原科研見学 ― 2016年09月22日 05:39
原科研見学
かねて予定の、原子力科学研究所の見学に行ってきた。
東海スマートインターチェンジで下りて、県道62号線を延々と走ると、突き当りに原研の正門がある。
待ち合わせは産学連携サテライトという、セブンイレブンの隣の施設だったが、時間に余裕をとって、一般向けの公開施設を見る予定で行った。
まずは、交差点を右折して、原子力科学館に行く。
(原子力科学館)
http://www.ibagen.or.jp/
2時間ほど時間をつぶせた。
浮沈子的見どころは、上野の科学博物館にもあった巨大霧箱(あれより大きいそうですが、同じくらいかな)。
オクロの天然原子炉の解説コーナー(ウラン鉱石も、1個展示)。
別館には、小さい霧箱と、何といってもJOCの事故の展示が目を引く。
放射線事故による死者2名を出した一大不祥事だが、それと正面から向かい合うという姿勢を示そうとしている。
(資料には、常陽の燃料とある。)
(わが国最初の臨界事故との記載があるが、誤り)
(臨界事故:事例)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85#.E4.BA.8B.E4.BE.8B
「1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故。日本で最初の臨界事故とされる。」
「1999年6月18日、北陸電力志賀原子力発電所において制御棒1本の緊急挿入試験中、操作手順を誤った事から3本の制御棒が炉から引き抜かれた状態となり、炉は15分間臨界となった。」
「1999年9月30日、日本の茨城県東海村にある JCO の核燃料加工施設で、作業員が硝酸ウラニル溶液を別用途のために設計されていた沈殿槽に入れたところ、臨界量に達して臨界事故が発生した。」
まあ、どうでもいいんですが。
昼飯には、少し早いので、日本原電の東海テラパークに行く。
(東海テラパーク)
http://www.japc.co.jp/gendenkan/tokai/
物々しい警備のゲートを抜けて左折すると、バブリーなたたずまいを見せる展示館がある。
サッチャー首相も来たらしい(記念植樹がありました)。
L字型の廊下の突き当りには、日立造船製のドライキャスクの模型がひっそりと置いてあったが、スタッフが、もちっと目立つ位置へ移動するような話をしていた。
クイズに答えてLED照明付のボールペンをゲットする(画像参照)。
電池交換はできず、反対側は笛になっている。
防犯グッズみたいなもんだな。
籐人形の展示とか、スペースを貸し出しての展示もあったが、あの物々しい警備を突破(!)して、わざわざ見に来る方も少ないだろう。
次に行ったのは、いばらき量子ビーム研究センターの1階にあるJ-PARC展示コーナー。
(いばらき量子ビーム研究センター(IQBRC):展示コーナーの記載はありません)
http://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/kagaku/chusei/kenkyu-kaihatsu/ryoshi-beam.html
(J-PARC展示コーナー)
https://j-parc.jp/ja/P-Room/Exhibition/Exhibition-j09.html
目玉のクロノタッチは、残念ながら故障中。
原子力科学館もテラパークもそうだったが、展示の中で、故障中のものとかが目立つ。
ここの展示コーナーは、電気が消えていて真っ暗で、受け付けの方が来客があるときだけ照明のスイッチを入れるという寂れ方だ・・・。
もう、原子力なんて斜陽なんだろう。
こんなところにも、その気配が感じられる。
Jパーク(本体)の見学の後、昔はバスで大勢見学に来たが、今は少なくなってしまったと、案内していただいたテクニカルアドバイザーの方が言っていたのが印象的だったな。
まあいい。
3か所も回って、原子力科学館の方に教えてもらった魚料理のお店に昼飯を食いに行ったら、満席だったので、角のセブンイレブンで買って、クルマ(500E)の中で済ます。
そうこうするうちに、お迎えのワンボックスが来て、ちょっと早めだが乗り換えて見学が始まる。
構内は広くて、全て車での移動。
正門での手続きが済み、永久保存されているJRR-1の建屋の講義室で、まずは原発の説明、JRR-1を見学ののち、再び講義室に戻ってJパークの説明。
クルマで物質・生命科学実験施設に移動。
道中、構内の建物を外から見るわけだが、どこに何があるという配置は、図面としては公表していないのだという。
研究所とはいえ、核施設というのは、そういうものなんだと思った。
施設に着くと、靴の上からビニールカバーをかけ、線量計をぶら下げる。
2つに分かれている体育館のように広い実験室の第二実験室をキャットウォークから見学する。
天井のクレーンが動いていて、実験機器をセットしているところだった。
次に行ったのは、ニュートリノ実験施設。
神岡に打ち出すニュートリノを、事前に計測する施設で、ヘルメット着用。
巨大な縦穴をのぞき込むと、セルンのおさがりの電磁石が2つに分かれていて、真ん中の計測器は整備中。
加速器は、夏場は電力需要の問題があって、整備期間中なんだそうだ。
ニュートリノ研究に携わっているのは500人くらいで、日本人はそのうち100人に満たないそうだ。
逆に、そんなにいるのかと驚く。
車に乗り込み、構内を回りながら、説明を受ける。
核変換実験施設は、やはり更地のままで、遮蔽に使うコンクリートブロックの置き場になっていた。
Jパークで超伝導磁石が使われているのは、ニュートリノを打ち出すために90度陽子ビームを曲げるところくらいで、あとは常伝導だそうだ。
広大な構内だが、あちこちに使われなくなった施設がある。
新しい施設を作ろうと思えば、いくらでも作れそうだが、もう、そういう流れではない。
原子核や素粒子の研究は加速器の時代になり、研究炉の時代は終わったということだ。
つーか、原子炉だけで研究する時代が終わったということか。
定常的な照射施設としての原子炉は、これからも残っていくんだろう。
研究炉として存続していくのは、今後、以下の通りとなる。
<我が国の研究炉:廃止措置中等除く>
(大学)
・近畿大学:UTR-KINKI
・京都大学:KUCA
・京都大学:KUR
(企業)
・東芝原子力技術研究所:NCA
(原科研:東海)
・日本原子力研究開発機構:STACY:更新申請中(2019年3月再稼働予定)
・日本原子力研究開発機構:NSRR
・日本原子力研究開発機構:JRRー3
・日本原子力研究開発機構:FCA
(原科研:大洗)
・日本原子力研究開発機構:JMTR
・日本原子力研究開発機構:HTTR
・日本原子力研究開発機構:常陽
STACY(旧)は、事実上の廃炉。
新規のSTACYが認められるかどうかは不透明だ。
原型炉もなくなる(もんじゅだけ→廃炉確実!)。
実証炉なんて、影も形もない。
産業としての原子力については、経産省がイニシャチブを取る。
純粋科学としての原子核研究の主役は、確実に加速器の時代に移った。
日本原子力研究開発機構は、徐々に追い詰められている。
原子力の積極的な研究もなければ、まして新規開発などはない。
高温ガス炉(HTTR)が、唯一の存在だなあ(脈はあると思うんだがな)。
広報担当者の見方だけでは判断できないが、内部から見ていても、先々いいことはないというような感じなんだろう。
廃炉とバックエンドだけ。
撤退が、一番難しいとはいえ、それだけの組織というのは厳しいだろう。
日本原子力廃炉ゴミ処理機構になってしまう。
夢は潰えた・・・。
やはり、実際に見学させてもらって良かった。
しかし、どっと疲れた(気分的に)。
台風が通り過ぎて、天気はまあまあだった。
涼しかったので、長袖長ズボンで出かけた。
晴れ間が広がるときもあったが、東京は、今また雨が降ってきている。
静かな朝・・・。
そして、次は、どこに見学に行こうかと、考え始めている。
やっぱ、なくなるまえに、もんじゅを見ておきたいような気もするしなあ・・・。
かねて予定の、原子力科学研究所の見学に行ってきた。
東海スマートインターチェンジで下りて、県道62号線を延々と走ると、突き当りに原研の正門がある。
待ち合わせは産学連携サテライトという、セブンイレブンの隣の施設だったが、時間に余裕をとって、一般向けの公開施設を見る予定で行った。
まずは、交差点を右折して、原子力科学館に行く。
(原子力科学館)
http://www.ibagen.or.jp/
2時間ほど時間をつぶせた。
浮沈子的見どころは、上野の科学博物館にもあった巨大霧箱(あれより大きいそうですが、同じくらいかな)。
オクロの天然原子炉の解説コーナー(ウラン鉱石も、1個展示)。
別館には、小さい霧箱と、何といってもJOCの事故の展示が目を引く。
放射線事故による死者2名を出した一大不祥事だが、それと正面から向かい合うという姿勢を示そうとしている。
(資料には、常陽の燃料とある。)
(わが国最初の臨界事故との記載があるが、誤り)
(臨界事故:事例)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85#.E4.BA.8B.E4.BE.8B
「1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故。日本で最初の臨界事故とされる。」
「1999年6月18日、北陸電力志賀原子力発電所において制御棒1本の緊急挿入試験中、操作手順を誤った事から3本の制御棒が炉から引き抜かれた状態となり、炉は15分間臨界となった。」
「1999年9月30日、日本の茨城県東海村にある JCO の核燃料加工施設で、作業員が硝酸ウラニル溶液を別用途のために設計されていた沈殿槽に入れたところ、臨界量に達して臨界事故が発生した。」
まあ、どうでもいいんですが。
昼飯には、少し早いので、日本原電の東海テラパークに行く。
(東海テラパーク)
http://www.japc.co.jp/gendenkan/tokai/
物々しい警備のゲートを抜けて左折すると、バブリーなたたずまいを見せる展示館がある。
サッチャー首相も来たらしい(記念植樹がありました)。
L字型の廊下の突き当りには、日立造船製のドライキャスクの模型がひっそりと置いてあったが、スタッフが、もちっと目立つ位置へ移動するような話をしていた。
クイズに答えてLED照明付のボールペンをゲットする(画像参照)。
電池交換はできず、反対側は笛になっている。
防犯グッズみたいなもんだな。
籐人形の展示とか、スペースを貸し出しての展示もあったが、あの物々しい警備を突破(!)して、わざわざ見に来る方も少ないだろう。
次に行ったのは、いばらき量子ビーム研究センターの1階にあるJ-PARC展示コーナー。
(いばらき量子ビーム研究センター(IQBRC):展示コーナーの記載はありません)
http://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/kagaku/chusei/kenkyu-kaihatsu/ryoshi-beam.html
(J-PARC展示コーナー)
https://j-parc.jp/ja/P-Room/Exhibition/Exhibition-j09.html
目玉のクロノタッチは、残念ながら故障中。
原子力科学館もテラパークもそうだったが、展示の中で、故障中のものとかが目立つ。
ここの展示コーナーは、電気が消えていて真っ暗で、受け付けの方が来客があるときだけ照明のスイッチを入れるという寂れ方だ・・・。
もう、原子力なんて斜陽なんだろう。
こんなところにも、その気配が感じられる。
Jパーク(本体)の見学の後、昔はバスで大勢見学に来たが、今は少なくなってしまったと、案内していただいたテクニカルアドバイザーの方が言っていたのが印象的だったな。
まあいい。
3か所も回って、原子力科学館の方に教えてもらった魚料理のお店に昼飯を食いに行ったら、満席だったので、角のセブンイレブンで買って、クルマ(500E)の中で済ます。
そうこうするうちに、お迎えのワンボックスが来て、ちょっと早めだが乗り換えて見学が始まる。
構内は広くて、全て車での移動。
正門での手続きが済み、永久保存されているJRR-1の建屋の講義室で、まずは原発の説明、JRR-1を見学ののち、再び講義室に戻ってJパークの説明。
クルマで物質・生命科学実験施設に移動。
道中、構内の建物を外から見るわけだが、どこに何があるという配置は、図面としては公表していないのだという。
研究所とはいえ、核施設というのは、そういうものなんだと思った。
施設に着くと、靴の上からビニールカバーをかけ、線量計をぶら下げる。
2つに分かれている体育館のように広い実験室の第二実験室をキャットウォークから見学する。
天井のクレーンが動いていて、実験機器をセットしているところだった。
次に行ったのは、ニュートリノ実験施設。
神岡に打ち出すニュートリノを、事前に計測する施設で、ヘルメット着用。
巨大な縦穴をのぞき込むと、セルンのおさがりの電磁石が2つに分かれていて、真ん中の計測器は整備中。
加速器は、夏場は電力需要の問題があって、整備期間中なんだそうだ。
ニュートリノ研究に携わっているのは500人くらいで、日本人はそのうち100人に満たないそうだ。
逆に、そんなにいるのかと驚く。
車に乗り込み、構内を回りながら、説明を受ける。
核変換実験施設は、やはり更地のままで、遮蔽に使うコンクリートブロックの置き場になっていた。
Jパークで超伝導磁石が使われているのは、ニュートリノを打ち出すために90度陽子ビームを曲げるところくらいで、あとは常伝導だそうだ。
広大な構内だが、あちこちに使われなくなった施設がある。
新しい施設を作ろうと思えば、いくらでも作れそうだが、もう、そういう流れではない。
原子核や素粒子の研究は加速器の時代になり、研究炉の時代は終わったということだ。
つーか、原子炉だけで研究する時代が終わったということか。
定常的な照射施設としての原子炉は、これからも残っていくんだろう。
研究炉として存続していくのは、今後、以下の通りとなる。
<我が国の研究炉:廃止措置中等除く>
(大学)
・近畿大学:UTR-KINKI
・京都大学:KUCA
・京都大学:KUR
(企業)
・東芝原子力技術研究所:NCA
(原科研:東海)
・日本原子力研究開発機構:STACY:更新申請中(2019年3月再稼働予定)
・日本原子力研究開発機構:NSRR
・日本原子力研究開発機構:JRRー3
・日本原子力研究開発機構:FCA
(原科研:大洗)
・日本原子力研究開発機構:JMTR
・日本原子力研究開発機構:HTTR
・日本原子力研究開発機構:常陽
STACY(旧)は、事実上の廃炉。
新規のSTACYが認められるかどうかは不透明だ。
原型炉もなくなる(もんじゅだけ→廃炉確実!)。
実証炉なんて、影も形もない。
産業としての原子力については、経産省がイニシャチブを取る。
純粋科学としての原子核研究の主役は、確実に加速器の時代に移った。
日本原子力研究開発機構は、徐々に追い詰められている。
原子力の積極的な研究もなければ、まして新規開発などはない。
高温ガス炉(HTTR)が、唯一の存在だなあ(脈はあると思うんだがな)。
広報担当者の見方だけでは判断できないが、内部から見ていても、先々いいことはないというような感じなんだろう。
廃炉とバックエンドだけ。
撤退が、一番難しいとはいえ、それだけの組織というのは厳しいだろう。
日本原子力廃炉ゴミ処理機構になってしまう。
夢は潰えた・・・。
やはり、実際に見学させてもらって良かった。
しかし、どっと疲れた(気分的に)。
台風が通り過ぎて、天気はまあまあだった。
涼しかったので、長袖長ズボンで出かけた。
晴れ間が広がるときもあったが、東京は、今また雨が降ってきている。
静かな朝・・・。
そして、次は、どこに見学に行こうかと、考え始めている。
やっぱ、なくなるまえに、もんじゅを見ておきたいような気もするしなあ・・・。
地球外生命探査 ― 2016年09月22日 14:52
地球外生命探査
地球外の生命の存在に、真っ向から否定的な浮沈子から見れば、金をどぶに捨てるような話だ。
キュリオシティは、既に火星の生命探査をあきらめ、人類が火星に移住した後の生存が可能かを調べることに比重が移っている。
火星人となった人類の探査だから、まあ、それでもいいのかも知れない。
今では、火星に生命がいるなどと信じているのは、余程の楽天家か、夢想家、ヘンタイ、オタクの類だけだろう。
かつていたかどうかという議論に、既にすり替わってしまっている。
浮沈子は、それもないと思っている。
木星や土星の衛星については、あと何十年かは可能性として残るだろうが、探査が進むにつれて、そんなものはないということが明らかになって来るに違いない。
サイエンスの立場としては、いないという証明は困難だ。
床屋談義としても、いるかもしれないという話の方が有利だしな。
予算獲得の観点からは、全くいそうもない話に金は付かないから、ちょっとは可能性が示せなくてはならない。
水があるとか、酸素があるとか、メタンがあるとか。
生命の可能性があれば、程度の差はあれ、人類は金を出す。
地球外生命がいたからといって、我々の生活の何が変わるわけでもないが、やはりいるのといないのとでは、気の持ちようが違うのだろう。
浮沈子的には、太陽系の中ではいそうもないことは、確定したと思ってるんだがな。
他の星系にいたとしても、我々がそれを知る術はないし、それによって実質的な影響を被ることもない。
だから、地球外生命の存在を論じること自体が徒労だと思っている。
しかしながら、この地球という星の上にしがみついている状況を何とかしたい、もちっと生活圏を拡張したいというのも確かだな。
地球低軌道とか、水中とか、まあ、せいぜいそんな程度だろう。
月も余り魅力的ではない。
生命いないことははっきりしているしな。
でもまあ、行って行けないところではないし、短期間なら行けるかもしれない。
それでも、恒久的に滞在するということは無理だ。
技術的な問題もあるし、何より経済的に成り立たない。
宇宙ホテルで稼いでいけば、地球低軌道では成立するかもしれないけどな。
月は難しいだろう。
火星とかは、もう、話にならない。
人類が進出することが出来る範囲は、限られているのだ。
(イーロン・マスク氏、自社の宇宙船は「火星を超えた探査が可能」と発言)
http://sorae.jp/030201/2016_09_20_x.html
「「マーズ・コロニアル・トランスポーター(MCT)」について、「火星を越えて宇宙探査ができる能力があることが判明した。我々はこのMCTに新しい名前が必要になるだろう」とTwitter上で発言」
いやはや・・・。
(マーズ・コロニアル・トランスポーター)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
「MCTの運用開始は2020年代半ば以降になる見通し」
「マーズ・コロニアル・トランスポーターは100人を一度に火星に輸送可能である」
ヨタ話も、ここまで大きくなると、逆に真実味が増してくる。
10年先に100人なら、100年先には、1万人が乗れる宇宙船だって不可能ではないに違いない。
んなわけ、ないじゃん!?。
地球外生命の話は、これとよく似た構造を持っている。
遠く、なかなか確認できない所に、とてつもない発見があるというやつだな。
たぶん、別の銀河系には、宇宙空間を自在に捻じ曲げて、恒星間航行を行う知的生命体だっているに違いない・・・。
まあいい。
浮沈子が懸念するのは、そんなヨタ話にうつつを抜かして、我々の日常生活を豊かに安定的にする作業に従事する才能が浪費されることだ。
もちろん、金もそうだしな。
発電所作ったり、生鮮食料品の市場作ったり、それらを運用したり、そういう、身の回りの話をきっちりやっていく方が、地球外生命探しよりも、はるかに重要だ。
もちろん、夢はあった方がいいけど、その夢が、先に行けば行くほど届かなくなっていくような話には用心しなければならない。
調べても調べても、何も出てこない状況になったら、一体どうするんだろうか。
(宇宙人が見つからないのは太陽に似た星の周りばかり探し続けたから?)
http://www.gizmodo.jp/2016/09/low-mass-stars.html
「ほとんどの恒星は、太陽より小さくて低温で輝いている」
「こうした低質量星は、太陽の寿命より1000倍以上も長く輝き続けられるため、その周囲にハビタブルゾーンがある惑星に生命が誕生するまでの時間も、じっくりと取ることができる」
もちろん、そういう恒星や、その周辺を回る惑星の観測は、現在よりもより困難で、多くの資源を要求する。
ははあ、うまい金のとり方を考えつくもんだな。
「これから10兆年先までに、そこへ生命が誕生する可能性は1000倍も高まるとの計算が成り立つ」
10兆年先までの予算獲得の道を開いたわけだ。
これで、地球外生命探査は安泰というわけだな・・・。
地球外の生命の存在に、真っ向から否定的な浮沈子から見れば、金をどぶに捨てるような話だ。
キュリオシティは、既に火星の生命探査をあきらめ、人類が火星に移住した後の生存が可能かを調べることに比重が移っている。
火星人となった人類の探査だから、まあ、それでもいいのかも知れない。
今では、火星に生命がいるなどと信じているのは、余程の楽天家か、夢想家、ヘンタイ、オタクの類だけだろう。
かつていたかどうかという議論に、既にすり替わってしまっている。
浮沈子は、それもないと思っている。
木星や土星の衛星については、あと何十年かは可能性として残るだろうが、探査が進むにつれて、そんなものはないということが明らかになって来るに違いない。
サイエンスの立場としては、いないという証明は困難だ。
床屋談義としても、いるかもしれないという話の方が有利だしな。
予算獲得の観点からは、全くいそうもない話に金は付かないから、ちょっとは可能性が示せなくてはならない。
水があるとか、酸素があるとか、メタンがあるとか。
生命の可能性があれば、程度の差はあれ、人類は金を出す。
地球外生命がいたからといって、我々の生活の何が変わるわけでもないが、やはりいるのといないのとでは、気の持ちようが違うのだろう。
浮沈子的には、太陽系の中ではいそうもないことは、確定したと思ってるんだがな。
他の星系にいたとしても、我々がそれを知る術はないし、それによって実質的な影響を被ることもない。
だから、地球外生命の存在を論じること自体が徒労だと思っている。
しかしながら、この地球という星の上にしがみついている状況を何とかしたい、もちっと生活圏を拡張したいというのも確かだな。
地球低軌道とか、水中とか、まあ、せいぜいそんな程度だろう。
月も余り魅力的ではない。
生命いないことははっきりしているしな。
でもまあ、行って行けないところではないし、短期間なら行けるかもしれない。
それでも、恒久的に滞在するということは無理だ。
技術的な問題もあるし、何より経済的に成り立たない。
宇宙ホテルで稼いでいけば、地球低軌道では成立するかもしれないけどな。
月は難しいだろう。
火星とかは、もう、話にならない。
人類が進出することが出来る範囲は、限られているのだ。
(イーロン・マスク氏、自社の宇宙船は「火星を超えた探査が可能」と発言)
http://sorae.jp/030201/2016_09_20_x.html
「「マーズ・コロニアル・トランスポーター(MCT)」について、「火星を越えて宇宙探査ができる能力があることが判明した。我々はこのMCTに新しい名前が必要になるだろう」とTwitter上で発言」
いやはや・・・。
(マーズ・コロニアル・トランスポーター)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
「MCTの運用開始は2020年代半ば以降になる見通し」
「マーズ・コロニアル・トランスポーターは100人を一度に火星に輸送可能である」
ヨタ話も、ここまで大きくなると、逆に真実味が増してくる。
10年先に100人なら、100年先には、1万人が乗れる宇宙船だって不可能ではないに違いない。
んなわけ、ないじゃん!?。
地球外生命の話は、これとよく似た構造を持っている。
遠く、なかなか確認できない所に、とてつもない発見があるというやつだな。
たぶん、別の銀河系には、宇宙空間を自在に捻じ曲げて、恒星間航行を行う知的生命体だっているに違いない・・・。
まあいい。
浮沈子が懸念するのは、そんなヨタ話にうつつを抜かして、我々の日常生活を豊かに安定的にする作業に従事する才能が浪費されることだ。
もちろん、金もそうだしな。
発電所作ったり、生鮮食料品の市場作ったり、それらを運用したり、そういう、身の回りの話をきっちりやっていく方が、地球外生命探しよりも、はるかに重要だ。
もちろん、夢はあった方がいいけど、その夢が、先に行けば行くほど届かなくなっていくような話には用心しなければならない。
調べても調べても、何も出てこない状況になったら、一体どうするんだろうか。
(宇宙人が見つからないのは太陽に似た星の周りばかり探し続けたから?)
http://www.gizmodo.jp/2016/09/low-mass-stars.html
「ほとんどの恒星は、太陽より小さくて低温で輝いている」
「こうした低質量星は、太陽の寿命より1000倍以上も長く輝き続けられるため、その周囲にハビタブルゾーンがある惑星に生命が誕生するまでの時間も、じっくりと取ることができる」
もちろん、そういう恒星や、その周辺を回る惑星の観測は、現在よりもより困難で、多くの資源を要求する。
ははあ、うまい金のとり方を考えつくもんだな。
「これから10兆年先までに、そこへ生命が誕生する可能性は1000倍も高まるとの計算が成り立つ」
10兆年先までの予算獲得の道を開いたわけだ。
これで、地球外生命探査は安泰というわけだな・・・。
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