ダイバーと死 ― 2016年10月03日 07:57
ダイバーと死
生きている限り、いつかは受け入れなければならない死。
なるべくなら、日常的には遠ざけておきたい究極のイベントだな。
ランドツアーの時に、葬式の車列に紛れ込んでしまい、道草を食ってしまったが、そんなことでもなければ考えることは少ない。
しかし、ダイビングを行う以上、それが死の危険を伴う遊びであることを考えれば、考えないわけにはいかない。
昨日も、亡くなったダイバーの話が出た。
そういう話題は、なるべく表に出したくないだろうし、特に、お客さんには聞かせたくない話のはずなのだが、浮沈子は、そんな目では見られていないんだろう。
これまでにも、死亡に繋がるダイビング事故のことは何度か耳にしたことがある。
セブでも、ロタでも、亡くなった方はいた。
モアルボアルでも聞いた(ちょうど、行っている時)。
ダイバーである限り、綺麗、楽しい、面白いだけの世界でないことは、覚悟しなければならない。
その自覚がなければ、ダイビングなどという死の危険が伴う遊びなんか、するべきではないのだ。
だから、そうならないために、器材のメンテをしたり、スキルを磨いたり、保守的なダイビングを心がけたりする。
体調管理、生活態度、無茶をしない、ルールを守る。
それだって、水中世界を覗き見る楽しみは、十分に味わえる。
我々は、水中世界の生き物ではないのだ。
そこは、元々、死の世界なのである。
CCRであれ、オープンサーキットであれ、あらゆる潜水器は陸上の呼吸を水中に持ち込んでいるに過ぎない。
水中で息が出来ているわけではないのだ。
環境圧潜水ということであれば、深度に応じた圧力が掛かっていて、体内には、陸上とは異なるガス吸収がされていく。
そのこと自体が、重大な事故や、死に繋がるリスクを孕んでいる。
ダイビングを他人に強制すれば暴行罪、それで傷害を負わせれば傷害罪、死に至らしめれば殺人罪だ。
どんなダイビングも、強制することは出来ない。
自らの意思で、自らの責任において潜る。
ダイビングツアーを主催するショップやサービスに、故意や重大な過失がない限り、その結果についてはダイバー自身が負わなければならない。
それがいやなら、ダイビングなど行うべきではない。
陸上にだって、空の上だって、楽しいことはたくさんあるのだ。
水泳だって、危ないしな。
プールで、ライフジャケット着けて、仰向けに浮かんでいるくらいがちょうどいいかも。
浮沈子は、大井町のフィットネスで泳ぐときは、基本的にビート板を持って泳いでいる。
何かあれば、背の立つ水深であっても、浮力体があるほうがいい。
単に、水泳が下手くそなだけだけどな。
まあいい。
ダイビングに、死はつきものだ。
しかし、人間は、それでも潜ることを止めない。
日常を離れ、浮遊感を味わい、水中でなければ見ることが出来ないものを見るために、今日も潜る。
神が与えたもうた陸棲の身体に、潜水器という人が作りしものを纏い、死の危険を賭して潜る。
今朝は、アンテロープの飼い犬(?)であるUMI(♀)とPOTATO(♂)が放し飼いになっている。
浮沈子が犬が嫌いという話は伝えてあるので、スタッフも気を使っているが、たまには放してやらなければならないんだろう。
UMIは、良く吠えていたが、今回は大人しいな。
体調でも悪いんだろうか?。
ポテトは、相変わらず大人しい。
吠えているところを見たことがない。
カヨさんがいなくなって、ちょっと寂しい気がする。
他の日本人スタッフには、まだ馴染めないのだ。
浮沈子は、こう見えて人見知りである。
このアンテロープでの生活は、浮沈子的には実に快適で、ストレスがない。
穏やかで、アットホームな温かい時間の流れを味わう。
死の危険を感じることのない、人間の棲む陸上の世界だ。
もちろん、人間はいつか死ぬ。
そして、概ね、陸上で天寿を全うして死ぬ。
ダイバーの死は、一部の酔狂な人間の死に過ぎない。
それは、ある意味で、自ら選び取った死である。
もちろん、誰も、水中で死にたいと思ってダイバーになる者などいない。
しかし、人生の時間の一部を水中ですごすことを選んだ以上、そして、その世界が人間にとって死の世界である以上、それは常に傍らにある。
さて、そろそろ、死神とバディを組んで、潜りに行くとするか・・・。
生きている限り、いつかは受け入れなければならない死。
なるべくなら、日常的には遠ざけておきたい究極のイベントだな。
ランドツアーの時に、葬式の車列に紛れ込んでしまい、道草を食ってしまったが、そんなことでもなければ考えることは少ない。
しかし、ダイビングを行う以上、それが死の危険を伴う遊びであることを考えれば、考えないわけにはいかない。
昨日も、亡くなったダイバーの話が出た。
そういう話題は、なるべく表に出したくないだろうし、特に、お客さんには聞かせたくない話のはずなのだが、浮沈子は、そんな目では見られていないんだろう。
これまでにも、死亡に繋がるダイビング事故のことは何度か耳にしたことがある。
セブでも、ロタでも、亡くなった方はいた。
モアルボアルでも聞いた(ちょうど、行っている時)。
ダイバーである限り、綺麗、楽しい、面白いだけの世界でないことは、覚悟しなければならない。
その自覚がなければ、ダイビングなどという死の危険が伴う遊びなんか、するべきではないのだ。
だから、そうならないために、器材のメンテをしたり、スキルを磨いたり、保守的なダイビングを心がけたりする。
体調管理、生活態度、無茶をしない、ルールを守る。
それだって、水中世界を覗き見る楽しみは、十分に味わえる。
我々は、水中世界の生き物ではないのだ。
そこは、元々、死の世界なのである。
CCRであれ、オープンサーキットであれ、あらゆる潜水器は陸上の呼吸を水中に持ち込んでいるに過ぎない。
水中で息が出来ているわけではないのだ。
環境圧潜水ということであれば、深度に応じた圧力が掛かっていて、体内には、陸上とは異なるガス吸収がされていく。
そのこと自体が、重大な事故や、死に繋がるリスクを孕んでいる。
ダイビングを他人に強制すれば暴行罪、それで傷害を負わせれば傷害罪、死に至らしめれば殺人罪だ。
どんなダイビングも、強制することは出来ない。
自らの意思で、自らの責任において潜る。
ダイビングツアーを主催するショップやサービスに、故意や重大な過失がない限り、その結果についてはダイバー自身が負わなければならない。
それがいやなら、ダイビングなど行うべきではない。
陸上にだって、空の上だって、楽しいことはたくさんあるのだ。
水泳だって、危ないしな。
プールで、ライフジャケット着けて、仰向けに浮かんでいるくらいがちょうどいいかも。
浮沈子は、大井町のフィットネスで泳ぐときは、基本的にビート板を持って泳いでいる。
何かあれば、背の立つ水深であっても、浮力体があるほうがいい。
単に、水泳が下手くそなだけだけどな。
まあいい。
ダイビングに、死はつきものだ。
しかし、人間は、それでも潜ることを止めない。
日常を離れ、浮遊感を味わい、水中でなければ見ることが出来ないものを見るために、今日も潜る。
神が与えたもうた陸棲の身体に、潜水器という人が作りしものを纏い、死の危険を賭して潜る。
今朝は、アンテロープの飼い犬(?)であるUMI(♀)とPOTATO(♂)が放し飼いになっている。
浮沈子が犬が嫌いという話は伝えてあるので、スタッフも気を使っているが、たまには放してやらなければならないんだろう。
UMIは、良く吠えていたが、今回は大人しいな。
体調でも悪いんだろうか?。
ポテトは、相変わらず大人しい。
吠えているところを見たことがない。
カヨさんがいなくなって、ちょっと寂しい気がする。
他の日本人スタッフには、まだ馴染めないのだ。
浮沈子は、こう見えて人見知りである。
このアンテロープでの生活は、浮沈子的には実に快適で、ストレスがない。
穏やかで、アットホームな温かい時間の流れを味わう。
死の危険を感じることのない、人間の棲む陸上の世界だ。
もちろん、人間はいつか死ぬ。
そして、概ね、陸上で天寿を全うして死ぬ。
ダイバーの死は、一部の酔狂な人間の死に過ぎない。
それは、ある意味で、自ら選び取った死である。
もちろん、誰も、水中で死にたいと思ってダイバーになる者などいない。
しかし、人生の時間の一部を水中ですごすことを選んだ以上、そして、その世界が人間にとって死の世界である以上、それは常に傍らにある。
さて、そろそろ、死神とバディを組んで、潜りに行くとするか・・・。
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