乗り継ぎ2016年09月10日 22:04

乗り継ぎ



03ボクスター、83タルガ、500Eを一気に乗り継ぐ。

早朝、ボクスターに乗って疎開先の911を取って来る(入れ替え)。

久々の空冷の味。

屋根取っ払って、晴天の元、下道をてろてろと流す。

午後からは、500Eで千葉方面に進出。

帰りには、駐車場で多少並んで海ほたるに寄った。

シン・ゴジラの模型とご対面。

そういえば、海底トンネルが崩落するという、シャレにならないシーンがあったな。

それで、コラボかあ?。

まあいい。

本当は、羽田空港の新型NSXも見てきたかったのだが、駐車場が満車であえなく撤退。

500Eのエンジンは、乗り始めて暫くはグズグズ言ってたが、ちっとカツを入れて回した後は、スッキリと気持ちよく回るようになった。

やっぱ、雨模様の日の後は、デスビに湿気がたまるのかもしれない。

こまめに乗ってやるのがメンテナンスというものだ。

機械は、使ってナンボである。

エアコンも、32度くらいの気温では、十分な効きだ。

35度になると辛いが、今年はそんな気温にはもうならないだろう。

ニュースでは、ナニーニャ現象が出ていると言っていたが、空を見上げれば、秋の気配もしてきた。

3台合わせて200km弱を走ったが、どうということはない。

エンジン、足回りとも、満足のいく状態だ。

特に、気になる症状とかもなく、それなりに期待に応えてくれる。

それなりの期待しかしてないしな。

フェラーリみたいに走れとか、ベントレーのように走れとか言わないしな。

ポルシェなりに走り、ベンツなりに走る。

それでいい。

その状態を維持して走らせてやることが、オーナーの務めだ。

もちっと、勢いよく走らせたいんだがな。

まあいい。

法令順守、安全運転励行、省エネ走行でいこう。

秋の行楽シーズンの前に、もう少し走っておきたい。

このところ、引きこもり状態が続いていて、気分が落ち込んでいたが、マニュアルのシフトレバーを弄ったり、アクセルの踏み心地を味わったりしているうちに、少しは気が晴れてきた。

オープンで走るのもよろしい。

明日も天気が良さそうなので、少し走ろうかな。

朝のポルシェは、金のポルシェだ。

正確なハンドルと、適切な荷重移動を心掛けながら、丁寧に運転してやる。

スピードが出ていなくても、十分に味わえるスポーツカーテイスト。

難しいことは分からないが、乗って、操って、気持ちいい。

一方で、ズボラに走るには500Eに限る。

このクルマで、タイヤ鳴らしながらコーナーリングというのは似合わない。

トルクを生かした伸びのある加速、高速でのスタビリティを味わいながら、安楽に、あくまで楽ちんに走る。

道路が続く限り、どこまでも走っていけそうなクルマだ。

えーと、その前にガソリンが無くなりますけど・・・。

高速道路に番号を振るというのが計画されているようだ。

東名はE1とか。

何でもいいんだが、表示がごちゃごちゃしてくるのは困るな。

最近、鉄道の路線や駅にも記号番号が付いているが、何のことやらさっぱり分からない。

我が国は、そこに暮らす人々の文化や、歴史や生活に根差した言語や固有名詞よりも、金を落としてくれる観光客のいいなりになる国になったわけだ。

利便性の向上とかいいながら、おもねっているだけだろう。

それも、21世紀の姿なのかもしれない。

それでも、人間が読める字で、看板に書かれているうちは、まだ、いいのかもしれない。

最近、ホームに駅名が掛かれた看板が少なくなって、今、どの駅に着いたのかが分かりにくくなっている。

そのうち、駅名とかも、スマホに表示されるだけになるかもな。

世界が一つになり、人々が行き交うようになることはいいことだが、どこに行っても同じ風景になるのでは、わざわざそこに行く意味がないだろう。

分かり辛い表示を何とか読み解いて、迷路のような所を歩き回る楽しみというのもあるはずなのだ。

国際化というのは、誰もが分かる世界にすることではなくて、独自の世界を知ってもらう努力を払うことの中にある。

看板に、E1と書くのも、その一つなのかもしれないが、浮沈子はちょっと違うと思うけどな。

ILCの話を調べているときに、いい話を聞いた。

英語圏の研究所とかでは、科学の世界が概ね英語を共通語としていることから、研究者の日常生活に関する言語的、非言語的サービスが行き届いていない面もあるという。

我が国の場合は、もう、行政側が努力しているということもあるが、細かいところまでは手が届かないことも多い。

そこで、研究施設のスタッフが、日常生活のこまごましたところに手助けをしているという。

手間暇かけて、コミュニケーション取っているわけだ。

それがいい。

それが、国際化というもんだ。

看板にE1と書いて、それで事足れりという姿勢では、コミュニケーションとは言えない。

まあ、どうでもいいんですが。

しかし、やっぱ、500Eはいいな。

このクルマは、能書き垂れずに、走らせるだけでその良さは十分に伝わる。

世界で1万台くらいしか作られなかったクルマだし、そのうち、何台が残っているかは分からないが、もう、二度と作られることがない類のクルマだ。

最近のクルマに比べれば、絶対的なパワーはないし、燃費は悪いし、排気ガスは汚いし、見た目はダサイし、派手さのかけらもない。

しかし、乗って走り出したとたんに、ため息が出るクルマだ。

人間が乗るクルマとしての、あらゆる作法を分かっている。

こういう機械を、是非とも残してもらいたいものだ。

ポルシェは、黙っていても残っていくに違いない。

まあ、ぶっつけて、廃車にする方が心配なクルマだがな。

最近のポルシェは、そんなことはないんだろう。

安全で、乗り易く、そのくせ速い。

最新のポルシェは、最良のポルシェだ。

そのことに間違いはない。

しかし、03ボクスターと83タルガのどちらかを選べと言われれば、迷うことなく83タルガを取る。

クルマの出来としては、間違いなく03ボクスターの方が上だが、クルマの価値というのは、それだけでは決まらない。

乗り手との相性というか、乗ってきた車の遍歴によって醸成された価値観とのマッチングというか。

いつか、手放すことがあるとしても、それまでは、大切に乗っていこう。

フェラーリとか、ベントレーとか、チラチラ気になるクルマはあるが、浮沈子には縁のないクルマ達だ。

今、他に気になるクルマはない。

この3台で、十分満足している。

そして、次のオーナーの方に、満足してもらえるように、しっかりと維持していく。

浮沈子が、前のオーナーの方に、そうして頂いたように。

使い潰して屑鉄になるクルマではなく、何十年も乗り継がれていくクルマに乗ることが出来るのは幸せだ。

しかし、もちろん、やがては地球の一部に還っていくことだろう。

形あるものは、いつか壊れる。

それは、自然の摂理だ。

それに逆らい、棹差して使い続けるという行為こそ、人間の行為であり、そこにモノとの関わりの原点がある。

浮沈子は、もちろん使う人で、作る立場ではないので、えらそーなことは言えない。

動くものを動くように、維持するだけで精一杯だ。

せめて、そこは手を抜かずに、ちゃんとしておきたいと思うだけだ。

3台のクルマを乗り継いで、1日を過ごした。

そんな日には、そういう思いを、一層強く感じる。