虹と散歩 ― 2016年06月13日 08:28
虹と散歩
6時過ぎに部屋を出て、1時間ほど散歩する。
この時刻だと、まだ人通りや車の数も少なく、街道沿いも歩きやすい。
野良犬には注意だがな。
道の反対側に避ける。
向こうも、同時に避けたりする。
お前もかよ!?。
あっちも、そう思ってるに違いない。
まあいい。
首輪の付いた犬もいるが、概ね放し飼いなんだろう。
マラカル近辺の散歩は、半分野生の中での散歩だ。
いつもと反対側の方に足を延ばしてみる。
外洋に通じる水路にある灯標から延びるブイの列の岸側の根元に、上海飯店と書いた店があり、その前がちょっとしたビーチになっている。
天気雨のような、小雨が時折降る感じだったので、虹が掛かっていた。
何枚か撮った中で、そのビーチ前からの画像を載せておく。
地元の方にとっては、珍しくもないんだろうが、南の島の海に掛かる虹は美しい。
何かを見て、美しいと感じる心、その、心が高揚する気分を味わう。
さりげない、日常の一コマを、心のシャッターが切り取る。
帰ってきてから、シャワーを浴びて、いつものコンチネンタル・ブレックファスト。
昨夜は、しっかりと夕食を摂ったので、飢餓感はない。
朝の貴重な1杯のコーヒーを、胃袋に流し込む。
目を閉じて、これはコーヒーだと念じなくても、これは、間違いなくコーヒーだ。
朝食に付くヤツは、一応ドリップしている。
が、味はドブ水と変わりない。
しかし、ちゃんとカフェインは入っているし、コーヒーの香りもする。
今日も、これ1杯で凌ごう。
目の前に留まっていたロックアイランド・アグレッサーは、今朝6時に離岸して、沖合のブイに停泊している。
スターンの稼働ステージでテンダーをリフトするやつだ。
イントラは、以前に何度か乗ったことがあるという。
ハンパないサービスで、お客は、チップ切りまくるそうだ・・・。
まあ、そういうお客様が乗る船なんだろう。
接岸中に外から撮った写真もあるが、機会があればこのブログにも載せる。
ダイビングデッキが広々としていて、器材の整備やセッティングもそこで行うようだ。
タンクホルダーは、テンダーの前向きの椅子の背にそれぞれ付いていて、稼働デッキで上がってきたダイバーは、あとはスタッフに任せて、そのまま本船に上がるだけ。
波があっても、乗り移りの際に慌てることもない。
食堂は、4人組の白人のお客さんの朝食が始まり、とたんに賑やかになった。
何語なんだろうか?。
浮沈子には、皆目見当が付かない会話を楽しんでいる。
ダイバーではないようだな。
シュノーケリングのツアーとかに行っているようだ。
浮沈子だけの時には点けてくれなかった照明も、ヤツラがくるとスタッフが全部点灯する。
まあ、世の中、概ね、だいたい、そんなもんだ。
浮沈子なんて、客の内には入らないんだろう・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
緑の島、青い海、白い雲、燦々と照り付ける南国の太陽・・・。
十分なおもてなしだ。
今日は、10時集合なので、朝はのんびりできる。
日陰にいれば、この時間なら涼しい気候だ。
ちょっと動くと暑いけどな。
早出のダイビングボートが、一斉に出港していく時間だ。
パラオの日常が動き出す。
ランドツアーのお迎え、ダイブショップからのお迎えも重なる。
DD6(紺色のボート)は、早朝ダイビングに行ったようなので、そろそろ、DD7が出ていくだろう。
そう、これは、日常生活。
毎日のように繰り返される、パラオのふつーの生活・・・。
その中で、浮沈子は浮いている(もちろん、海では沈んでますが)・・・。
お客さんとして、馴染むようにはしているが、あくまでも部外者なのだ。
その距離感、付かず離れずの、びみょーな頃合いを楽しむ。
生活者の視点で見るパラオと、一時滞在する部外者の視点は、おそらく全く異なる。
そんなことは、百も承知だ。
それでも、南の島が好きだ。
100年経ったら変わってしまうかもしれないが、たぶん根っこのところは変わらないだろうな。
ダイビングボートは電動モーターで推進しているかも知れないし、乾期の水不足に悩むこともなく、部屋の電機蚊取器を食堂に持ってくる(!)こともないかもしれないが、おしゃべりを楽しみ、小さな修理に夢中になり、お客さんに愛想のいいスタッフは同じだろうな。
彼らの孫の、そのまた孫の代になっても、それは変わらないに違いない。
悠久の時の流れを感じながら、日常生活の強靭さ、安定感、変わることのない人間の営みに思いを馳せる。
きっと、100年後だって、朝の虹は掛かっているだろう。
その虹の下で営まれる人々の生活もまた、同じリズムで繰り返されるのだ。
少なくとも、この南の島では・・・。
6時過ぎに部屋を出て、1時間ほど散歩する。
この時刻だと、まだ人通りや車の数も少なく、街道沿いも歩きやすい。
野良犬には注意だがな。
道の反対側に避ける。
向こうも、同時に避けたりする。
お前もかよ!?。
あっちも、そう思ってるに違いない。
まあいい。
首輪の付いた犬もいるが、概ね放し飼いなんだろう。
マラカル近辺の散歩は、半分野生の中での散歩だ。
いつもと反対側の方に足を延ばしてみる。
外洋に通じる水路にある灯標から延びるブイの列の岸側の根元に、上海飯店と書いた店があり、その前がちょっとしたビーチになっている。
天気雨のような、小雨が時折降る感じだったので、虹が掛かっていた。
何枚か撮った中で、そのビーチ前からの画像を載せておく。
地元の方にとっては、珍しくもないんだろうが、南の島の海に掛かる虹は美しい。
何かを見て、美しいと感じる心、その、心が高揚する気分を味わう。
さりげない、日常の一コマを、心のシャッターが切り取る。
帰ってきてから、シャワーを浴びて、いつものコンチネンタル・ブレックファスト。
昨夜は、しっかりと夕食を摂ったので、飢餓感はない。
朝の貴重な1杯のコーヒーを、胃袋に流し込む。
目を閉じて、これはコーヒーだと念じなくても、これは、間違いなくコーヒーだ。
朝食に付くヤツは、一応ドリップしている。
が、味はドブ水と変わりない。
しかし、ちゃんとカフェインは入っているし、コーヒーの香りもする。
今日も、これ1杯で凌ごう。
目の前に留まっていたロックアイランド・アグレッサーは、今朝6時に離岸して、沖合のブイに停泊している。
スターンの稼働ステージでテンダーをリフトするやつだ。
イントラは、以前に何度か乗ったことがあるという。
ハンパないサービスで、お客は、チップ切りまくるそうだ・・・。
まあ、そういうお客様が乗る船なんだろう。
接岸中に外から撮った写真もあるが、機会があればこのブログにも載せる。
ダイビングデッキが広々としていて、器材の整備やセッティングもそこで行うようだ。
タンクホルダーは、テンダーの前向きの椅子の背にそれぞれ付いていて、稼働デッキで上がってきたダイバーは、あとはスタッフに任せて、そのまま本船に上がるだけ。
波があっても、乗り移りの際に慌てることもない。
食堂は、4人組の白人のお客さんの朝食が始まり、とたんに賑やかになった。
何語なんだろうか?。
浮沈子には、皆目見当が付かない会話を楽しんでいる。
ダイバーではないようだな。
シュノーケリングのツアーとかに行っているようだ。
浮沈子だけの時には点けてくれなかった照明も、ヤツラがくるとスタッフが全部点灯する。
まあ、世の中、概ね、だいたい、そんなもんだ。
浮沈子なんて、客の内には入らないんだろう・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
緑の島、青い海、白い雲、燦々と照り付ける南国の太陽・・・。
十分なおもてなしだ。
今日は、10時集合なので、朝はのんびりできる。
日陰にいれば、この時間なら涼しい気候だ。
ちょっと動くと暑いけどな。
早出のダイビングボートが、一斉に出港していく時間だ。
パラオの日常が動き出す。
ランドツアーのお迎え、ダイブショップからのお迎えも重なる。
DD6(紺色のボート)は、早朝ダイビングに行ったようなので、そろそろ、DD7が出ていくだろう。
そう、これは、日常生活。
毎日のように繰り返される、パラオのふつーの生活・・・。
その中で、浮沈子は浮いている(もちろん、海では沈んでますが)・・・。
お客さんとして、馴染むようにはしているが、あくまでも部外者なのだ。
その距離感、付かず離れずの、びみょーな頃合いを楽しむ。
生活者の視点で見るパラオと、一時滞在する部外者の視点は、おそらく全く異なる。
そんなことは、百も承知だ。
それでも、南の島が好きだ。
100年経ったら変わってしまうかもしれないが、たぶん根っこのところは変わらないだろうな。
ダイビングボートは電動モーターで推進しているかも知れないし、乾期の水不足に悩むこともなく、部屋の電機蚊取器を食堂に持ってくる(!)こともないかもしれないが、おしゃべりを楽しみ、小さな修理に夢中になり、お客さんに愛想のいいスタッフは同じだろうな。
彼らの孫の、そのまた孫の代になっても、それは変わらないに違いない。
悠久の時の流れを感じながら、日常生活の強靭さ、安定感、変わることのない人間の営みに思いを馳せる。
きっと、100年後だって、朝の虹は掛かっているだろう。
その虹の下で営まれる人々の生活もまた、同じリズムで繰り返されるのだ。
少なくとも、この南の島では・・・。
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