてみればすごいことだ。
しかし・・・。
次回のファーストダイブでは、全然当たり前ではなく、ジタバタしながら再開することになるのだ。
それは分かっている。
分かっちゃいるけど、止められない・・・。
CCRって、やっぱ、面白いな・・・。
ヴィータ ― 2016年04月19日 09:22
ヴィータ
久しぶりのヴィータ。
味良し、サービス良し、雰囲気良し。
3拍子揃った、パラオ一押しのレストラン。
サーロインステーキ、コルドンブルー、牛タンのキノコ添えなど、オイシーメニュー・・・。
肉の味が違う。
もう、よそでは食えない・・・。
スタッフも、明るくって、寛げる。
上品な店なのだが、堅苦しさがない。
ここでは、オトナのマナーが求められるな。
大声で乾杯したりは似合わない。
夕日が沈むのを眺めながら、静かに飲み物を味わいつつ、美味しい料理を頂くのが似合う。
出来れば、二人っきりで・・・。
日が暮れて、夜のとばりが落ちてくれば、ちょっとお酒も進んで・・・。
ポンツーンのきしむ音(当然、海辺です)、周りのお客さんの静かな会話、スタッフは、飲み物が足りているか、気を使っているし、空いた皿は、適度に片づけてくれる。
押しつけがましくなく、かつ、行き届いたサービスというのは難しい。
注意して見ていると、ちゃんとリーダー格のスタッフがいて、若いスタッフの動きをコントロールしている。
その他に、支配人と思しき人物が、時々チラッと出てきては、全体の雰囲気をチェックしている。
マネージメントとは、そういうことだ。
スタッフ任せにしない。
でも、スタッフの能力を最大限引き出す。
前回と同じ、海に面したデッキ席だったが、建物との間には、引き戸のレールがあって、躓く恐れがある。
構造的に、そういう形を取らないのが一番だが、やむを得なかったのだろう。
アテンドするときに、必ず、注意を促される。
それも、しつこくない・・・。
ランチョンマット、シルバー置き、手荷物置き。
日本では当たり前の設えだが、どこかのレストランとは違う(どことはいいませんが)。
オリジナルメニューで気に入ったのは、バナナのベーコン巻。
軽いラー油仕立てで、ツマミには最適だな。
アパタイザーとして設定されているが、お勧めの一品。
きっと、他にも隠れた美味しいメニューがあるに違いない。
毎回、最終日にはここに来よう。
一連のダイビングを終わった後、無事を祝い、次回の構想を語るのに相応しい。
満足できる。
浮沈子が保証する。
ちなみに、お値段だが、男3人で、もう食えないというくらいしこたま飲み食いして、160ドルだ(10パーセントサービス料込)。
満足度を考えれば、格安である。
日本だと、たぶん3倍から4倍は覚悟だな。
鉄板のヴィータ。
浮沈子的には、余り宣伝したくない。
荒らされたくない。
大切にしたいお店だ・・・。
久しぶりのヴィータ。
味良し、サービス良し、雰囲気良し。
3拍子揃った、パラオ一押しのレストラン。
サーロインステーキ、コルドンブルー、牛タンのキノコ添えなど、オイシーメニュー・・・。
肉の味が違う。
もう、よそでは食えない・・・。
スタッフも、明るくって、寛げる。
上品な店なのだが、堅苦しさがない。
ここでは、オトナのマナーが求められるな。
大声で乾杯したりは似合わない。
夕日が沈むのを眺めながら、静かに飲み物を味わいつつ、美味しい料理を頂くのが似合う。
出来れば、二人っきりで・・・。
日が暮れて、夜のとばりが落ちてくれば、ちょっとお酒も進んで・・・。
ポンツーンのきしむ音(当然、海辺です)、周りのお客さんの静かな会話、スタッフは、飲み物が足りているか、気を使っているし、空いた皿は、適度に片づけてくれる。
押しつけがましくなく、かつ、行き届いたサービスというのは難しい。
注意して見ていると、ちゃんとリーダー格のスタッフがいて、若いスタッフの動きをコントロールしている。
その他に、支配人と思しき人物が、時々チラッと出てきては、全体の雰囲気をチェックしている。
マネージメントとは、そういうことだ。
スタッフ任せにしない。
でも、スタッフの能力を最大限引き出す。
前回と同じ、海に面したデッキ席だったが、建物との間には、引き戸のレールがあって、躓く恐れがある。
構造的に、そういう形を取らないのが一番だが、やむを得なかったのだろう。
アテンドするときに、必ず、注意を促される。
それも、しつこくない・・・。
ランチョンマット、シルバー置き、手荷物置き。
日本では当たり前の設えだが、どこかのレストランとは違う(どことはいいませんが)。
オリジナルメニューで気に入ったのは、バナナのベーコン巻。
軽いラー油仕立てで、ツマミには最適だな。
アパタイザーとして設定されているが、お勧めの一品。
きっと、他にも隠れた美味しいメニューがあるに違いない。
毎回、最終日にはここに来よう。
一連のダイビングを終わった後、無事を祝い、次回の構想を語るのに相応しい。
満足できる。
浮沈子が保証する。
ちなみに、お値段だが、男3人で、もう食えないというくらいしこたま飲み食いして、160ドルだ(10パーセントサービス料込)。
満足度を考えれば、格安である。
日本だと、たぶん3倍から4倍は覚悟だな。
鉄板のヴィータ。
浮沈子的には、余り宣伝したくない。
荒らされたくない。
大切にしたいお店だ・・・。
コロール ― 2016年04月19日 15:34
コロール
パラオの中心街、コロールの街並み。
といっても、歩いて回れる範囲だけど。
炎天下でなければ・・・。
アンテロープからクルマで送ってもらい、昼飯を食いに、町はずれに近い、アンティアスカフェで、11時からのランチ(早過ぎ?:昨夜食い過ぎたので、朝食抜きなんで、仕方ない)。
10ドル弱で、大盛り(←食い過ぎ)。
飲み物(リフィルのアイスティ)、ランチ(10種類以上)、デザート(本日は、自家製プリン)で、この値段。
カツカレーは、大盛りでも、カープレストランよりは少ない(あそこは、別格だけどな)。
腹いっぱいになって、WCTC前のスランゲルスというスーパーで、少し涼む。
チョコレート牛乳を75セントで買う。
で、加藤さんお勧めのコーヒーベリーで、ホットカフェラテのTallサイズで寛いだ。
ここで、サンドイッチのランチでも良かったかな。
落ち着ける感じだ。
ゆっくりとコーヒーを頂いた後、電話を借りて、アンテロープから向かいに来てもらって帰る。
満ち足りたお腹、ダイビングのストレスのない午後のひと時・・・。
催眠活性物質の「マドロミン」(微睡みン?)が大量に分泌されて、部屋のベッドの中で至福の時間を過ごす。
短時間の熟睡で、さわやか気分、その後食堂でうだうだする。
最終日をこうして過ごすのは、正解だな。
シュノーケリングとか、島内ツアーとかには興味ないので、丁度いい。
夕方になったら、ほぼ乾いたBCと蛇腹ホースをデイドリームに預けに行く。
1か月半後には、また来ることになるので、今回は置いて帰ることにした。
次回は、大量の荷物を持ち帰ることになる。
やれやれ・・・。
まあいい。
お目当てのお土産屋さんが休みで、結局空港で買うことにした。
まだ、若干、マドロミンの影響が続いていて、頭がボーっとしている(いつものことですが)。
時折、シャワーのような雨が降るが、基本的にはいいお天気だ。
カウンターのおねーさんが、一度下した簾を上げている。
午後の傾いた陽が、アンテロープの中庭(?)に差している。
セルフサービスのコーヒーでも飲んだら、そろそろ器材を預けに行こうかな。
セルフサービスのコーヒーに近い席は、浮沈子の定位置になっていて、いつも大体座れる。
ここからの眺めが、今回の旅のベースのイメージだな。
妙に落ち着ける。
一人だけいたお客さんも部屋に帰ってしまって、例によって浮沈子だけの食堂・・・。
次回も、もちろんここに泊まる予定だ。
空いていればな。
空いてるだろーな。
空いているに決まってる・・・。
一応、仮予約みたいにしてもらっているので、帰国後にフィックスしよう。
レートのいい時期に固めようとか、セコイことを考えているのだ(ドル建てなので)。
まあ、どうでもいいんですが。
さて、そろそろ強烈な西日に照らされながら、器材を預けに行くか・・・。
パラオの中心街、コロールの街並み。
といっても、歩いて回れる範囲だけど。
炎天下でなければ・・・。
アンテロープからクルマで送ってもらい、昼飯を食いに、町はずれに近い、アンティアスカフェで、11時からのランチ(早過ぎ?:昨夜食い過ぎたので、朝食抜きなんで、仕方ない)。
10ドル弱で、大盛り(←食い過ぎ)。
飲み物(リフィルのアイスティ)、ランチ(10種類以上)、デザート(本日は、自家製プリン)で、この値段。
カツカレーは、大盛りでも、カープレストランよりは少ない(あそこは、別格だけどな)。
腹いっぱいになって、WCTC前のスランゲルスというスーパーで、少し涼む。
チョコレート牛乳を75セントで買う。
で、加藤さんお勧めのコーヒーベリーで、ホットカフェラテのTallサイズで寛いだ。
ここで、サンドイッチのランチでも良かったかな。
落ち着ける感じだ。
ゆっくりとコーヒーを頂いた後、電話を借りて、アンテロープから向かいに来てもらって帰る。
満ち足りたお腹、ダイビングのストレスのない午後のひと時・・・。
催眠活性物質の「マドロミン」(微睡みン?)が大量に分泌されて、部屋のベッドの中で至福の時間を過ごす。
短時間の熟睡で、さわやか気分、その後食堂でうだうだする。
最終日をこうして過ごすのは、正解だな。
シュノーケリングとか、島内ツアーとかには興味ないので、丁度いい。
夕方になったら、ほぼ乾いたBCと蛇腹ホースをデイドリームに預けに行く。
1か月半後には、また来ることになるので、今回は置いて帰ることにした。
次回は、大量の荷物を持ち帰ることになる。
やれやれ・・・。
まあいい。
お目当てのお土産屋さんが休みで、結局空港で買うことにした。
まだ、若干、マドロミンの影響が続いていて、頭がボーっとしている(いつものことですが)。
時折、シャワーのような雨が降るが、基本的にはいいお天気だ。
カウンターのおねーさんが、一度下した簾を上げている。
午後の傾いた陽が、アンテロープの中庭(?)に差している。
セルフサービスのコーヒーでも飲んだら、そろそろ器材を預けに行こうかな。
セルフサービスのコーヒーに近い席は、浮沈子の定位置になっていて、いつも大体座れる。
ここからの眺めが、今回の旅のベースのイメージだな。
妙に落ち着ける。
一人だけいたお客さんも部屋に帰ってしまって、例によって浮沈子だけの食堂・・・。
次回も、もちろんここに泊まる予定だ。
空いていればな。
空いてるだろーな。
空いているに決まってる・・・。
一応、仮予約みたいにしてもらっているので、帰国後にフィックスしよう。
レートのいい時期に固めようとか、セコイことを考えているのだ(ドル建てなので)。
まあ、どうでもいいんですが。
さて、そろそろ強烈な西日に照らされながら、器材を預けに行くか・・・。
ダイビングの意味 ― 2016年04月19日 21:19
ダイビングの意味
それは、人によって異なり、誰一人として同じということはない。
趣味である人が殆どだろうが、生業としている人もいるし、半々の人もいるだろう。
気分転換として行っている人が多いだろうが、何かの手段としている人もいる。
水中作業については当然だが、研究とか、スポーツとしてとか、そういう場面もある。
軍事目的で潜る人もいるしな。
たぶん、今度のサミットでも、テロ対策の一環として、水中に展開する部隊もいるに違いない。
ああ、テロで潜る人もいるってことか・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
浮沈子は、気分転換で潜る、ふつーのダイバーだ。
わざわざ、CCRというややっこしい器材で潜っているが、そういうのが道楽なので仕方ない。
もちろん、オープンサーキットも楽しい。
まあ、選べるなら、サイドマウントでシングルタンクだけどな。
6リッター(40キュービックフィート)の細い奴2本でもいい。
もちろん、ナイトロックスで。
浅く明るく暖かい海で潜るのがいい。
どうも、狭いところが好きな面々が周りにいたりするのでややっこしいが、浮沈子的には、狭いところは好んで行こうとは思わない。
トレーニングの一環として、そういう環境で潜るのが、集中力が高まって、教育的効果があるというので導入しているだけだ(たぶん)。
ちなみに、PADIのレックスペシャルティは持っていない。
現状では、直ちに浮上可能な状況に限りなく近いので、問題はないんだろう。
CCRのコースはPADIじゃないしな・・・。
トレーニングを続けいて、何時までに、どこまで到達しなければならないという制約はない。
とりあえず、ヘリウム混じりでの希釈を必要とする深度までは、安全に潜りたいというのが当面の目標で、指導団体によって多少違うのかもしれないが、まずは、ノーモキシックトライミックスで60mリミットになる。
通常は、使用するガスの扱いの問題の他に、減圧ダイビングが前提となるので、そのためのスキルを身に着けるというのが目下のプロセスということになる。
浮上速度のコントロール、ホバリング、安定したトリムと正確なフィンキック(苦手・・・)。
全身の神経を研ぎ澄まして、自分の体、器材、周囲の状況への適応をコントロールする。
まあ、それが基礎になるわけだな。
基礎中の基礎。
そんでもって、何らかのトラブルに遭遇した時のスキルを、その上に積み重ねていく。
器材がまともに動いていたり、穏やかな環境で潜っている時は、それだけの話だが、トラブルや環境が変わった時には、どれだけの引き出しを持っているかが生死を分ける。
簡単に浮上できない減圧ダイビングでは、ありとあらゆる手段を動員して、減圧停止を完了し、健やかに浮上しなければならない。
作業潜水では、場合によっては船上での減圧もありかも知れないが、遊びで潜るレジャーダイビングで、そういう危険を冒すべきではない。
安全に戻って来られるような状況を作って、その範囲内に留まるべきだ。
計画したダイビングを、途中で諦めてもいいし、最初から潜らなくても構わない。
その日の体調、気分、環境、予感、何でもいい。
理由は問わない。
そもそも、スキルの範囲を超えたダイビングを計画してはならない。
ちゃんとした指導者の管理の元、トレーニングを重ねて、その指導団体の基準をクリアして、初めてその範囲のダイビングが行える。
レクリエーショナルであれ、テクニカルであれ、そこに違いはない。
違いは、状況が格段に厳しく、ミスや故障、回避が困難な事故の影響が甚大だということだ。
ハッキリ言って、死ぬ。
運が良ければ、寝たきり。
奇跡が起これば、回復不能な後遺障害。
そりゃあ、水深1mだって、レギュレーター外して3回も肺に水を送り込めば、楽に(?)あの世に行けるだろうが、そういう話ではない。
誰もが楽しめるレクリエーショナルダイビングとは、一線を画したダイビングの姿がそこにある。
レクリエーショナルダイビングで禁じられていることを、全て侵すわけだ。
40m以深、閉鎖空間、減圧停止。
器材のトラブルや、ダイバー自身のトラブル、環境の変化、その他もろもろが、その状態で襲ってくる世界だ。
んでもって、基本的には、自分で何とかしなければならない。
往々にして、一番起こって欲しくない時に、一番起こって欲しくないパターンで起こる。
それでも、何事もなかったかのように、安全に浮上し、エキジットしなければならない・・・。
どうやって?。
そこは、これから習うわけだな。
ああでもない、こうでもないと、いろいろ練習したりする。
今までやってきたことの精度を上げ、安定感を増し、新しい要素を付け加え、その制度も安定感も向上させ・・・。
ありとあらゆるトラブルのシミュレーションもやるんだろうが、肝心なのは、そういうヤバイ状況(生きるか死ぬかの瀬戸際)の中で、パニックに陥らずに、どれだけ冷静に対処できるかということだろう。
いくらスキルを身に着けていても、それが必要な時に繰り出せなければ、出来ないのと同じだ。
そこのところを、どう鍛えていくのか。
向き、不向きということもあるかもしれない。
生活全体、体調管理、フィジカルやメンタルを含めたトータルのコントロールが必要だ。
陸上で出来ないことが、水中で出来るわけがない。
まずは、そこからだな。
メタボを何とかしようというのに、カツカレーの大盛り食ってる場合かよ!?。
まあいい。
浮沈子にとってのダイビングの意味は、そういうことになってきた(まずいな・・・)。
そう、人によっても違うが、その人のダイビングのキャリアによっても変わってくる。
気晴らしに始めたダイビングが、生活全般を規制しようとしている。
それは、浮沈子自身が求めたことだし、当分は続けようと思ってもいる。
続くかな?。
続く限りは続けよう。
どこかにゴールがあるわけではない。
3歩進んで2歩下がっているうちは、まだいい。
3歩進んで、3歩戻るようになったら、そこがゴールだろう。
3歩進んで4歩戻るようになったら、そろそろ陸に上がることを考えなければならない。
一線のダイバーを退いて、教えることに専念するか、それをサポートする側に立つべきだろう。
それも危うくなれば、いよいよ引退ということになる。
どこまで現役で潜っていられるだろうか。
そんなことも考えながら、潜り続けなければならない。
潜ることが、何時しか生きることと同義になり、生きるために潜るようになる。
生業ということではなく、生きていることの意味を確認するための行為だ。
いよいよ潜ることが出来なくなれば、また、別の意味を見つけることだろう。
正しく潜り、正しく水から引退する。
ダイバーの引き際は、ダイバー自身が決める。
水中で、人生から引退することだけは、したくないな・・・。
それは、人によって異なり、誰一人として同じということはない。
趣味である人が殆どだろうが、生業としている人もいるし、半々の人もいるだろう。
気分転換として行っている人が多いだろうが、何かの手段としている人もいる。
水中作業については当然だが、研究とか、スポーツとしてとか、そういう場面もある。
軍事目的で潜る人もいるしな。
たぶん、今度のサミットでも、テロ対策の一環として、水中に展開する部隊もいるに違いない。
ああ、テロで潜る人もいるってことか・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
浮沈子は、気分転換で潜る、ふつーのダイバーだ。
わざわざ、CCRというややっこしい器材で潜っているが、そういうのが道楽なので仕方ない。
もちろん、オープンサーキットも楽しい。
まあ、選べるなら、サイドマウントでシングルタンクだけどな。
6リッター(40キュービックフィート)の細い奴2本でもいい。
もちろん、ナイトロックスで。
浅く明るく暖かい海で潜るのがいい。
どうも、狭いところが好きな面々が周りにいたりするのでややっこしいが、浮沈子的には、狭いところは好んで行こうとは思わない。
トレーニングの一環として、そういう環境で潜るのが、集中力が高まって、教育的効果があるというので導入しているだけだ(たぶん)。
ちなみに、PADIのレックスペシャルティは持っていない。
現状では、直ちに浮上可能な状況に限りなく近いので、問題はないんだろう。
CCRのコースはPADIじゃないしな・・・。
トレーニングを続けいて、何時までに、どこまで到達しなければならないという制約はない。
とりあえず、ヘリウム混じりでの希釈を必要とする深度までは、安全に潜りたいというのが当面の目標で、指導団体によって多少違うのかもしれないが、まずは、ノーモキシックトライミックスで60mリミットになる。
通常は、使用するガスの扱いの問題の他に、減圧ダイビングが前提となるので、そのためのスキルを身に着けるというのが目下のプロセスということになる。
浮上速度のコントロール、ホバリング、安定したトリムと正確なフィンキック(苦手・・・)。
全身の神経を研ぎ澄まして、自分の体、器材、周囲の状況への適応をコントロールする。
まあ、それが基礎になるわけだな。
基礎中の基礎。
そんでもって、何らかのトラブルに遭遇した時のスキルを、その上に積み重ねていく。
器材がまともに動いていたり、穏やかな環境で潜っている時は、それだけの話だが、トラブルや環境が変わった時には、どれだけの引き出しを持っているかが生死を分ける。
簡単に浮上できない減圧ダイビングでは、ありとあらゆる手段を動員して、減圧停止を完了し、健やかに浮上しなければならない。
作業潜水では、場合によっては船上での減圧もありかも知れないが、遊びで潜るレジャーダイビングで、そういう危険を冒すべきではない。
安全に戻って来られるような状況を作って、その範囲内に留まるべきだ。
計画したダイビングを、途中で諦めてもいいし、最初から潜らなくても構わない。
その日の体調、気分、環境、予感、何でもいい。
理由は問わない。
そもそも、スキルの範囲を超えたダイビングを計画してはならない。
ちゃんとした指導者の管理の元、トレーニングを重ねて、その指導団体の基準をクリアして、初めてその範囲のダイビングが行える。
レクリエーショナルであれ、テクニカルであれ、そこに違いはない。
違いは、状況が格段に厳しく、ミスや故障、回避が困難な事故の影響が甚大だということだ。
ハッキリ言って、死ぬ。
運が良ければ、寝たきり。
奇跡が起これば、回復不能な後遺障害。
そりゃあ、水深1mだって、レギュレーター外して3回も肺に水を送り込めば、楽に(?)あの世に行けるだろうが、そういう話ではない。
誰もが楽しめるレクリエーショナルダイビングとは、一線を画したダイビングの姿がそこにある。
レクリエーショナルダイビングで禁じられていることを、全て侵すわけだ。
40m以深、閉鎖空間、減圧停止。
器材のトラブルや、ダイバー自身のトラブル、環境の変化、その他もろもろが、その状態で襲ってくる世界だ。
んでもって、基本的には、自分で何とかしなければならない。
往々にして、一番起こって欲しくない時に、一番起こって欲しくないパターンで起こる。
それでも、何事もなかったかのように、安全に浮上し、エキジットしなければならない・・・。
どうやって?。
そこは、これから習うわけだな。
ああでもない、こうでもないと、いろいろ練習したりする。
今までやってきたことの精度を上げ、安定感を増し、新しい要素を付け加え、その制度も安定感も向上させ・・・。
ありとあらゆるトラブルのシミュレーションもやるんだろうが、肝心なのは、そういうヤバイ状況(生きるか死ぬかの瀬戸際)の中で、パニックに陥らずに、どれだけ冷静に対処できるかということだろう。
いくらスキルを身に着けていても、それが必要な時に繰り出せなければ、出来ないのと同じだ。
そこのところを、どう鍛えていくのか。
向き、不向きということもあるかもしれない。
生活全体、体調管理、フィジカルやメンタルを含めたトータルのコントロールが必要だ。
陸上で出来ないことが、水中で出来るわけがない。
まずは、そこからだな。
メタボを何とかしようというのに、カツカレーの大盛り食ってる場合かよ!?。
まあいい。
浮沈子にとってのダイビングの意味は、そういうことになってきた(まずいな・・・)。
そう、人によっても違うが、その人のダイビングのキャリアによっても変わってくる。
気晴らしに始めたダイビングが、生活全般を規制しようとしている。
それは、浮沈子自身が求めたことだし、当分は続けようと思ってもいる。
続くかな?。
続く限りは続けよう。
どこかにゴールがあるわけではない。
3歩進んで2歩下がっているうちは、まだいい。
3歩進んで、3歩戻るようになったら、そこがゴールだろう。
3歩進んで4歩戻るようになったら、そろそろ陸に上がることを考えなければならない。
一線のダイバーを退いて、教えることに専念するか、それをサポートする側に立つべきだろう。
それも危うくなれば、いよいよ引退ということになる。
どこまで現役で潜っていられるだろうか。
そんなことも考えながら、潜り続けなければならない。
潜ることが、何時しか生きることと同義になり、生きるために潜るようになる。
生業ということではなく、生きていることの意味を確認するための行為だ。
いよいよ潜ることが出来なくなれば、また、別の意味を見つけることだろう。
正しく潜り、正しく水から引退する。
ダイバーの引き際は、ダイバー自身が決める。
水中で、人生から引退することだけは、したくないな・・・。
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