フェルミのパラドックス ― 2016年07月29日 01:51
フェルミのパラドックス
その筋の方には常識なのかもしれないが、寡聞にして知らなかったな。
(フェルミのパラドックス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E6%8E%A8%E5%AE%9A
「地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことである。」
多くの科学者は、宇宙には知的生命なんで、無数にある(いる?)と信じている(他人には、そうは言わなくても、心の中では絶対にそう思っている)。
いや、実は、もう、既に地球人の3人に1人は宇宙人だという話もある(ホントかあ?)。
残りの2人のうち、一人は混血で、地球生まれは最後の3分の1に過ぎない。
そして、それはデブだ・・・。
運動もしないくせに、いくら食っても太らないのは宇宙人で、運動すれば、まあまあ体形を維持できるのは混血、食うだけで運動しないのは、生粋の地球人だ。
地球人は、飢餓に耐えてきたので、食えば直ちにごろ寝して、脂肪を蓄えようとするわけだな・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
(地球外生命からコンタクトがない理由)
http://www.astroarts.co.jp/news/2016/01/27exolife/index-j.shtml
「地球外文明が存在する可能性は高いのにそうした文明との接触は皆無である。「フェルミのパラドックス」として知られているこの問題の、もっともらしい答えは、今回の説にある初期絶滅が全宇宙的なものだということかもしれない。」
浮沈子は、生命の発生自体が、そう簡単には起こらないと考えている。
適当な環境があって、適当な材料があったとしても、極めて稀な現象として、生命の原初的な化学反応が始まり、その系が持続して成長(進化)し、環境の変化に適応しつつ、生命というに相応しい形態をとるということは、奇跡に近いと信じているのだ。
だから、フェルミの分類では、最もネガティブな回答となる。
「この宇宙には地球以外に生命体が存在しない。「存在しないものは来ない」。:
・この宇宙には地球以外に生命が存在しない。」
「地球外生命発生と知的生物の発生とはまったく異なる事象」
それはどうかな。
進化は、環境変化の反作用として現れるから(たぶん)、その形態はともかく、環境適応のプロセスとして、神経系を発達させた従属栄養型生物が生まれることは十分考えられる。
その方が、生存には適している。
環境の変化に柔軟に対応でき、生き残るために複雑な行動をとることができるからな。
それを、我々は、単に知的生物と呼んでいるだけの話だ。
そいつらが、電磁波を使った通信を試みるかどうかは、知的生物であるかどうかの指標にはなるまい。
ボイジャー(航海者)として、何らかの形で恒星間飛行を試みるかどうかも不明だ。
浮沈子は、本物の知的生命なら、そういうアホなことは試みないだろうと信じている。
地球人類は、その意味では、知的生命体ではないかも知れないじゃん!?。
単一の恒星系(連星かも知れないが)の中で、生存に最も適した環境でだけ暮らして、その恒星の寿命と共に滅びるというのが賢い。
わざわざ、生存に適さない過酷な環境に身をさらすような真似はしない。
浮沈子は、もし、仮に、他の恒星系に知的生命体がいたとしても、他の星系に行こうなどとは考えないに違いない。
なぜなら、それが知的生命体というものだから。
アホな生命体は、後先考えずに、恒星間空間に乗り出すかも知れないが、そういうのは、さっさと滅びてしまって、跡形もなくなっているだろう。
もっとも、恒星の軌道を自在にコントロールして、恒星系ごと宇宙空間を移動するという技を身に着けていれば、話は別だ。
我々が、セダンや、都市型SUVに乗って、快適な旅行を楽しむように、住み慣れた恒星系を丸ごと動かして航行し、銀河の中を自在に動き回る。
恒星の寿命もあるだろうから、いつまでも続くわけではないが、そんなことができるくらいだから、恒星系を乗り換えるくらいのことはするかもしれない。
我々が、少々古くなったクルマを乗り換えるように。
化学反応の系をどうやって持続させるか(つまり、同化や異化をどのように行うか、世代交代のようなことをするかなど)は、その生命体によって、異なるかも知れない。
しかし、そんなにまでして、他の星系の生命体に接触したいと願うだろうか?。
「知的生命体は、高度に発達すると異星人の文明との接触を好まなくなる。」
地球外生命がいるとかいないとか、喧々諤々の議論を繰り広げ、ロケットを打ち上げ、探査機を飛ばし、電波を発したり受け取ろうとするような、まあ、浮沈子から見ればアホなことは、知的生命体のすることじゃあない。
そんなことするのは、どーせ、ろくな奴じゃない!。
まともなら、じっとしているに決まっている。
ジタバタしたりはしない。
もちろん、何もしないわけではない。
星空を見上げてため息をつき、詩を口ずさみ、散歩位はするかもしれない。
それで、十分だろう。
浮沈子は、紛れもなく地球人だ。
他の人間の中に宇宙人がいれば、きっと見分けがつく。
そいつは、トラブルを避けるために、ひどく大人しいかもしれない。
物分かりが良く、穏やかで、怒り狂ったりはしない。
一日に玄米4合と、味噌と少しの野菜を食べる(ん?)。
褒められもせず、苦にもされない・・・。
そうか、だから賢治は銀河鉄道の夜を書いたのか・・・。
宇宙人、見っけ!。
その筋の方には常識なのかもしれないが、寡聞にして知らなかったな。
(フェルミのパラドックス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E6%8E%A8%E5%AE%9A
「地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことである。」
多くの科学者は、宇宙には知的生命なんで、無数にある(いる?)と信じている(他人には、そうは言わなくても、心の中では絶対にそう思っている)。
いや、実は、もう、既に地球人の3人に1人は宇宙人だという話もある(ホントかあ?)。
残りの2人のうち、一人は混血で、地球生まれは最後の3分の1に過ぎない。
そして、それはデブだ・・・。
運動もしないくせに、いくら食っても太らないのは宇宙人で、運動すれば、まあまあ体形を維持できるのは混血、食うだけで運動しないのは、生粋の地球人だ。
地球人は、飢餓に耐えてきたので、食えば直ちにごろ寝して、脂肪を蓄えようとするわけだな・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
(地球外生命からコンタクトがない理由)
http://www.astroarts.co.jp/news/2016/01/27exolife/index-j.shtml
「地球外文明が存在する可能性は高いのにそうした文明との接触は皆無である。「フェルミのパラドックス」として知られているこの問題の、もっともらしい答えは、今回の説にある初期絶滅が全宇宙的なものだということかもしれない。」
浮沈子は、生命の発生自体が、そう簡単には起こらないと考えている。
適当な環境があって、適当な材料があったとしても、極めて稀な現象として、生命の原初的な化学反応が始まり、その系が持続して成長(進化)し、環境の変化に適応しつつ、生命というに相応しい形態をとるということは、奇跡に近いと信じているのだ。
だから、フェルミの分類では、最もネガティブな回答となる。
「この宇宙には地球以外に生命体が存在しない。「存在しないものは来ない」。:
・この宇宙には地球以外に生命が存在しない。」
「地球外生命発生と知的生物の発生とはまったく異なる事象」
それはどうかな。
進化は、環境変化の反作用として現れるから(たぶん)、その形態はともかく、環境適応のプロセスとして、神経系を発達させた従属栄養型生物が生まれることは十分考えられる。
その方が、生存には適している。
環境の変化に柔軟に対応でき、生き残るために複雑な行動をとることができるからな。
それを、我々は、単に知的生物と呼んでいるだけの話だ。
そいつらが、電磁波を使った通信を試みるかどうかは、知的生物であるかどうかの指標にはなるまい。
ボイジャー(航海者)として、何らかの形で恒星間飛行を試みるかどうかも不明だ。
浮沈子は、本物の知的生命なら、そういうアホなことは試みないだろうと信じている。
地球人類は、その意味では、知的生命体ではないかも知れないじゃん!?。
単一の恒星系(連星かも知れないが)の中で、生存に最も適した環境でだけ暮らして、その恒星の寿命と共に滅びるというのが賢い。
わざわざ、生存に適さない過酷な環境に身をさらすような真似はしない。
浮沈子は、もし、仮に、他の恒星系に知的生命体がいたとしても、他の星系に行こうなどとは考えないに違いない。
なぜなら、それが知的生命体というものだから。
アホな生命体は、後先考えずに、恒星間空間に乗り出すかも知れないが、そういうのは、さっさと滅びてしまって、跡形もなくなっているだろう。
もっとも、恒星の軌道を自在にコントロールして、恒星系ごと宇宙空間を移動するという技を身に着けていれば、話は別だ。
我々が、セダンや、都市型SUVに乗って、快適な旅行を楽しむように、住み慣れた恒星系を丸ごと動かして航行し、銀河の中を自在に動き回る。
恒星の寿命もあるだろうから、いつまでも続くわけではないが、そんなことができるくらいだから、恒星系を乗り換えるくらいのことはするかもしれない。
我々が、少々古くなったクルマを乗り換えるように。
化学反応の系をどうやって持続させるか(つまり、同化や異化をどのように行うか、世代交代のようなことをするかなど)は、その生命体によって、異なるかも知れない。
しかし、そんなにまでして、他の星系の生命体に接触したいと願うだろうか?。
「知的生命体は、高度に発達すると異星人の文明との接触を好まなくなる。」
地球外生命がいるとかいないとか、喧々諤々の議論を繰り広げ、ロケットを打ち上げ、探査機を飛ばし、電波を発したり受け取ろうとするような、まあ、浮沈子から見ればアホなことは、知的生命体のすることじゃあない。
そんなことするのは、どーせ、ろくな奴じゃない!。
まともなら、じっとしているに決まっている。
ジタバタしたりはしない。
もちろん、何もしないわけではない。
星空を見上げてため息をつき、詩を口ずさみ、散歩位はするかもしれない。
それで、十分だろう。
浮沈子は、紛れもなく地球人だ。
他の人間の中に宇宙人がいれば、きっと見分けがつく。
そいつは、トラブルを避けるために、ひどく大人しいかもしれない。
物分かりが良く、穏やかで、怒り狂ったりはしない。
一日に玄米4合と、味噌と少しの野菜を食べる(ん?)。
褒められもせず、苦にもされない・・・。
そうか、だから賢治は銀河鉄道の夜を書いたのか・・・。
宇宙人、見っけ!。
最終日 ― 2016年07月29日 10:00
最終日
(Windows 10無料アップグレードは本日終了 明日からどうなる? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1607/29/news035.html
もちろん、一部を除いて、有料アップグレードになる。
一部というのは、障害者支援などの機能を必要とする用途で使われるPCらしい。
が、一般的には有償になる。
企業向けには、期限付きの有償ライセンスが出る模様だ。
「米Microsoftは一部企業向けにWindows 10 Enterpriseを月額7ドル(約730円)、年間84ドル(約8760円)で利用可能なサブスクリプションモデル「Windows 10 Enterprise E3」を2016年秋に投入する(日本での展開は未定)。」
ウインドウズ10にも、サポート期限があるというのは、初めて知ったな。
「Windows 10導入のメリットで大きいのがサポート期限の延長だ。Windows 7は2020年1月14日、Windows 8~8.1は2023年1月10日にサポートが終了し、以後はセキュリティ更新プログラムが提供されなくなることから情報漏えいなどのリスクが増大するが、Windows 10は現状で2025年10月14日までサポートが受けられる。」
アップグレードしたパソコン自体が、そんなに長く使えるとは思わないけどな。
ネットに接続したり、怪しげなフリーソフトを入れなければ、サポートが切れても使い続けることは出来る。
OSなんて、所詮はアプリ走らせるための環境に過ぎない。
フリーのOSなんて、星の数ほどある。
M社の窓系だけが、OSじゃあない。
パソコンは、永遠に不滅だあ!。
そう、2025年になったら、パソコン自体が絶滅しているかも知れないしな。
M社が、最後のOSといっているのは、そういうことだったのかあ?。
それとも、M社自体が消えてなくなるとか・・・。
(「Windows 10がWindowsの最後のバージョンになる」とMicrosoftが明言)
http://gigazine.net/news/20150511-microsoft-stop-windows-version/
「Windows 10がデスクトップソフトウェアの「最後のバージョンになる」と発言しています。」
まあ、どうでもいいんですが。
とにかく、10に無償アップグレードできる最終日がやってきた。
ハワイ時間の29日が終わるまでに、ようこそ画面が出ている必要があるらしいが、実際にはどうなるか分からない。
ギリギリになって、サーバーが落ちるかもしれないしな(「いえ、それは仕様です」)。
まあいい。
10は、すでに2015年11月に、大規模アップグレード(バージョンアップ)を行っている。
来月、8月2日には、さらにバージョンアップさせると報じられている。
(Windows 10の1周年記念アップデートを8月2日に入手できる人とできない人 (1/2))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1607/26/news099.html
はじめに出てきた障害者向けの無償アップグレード期間の延長というのは、この中の機能を考慮しているともいわれている。
「なんで自分のPCにはAnniversary Updateがやってこないの?」
えーと、それはですね、M社への忠誠が足りないからじゃね?。
いずれにしても、泣いても笑っても、今日が最後だ。
M社への忠誠を問われる、10へのアップグレード。
浮沈子は、手持ちの可能なパソコンを全て済ませた。
メーカーが対象外といっていた、レッツノートまでアップグレードした。
心安んじて、最終日を過ごすことが出来る。
万が一に備えて、クリーンインストール用のISOファイルもゲットしてある(これは、明日以降も落とせるようです)。
まあ、8月2日以降に、再度落とし直さなくてはならないけどな。
既に、次の次に何が変わるかという話も出ている。
(Windows 10 Mobile向け「Redstone 2」のアップデート内容がリーク)
http://ggsoku.com/2016/05/leak-redstone-2-for-windows-10-mobile-info/
「Interactive Tiles」
「マルチウィンドウおよび画面分割機能も新たに導入される可能性を指摘。「Android N」が同機能をネイティブにサポートしたことにより、マイクロソフトもWindows 10 Mobileへの実装を真剣に検討し始めた」
「Windows 10搭載PCとWindows 10 Moibleスマートフォン間において、シームレスなアプリ内データの連携を可能にする “アプリローミング” 機能や、Windows 10搭載PCを介して電話を掛けることを可能にする機能など」
「Redstone 1とRedstone 2は、それぞれ2016年6~7月中と2017年3~4月にかけて正式に提供が開始される見込み」
「前者に関しては主にUIの改善と機能の追加、後者においてはユーザビリティの追及を含む全体的な洗練に注力」
モバイル版の話だが、リリース時期は一緒で、パソコンとモバイルの連携を重視している。
記事では、アンドロイドを意識しているような書き方だが、真似っこしているのは、もちろんアップルの製品だ。
M社がアップルウォッチのようなデバイスを出すかどうかは不明だが、未来はそっちの方に確実に動いている。
パーソナルコンピューティングは、21世紀初頭の現在、大きく変わろうとしている。
パソコンというのは、20世紀の製品で、やがては消えてなくなる運命にある。
概念としては残るかも知れないが、実体はスマホやウェアラブルに置き換えられていく。
既に、個人ではパソコンを使わない人が大半になっているらしい(じゃあ、何でパソコンっていうの?)。
浮沈子は、20世紀の人間なので、当然パソコン派だ。
フリック入力なんてできないし、スマホのちっこい文字を、老眼を凝らして見ることもできない(判読不能)。
その点で、コンティニュアムには期待している。
今は、シングルウインドウだとか、使える機能が限られているとか、実際には使い物にならないんだろうが、スマホの充電をしながら気軽にデスクトップ環境を堪能できるアイテムが出来れば、是非とも使ってみたい。
つーか、そういう形でしか、パソコンは生き残れないだろう(ゲーム専用機を除く)。
浮沈子は、X220をメインマシンとして使っているが、理由はキーボードが打ちやすいから。
モニターは、24インチの外付け。
ゲートウェイのノートパソコンに切り替えようとしているけど、ひょっとしたら、キーボードも外付けにするかもしれない(むちゃくちゃ、打ちにくいので)。
持ち運ぶこともあるので、ノート型であることは必須だ。
世界中、どこでも同じ環境で使えるしな。
それが、スマホで実現できて、ホテルの部屋のモニターに繋ぐだけで使えるなら、それに越したことはない。
キーボードは、自前のを持参しようかな(折り畳みのヤツがいいな)。
そのうち、コアの機能は腕時計の中に納まり、スマホ自体がマンマシンインターフェイスだけになるだろう。
つーか、計算資源の大部分が、クラウドに移行されてしまう。
ユーザーIDと、インターフェイスだけをパーソナライズする。
IoTが進めば、さらに異なる状況が発生することになる。
VRさながらの世界が生まれる。
あらゆるデバイスがインターフェイスになり、ユーザーIDは、生体認証になり、近づいたり、話しかけたりするだけで全てが動き出す。
いや、キーボードだけは手放せないな。
そして、人類は、グローバル・コンピューターのネットワークと、無数のデバイスの中で暮らすようになるのだ。
まあ、何事にも例外はある。
ダイビング中には、それらから解放され、コンピューターのない真実の世界と生身で向かい合うことが出来る。
まあ、ダイコンとか、CCRとか、スタンドアローンのデバイスはあるけどな。
そのうち、超音波を使った水中デジタル通信が一般化されて、ダイビングスポットでは水中でもメールくらいなら受信できるようになるかも知れない。
急ぎのメールが来たとしても、浮上速度や安全停止は守りましょう!。
そんな注意を喚起しなければならなくなるかもしれない。
世も末だな・・・。
今日は、10に無償アップグレードできる最終日なだけだ。
今は、まだ、グローバル・コンピューターの中に捕らわれる心配はしないでもいい。
このブログを上げ、パソコンの電源を落とせば、仮想世界からは解き放たれ、生身の身体を動かして、現実の世界で動き回ることが出来る(浮沈子は、ポケモンGoとかやらないので、ピカチュウとかは見えません!)。
水道の蛇口とか、部屋の照明のスイッチとか、ドアノブにチップが埋め込まれて、浮沈子の行動が逐一、ネットワークを介してグローバル・コンピューターに履歴として蓄積されることもない。
部屋の鍵は、金属製のヤツで、ガチャッと回すタイプだ。
エアコンだって、外からスマホでスイッチ入れることなどできはしない。
20世紀の生活に馴染んだ浮沈子には、実に心地良い。
何かをするためには、実際にそこにいって、身体を動かして物理的な実態を操作する必要がある。
スマホの中の仮想化されたスイッチをクリックして、ネットワーク越しにリモート操作して作動させることはない(エアコンは、赤外線リモコンですが)。
程度の問題かもな。
一昔前は、インターネットなんてなかったし、個人の携帯電話さえなかった(巨大な、自動車電話だけ)。
その頃に比べれば、今の我々は、コンピューター漬けになっているともいえる。
予定表は、クラウドの中で管理しているし、知人との連絡はSNSかメールで行い、何処に行くにもスマホを手放せないでいる。
何事も、一気に変わるということはない。
水から煮殺されるカエルのように、徐々に変わっていく環境に慣らされていくのだ。
一気に変わったように見えるのは、その少しずつの変化を見過ごしているからに他ならない。
煮殺されないように注意しながら、バージョンアップに付き合うことにしよう・・・。
(Windows 10無料アップグレードは本日終了 明日からどうなる? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1607/29/news035.html
もちろん、一部を除いて、有料アップグレードになる。
一部というのは、障害者支援などの機能を必要とする用途で使われるPCらしい。
が、一般的には有償になる。
企業向けには、期限付きの有償ライセンスが出る模様だ。
「米Microsoftは一部企業向けにWindows 10 Enterpriseを月額7ドル(約730円)、年間84ドル(約8760円)で利用可能なサブスクリプションモデル「Windows 10 Enterprise E3」を2016年秋に投入する(日本での展開は未定)。」
ウインドウズ10にも、サポート期限があるというのは、初めて知ったな。
「Windows 10導入のメリットで大きいのがサポート期限の延長だ。Windows 7は2020年1月14日、Windows 8~8.1は2023年1月10日にサポートが終了し、以後はセキュリティ更新プログラムが提供されなくなることから情報漏えいなどのリスクが増大するが、Windows 10は現状で2025年10月14日までサポートが受けられる。」
アップグレードしたパソコン自体が、そんなに長く使えるとは思わないけどな。
ネットに接続したり、怪しげなフリーソフトを入れなければ、サポートが切れても使い続けることは出来る。
OSなんて、所詮はアプリ走らせるための環境に過ぎない。
フリーのOSなんて、星の数ほどある。
M社の窓系だけが、OSじゃあない。
パソコンは、永遠に不滅だあ!。
そう、2025年になったら、パソコン自体が絶滅しているかも知れないしな。
M社が、最後のOSといっているのは、そういうことだったのかあ?。
それとも、M社自体が消えてなくなるとか・・・。
(「Windows 10がWindowsの最後のバージョンになる」とMicrosoftが明言)
http://gigazine.net/news/20150511-microsoft-stop-windows-version/
「Windows 10がデスクトップソフトウェアの「最後のバージョンになる」と発言しています。」
まあ、どうでもいいんですが。
とにかく、10に無償アップグレードできる最終日がやってきた。
ハワイ時間の29日が終わるまでに、ようこそ画面が出ている必要があるらしいが、実際にはどうなるか分からない。
ギリギリになって、サーバーが落ちるかもしれないしな(「いえ、それは仕様です」)。
まあいい。
10は、すでに2015年11月に、大規模アップグレード(バージョンアップ)を行っている。
来月、8月2日には、さらにバージョンアップさせると報じられている。
(Windows 10の1周年記念アップデートを8月2日に入手できる人とできない人 (1/2))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1607/26/news099.html
はじめに出てきた障害者向けの無償アップグレード期間の延長というのは、この中の機能を考慮しているともいわれている。
「なんで自分のPCにはAnniversary Updateがやってこないの?」
えーと、それはですね、M社への忠誠が足りないからじゃね?。
いずれにしても、泣いても笑っても、今日が最後だ。
M社への忠誠を問われる、10へのアップグレード。
浮沈子は、手持ちの可能なパソコンを全て済ませた。
メーカーが対象外といっていた、レッツノートまでアップグレードした。
心安んじて、最終日を過ごすことが出来る。
万が一に備えて、クリーンインストール用のISOファイルもゲットしてある(これは、明日以降も落とせるようです)。
まあ、8月2日以降に、再度落とし直さなくてはならないけどな。
既に、次の次に何が変わるかという話も出ている。
(Windows 10 Mobile向け「Redstone 2」のアップデート内容がリーク)
http://ggsoku.com/2016/05/leak-redstone-2-for-windows-10-mobile-info/
「Interactive Tiles」
「マルチウィンドウおよび画面分割機能も新たに導入される可能性を指摘。「Android N」が同機能をネイティブにサポートしたことにより、マイクロソフトもWindows 10 Mobileへの実装を真剣に検討し始めた」
「Windows 10搭載PCとWindows 10 Moibleスマートフォン間において、シームレスなアプリ内データの連携を可能にする “アプリローミング” 機能や、Windows 10搭載PCを介して電話を掛けることを可能にする機能など」
「Redstone 1とRedstone 2は、それぞれ2016年6~7月中と2017年3~4月にかけて正式に提供が開始される見込み」
「前者に関しては主にUIの改善と機能の追加、後者においてはユーザビリティの追及を含む全体的な洗練に注力」
モバイル版の話だが、リリース時期は一緒で、パソコンとモバイルの連携を重視している。
記事では、アンドロイドを意識しているような書き方だが、真似っこしているのは、もちろんアップルの製品だ。
M社がアップルウォッチのようなデバイスを出すかどうかは不明だが、未来はそっちの方に確実に動いている。
パーソナルコンピューティングは、21世紀初頭の現在、大きく変わろうとしている。
パソコンというのは、20世紀の製品で、やがては消えてなくなる運命にある。
概念としては残るかも知れないが、実体はスマホやウェアラブルに置き換えられていく。
既に、個人ではパソコンを使わない人が大半になっているらしい(じゃあ、何でパソコンっていうの?)。
浮沈子は、20世紀の人間なので、当然パソコン派だ。
フリック入力なんてできないし、スマホのちっこい文字を、老眼を凝らして見ることもできない(判読不能)。
その点で、コンティニュアムには期待している。
今は、シングルウインドウだとか、使える機能が限られているとか、実際には使い物にならないんだろうが、スマホの充電をしながら気軽にデスクトップ環境を堪能できるアイテムが出来れば、是非とも使ってみたい。
つーか、そういう形でしか、パソコンは生き残れないだろう(ゲーム専用機を除く)。
浮沈子は、X220をメインマシンとして使っているが、理由はキーボードが打ちやすいから。
モニターは、24インチの外付け。
ゲートウェイのノートパソコンに切り替えようとしているけど、ひょっとしたら、キーボードも外付けにするかもしれない(むちゃくちゃ、打ちにくいので)。
持ち運ぶこともあるので、ノート型であることは必須だ。
世界中、どこでも同じ環境で使えるしな。
それが、スマホで実現できて、ホテルの部屋のモニターに繋ぐだけで使えるなら、それに越したことはない。
キーボードは、自前のを持参しようかな(折り畳みのヤツがいいな)。
そのうち、コアの機能は腕時計の中に納まり、スマホ自体がマンマシンインターフェイスだけになるだろう。
つーか、計算資源の大部分が、クラウドに移行されてしまう。
ユーザーIDと、インターフェイスだけをパーソナライズする。
IoTが進めば、さらに異なる状況が発生することになる。
VRさながらの世界が生まれる。
あらゆるデバイスがインターフェイスになり、ユーザーIDは、生体認証になり、近づいたり、話しかけたりするだけで全てが動き出す。
いや、キーボードだけは手放せないな。
そして、人類は、グローバル・コンピューターのネットワークと、無数のデバイスの中で暮らすようになるのだ。
まあ、何事にも例外はある。
ダイビング中には、それらから解放され、コンピューターのない真実の世界と生身で向かい合うことが出来る。
まあ、ダイコンとか、CCRとか、スタンドアローンのデバイスはあるけどな。
そのうち、超音波を使った水中デジタル通信が一般化されて、ダイビングスポットでは水中でもメールくらいなら受信できるようになるかも知れない。
急ぎのメールが来たとしても、浮上速度や安全停止は守りましょう!。
そんな注意を喚起しなければならなくなるかもしれない。
世も末だな・・・。
今日は、10に無償アップグレードできる最終日なだけだ。
今は、まだ、グローバル・コンピューターの中に捕らわれる心配はしないでもいい。
このブログを上げ、パソコンの電源を落とせば、仮想世界からは解き放たれ、生身の身体を動かして、現実の世界で動き回ることが出来る(浮沈子は、ポケモンGoとかやらないので、ピカチュウとかは見えません!)。
水道の蛇口とか、部屋の照明のスイッチとか、ドアノブにチップが埋め込まれて、浮沈子の行動が逐一、ネットワークを介してグローバル・コンピューターに履歴として蓄積されることもない。
部屋の鍵は、金属製のヤツで、ガチャッと回すタイプだ。
エアコンだって、外からスマホでスイッチ入れることなどできはしない。
20世紀の生活に馴染んだ浮沈子には、実に心地良い。
何かをするためには、実際にそこにいって、身体を動かして物理的な実態を操作する必要がある。
スマホの中の仮想化されたスイッチをクリックして、ネットワーク越しにリモート操作して作動させることはない(エアコンは、赤外線リモコンですが)。
程度の問題かもな。
一昔前は、インターネットなんてなかったし、個人の携帯電話さえなかった(巨大な、自動車電話だけ)。
その頃に比べれば、今の我々は、コンピューター漬けになっているともいえる。
予定表は、クラウドの中で管理しているし、知人との連絡はSNSかメールで行い、何処に行くにもスマホを手放せないでいる。
何事も、一気に変わるということはない。
水から煮殺されるカエルのように、徐々に変わっていく環境に慣らされていくのだ。
一気に変わったように見えるのは、その少しずつの変化を見過ごしているからに他ならない。
煮殺されないように注意しながら、バージョンアップに付き合うことにしよう・・・。
宇宙飛行士 ― 2016年07月29日 14:34
宇宙飛行士
(アポロ飛行士に高い循環器系疾患死亡率、放射線が原因か 研究)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160729-00000010-jij_afp-sctch
「地球の磁気圏の保護領域を越えて宇宙を旅した宇宙飛行士らは、心臓および血管の病気での死亡率が過度に高い」
(NASA: アポロ計画の宇宙飛行士の循環器系疾患の長期発症率は他の宇宙飛行士の4倍・宇宙放射線の影響)
http://business.newsln.jp/news/201607290327460000.html
「地球のバンアレン帯を超えた宇宙飛行を行い高レベルの宇宙放射線に晒されたことにより一部の血液細胞が破壊されるなどの影響を受けたことが原因とみている。」
それみたことか、だからいわんこっちゃない、などとは言わない。
元々、人間は、地球磁気圏を出た宇宙空間での生存はおぼつかないわけで、何らかの影響が出ることは想定の範囲内だ。
循環器系疾患が多いのは、ちょっと意外だったけどな。
浮沈子が注目したのは、2番目の記事のグラフだ。
一般米国人の死因に比べて、宇宙空間に行っていないNon-Flightの群は、明らかに率が低い。
まあ、宇宙飛行士になるような連中は、普段から健康的な生活をしているだろうから、当然ともいえるが、少なくとも循環器系疾患については、何かの参考になるかもしれない。
そう思って、原論文にざっと目を通し、記事の2枚目の表を見て唖然とする。
(2枚目の表)
http://business.newsln.jp/news/201607290327460000/2.html
Non-Flightの群の事故による死亡率は、なんと50パーセントを超えているのだ(53パーセント)。
さらに、低軌道飛行の群でも、49パーセントが事故で死亡している。
浮沈子には、こっちの方が興味深いな。
癌の死亡率については、どの群についても3割程度とばらつきが少ない。
循環器疾患で死ぬのがいいか、事故に会って死ぬのがいいかということになる。
まあ、どうでもいいんですが。
アポロの乗員で亡くなったのは7人で、絶対数は少ないが、確かに特異的に高いような気がする。
動物実験でも、同様の傾向が出ていることを考えると、今後の放射線対策の重要性を無視できない。
「人の20年に相当する6か月が経過した後、マウスは動脈の機能障害を示した。」
注意すべきは、アポロの飛行士は、これよりも短い期間しか晒されていないことだ(せいぜい、10日間くらい?)。
(アポロ計画:計画の概要(期間等は、各計画のリンクを参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%A8%88%E7%94%BB#.E8.A8.88.E7.94.BB.E3.81.AE.E6.A6.82.E8.A6.81
・7号:11日間:地球周回(低軌道)
・8号:7日間:月周回(10周)
・9号:11日間:地球周回(低軌道)
・10号:9日間:月周回(31周)
・11号:9日間:月面着陸
・12号:11日間:月面着陸
・13号:7日間:月周回(1周)
・14号:10日間:月面着陸
・15号:12日間:月面着陸
・16号:12日間:月面着陸
・17号:13日間:月面着陸
深宇宙への人類の進出なんて、夢物語に過ぎないのかもしれない。
ちなみに、月にも火星にも、宇宙からの放射線を有効に遮蔽する磁気圏はない。
火星なんて、年単位で放射線に晒され続けるわけだし、飛んでる間は、穴掘って潜るわけにもいかない。
人類は、宇宙進出なんて途方もない夢から、そろそろ醒めてもいいんじゃないか?。
それでも行きたいなら、行くしかないだろうな。
火星の人のように・・・。
(アポロ飛行士に高い循環器系疾患死亡率、放射線が原因か 研究)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160729-00000010-jij_afp-sctch
「地球の磁気圏の保護領域を越えて宇宙を旅した宇宙飛行士らは、心臓および血管の病気での死亡率が過度に高い」
(NASA: アポロ計画の宇宙飛行士の循環器系疾患の長期発症率は他の宇宙飛行士の4倍・宇宙放射線の影響)
http://business.newsln.jp/news/201607290327460000.html
「地球のバンアレン帯を超えた宇宙飛行を行い高レベルの宇宙放射線に晒されたことにより一部の血液細胞が破壊されるなどの影響を受けたことが原因とみている。」
それみたことか、だからいわんこっちゃない、などとは言わない。
元々、人間は、地球磁気圏を出た宇宙空間での生存はおぼつかないわけで、何らかの影響が出ることは想定の範囲内だ。
循環器系疾患が多いのは、ちょっと意外だったけどな。
浮沈子が注目したのは、2番目の記事のグラフだ。
一般米国人の死因に比べて、宇宙空間に行っていないNon-Flightの群は、明らかに率が低い。
まあ、宇宙飛行士になるような連中は、普段から健康的な生活をしているだろうから、当然ともいえるが、少なくとも循環器系疾患については、何かの参考になるかもしれない。
そう思って、原論文にざっと目を通し、記事の2枚目の表を見て唖然とする。
(2枚目の表)
http://business.newsln.jp/news/201607290327460000/2.html
Non-Flightの群の事故による死亡率は、なんと50パーセントを超えているのだ(53パーセント)。
さらに、低軌道飛行の群でも、49パーセントが事故で死亡している。
浮沈子には、こっちの方が興味深いな。
癌の死亡率については、どの群についても3割程度とばらつきが少ない。
循環器疾患で死ぬのがいいか、事故に会って死ぬのがいいかということになる。
まあ、どうでもいいんですが。
アポロの乗員で亡くなったのは7人で、絶対数は少ないが、確かに特異的に高いような気がする。
動物実験でも、同様の傾向が出ていることを考えると、今後の放射線対策の重要性を無視できない。
「人の20年に相当する6か月が経過した後、マウスは動脈の機能障害を示した。」
注意すべきは、アポロの飛行士は、これよりも短い期間しか晒されていないことだ(せいぜい、10日間くらい?)。
(アポロ計画:計画の概要(期間等は、各計画のリンクを参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%A8%88%E7%94%BB#.E8.A8.88.E7.94.BB.E3.81.AE.E6.A6.82.E8.A6.81
・7号:11日間:地球周回(低軌道)
・8号:7日間:月周回(10周)
・9号:11日間:地球周回(低軌道)
・10号:9日間:月周回(31周)
・11号:9日間:月面着陸
・12号:11日間:月面着陸
・13号:7日間:月周回(1周)
・14号:10日間:月面着陸
・15号:12日間:月面着陸
・16号:12日間:月面着陸
・17号:13日間:月面着陸
深宇宙への人類の進出なんて、夢物語に過ぎないのかもしれない。
ちなみに、月にも火星にも、宇宙からの放射線を有効に遮蔽する磁気圏はない。
火星なんて、年単位で放射線に晒され続けるわけだし、飛んでる間は、穴掘って潜るわけにもいかない。
人類は、宇宙進出なんて途方もない夢から、そろそろ醒めてもいいんじゃないか?。
それでも行きたいなら、行くしかないだろうな。
火星の人のように・・・。
パスカルの賭け ― 2016年07月29日 22:36
パスカルの賭け
(パスカルの賭け)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%B3%AD%E3%81%91
不確実性の中で、何かを信じて行うというのは、賭けである。
「理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す」
解説の終わりの方に、親鸞の歎異抄の話も出てくる。
(歎異抄)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84
「第二条:
自分の信心は法然上人の言葉を信じているだけで、果たして念仏が極楽往生できる因なのか、地獄に落ちる業なのかは知るところではない。」
「でも、たとえ法然上人にだまされていて地獄に落ちたとしても後悔はしない。」
「もし、私がそれまで行っていた修行をしていたら仏になれたのに、念仏をしたおかげで地獄に落ちたというのなら後悔もするだろうけれど、ろくな修行もできない私はどうせ地獄にしか行けなかったからである。」
「この上は念仏を信じるも捨てるも各々の自由である」
第三条は、有名な悪人正機説だが、ここでは触れない。
パンセの記述とは、いささか異なる気もするが、賭けて損しないのなら、賭けてみるという選択もある。
なんで、こんな話を始めたかといえば、こんな記事を読んだから。
(英BAEシステムズ社、反重力研究を開始:【2000年3月29日 BBC News (2000/3/27)】)
http://www.astroarts.co.jp/news/2000/03/29bae/index-j.shtml
BBCのリンクは生きていて、記事は今でも読むことが出来る(16年以上も前だけどな)。
日本語の記事は、ほぼ、忠実な訳になっている(たぶん)。
「You can invest a little money in far-out projects if they have some chance of success - it's called Pascal's Wager.」
「In this case, most scientists would say there is zero chance of success.」
「現実離れしたプロジェクトであっても、わずかでも成功の可能性があるなら、それに投資することはできるだろう。このことは『パスカルの賭け』と呼ばれる。」
「しかし、今回のケースでは、ほとんどの科学者は成功の可能性はゼロであると言うだろう。」
哲学的な思弁については、浮沈子の与り知らぬ世界だ。
反重力推進が、その後どうなったかについては知らない。
親鸞の言葉を読んでいて、ダイエットのことが頭をよぎる(現在、体調不良のため、休止中)。
「自分のダイエットは、カロリーの出入りをコントロールすれば成功すると信じているだけで、果たしてそれで本当にダイエットが出来るのか、結局リバウンドしてデブに戻るのかは知るところではない。」
「でも、たとえカロリーコントロール説にだまされていてデブに戻ったとしても後悔はしない。」
「もし、私がそれまで行っていた減量方法をしていたらスリムになれたのに、カロリーコントロールをしたおかげでデブに戻ったというのなら後悔もするだろうけれど、ろくな減量もできない私はどうせデブに戻るしかなかったからである。」
「この上はカロリーコントロールによるダイエットを信じるも捨てるも各々の自由である」
なんと、すっきりとハマることか・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
元々の話は、恒星間航行が可能かどうかという話だ。
(恒星間航行は可能?)
http://www.astroarts.co.jp/news/2000/04/12spacetravel/index-j.shtml
「我々の太陽系から最も近い恒星までは、地球~冥王星間の10,000倍以上も遠いのだ。」(2006年までは、まだ惑星だったからな)
「では、恒星間航行は可能なのか? 現状では、そんなものはSF、想像の世界の話に過ぎないと言わざるを得ない。」
この後に、いろいろぐちゃぐちゃ書いてあるが、いずれにしても海のものとも山のものとも思えない、ワケワカの話だ。
「新たな知識がすぐそこにあって発見されるのを待っていることを、誰が知っているだろう? 私は進化――そう、一時はSFに過ぎなかったものを現実へと変えるような進化――がみつかる部屋があちこちにたくさんあるのだと個人的に信じている。我々が始めたことは単純で、正しい問いかけを持つことである。」
浮沈子には、パスカルの賭けのように感じる。
恒星間航行が可能だと信じたとしても、失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増すというものだ。
浮沈子は、信じていないけどな。
信じられるわけないだろう!?。
「我々の計画は3つの挑戦を含む。」
「第1に、我々は推進における推進剤の必要性を完全に無くすか、または大幅に減らすことを目指す。」
「第2に、我々は宇宙航行に必要な時間を大幅に短縮するため、究極的に可能な最大の速度を達成するための方法を見つけることを目指す。」
「第3に、我々は我々が目指す推進力を作り出すのに必要な根本的に新しい方法の発見を目指す。」
そんな都合のよい話があるなら、宇宙船なんかではなく、クルマとか飛行機に応用してもらいたいものだ。
「我々は今、月から持ちかえった石を地球上に持っている。だがたった40年前、これはSFでしかなかったのだ。」
浮沈子は懐疑的だな。
再び、新たな月の石を人類が手にすることはないかもしれない。
内向きになり、地球近傍に引き籠り、恒星間航行どころか、惑星間飛行も、月への再挑戦も行わないかもしれない。
現に、この50年近く、人類は地球低軌道をぐるぐる回っているだけで、その外には出ていないのだ。
火星に飛んで行きたいなどといっているのは、どっかのクルマ屋のあんちゃん(誰?)だけで、大方の人類はそれどころではない。
地上のことで手一杯で、せいぜい、役に立つ低軌道の観測衛星(スパイ衛星含む)か、金になる静止衛星にしか関心はない。
深宇宙への探査機は、政治的なパフォーマンスのために、たまに飛ばさなければならないとしても、人間が乗って飛んで行くなどという話は、荒唐無稽もいいところだ。
それは、恒星間航行の10万分の1程度しかない、太陽系の中のさらに地球近傍の話である。
この地球しか、人類が生存できる空間はない。
それだって、十分過ぎるくらい広いのに、恒星間を人乗せて飛ぶなんていうのは、パスカルの賭けにすらならないだろう。
浮沈子がダイエットに成功する方に賭けた方が、生きることの意味が増すというもんだな。
まあいい。
SFに過ぎなかった月への飛行には成功したし、火星に片道だけ行くくらいなら、ひょっとしたら出来るかもしれないが、たぶんそこまでだな。
火星に着いたら、大急ぎで穴掘って、洞窟生活を始めて、地球から次々に送られてくる補給物資に頼って生き続けなければならない。
往路の放射線障害で、血管や造血細胞はボロボロ、循環器系の疾患で死ぬか、事故で死ぬか。
癌で死ぬまで長生きできれば、幸運と思わなければならないだろう。
もちろん、地球には、二度と戻れない。
それでは、人類が恒星間航行をすることは有り得ないんだろうか?。
ただ一つ、可能性はある。
(他力本願)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98
「「他力本願」のうち、「他力」とは他人の力をあてにすることではなく阿弥陀如来の力を現す言葉であり、「本願」とは人間の欲望を満たすような願いのことではなくあらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのことである。」
「悪衆生たる私たちだからこそ、自らの力による修行によらない、阿弥陀仏の本願による他力の信心が、私たちに差し向けられていて、また本願にかなうとしている。」
「修行の実践により自らの力で悟りを開こうとする人(難行道・聖道門を選ぶ人、修行仏教)や、その教義を否定するものではない。しかし自らの力で悟りを開こうとすることは、不可能に近いくらい難しいと捉える。」
まあ、ありていに言えば、宇宙人が迎えに来てくれるのを待つということだな。
推進方法にしても、放射線の遮蔽にしても、遥かな恒星の彼方から地球にやってくるわけだから、なんか、上手い方法を考え付いているに違いない。
他力本願で、恒星間航行を可能にするのが「現実的」(?)というものだ・・・。
(パスカルの賭け)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%B3%AD%E3%81%91
不確実性の中で、何かを信じて行うというのは、賭けである。
「理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す」
解説の終わりの方に、親鸞の歎異抄の話も出てくる。
(歎異抄)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84
「第二条:
自分の信心は法然上人の言葉を信じているだけで、果たして念仏が極楽往生できる因なのか、地獄に落ちる業なのかは知るところではない。」
「でも、たとえ法然上人にだまされていて地獄に落ちたとしても後悔はしない。」
「もし、私がそれまで行っていた修行をしていたら仏になれたのに、念仏をしたおかげで地獄に落ちたというのなら後悔もするだろうけれど、ろくな修行もできない私はどうせ地獄にしか行けなかったからである。」
「この上は念仏を信じるも捨てるも各々の自由である」
第三条は、有名な悪人正機説だが、ここでは触れない。
パンセの記述とは、いささか異なる気もするが、賭けて損しないのなら、賭けてみるという選択もある。
なんで、こんな話を始めたかといえば、こんな記事を読んだから。
(英BAEシステムズ社、反重力研究を開始:【2000年3月29日 BBC News (2000/3/27)】)
http://www.astroarts.co.jp/news/2000/03/29bae/index-j.shtml
BBCのリンクは生きていて、記事は今でも読むことが出来る(16年以上も前だけどな)。
日本語の記事は、ほぼ、忠実な訳になっている(たぶん)。
「You can invest a little money in far-out projects if they have some chance of success - it's called Pascal's Wager.」
「In this case, most scientists would say there is zero chance of success.」
「現実離れしたプロジェクトであっても、わずかでも成功の可能性があるなら、それに投資することはできるだろう。このことは『パスカルの賭け』と呼ばれる。」
「しかし、今回のケースでは、ほとんどの科学者は成功の可能性はゼロであると言うだろう。」
哲学的な思弁については、浮沈子の与り知らぬ世界だ。
反重力推進が、その後どうなったかについては知らない。
親鸞の言葉を読んでいて、ダイエットのことが頭をよぎる(現在、体調不良のため、休止中)。
「自分のダイエットは、カロリーの出入りをコントロールすれば成功すると信じているだけで、果たしてそれで本当にダイエットが出来るのか、結局リバウンドしてデブに戻るのかは知るところではない。」
「でも、たとえカロリーコントロール説にだまされていてデブに戻ったとしても後悔はしない。」
「もし、私がそれまで行っていた減量方法をしていたらスリムになれたのに、カロリーコントロールをしたおかげでデブに戻ったというのなら後悔もするだろうけれど、ろくな減量もできない私はどうせデブに戻るしかなかったからである。」
「この上はカロリーコントロールによるダイエットを信じるも捨てるも各々の自由である」
なんと、すっきりとハマることか・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
元々の話は、恒星間航行が可能かどうかという話だ。
(恒星間航行は可能?)
http://www.astroarts.co.jp/news/2000/04/12spacetravel/index-j.shtml
「我々の太陽系から最も近い恒星までは、地球~冥王星間の10,000倍以上も遠いのだ。」(2006年までは、まだ惑星だったからな)
「では、恒星間航行は可能なのか? 現状では、そんなものはSF、想像の世界の話に過ぎないと言わざるを得ない。」
この後に、いろいろぐちゃぐちゃ書いてあるが、いずれにしても海のものとも山のものとも思えない、ワケワカの話だ。
「新たな知識がすぐそこにあって発見されるのを待っていることを、誰が知っているだろう? 私は進化――そう、一時はSFに過ぎなかったものを現実へと変えるような進化――がみつかる部屋があちこちにたくさんあるのだと個人的に信じている。我々が始めたことは単純で、正しい問いかけを持つことである。」
浮沈子には、パスカルの賭けのように感じる。
恒星間航行が可能だと信じたとしても、失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増すというものだ。
浮沈子は、信じていないけどな。
信じられるわけないだろう!?。
「我々の計画は3つの挑戦を含む。」
「第1に、我々は推進における推進剤の必要性を完全に無くすか、または大幅に減らすことを目指す。」
「第2に、我々は宇宙航行に必要な時間を大幅に短縮するため、究極的に可能な最大の速度を達成するための方法を見つけることを目指す。」
「第3に、我々は我々が目指す推進力を作り出すのに必要な根本的に新しい方法の発見を目指す。」
そんな都合のよい話があるなら、宇宙船なんかではなく、クルマとか飛行機に応用してもらいたいものだ。
「我々は今、月から持ちかえった石を地球上に持っている。だがたった40年前、これはSFでしかなかったのだ。」
浮沈子は懐疑的だな。
再び、新たな月の石を人類が手にすることはないかもしれない。
内向きになり、地球近傍に引き籠り、恒星間航行どころか、惑星間飛行も、月への再挑戦も行わないかもしれない。
現に、この50年近く、人類は地球低軌道をぐるぐる回っているだけで、その外には出ていないのだ。
火星に飛んで行きたいなどといっているのは、どっかのクルマ屋のあんちゃん(誰?)だけで、大方の人類はそれどころではない。
地上のことで手一杯で、せいぜい、役に立つ低軌道の観測衛星(スパイ衛星含む)か、金になる静止衛星にしか関心はない。
深宇宙への探査機は、政治的なパフォーマンスのために、たまに飛ばさなければならないとしても、人間が乗って飛んで行くなどという話は、荒唐無稽もいいところだ。
それは、恒星間航行の10万分の1程度しかない、太陽系の中のさらに地球近傍の話である。
この地球しか、人類が生存できる空間はない。
それだって、十分過ぎるくらい広いのに、恒星間を人乗せて飛ぶなんていうのは、パスカルの賭けにすらならないだろう。
浮沈子がダイエットに成功する方に賭けた方が、生きることの意味が増すというもんだな。
まあいい。
SFに過ぎなかった月への飛行には成功したし、火星に片道だけ行くくらいなら、ひょっとしたら出来るかもしれないが、たぶんそこまでだな。
火星に着いたら、大急ぎで穴掘って、洞窟生活を始めて、地球から次々に送られてくる補給物資に頼って生き続けなければならない。
往路の放射線障害で、血管や造血細胞はボロボロ、循環器系の疾患で死ぬか、事故で死ぬか。
癌で死ぬまで長生きできれば、幸運と思わなければならないだろう。
もちろん、地球には、二度と戻れない。
それでは、人類が恒星間航行をすることは有り得ないんだろうか?。
ただ一つ、可能性はある。
(他力本願)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98
「「他力本願」のうち、「他力」とは他人の力をあてにすることではなく阿弥陀如来の力を現す言葉であり、「本願」とは人間の欲望を満たすような願いのことではなくあらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのことである。」
「悪衆生たる私たちだからこそ、自らの力による修行によらない、阿弥陀仏の本願による他力の信心が、私たちに差し向けられていて、また本願にかなうとしている。」
「修行の実践により自らの力で悟りを開こうとする人(難行道・聖道門を選ぶ人、修行仏教)や、その教義を否定するものではない。しかし自らの力で悟りを開こうとすることは、不可能に近いくらい難しいと捉える。」
まあ、ありていに言えば、宇宙人が迎えに来てくれるのを待つということだな。
推進方法にしても、放射線の遮蔽にしても、遥かな恒星の彼方から地球にやってくるわけだから、なんか、上手い方法を考え付いているに違いない。
他力本願で、恒星間航行を可能にするのが「現実的」(?)というものだ・・・。
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