宇宙開発の是非 ― 2016年08月02日 14:24
宇宙開発の是非
そもそも、何のために宇宙開発するのか。
有人火星探査には消極的な浮沈子は、その辺りについてもあまり積極的にはなれない。
いつかは落ちて来て燃え尽きる人工衛星とか、行ったきりで帰ってこない探査機、たまに帰ってきても、ゴミみたいな試料しか持ち帰らない話ばっかだ。
アポロ計画以降、人類の地平は、地球低軌道に限られ、その利用も限定的だ。
積極的に利用されているのは、通信衛星、放送衛星、偵察衛星など、地球の方を向いている衛星や、そっぽ向いてる宇宙望遠鏡くらいのもんだろう。
ああ、ISSも衛星だけどな(どっち向いてるんだあ?)。
浮沈子は、たまに探査衛星飛ばすのは、仕方ないと思う。
月や、小惑星、太陽系内の天体がどうなっているのかとか、生命がいるのか(いたのか)など、知識欲を満たすためにそこに行くしかないなら、そして、まあまあの予算で行けるなら、行ってもいい。
だけど、そこまでだ。
宇宙空間で生存できない人間を、わざわざ送り込む必要がどこにあるのか。
どーせ、短期間しか居られないし、遠くに行けば行くほど、身体はボロボロになる。
人類が、地球生命の代表として、他の惑星に進出するなんて与太話は、とてもじゃないが受け入れ難い。
地球低軌道の有人衛星だって、その意義は疑わしい。
ISSが無くなったら、余計なことはしないで、以後の宇宙ステーションは作らないのがよろしい。
まあ、中国はどうしても作りたいらしいけど、つまらないからやめろとでも言ってやった方がいい。
ロシアも、独自のステーションを模索してるらしいが、まあ、たぶん、できないだろう。
宇宙ホテルで一儲けしようと考えている連中もいるかもしれないが、投資に見合うゲインはない。
人間にとって、宇宙空間は、それ程魅力的なところではないだろう。
それは、海洋についても同じだ。
資源探査や、科学的な研究は仕方ないが、居住などという話は、とっくに消えてなくなっている。
健全だな。
人類の棲息が、地上の限られたエリアに制限されていて、そこでひしめき合いながら生き続けるしかないのだ。
未来永劫・・・。
それって、不幸なんだろうか?。
歴史の停滞や、進歩の否定なんだろうか?。
知的な行動の限界で、科学技術の放棄なのか?。
そういう、脅しや問題のすり替えに屈してはなるまい。
単なる事実と、それに向き合い、妥当な選択をするという、極めて真っ当な話に過ぎない。
他にやるべきことがないならともかく、人類が抱えている課題は膨大だ。
ここは、しっかりと優先順位をつけて、やるべきことを峻別すべきだろうな。
宇宙開発は、決して高い優先順位じゃない。
そのなかで、何を行い、なにを諦めるかという話も、ちゃんと議論すべきだ。
また、方法論についても、何でも自前で行うのではなく、多様な選択肢の中から、最適な方法を選ぶべきだろう。
選択肢がなければ、やるかやらないかということでいい。
これからは、宇宙開発というのは、他の事業と区別して、特別扱いされるようなものではなくなる。
他に方法があり、それが有利ならば、そちらを選択すべきだろう。
宇宙開発が、独自の意義を持つ時代は終わった。
そこに行かなければできないことに限って、厳選して行うべきだし、人間が行かずにできるなら、そうすべきだ。
宇宙開発以外の事業は、概ねそうして決定されている。
なぜ、宇宙開発だけが特別扱いされなければならないのか。
そんな理由は、何一つない。
ああ、ひょっとして宇宙人とかがいて、独自の宗教を持ってることが分かれば、バチカンとかが出張って行って、布教活動することはあるかも知れない。
それは、きっと、神に与えられたミッションだからとか言ってな。
場合によっては、宗教戦争とかするかもしれない。
宇宙を舞台にした、大戦争だ(スターウォーズもびっくりだな)。
今のところ、そんな心配はしなくてもよさそうだが、火星に植民でもして、そこが独自の文化を築けば、あながち夢物語ではなくなるかもしれない(悪夢だがな)。
そんなことをせずに済ませるには、有人火星探査なんて与太話に乗らないのが一番だろう。
世界の宇宙機関の寄り合いでは、火星が最終目標になっているが、アポロ計画の時代は、月が最終目標だった。
火星で終わると思ったら、大間違いだ。
木星圏や、金星の雲の中とか、いや、果ては、恒星間航行とかもやりかねない。
そういうアホな話になる前に、ここいらで、バシッと止めておくことが肝心だろう。
理由は簡単だ。
人間は、他の惑星を含めて、宇宙空間では生きることが出来ないから。
では、全く諦めてしまうしかないのか。
前にも書いたが、優秀な宇宙人が迎えに来て、あらゆる問題を解決して連れて行ってくれるのを、ひたすら待つという道が残されている。
その時まで、この地球上で生き永らえる方策に注力するのが、自前で何とかしようとするより、余程現実的(?)だと思うんだがな。
でも、もう一歩、突っ込んで考えれば、じゃあ、一体、その宇宙人のいた惑星では、なぜ宇宙開発が継続できたのかという問題は残る。
パンスペルミア説のようなもんだな。
まあいい。
よその惑星のことは、そっちに任せておくしかない(どーせ、考えてもしょうがないしな)。
人類の英知が、宇宙開発などという与太話に現を抜かしているのは、実に嘆かわしい話だ。
ここいらで、ゼロベースから見直しを掛けて、従来のしがらみを捨て去る方がいいのではないか。
有人火星探査がリアリティを増してくるにつけ、ますますそういう思いを強くしている。
そもそも、何のために宇宙開発するのか。
有人火星探査には消極的な浮沈子は、その辺りについてもあまり積極的にはなれない。
いつかは落ちて来て燃え尽きる人工衛星とか、行ったきりで帰ってこない探査機、たまに帰ってきても、ゴミみたいな試料しか持ち帰らない話ばっかだ。
アポロ計画以降、人類の地平は、地球低軌道に限られ、その利用も限定的だ。
積極的に利用されているのは、通信衛星、放送衛星、偵察衛星など、地球の方を向いている衛星や、そっぽ向いてる宇宙望遠鏡くらいのもんだろう。
ああ、ISSも衛星だけどな(どっち向いてるんだあ?)。
浮沈子は、たまに探査衛星飛ばすのは、仕方ないと思う。
月や、小惑星、太陽系内の天体がどうなっているのかとか、生命がいるのか(いたのか)など、知識欲を満たすためにそこに行くしかないなら、そして、まあまあの予算で行けるなら、行ってもいい。
だけど、そこまでだ。
宇宙空間で生存できない人間を、わざわざ送り込む必要がどこにあるのか。
どーせ、短期間しか居られないし、遠くに行けば行くほど、身体はボロボロになる。
人類が、地球生命の代表として、他の惑星に進出するなんて与太話は、とてもじゃないが受け入れ難い。
地球低軌道の有人衛星だって、その意義は疑わしい。
ISSが無くなったら、余計なことはしないで、以後の宇宙ステーションは作らないのがよろしい。
まあ、中国はどうしても作りたいらしいけど、つまらないからやめろとでも言ってやった方がいい。
ロシアも、独自のステーションを模索してるらしいが、まあ、たぶん、できないだろう。
宇宙ホテルで一儲けしようと考えている連中もいるかもしれないが、投資に見合うゲインはない。
人間にとって、宇宙空間は、それ程魅力的なところではないだろう。
それは、海洋についても同じだ。
資源探査や、科学的な研究は仕方ないが、居住などという話は、とっくに消えてなくなっている。
健全だな。
人類の棲息が、地上の限られたエリアに制限されていて、そこでひしめき合いながら生き続けるしかないのだ。
未来永劫・・・。
それって、不幸なんだろうか?。
歴史の停滞や、進歩の否定なんだろうか?。
知的な行動の限界で、科学技術の放棄なのか?。
そういう、脅しや問題のすり替えに屈してはなるまい。
単なる事実と、それに向き合い、妥当な選択をするという、極めて真っ当な話に過ぎない。
他にやるべきことがないならともかく、人類が抱えている課題は膨大だ。
ここは、しっかりと優先順位をつけて、やるべきことを峻別すべきだろうな。
宇宙開発は、決して高い優先順位じゃない。
そのなかで、何を行い、なにを諦めるかという話も、ちゃんと議論すべきだ。
また、方法論についても、何でも自前で行うのではなく、多様な選択肢の中から、最適な方法を選ぶべきだろう。
選択肢がなければ、やるかやらないかということでいい。
これからは、宇宙開発というのは、他の事業と区別して、特別扱いされるようなものではなくなる。
他に方法があり、それが有利ならば、そちらを選択すべきだろう。
宇宙開発が、独自の意義を持つ時代は終わった。
そこに行かなければできないことに限って、厳選して行うべきだし、人間が行かずにできるなら、そうすべきだ。
宇宙開発以外の事業は、概ねそうして決定されている。
なぜ、宇宙開発だけが特別扱いされなければならないのか。
そんな理由は、何一つない。
ああ、ひょっとして宇宙人とかがいて、独自の宗教を持ってることが分かれば、バチカンとかが出張って行って、布教活動することはあるかも知れない。
それは、きっと、神に与えられたミッションだからとか言ってな。
場合によっては、宗教戦争とかするかもしれない。
宇宙を舞台にした、大戦争だ(スターウォーズもびっくりだな)。
今のところ、そんな心配はしなくてもよさそうだが、火星に植民でもして、そこが独自の文化を築けば、あながち夢物語ではなくなるかもしれない(悪夢だがな)。
そんなことをせずに済ませるには、有人火星探査なんて与太話に乗らないのが一番だろう。
世界の宇宙機関の寄り合いでは、火星が最終目標になっているが、アポロ計画の時代は、月が最終目標だった。
火星で終わると思ったら、大間違いだ。
木星圏や、金星の雲の中とか、いや、果ては、恒星間航行とかもやりかねない。
そういうアホな話になる前に、ここいらで、バシッと止めておくことが肝心だろう。
理由は簡単だ。
人間は、他の惑星を含めて、宇宙空間では生きることが出来ないから。
では、全く諦めてしまうしかないのか。
前にも書いたが、優秀な宇宙人が迎えに来て、あらゆる問題を解決して連れて行ってくれるのを、ひたすら待つという道が残されている。
その時まで、この地球上で生き永らえる方策に注力するのが、自前で何とかしようとするより、余程現実的(?)だと思うんだがな。
でも、もう一歩、突っ込んで考えれば、じゃあ、一体、その宇宙人のいた惑星では、なぜ宇宙開発が継続できたのかという問題は残る。
パンスペルミア説のようなもんだな。
まあいい。
よその惑星のことは、そっちに任せておくしかない(どーせ、考えてもしょうがないしな)。
人類の英知が、宇宙開発などという与太話に現を抜かしているのは、実に嘆かわしい話だ。
ここいらで、ゼロベースから見直しを掛けて、従来のしがらみを捨て去る方がいいのではないか。
有人火星探査がリアリティを増してくるにつけ、ますますそういう思いを強くしている。
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