テクニカルダイビング考2016年04月24日 00:13

テクニカルダイビング考


(テクニカル・ダイビングに挑戦!)
http://www.padi.co.jp/visitors/program/tc_index.asp

「・40m/130ftを超えるダイビング
・段階的な減圧停止を伴うダイビング
・水面からの縦、横合計距離が40m/130ftを超えるオーバーヘッド環境(直接水面に浮上できない環境)でのダイビング
・ダイビング中、加速減圧及び/又は様々な混合ガスを使用するダイビング」

「作業ダイビングやリサーチ・ダイビングとは別のダイビングとして定義されます。」

PADI的にはこんな感じだし、以前、恵比寿のPADIジャパンで開かれた安全講習では、減圧停止を伴うことがメインの条件と言われた。

大体は、イメージできるんだが、減圧停止がないだけでは、レクリエーショナルダイビングとはいえない。

閉鎖環境で、直ちに水面に浮上できなければ、テクニカルダイビングだ。

開口部の深度と、侵入距離にもよるが、合計で40mを超えれば、減圧停止を伴わなくてもテクニカルダイビングになる(ここ、重要です)。

深度についても、たとえ10mでも、オープンウォーターであったとしても、長時間のダイビングで、減圧停止を伴えば、テクニカルダイビングになる。

PADIのページでは、段階的とあるが、1回のストップでも、もちろん減圧停止があれば、テクニカルダイビングだ。

混合ガスの使用とあるが、40パーセント以下のエンリッチド・エアー・ナイトロックスを使用するだけでは、テクニカルダイビングとは言わない。

PADIという、たった一つの指導団体の定義を見ても、いろいろ突っ込みようはある。

ましてや、星の数ほどある指導団体ごとに、たぶん定義は様々だろう。

例えば、リブリーザーを使ったダイビングは、テクニカルダイビングなのかという話もある。

浮沈子は、そのリスクや、要求されるスキルを考えれば、運用深度に関わらず、テクニカルダイビングにしてしまうのが簡単でいいと思っているのだが(PADIの定義の内、様々な混合ガスを使用するところに該当する?)、タイプRについては、商売上の都合で、レクリエーショナルでいいことにしている(そうなのかあ?)。

まあいい。

ことほどさように、テクニカルダイビングの定義なんて、共通したものはないのだ。

ハッキリしている基準は、ただ一つ。

レクリエーショナルダイビングより、危険ということだけ。

(テクニカルダイビング)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B0

「オーバーヘッド環境(閉鎖環境)や減圧(仮想閉鎖環境)を伴う潜水のことである。」

これを読むと、減圧停止を伴うダイビングというよりは、仮想を含め、閉鎖環境で、直ちに浮上できない状況を伴うレジャーダイビングというのが、最も汎用的な定義になるのではないか。

作業潜水や、軍事潜水など、遊びじゃないやつは、全て含まれない。

調査潜水にしたって、業務命令によって行われる場合は、全て除外される。

潜る際の器材(送気潜水、CCRなどを含むスクーバ)や、関連する装備(潜降索の有無、ステージ、通信手段など)、単独か、2人以上のチームかというのは、あまり関係ないんだろう。

レクリエーショナルより、ヤバいか、そうでないかが、分かれ目となる。

それでも難しいだろうな。

激流の中で、ドリフト出来ないで頑張らなければならないのと、穏やかな環境の中で、潜降ロープに掴まりながら、10分くらいの減圧を行うのと、どっちがヤバイかということもある。

細かい突っ込みは、いくらでもあるだろう。

一言で、テクニカルダイビングを明確に定義することは、なかなか困難だ。

(0423 スタイル論 2 スタイルにこだわった。)
http://jsuga.exblog.jp/25702105/

「スクーバであること、レクリエーションダイビングの限界である40mを超えて潜ること、従って混合ガスを使用すること、ハイレベルなトレーニングとセルフ・コントロールが要求されること、」

いつも刺激を頂く、須賀次郎氏のブログ。

今日のお題は、ズバリ、テクニカルダイビングとは何か(たぶん)。

ハミルトン博士という方は、スクーバに拘っているが、浮沈子は、そこはどーでもいーように思う。

混合ガスについても、圧縮空気だって、立派な混合ガスといってしまえばそれまでの話だ。

ハイレベルなトレーニングとセルフコントロールといっても、個人差もあるだろうし、程度問題ということもある。

ちなみに、CCRでのホバリングは、浅いところほど難しい・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

「テクニカルダイビングで、業務に類することは、一切出来ないのだろうか。」

もちろん、そんなことはない。

作業潜水で、短時間で大深度(40m以深)の作業を行いたい時には、トライミックスを使ったCCRは有効な手段だし、ステージ等を使えば深度の管理も楽に行える。

これからは、一部とはいえ、有効な解決策になっていくだろう。

もちろん、用語の定義は時代とともに変わっていく。

浮沈子は、CCRは、みんなテクニカルにすべきだと今は思っているが、信頼性が向上し、操作がさらに簡便になれば、その拘りは捨てざるを得ない。

ナイトロックスだって、ちょっと前までは、テクニカルダイバー御用達なわけだったしな。

もうすぐ、トライミックスだって、種類によっては、レクリエーショナルレベルでも使用可能になるかも知れない。

作業潜水の世界では、30mを超える潜水においては、公式にトライミックスが推奨されているのだ。

ああ、もちろん、逆に、レクリエーショナルレベルの定義が変更になる場合もある。

30mまで。

それ以上は、テクニカルレベル(もちろんトライミックス)。

そっちの可能性の方が高いかもしれない。

現在でも、絶対最大水深が40mといっているだけで、推奨最大水深は30mとなっている。

いろいろ定義が錯綜してややっこしいが、減圧症のリスク、エアエンボリズム等の圧外傷、呼吸ガスの枯渇、疲労、低体温症、水中危険生物のリスク等、長時間水中で過ごす上での、ありとあらゆる危険が増大する。

一歩間違えれば死ぬし、運が良ければ寝たきり、奇跡が起これば回復不能な後遺障害・・・。

もちろん、そこに明確な線が引いてあるわけではないし、レクリエーショナルレベルであっても、コンディションによっては、遥かに危険な状況になることもあるので、一概には言えないが、大勢が参加していて膨大な実績に基づく安全性(危険性も?)が確認されているレクリエーショナルダイビングとは、異なる世界だ。

テクニカルダイバーの絶対数が少ないし、個人差も大きい。

統計的なデータは、浮沈子も見たことはない。

この環境で、このダイビングを実施するのに、これだけのトレーニングとスキルでいいかどうかを判断するのは、なかなか難しい。

レベルが高くなればなるほど、経験値が必要だし、膨大なノウハウを身に着けておかなければならない。

膨大過ぎて、テキストに出来ないのだ。

しかも、パニックが起これば、身に着けたはずのノウハウを繰り出すこともできなくなり、チーム全体を危険に巻き込むことになる・・・。

やっぱ、止めといた方がいいんじゃないのかあ?。

それでも、浮沈子は、少しずつ匍匐前進のように進みつつある。

CCRで潜れればいいというレベルではなく、様々な状況下で、安全に潜ることが出来るための方策として、器材の精密なコントロール、フィジカル、メンタルのトレーニング、複数のガスの取り扱い、トラブル対応の際の引き出しの数々を身に付けたいのだ。

その結果、結局、レクリエーショナルダイビングに留まることになるかも知れない。

それでも、そのトレーニングの成果は生かすことが出来る。

今日、神田のお店から、サイドマウントの新しいレギュレーター等の見積もりが届いた。

そう、今までのような、なんちゃってサイドマウント(!)ではなく、理に適った、極限のサイドマウントにチャレンジしようかどうしようか・・・。

やっぱ、こっちも、止めといた方がいいんじゃね?。

CCRはともかく、閉鎖空間に余り興味がない浮沈子としては、こっちを極めても得るところは少ないような気がするんだがな。

それでも、トレーニング自体には興味がある。

身体は一つしかないし、頭は半分くらいしか役に立たない(そんなに、役に立ってたっけえ?)。

欲張らずに、少しずつ前進しよう。

まあ、器材を揃えてから考えてもいいしな。

左右出ししたセカンドを見ながら、これは、どっちのだっけと考えるわけだ(そういうレベルなのかあ?)。

テクニカルダイビングは、頭でとことん考えて準備し、身体が咄嗟に反応するまでトレーニングする。

ガス交換とかは、もちろん考えて確認してから行動しなければならないが、ダイビングのスキル自体を考えながら行っていたのでは話にならない。

準備にしても、既に蓄積されたノウハウを身に着けておかなければ、無用の試行錯誤を繰り返すだけだ。

形から入り、形を極め、その後で自分の形を見つける作業が必要だ。

大所高所から、テクニカルダイビングの定義は何かを考えるのも結構だが、今ある器材(多少の改良は必要でしょうが)で、レクリエーショナルの限界を超えるためのスキルを身に着けることが先決だろう。

能書きを垂れるのは、それからでもいい。

浮沈子にとっての目下のテクニカルダイビングとは、インスピレーションでの精密な浮力コントロール、微動だにしないホバリング、常に正しいトリムの維持、そして、バックアップで導入したペトレル(ダイコン)の確実な操作だ。

そこから先の話は、それからでいい。

ああ、サイドマウントも続きをやらなくっちゃならないし、ポセイドンの件もある。

身体は一つ、頭は3分の1(ま、このくらいかな)。

やることは、3倍くらいある。

個人的なことは別にしても、テクニカルダイビングの世界は、日進月歩だ。

どんどん新しい器材が開発されるし、新しい潜り方が提案される。

変わらないのは、水中世界と人間の体だけだ。

その最先端を追い求めて行ったら、おそらくキリがない。

どこかで、停滞し、どこかで腰を落ち着けることになる。

そういえば昔、パソコンをいつ買うかという話があったな。

四半期毎に新しいモデルが出て、性能が上がり、生鮮食料品のような状況だった・・・。

今のテクニカルダイビングも、その頃のパソコンとよく似ている。

今日の最先端が明日の標準になり、明後日には陳腐になっているかも知れない。

それって、何時の話?。

今時、誰も見向きもしないよ・・・。

そんな、いい時代に、今我々はいるのかもしれない。

そして、やがて、今を振り返って、懐かしむようになるのだ。

新しいサイドマウントや、CCRが次々と出てきては消えていく時代。

新しい機能が加わり、信頼性が高まり、コンセプトが根底から変わっていく。

クイズ番組やゲームの世界でコンピューターが世界を席巻しても、ダイビングシーンで人間の代わりに潜ってくれるようにはなっていない。

自動中性浮力維持装置が出来ても、人間の代わりに呼吸してくれるわけではないのだ。

ましてや、CCRの動力源は、人間の呼吸筋である・・・。

革袋の空気を吸っていた時代と、人間の代わりにコンピューターが潜ってくれる時代の中間に我々はいる。

いい時代だな。

テクニカルダイビングなどといって、人間が人間のスキルに頼って潜る時代もやがて終わる。

機械が、機械の性能をフルに発揮して、ミスを犯し精神的にも不安定な人間に頼らない、正確無比なダイビングをコントロールするようになるんだろう。

そんな時代になっても、人間は生身でダイビングなどするんだろうか?。

するんだろうな、きっと。

大多数のダイバーは、機械に頼るテクニカルダイバー(=メカニカルダイバー?)になっていて、一部の酔狂なダイバーだけが、BCにマニュアルでガスを入れて浮力をコントロールしたり、トライミックスガスを切り替えたりしているに違いないのだ。

機械なんて、信用できないとか言ってな・・・。

自動浮力調整装置考2016年04月24日 11:03

自動浮力調整装置考


世の中には、怪しいアイテムが溢れていて、ダイビングの世界にもそんな楽しい仕掛けがいろいろある。

中には、トンデモなのもあるかもしれないが、ダイビングシーンを変える可能性を秘めた、未来に繋がるアイテムだってあるかもしれない・・・。

(The SUBA SMART SYSTEM)
http://divewithsuba.com/features/

マリンダイビングフェアで、フランス製の怪しげな装置(BCDマスター)のモックアップを見て色めき立った浮沈子だが、パラオでイントラにその話をしたら、これのことか?、と見せられたのが、このアイテムだった(もちろん、別物です)。

SUBA(スーバ)、スイス製。

しかも、もう、製品として稼働しているようだ(ビデオ参照)。

独自のBCにシステムを組み込んでいるところが異なるが、専用の浮力コントロールデバイスを用意するのではなく、BCをそのまま浮力コントロールに使用する点では同じだ。

この手のアイテムは、古くから研究されていて、一部は特許も取得されている。

(Automatic buoyancy compensator with electronic vertical motion)
http://www.google.com/patents/US5496136

出願日は、1995年とある。

また、今世紀初頭には、タンクにドーナツ型の浮袋を付けた実験も行われている。

(Development of an Automatic Buoyancy Device for Application in Scuba Diving)
http://bobbydyer.com/wp-content/uploads/2011/01/abcdthesis.pdf

2001年の記事だが、アペンディックスAでは、制御用プログラムが公開されている(ざっと見ただけ)。

いろいろなパラメーターが記載されているが、浮力コントロールについては、デバイスの能力に依存するので、ソフトウェアだけでは有用性を判断出来ない。

不具合(電磁弁の固着等)が生じた時のキャンセルとか、そういう危機回避能力の付与も必要だ。

製品化するには、相当紆余曲折が予想される。

当分は、補助装置として、マニュアルでのコントロールと併用ということになるんだろう。

浮沈子的には、CCR用のも開発して欲しいな。

呼吸回路のミニマムループボリュームを併せて制御して、鼻が詰まっていてもマスクから排気することなく調整できるのがよろしい(鼻詰まりの時は、マウスピース周りから排気するというテクニックもあります)。

マリンダイビングフェアでは、野蛮な(?)インストラクターどもが、ダイバーたるもの、中性浮力や浮上・潜降速度の調整ができるのは、当たり前だなどと、暴言を吐いていたという(ホントかあ?)。

悔しかったら、水深3mで、1.3ATAのハイセットポジションのPO2維持したまま、ホバリングしてみい!(1.3で3mでは、たぶん浮沈子はできません:今は6m)。

まあ、どうでもいいんですが。

スイスのスーバというのが、専用BCと抱き合わせで販売しているというのは、なかなか現実的な対応だ。

BCDマスターは、パワーインフレーター周りにポン付けするタイプなので、ハードウェアの性能を、ソフトウェア側で吸収する必要がある。

この手のアイテムは、前にも書いたが、ダイビングシーンを激変させる。

故障した時のことはさておき、正常に動作している限りは、ピンポイントのホバリングが可能だ。

人間が行うのは、安定した呼吸の維持だけ。

ジタバタしなくても、浮力調整は機械が行ってくれる。

システムの信頼性と、故障した時の対応が確保できれば、爆発的に普及するだろう。

PADIのPPBSPの売り上げが激減することは、まず間違いない・・・。

まあいい。

CCRは、電子部品があるから信用できないとか、いろいろ言われているが、なーに、そのうち、オープンサーキットだって、電子部品を使うようになるのさ・・・。

4月の雨2016年04月24日 12:35

4月の雨


夕べから東京地方では、小雨がぱらついていた。

この惑星上で、今、どこで雨が降っているかという情報は、21世紀ではほぼリアルタイムで知ることが出来る。

(世界の雨分布速報)
http://sharaku.eorc.jaxa.jp/GSMaP/index_j.htm

太陽からほど良い距離にあり、水が液体として存在できる地球では、太陽エネルギーの吸収による地表(海上)での蒸発、上空での凝結(放熱)を経て、再び地表(海上)に液体としての雨を降らせる。

熱エネルギーが、水の状態変化を通じて循環している。

中緯度地方以下では雨となり、高緯度では雪になるが、まあ、似たようなもんだな。

その中緯度地方の我が国では、春先には雨になる。

もう、雪が降ることもあるまい。

その春の小雨の中、夕べは夜中に500Eで近所を走った。

手動で時折ワイパーを動かす。

そう、間欠ワイパーや、雨滴検知ワイパーなどという代物は付いていない。

アウディが、かつて、当社では絶対に採用しないと宣言していた1本ワイパーを、手動で動かす(1本だと、故障した時に完全にお手上げになるからだという)。

人間の目で、フロントウインドウの雨滴の付き具合を見て、好きなタイミングで、ヘンタイ的な動きをするシングルワイパーをウニュニュッと作動させる。

全自動運転自動車とか、自動浮力調整装置とか、人間の究極のズボラ嗜好を満たすアイテムが横行する中、ウインカーレバーと一体になったワイパーのスイッチを捻る。

ウニュニュッ・・・。

ウニュニュッ・・・。

信号で止まると、暫く、雨滴が付くままにする。

青になると、動かす・・・。

ウニュニュッ・・・。

ウニュニュッ・・・。

その、変わらぬリズムに身を委ねる。

土曜の夜だというのに、車の流れは少ない。

やはり、景気は良くないんだろう。

環七は、最近舗装を新しくしたようで、レグノとの相性も抜群だ。

濡れた路面を叩くノイズも感じられない。

レグノの設計者が、水幕を処理する機能を、消音設計に組み込んでいることがハッキリ分かる。

ざぶざぶの路面ではなく、ビミョーに湿った良舗装の路面で、その繊細な設計の妙を味わう。

街中での法定速度内の走行では、5リッターV8エンジンは、ゆるゆると音もなく回っているに過ぎない。

こういう走り方をしても、このクルマは得も言われぬ快感を与える。

乗せられている感ではなく、乗りこなしている感を、押しつけがましくない範囲で伝えてくるのだ。

アクセルや、ハンドル、そして、載せ替えたファブリックのシートを通じて。

リサーキュレーティングボールのハンドルは、お世辞にもクイックとは言えないが、必要にして十分なレスポンスを与える。

アクセルにリニアに反応する大排気量自然吸気エンジンは、低速でこそ、その真価を発揮する。

通常2速発進の実質3速オートマチックのトランスミッションは、少々やれたリアのコンパニオンプレートを、軽くカツンといわせながら、2トン弱の物体を軽々と走らせる。

高速道路を200kmオーバーで巡行させることを前提にセッティングしたサスペンションが、低速でやや硬さを感じさせることは事実だ。

つるつる滑る本革性の純正シートではなく、300Eの包み込むようなゆったりしたファブリックシートに運転席だけ載せ替えている浮沈子の500Eは、そんなささやかな欠点を、十分にカバーしている。

チェン・ミンの二胡のCDを流しながら、走り慣れた環八に入る。

クルマの数は、さらに少なくなり、辺りの明かりも減ってきて、このまま異次元の世界に吸い込まれそうな錯覚に襲われる・・・。

普段は、移動の道具として、散文的な乗り方しかしていない500E。

久々に、ただ、走るためだけに走ってみると、これはこれで、抒情的な詩になるかも。

4月の雨に打たれた後、駐車場に収める時、白線にきっちり合わせて停めた。

無意識のうちに、そうした。

ずぼらな停め方では、何か申し訳ないような気がしたのかもしれない・・・。

穴好き2016年04月24日 14:31

穴好き


パイプ足の椅子を見て興奮したり、ファミレスのテーブルの下に無意識に目が行ってしまう愛すべきヘンタイども・・・。

浮沈子には理解できない、ケイブダイバーとか、レックのペネトレーションダイバーの世界だ。

(洞窟潜水)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E6%BD%9C%E6%B0%B4

(レック ダイビング)
http://www.stingray-japan.jp/wreckindex.html

まあ、レクリエーショナルなレックスペシャリティレベルではなく、いつ、上から崩れてくるかもしれない錆だらけの真っ暗な船内を、リールを張りながらシルトを巻き上げずにどこまでも入っていくようなペネトレーションになれば、生きて還ってきたらお祝いしなければならないこともあるだろう。

サイドマウントの片側のタンクを外し、身体を捻じ曲げ、岩の隙間を通り抜けたり、鋭利な金属の構造物で、保護スーツをズタズタにしながら潜り抜けたり・・・。

そういうのがスキという神経が、浮沈子には理解不能だ。

「魅力:
水中洞窟は、様々な理由によりダイバーをはじめ、生物学者、古生物学者、洞窟学者を魅了する。
・洞窟の水没部突破。
・洞窟の観察、浮遊感。
・洞窟性植物、洞窟性生物の探索、観察。
・テクニカルダイビングの一環として。」

透き通ったクリスタルウォーターの中の浮遊感というのは、確かに魅力的ではある。

また、レックの内部の様子を見学したりすることの楽しみはあるだろう。

子供の頃、炬燵の中に潜り込んで、真っ赤にのぼせ上がって叱られた記憶があることはあるんだがな・・・。

まあいい。

狭く、暗く、ダイビングとしては危険極まりない環境に行くというのは、そこが魅力的かどうかというよりも、他人が行くことが出来ない場所に行くという冒険心とか、未知の空間に到達したいという探検心というか、単なる優越感を満たしたいという動機なんだろう(たぶん)。

そういうダイビングを成功させるためには、綿密な計画とか、高いスキル、練り上げられた器材コンフィギュレーション、チームの結束、トレーニング、金、手間、暇、運などが必要だしな。

ノンダイバーからみれば、通常のダイビングをしているのだって、十分ヘンタイに見えるに違いないのだから、目くそ鼻くその類の話なんだろうが、それにしても浮沈子の理解を超えた世界だ。

トレーニングとしてはともかく、目的として狭隘な閉鎖空間に突入するというのは趣味じゃない。

減圧ダイビングが、仮想的な閉鎖空間になるというのとはわけが違う。

減圧停止が無事に終われば、仮想の天井は次々に取り払われ、最終減圧停止が終われば、太陽系第三惑星の水面上に、浮沈子にとっては、やや希薄な酸素を含む潤沢な大気の世界に戻ることが出来るわけだ。

物理的閉鎖空間では、そういう自動ドアのような仕掛けはない。

自力でそこから戻ってくるか、あの世逝きの後に、躯だけ引きずり出されるか、永遠に置き去りにされるか・・・。

メタボな浮沈子の最大の恐怖は、身体が支えて身動きが取れなくなり、進むことも退くことも適わなくなることだな。

ああ、こんなことなら、もう少し真剣にフィットネスしておけば良かったと、その時になって思っても、もう遅い。

(山椒魚 (小説))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A4%92%E9%AD%9A_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

「成長しすぎて自分の棲家である岩屋から出られなくなってしまった山椒魚の悲嘆をユーモラスに描いた作品」

「どうにも動かしやうのない人生の現実にたいして、虚勢を張りながら無力を自認せざるを得ない、自己の精神の戯画」

中村光夫の書評が光るな。

まあ、どうでもいいんですが。

暗闇、洞窟、閉鎖空間、どこへ続いているかもわからない暗くて狭い穴・・・。

その狂気の世界で正気を保ち、必ず生還する肝の据わったダイバーだけが、挑むべきなんだろう。

山椒魚のモチーフの一つとして、チェーホフの「賭」という作品があるという。

「「賭」の筋は、ある青年法学者が実業家と賭けをし、15年の間人との交わりを絶って「幽閉生活」を自ら送ってみせるというもので、当初は孤独に苦しむ法学者は、長年書物の世界に親しむうちに「地上の幸福のすべてや叡智」をも軽蔑するに至り、15年後、賭の賞金である200万ルーブルの金を自ら放棄しふたたび幽閉生活に戻っていく」

閉鎖空間に行くということは、その闇に光を当てに行くことでもある。

人の目に触れることなく、静かに時を刻んでいる世界を、人の世に引きずり出し、人類の世界を広げることだ。

閉鎖空間に限らないが、そういう所業は、人類の性癖として備わっているのだろう。

物理的であれ仮想であれ、水中の閉鎖空間は、人類の生息環境ではないから、ダイバーは当然戻ってこなければならない。

通常のダイビングでも、そこのところは同じで、いつかは地上世界へと帰る。

しかし、「地上の幸福のすべてや叡智」を軽蔑し、それらを捨てて水中世界へ回帰し、先へ先へ、奥へ奥へと突き進むというのは、チェーホフの青年法学者と重なるものがある。

その先には、一体何があるんだろうか?。

「有名な洞窟潜水探検家:
シェック・エクスレー(Sheck Exley:フロリダを中心に各国の洞窟潜水調査を行い、洞窟潜水の基本概念を確立させた一人。1994年4月6日、メキシコ・タマウリパス州のセノーテで潜水事故に遭い死亡。」

(Sheck Exley)
https://en.wikipedia.org/wiki/Sheck_Exley

300m近い深度(ダイコン上では276m)で、彼が最後に考えていたのは何だったんだろうか・・・。