座学 ― 2016年06月08日 20:12
座学
1日缶詰になって、テックサイドマウントの座学を行う。
一応、第1章からやってもらった。
浮沈子はまだ、テクニカルダイバーではないのに、加藤先生(!)は、時折勘違いをして「ご存知の通り・・・」とかいって省略しようとするので、ついつい突っ込みを入れて時間が長引いた。
昼食を挟んで、第3章まで終わり、ナレッジレビューも全て終えて、明日から潜ることにして、器材の準備に専念する。
4つのシリンダーにレギュレーターその他一式をセットし、残量や呼吸が出来るかを確認する。
セカンドの一つに不具合があって、オクトパスに交換したら、ようやく収まった。
メーカーはエイペックスなのだが、機種が違うので合わないこともあるのだ。
ようやくセットアップを完了したところで、時間になり、晩飯の打ち合わせをして退散する。
頭の中は、フェザリングだとかノートックス(NO TOX)だとか、専門用語が渦を巻いていて、特に第3章関係のところについては、具体的なイメージが湧かず、とにかく後は潜ってみてからのことにして、深くは考えないことにした。
今日は、1本くらい潜ってみて、SMS100でのウエイトやバランスを見てみたかったのだが、まあ、慌てることはない。
のんびりと、マイペースでこなしていけばいい。
いつ終わることやら・・・。
SMS100には、デュアルブラダータイプのSMS100Dというのがあって、加藤先生(!)は、それを使っているようだな。
排気バルブは肩の上に2つあって、浮沈子的には使いにくそうにみえる。
シングルブラダータイプのSMS100との差は、後はインフレーター/デフレーターのホースが左右から出ているくらいだ。
見た目はほとんど同じで、これでデュアルブラダーということなら、選択肢の一つにしてもいいかなという感じ。
上方排気というのが気になるが、吸排気ホースと付け替えてしまうことも可能だそうだ。
もともと、SMS100はバランスが良さそうなので、前から気になってはいた。
明日使ってみて、使用感については、また報告する(予定)。
新調したXTX50(エイペックスのレギュレーター)の感じも良さそうだし、ウエイト(総量及び配置)さえすんなりいけば、スムーズに実技講習に入れそうだ。
エントリーの際に、水面でいかにスムーズにタンクを着けられるかがポイントだな。
それと、水中でのトリムを容易に維持することが出来るウエイトの配置を決めることが出来れば、まあ、講習は半分終わったようなものだ(希望的観測)。
今回は、とりあえず4本のタンク(80キュービックフィート2本と40キュービックフィート2本で、無事にエントリーするところまで行ければいい。
ガスの管理、ラベルの表示など、準備段階の手順がその前にあるわけで、水中でのややっこしい手順は、次回に回してもいいだろう。
練習は、デイドリーム前の水深15mを最大水深とするエリアで行う。
テックサイドマウントと謳っていても、テクニカルダイビングではないので、閉鎖環境なし、40m以深なし、減圧なし、暗闇なしのレジャーダイビングの一環として行う。
講習自体の最大水深は、30m未満で設定されているようだ。
いずれにしても、ダイビング環境としては、DD前なので、流れなし、透視度なし(!)、大物なしの、まったりとしたダイビングになる。
余計なことを考えずに、トレーニングに専念できるというわけだ。
洞窟や沈船のペネトレーションではなく、オープンウォーター環境で、浮いたり沈んだりするのがメインのダイビングしか考えていない浮沈子は、減圧ダイビングにおいてもCCR有利と考えてるんだが、加藤先生(!)は、オープンサーキットの信頼性を高く評価しているようだな。
ヘリウム混合ガスのリスクについても、浮沈子的には窒素による昏睡が怖いので、なるべく浅い水深(30mくらい)から吸いたいと思うんだが、環境(水温等)によっても、個人的な耐性によっても、そのリスクは変わってくるので、どの水深から吸うのが適正かというのは普遍的なことは言えないようだ。
このことについては、夕食時にイントラにも確認したが、経験上もさまざまな事例があり、理論的にも未知の部分があって、さらに減圧症についてはヘリウム混合ガスで発生した場合の重症度も高まるということで、必要の範囲内での使用という「個人的意見」だったな。
もちろん、ICD(アイソバリック・カウンター・ディフュージョン)によるリスクもある。
意外だったのは、CCRを使用して50パーセント以上のヘリウム混合ガスを吸った方の事例としては、寒さに震えてしまったというリスクがあったようだ。
確かに、体温の喪失という話はあるが、個人差があるとはいえ、それ程のリスクがあるとは思わなかったな。
コストの問題や、入手しやすさの問題は別にしても、どこでも誰でも気軽に吸えるガスとは言えないようだ。
もちろん、現時点ではパラオでの入手は困難で、デイドリームでも予定は立っていないようだ。
しかし、一方で、ガス昏睡のリスクは確実にあり、その環境で、その日の個人のコンディションで、どの深度からヘリウムを吸うべきかというのは、難しい判断になる。
トライミックスダイビングというのが、あまり普及していない中で、2015年4月1日からは40m以深の作業ダイビングでは、強制的にヘリウム混合ガスを吸うことになっている。
チャンバーがあることを前提とし、医療機関へのアクセスも確保された中で、様々な事例が積み重ねられていくことだろう。
もちろん、レジャーダイバーである我々が、そんなヤバイリスクを負うことは出来ない。
さらに保守的に、さらに安全性を高めたダイビングで、大いに楽しむべきだ。
それでも、避け難いリスクは残る・・・。
いくら頑強な身体でも、鉄の精神力があっても、高圧下でガスを呼吸する環境圧潜水である限り、ヤクザな世界であることは違いないのだ。
可能な限りの手立てを尽くし、楽しみに応じたリスクを受け入れ、何の問題もなくエキジットできることを前提としてダイビングする。
それしかないだろう。
もちろん、レクリエーショナルダイビングの世界でも、十分に楽しいし、世界の海を潜り尽すことなど出来はしない。
テクニカルダイビングが広げてくれる世界が、どれ程のものかは、浮沈子には良く分からないが、限られた時間と体力と先立つものを考えた時に、どちらを選択すべきかというのは難しい問題だ。
いや、だからこそ、浮沈子の場合、テクニカルダイビングの世界に首を突っ込んでみたいという気持ちになったことも事実である。
あと10年経ったら、そういうことにチャレンジしようという気にはならなかったに違いない。
シングルタンクのサイドマウントで、龍馬に乗って潜っている方がいいに決まってる!。
今だって、たぶんギリギリのところなんだろうし、講習を進めていく中で、挫折してしまう可能性は、決して低くはない。
負うべきリスクに対して、楽しみの部分が少ないと感じれば、一瞬のうちに脱落するだろう。
今日の座学は、もちろん、テクニカルダイビングそのものの講習ではない。
しかし、多くの点で、それに繋がる要素を含んだ講習だった。
一応、頭では、ぼんやりと分かったような気になったが、身体で分かっているわけではないし、分かるかどうかも定かではない。
明日からは、それが試されることになるわけだな。
それにつけても、ヘリウムのリスクについて、浮沈子は、余りにも無知であったことに改めて気づかされた(まあ、いつものことですが)。
CCRでさえ、体温喪失でヤバいことになる可能性があるわけで、これがオープンサーキットだったらと考えると、ますますテクニカルダイビングはCCRでやりたくなってきたことも事実だ。
まあ、これについても、どっちがリスキーかという話になれば、延々と続く議論があるんだろうな・・・。
画像は、龍馬1号の食事を知らせるベル。
朝昼夜と、このベルが鳴るのが、クルーズならではの楽しみでもある。
1日缶詰になって、テックサイドマウントの座学を行う。
一応、第1章からやってもらった。
浮沈子はまだ、テクニカルダイバーではないのに、加藤先生(!)は、時折勘違いをして「ご存知の通り・・・」とかいって省略しようとするので、ついつい突っ込みを入れて時間が長引いた。
昼食を挟んで、第3章まで終わり、ナレッジレビューも全て終えて、明日から潜ることにして、器材の準備に専念する。
4つのシリンダーにレギュレーターその他一式をセットし、残量や呼吸が出来るかを確認する。
セカンドの一つに不具合があって、オクトパスに交換したら、ようやく収まった。
メーカーはエイペックスなのだが、機種が違うので合わないこともあるのだ。
ようやくセットアップを完了したところで、時間になり、晩飯の打ち合わせをして退散する。
頭の中は、フェザリングだとかノートックス(NO TOX)だとか、専門用語が渦を巻いていて、特に第3章関係のところについては、具体的なイメージが湧かず、とにかく後は潜ってみてからのことにして、深くは考えないことにした。
今日は、1本くらい潜ってみて、SMS100でのウエイトやバランスを見てみたかったのだが、まあ、慌てることはない。
のんびりと、マイペースでこなしていけばいい。
いつ終わることやら・・・。
SMS100には、デュアルブラダータイプのSMS100Dというのがあって、加藤先生(!)は、それを使っているようだな。
排気バルブは肩の上に2つあって、浮沈子的には使いにくそうにみえる。
シングルブラダータイプのSMS100との差は、後はインフレーター/デフレーターのホースが左右から出ているくらいだ。
見た目はほとんど同じで、これでデュアルブラダーということなら、選択肢の一つにしてもいいかなという感じ。
上方排気というのが気になるが、吸排気ホースと付け替えてしまうことも可能だそうだ。
もともと、SMS100はバランスが良さそうなので、前から気になってはいた。
明日使ってみて、使用感については、また報告する(予定)。
新調したXTX50(エイペックスのレギュレーター)の感じも良さそうだし、ウエイト(総量及び配置)さえすんなりいけば、スムーズに実技講習に入れそうだ。
エントリーの際に、水面でいかにスムーズにタンクを着けられるかがポイントだな。
それと、水中でのトリムを容易に維持することが出来るウエイトの配置を決めることが出来れば、まあ、講習は半分終わったようなものだ(希望的観測)。
今回は、とりあえず4本のタンク(80キュービックフィート2本と40キュービックフィート2本で、無事にエントリーするところまで行ければいい。
ガスの管理、ラベルの表示など、準備段階の手順がその前にあるわけで、水中でのややっこしい手順は、次回に回してもいいだろう。
練習は、デイドリーム前の水深15mを最大水深とするエリアで行う。
テックサイドマウントと謳っていても、テクニカルダイビングではないので、閉鎖環境なし、40m以深なし、減圧なし、暗闇なしのレジャーダイビングの一環として行う。
講習自体の最大水深は、30m未満で設定されているようだ。
いずれにしても、ダイビング環境としては、DD前なので、流れなし、透視度なし(!)、大物なしの、まったりとしたダイビングになる。
余計なことを考えずに、トレーニングに専念できるというわけだ。
洞窟や沈船のペネトレーションではなく、オープンウォーター環境で、浮いたり沈んだりするのがメインのダイビングしか考えていない浮沈子は、減圧ダイビングにおいてもCCR有利と考えてるんだが、加藤先生(!)は、オープンサーキットの信頼性を高く評価しているようだな。
ヘリウム混合ガスのリスクについても、浮沈子的には窒素による昏睡が怖いので、なるべく浅い水深(30mくらい)から吸いたいと思うんだが、環境(水温等)によっても、個人的な耐性によっても、そのリスクは変わってくるので、どの水深から吸うのが適正かというのは普遍的なことは言えないようだ。
このことについては、夕食時にイントラにも確認したが、経験上もさまざまな事例があり、理論的にも未知の部分があって、さらに減圧症についてはヘリウム混合ガスで発生した場合の重症度も高まるということで、必要の範囲内での使用という「個人的意見」だったな。
もちろん、ICD(アイソバリック・カウンター・ディフュージョン)によるリスクもある。
意外だったのは、CCRを使用して50パーセント以上のヘリウム混合ガスを吸った方の事例としては、寒さに震えてしまったというリスクがあったようだ。
確かに、体温の喪失という話はあるが、個人差があるとはいえ、それ程のリスクがあるとは思わなかったな。
コストの問題や、入手しやすさの問題は別にしても、どこでも誰でも気軽に吸えるガスとは言えないようだ。
もちろん、現時点ではパラオでの入手は困難で、デイドリームでも予定は立っていないようだ。
しかし、一方で、ガス昏睡のリスクは確実にあり、その環境で、その日の個人のコンディションで、どの深度からヘリウムを吸うべきかというのは、難しい判断になる。
トライミックスダイビングというのが、あまり普及していない中で、2015年4月1日からは40m以深の作業ダイビングでは、強制的にヘリウム混合ガスを吸うことになっている。
チャンバーがあることを前提とし、医療機関へのアクセスも確保された中で、様々な事例が積み重ねられていくことだろう。
もちろん、レジャーダイバーである我々が、そんなヤバイリスクを負うことは出来ない。
さらに保守的に、さらに安全性を高めたダイビングで、大いに楽しむべきだ。
それでも、避け難いリスクは残る・・・。
いくら頑強な身体でも、鉄の精神力があっても、高圧下でガスを呼吸する環境圧潜水である限り、ヤクザな世界であることは違いないのだ。
可能な限りの手立てを尽くし、楽しみに応じたリスクを受け入れ、何の問題もなくエキジットできることを前提としてダイビングする。
それしかないだろう。
もちろん、レクリエーショナルダイビングの世界でも、十分に楽しいし、世界の海を潜り尽すことなど出来はしない。
テクニカルダイビングが広げてくれる世界が、どれ程のものかは、浮沈子には良く分からないが、限られた時間と体力と先立つものを考えた時に、どちらを選択すべきかというのは難しい問題だ。
いや、だからこそ、浮沈子の場合、テクニカルダイビングの世界に首を突っ込んでみたいという気持ちになったことも事実である。
あと10年経ったら、そういうことにチャレンジしようという気にはならなかったに違いない。
シングルタンクのサイドマウントで、龍馬に乗って潜っている方がいいに決まってる!。
今だって、たぶんギリギリのところなんだろうし、講習を進めていく中で、挫折してしまう可能性は、決して低くはない。
負うべきリスクに対して、楽しみの部分が少ないと感じれば、一瞬のうちに脱落するだろう。
今日の座学は、もちろん、テクニカルダイビングそのものの講習ではない。
しかし、多くの点で、それに繋がる要素を含んだ講習だった。
一応、頭では、ぼんやりと分かったような気になったが、身体で分かっているわけではないし、分かるかどうかも定かではない。
明日からは、それが試されることになるわけだな。
それにつけても、ヘリウムのリスクについて、浮沈子は、余りにも無知であったことに改めて気づかされた(まあ、いつものことですが)。
CCRでさえ、体温喪失でヤバいことになる可能性があるわけで、これがオープンサーキットだったらと考えると、ますますテクニカルダイビングはCCRでやりたくなってきたことも事実だ。
まあ、これについても、どっちがリスキーかという話になれば、延々と続く議論があるんだろうな・・・。
画像は、龍馬1号の食事を知らせるベル。
朝昼夜と、このベルが鳴るのが、クルーズならではの楽しみでもある。
アンテロープ再訪 ― 2016年06月08日 21:38
アンテロープ再訪
パラオ到着後(6月1日午前1時)、直接龍馬1号に乗船し、1週間のクルーズを終えて、昨日、アンテロープにチェックインした。
寛げる・・・。
ここでは、まったりとした時間が流れている。
誰も慌てて走り回ったりはしない。
お客さんは何人かいるようだが、お互いに干渉しないような配慮をしている。
時折、話しかけられたりもするが、まあ、適当に答える。
構って欲しくないという意思を、やんわりと伝えればいいのだ。
夜の食堂(サマーハウスと呼んでいる)は、今夜も浮沈子とカウンターのスタッフだけ・・・。
昔は、ここでもホテルに宿泊している以外のお客さんにも食事を出していたようだが、現在は、宿泊客か、そのゲストだけのようだ。
午後3時までに予約しないと、夕食にはありつけないし、前日に予約しないと朝食は出てこない。
いけねっ、明日の朝食の予約をしていなかったことに気付く。
面倒くさいので、18日まで、纏めて予約をした。
この時期、雨期に入っているせいもあって、蒸し暑い。
蚊が多く、蚊取り線香が足元に置かれている。
4階の部屋にはデスクがないので、パソコンを打つときには食堂に降りてきて打つのだが、この蒸し暑さは堪えるな。
今夜は、そよとも風が吹かない。
まあ、そんな晩もあるさ・・・。
穏やかな時間だけが過ぎてゆき、蚊取り線香の渦巻きが短くなっていく・・・。
1週間、龍馬1号にゆられて、下船してみると、揺れていないのが不思議な気がしてくる。
陸酔いというのではないのだが、揺れるだろうと体が構えている。
人間が陸生動物になってから、随分と時間が経っているに違いないのだが、波に揺られていたころの記憶が、どこか奥深いところに仕舞われているのかも知れない。
そういえば、船で揺られているうちに、その揺れが心地良くなってきた瞬間が何度かあったな。
しかし、その記憶は、もっと最近の、ゆりかごで揺られていたころのものかもしれない。
さて、我が家にゆりかごなんて、あったかな?。
まあいい。
遠い遠い、或いは、やや遠い記憶を手繰りながら、世界がゆったりと揺れていたころの感覚を再び味わう。
船旅の情緒は、そんな記憶をベースにしているのかもしれない。
今回は、本当に天気に恵まれた航海だったな。
昨夜、再び出港した龍馬1号は、波が荒くて往生しているという連絡もあったようだ。
ゲメリス方面に行った高速船も、外洋には出られなかったそうだしな。
自然相手の遊びは、そういう不確定要素が付きまとう。
それは、陸上でも、人間の作り上げた人工環境である都市でも同じことだ。
立派な道路を作り、橋を架け、ビルを建てても、それだけでは生活は出来ない。
そこへ水や食糧を供給しなければならないし、ガスや電気も送らなければならない。
南の島に来ると、そんな当たり前のことに、今更ながら気づかされる。
どこにいても、人間は、自然の脅威から逃れることは出来ないし、自然の豊かな恵みに頼って生きている存在なのだと・・・。
また、こうも思うのだ。
その中で、たった一人で生きている人間はいない。
どこかで助け合い、頼り合っている。
無人島ならいざ知らず、今回訪ねた島々では、わずかな人数で暮らしを切り盛りしていたし、島の外部からの支援も大きいだろう。
我々は、もちろん歓迎されているには違いないが、所詮はお客さんとしてお邪魔しているに過ぎない。
そして、そこには裸の自然がそのままあり、人々はそれと寄り添って生きているのだ。
東京という大都会の片隅で棲息している浮沈子にも、そのことは分かる。
しかし、たぶん、頭で分かった気になっているだけで、骨身にしみて分かっているわけではないのだろう。
ウミガメの産卵をヘレンで見た時には、夜空は満天の星だった。
夜にも関わらず、海鳥たちの鳴き声が騒がしく、いささか情緒を削いでくれてはいたが、この星の生き物たちが、星屑から生まれたということを確信させられた。
赤道まで数百キロの島で見える星々は、半分近くは見慣れない星座だったが、まあ、その辺はどうでもいい。
北斗七星も、さそり座も、火星も、土星も見えていたし、明け方にはカシオペアも上がった。
北極星は、水平線の上に、かすかに顔を出しているだけだったな。
そんなことを思い出しながら、蒸し暑いアンテロープでの夜をうだうだと過ごす。
何人かの宿泊客やスタッフが、食堂に立ち寄りはしたが、再び静かな時間が流れ出している。
テレビでは、113番元素が、ニホニウム(Nh)という名前になりそうだと報じている。
まあ、どうでもいいんですが。
宇宙が作りだせなかった元素を、一瞬、人間が生み出して名前を付ける。
それは、直ちに分解して、別の元素になってしまうようだが、何か我々の存在を象徴しているような気がしないでもない。
浮沈子は、地球外知的生命の存在には懐疑的で、ヨタ話以上のものではないと思っている。
そして、何億年か後に、地球上の生命がみんな滅んでしまったら、当分、この宇宙を認識する存在は現れないのではないかと考えている。
113番元素のようなもんだな。
一瞬の存在に、名前を付けているだけかもしれない。
それが意味のない事とは思わないし、その短い時間の中で、歴史を刻み、精一杯生き抜くことしか出来ないのだ。
ああ、こういうことは、やはり東京の片隅にいると考えづらいかもしれないなあ。
脳みそを、1週間揺すられ続けて、少し柔らかくなったのかもしれない。
さて、明日からの実技講習に備えて、早めに休んでおこうかな。
今朝は、電池が切れて、部屋の目覚ましが鳴らず、もう少しで朝食を食べそこなうところだった!。
そういえば、前回の宿泊の時も、別の部屋だったが、目覚まし時計の電池(珍しい単二)が切れていたっけ・・・。
画像は、部屋の窓から見た龍馬1号(6月7日午後撮影:白い船の方です)。
パラオ到着後(6月1日午前1時)、直接龍馬1号に乗船し、1週間のクルーズを終えて、昨日、アンテロープにチェックインした。
寛げる・・・。
ここでは、まったりとした時間が流れている。
誰も慌てて走り回ったりはしない。
お客さんは何人かいるようだが、お互いに干渉しないような配慮をしている。
時折、話しかけられたりもするが、まあ、適当に答える。
構って欲しくないという意思を、やんわりと伝えればいいのだ。
夜の食堂(サマーハウスと呼んでいる)は、今夜も浮沈子とカウンターのスタッフだけ・・・。
昔は、ここでもホテルに宿泊している以外のお客さんにも食事を出していたようだが、現在は、宿泊客か、そのゲストだけのようだ。
午後3時までに予約しないと、夕食にはありつけないし、前日に予約しないと朝食は出てこない。
いけねっ、明日の朝食の予約をしていなかったことに気付く。
面倒くさいので、18日まで、纏めて予約をした。
この時期、雨期に入っているせいもあって、蒸し暑い。
蚊が多く、蚊取り線香が足元に置かれている。
4階の部屋にはデスクがないので、パソコンを打つときには食堂に降りてきて打つのだが、この蒸し暑さは堪えるな。
今夜は、そよとも風が吹かない。
まあ、そんな晩もあるさ・・・。
穏やかな時間だけが過ぎてゆき、蚊取り線香の渦巻きが短くなっていく・・・。
1週間、龍馬1号にゆられて、下船してみると、揺れていないのが不思議な気がしてくる。
陸酔いというのではないのだが、揺れるだろうと体が構えている。
人間が陸生動物になってから、随分と時間が経っているに違いないのだが、波に揺られていたころの記憶が、どこか奥深いところに仕舞われているのかも知れない。
そういえば、船で揺られているうちに、その揺れが心地良くなってきた瞬間が何度かあったな。
しかし、その記憶は、もっと最近の、ゆりかごで揺られていたころのものかもしれない。
さて、我が家にゆりかごなんて、あったかな?。
まあいい。
遠い遠い、或いは、やや遠い記憶を手繰りながら、世界がゆったりと揺れていたころの感覚を再び味わう。
船旅の情緒は、そんな記憶をベースにしているのかもしれない。
今回は、本当に天気に恵まれた航海だったな。
昨夜、再び出港した龍馬1号は、波が荒くて往生しているという連絡もあったようだ。
ゲメリス方面に行った高速船も、外洋には出られなかったそうだしな。
自然相手の遊びは、そういう不確定要素が付きまとう。
それは、陸上でも、人間の作り上げた人工環境である都市でも同じことだ。
立派な道路を作り、橋を架け、ビルを建てても、それだけでは生活は出来ない。
そこへ水や食糧を供給しなければならないし、ガスや電気も送らなければならない。
南の島に来ると、そんな当たり前のことに、今更ながら気づかされる。
どこにいても、人間は、自然の脅威から逃れることは出来ないし、自然の豊かな恵みに頼って生きている存在なのだと・・・。
また、こうも思うのだ。
その中で、たった一人で生きている人間はいない。
どこかで助け合い、頼り合っている。
無人島ならいざ知らず、今回訪ねた島々では、わずかな人数で暮らしを切り盛りしていたし、島の外部からの支援も大きいだろう。
我々は、もちろん歓迎されているには違いないが、所詮はお客さんとしてお邪魔しているに過ぎない。
そして、そこには裸の自然がそのままあり、人々はそれと寄り添って生きているのだ。
東京という大都会の片隅で棲息している浮沈子にも、そのことは分かる。
しかし、たぶん、頭で分かった気になっているだけで、骨身にしみて分かっているわけではないのだろう。
ウミガメの産卵をヘレンで見た時には、夜空は満天の星だった。
夜にも関わらず、海鳥たちの鳴き声が騒がしく、いささか情緒を削いでくれてはいたが、この星の生き物たちが、星屑から生まれたということを確信させられた。
赤道まで数百キロの島で見える星々は、半分近くは見慣れない星座だったが、まあ、その辺はどうでもいい。
北斗七星も、さそり座も、火星も、土星も見えていたし、明け方にはカシオペアも上がった。
北極星は、水平線の上に、かすかに顔を出しているだけだったな。
そんなことを思い出しながら、蒸し暑いアンテロープでの夜をうだうだと過ごす。
何人かの宿泊客やスタッフが、食堂に立ち寄りはしたが、再び静かな時間が流れ出している。
テレビでは、113番元素が、ニホニウム(Nh)という名前になりそうだと報じている。
まあ、どうでもいいんですが。
宇宙が作りだせなかった元素を、一瞬、人間が生み出して名前を付ける。
それは、直ちに分解して、別の元素になってしまうようだが、何か我々の存在を象徴しているような気がしないでもない。
浮沈子は、地球外知的生命の存在には懐疑的で、ヨタ話以上のものではないと思っている。
そして、何億年か後に、地球上の生命がみんな滅んでしまったら、当分、この宇宙を認識する存在は現れないのではないかと考えている。
113番元素のようなもんだな。
一瞬の存在に、名前を付けているだけかもしれない。
それが意味のない事とは思わないし、その短い時間の中で、歴史を刻み、精一杯生き抜くことしか出来ないのだ。
ああ、こういうことは、やはり東京の片隅にいると考えづらいかもしれないなあ。
脳みそを、1週間揺すられ続けて、少し柔らかくなったのかもしれない。
さて、明日からの実技講習に備えて、早めに休んでおこうかな。
今朝は、電池が切れて、部屋の目覚ましが鳴らず、もう少しで朝食を食べそこなうところだった!。
そういえば、前回の宿泊の時も、別の部屋だったが、目覚まし時計の電池(珍しい単二)が切れていたっけ・・・。
画像は、部屋の窓から見た龍馬1号(6月7日午後撮影:白い船の方です)。
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