ダイビングの対象としての沈船2016年10月08日 07:38

ダイビングの対象としての沈船


浮沈子が知っている沈船は、およそその全体が一望できるほどの透視度の海には沈んでいない。

ロタの松運丸くらいか。

100mの船体の真ん中にあるエンジンのところに行くと、50mの透視度であれば、全景を把握できる。

ずいぶん壊れちゃってるけどな。

小さい船は別として、100mクラスの鋼鉄船(コンクリート船もありますが)の全貌を水中で見ることは叶わないのが普通だ。

一部だけ、それも、ほんの一部だけを見て、その記憶を紡いで全体を想像する。

沈船は、その意味ではダイバーの記憶の中、頭の中に存在する。

CCRでは、船内の狭いところに入り込むことは出来ないが、もし中に入ることが出来れば、透視図のようなイメージを描ける。

さらに、いろいろなアイテムを見つけることが出来、その由来を確認することで、船の特定、歴史、沈没に至った経緯が分かり、時間軸の中での位置付けが可能になる。

沈船は、4次元の時空の中に置かれることになる。

同じ沈船に何度も潜っていると、頭の中に、沈船のイメージが徐々に形成されて、今、船のどのあたりにいて、どっちに向かって進んでいるかが分かるようになる。

初めての時には、ガイドの後を付いていくのが精一杯で、とてもそこまでにはいたらない。

まあ、人によるかもな。

空間把握が苦手な浮沈子は、何度潜ってもイメージが湧かない。

目の前の狭い通路を通過することに全神経を集中しているので、全体を見渡す余裕がない。

もちろん、イントラとはぐれてしまってもいいように、潜降した地点に戻れる程度のナビゲーションはしているが、時にはそれも怪しくなる。

ブリーフィングはしっかりと聞いて、船の特徴や、沈んでいる様子(横倒しなのか、逆さまなのかなど)、目安となる構造物を把握しておく必要がある。

船尾とか船首にブイが打ってあり、船が前後に傾いていれば、ブイにたどり着くことは容易だ。

どこかのマストの先端とかに結んであると、そこへたどり着くルートを把握しておかなければならない。

ブイのない沈船では、エキジットするための集合場所や、潜降の際にマーカーを結んだ場所に集まることになる。

ガスの管理は重要だな。

3分の1ルールの適用がいいかもしれない。

プロファイルとしては、最大深度から、徐々に浅く上がってくるというセオリー通りのパターンを取る。

これが、なかなか難しい。

ガイドの腕が試されるところだ。

そのパターンの中で、ゲストにいろいろなアイテム(船首とか、スクリューとか、機関銃とか)を見せて、写真に撮らせたりするわけだな。

どんなダイビングでもそうだが、そのダイビングが、一つのドラマを成すように配慮することが重要だ。

事前の情報提供に始まり、エントリー、見どころ巡り、エキジット、ログ付けまで、ゲストがある程度満足し、しかし、まだまだ見切れていない、また潜りに来たいと思わせながら終わるのがベストだ。

前回、どこを見たのか、事前に把握して、どの程度かぶってガイドするのか、今回のスペシャルアイテムは何なのか、次に何を見せていくのかまで配慮できれば完璧だ。

顧客満足度は高まるだろうし、リピーターになってくれるかもしれない。

沈船によっては、特定の生物を見ることが出来る。

浮沈子は、詳しくないが、ソフトコーラルやウミウシなどの底生生物、狭い縄張りで生活している魚などは、沈船の特定のエリアに特徴的にいるようだ。

沈船好きだけでなく、生物好きのダイバーにも満足してもらえる。

さまざまな楽しみ方が出来るし、到底1度の潜水で、全貌を把握することは出来ない。

内部の探検ということになれば、トレーニングは、別として、さらに多くの回数を潜ることになる。

現地のガイドでもなければ、数年間掛けて、同じ船と付き合うことになる。

ああ、もちろん、CCRのトレーニングとしても使えるしな。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイバーにとって、沈船は魅力的な対象だ。

ジンベイとかマンタなどと違って、そこに行けば、必ず見ることが出来る巨大な構造物である。

当たりはずれのない、商売上も美味しいアイテムである。

動かんけどな。

万人向きかといわれれば、そうではないかもしれない。

それだけに、見せ方ひとつでどうにでも料理できる素材だ。

多くの沈船を潜ることも面白いが、一つの沈船を数多く潜ることも楽しい。

群盲象を撫でるように、様々な特徴をつぶさに見ることが出来る。

ガイドとしても、面白いのではないか。

サイドマウント、ナイトロックス、テクニカルダイビング、CCRといった、関連商品との相性もいい(CCRでのペネトレーションは、おススメできませんが)。

ワイドで良し、マクロでもよし。

人が作りしものとしての、歴史やいわく因縁に嵌る方もいる。

浮沈子にとっては、鉄の塊に過ぎない。

それ以上でも、それ以下でもない。

水中での存在に、ただただアットーされる。

そのオーラに触れ、心震わせ、そして癒される。

宗教を持たない浮沈子だが、一種の宗教的体験なのかもしれない。

海に浮かんでいる船は、あまり有難味を感じないんだがな。

人が、神に抗い、水より重い船を水に浮かべているからかも知れない。

冒涜だ・・・。

戦争で無残に壊され、水底に眠る沈船は、平穏そのものである。

魚たちの住みかとなり、貝やソフトコーラルのゆりかごとなりながら、静かに時を刻んでいる。

人の手を離れ、神の御手に委ねられた至福の存在として・・・。

人が作りしものであった僅かな時間の何百倍、何千倍もの時間を沈船として過ごす。

そう考えると、沈船というのは、船という構造物の本来の姿なのではないかとすら思える。

神が人の手を借りて、この世に生み出し、水底に置かれたオブジェ。

浮かんでいた時の名前が何であれ、それは浮沈子にはどうでもいいような気がするのだ。

沈船。

それで十分ではないか。

水中は、人間の世界ではない。

人間にとっては、死の世界、黄泉の国である。

そこに横たわる沈船は、異様な存在だ。

そこに存在するだけで、あらゆる事柄を語ることが出来る。

なぜここにあるのか、誰がここに置いたのか。

そのことの意味を、深く考えさせられる。

ダイバーの一人は、どんな沈船でも、そこで沈みたくて沈んだのではないと言う。

そうだろうか?。

解体され、くず鉄として再生産されていく沈まなかった船は、幸せなのだろうか。

神に召され、船としての形を保って、その故郷である海に還元されていくことは、不幸なのだろうか?。

おい、おまいらは、幸せなのかい?。

沈船に尋ねても、もちろん答えるわけはない。

それはもう、人の手を離れた存在、人のものではなく、神のものだからだ。

耳抜きをしながら、潜降ロープを辿って巨大な船体が見えてくるとき、ホッとすると同時に、何か見てはならないものを見てしまったような後ろめたさを感じることがある。

同時に、ある種の神々しさ、人の手を離れた創造物の放つ力を感じる。

動かない存在の持つ力だ。

高い山々を神の座として、あるいは、信仰の対象そのものとして崇めるのと通じるものがあるのかもしれない。

浮沈子は、ダイビングを始めたころ、ロタホールに潜った時のことを思い出す。

天井の穴から水中洞窟に差し込む光は、大伽藍のステンドグラスの輝きのように美しく、感動的だった。

沈船に、あの派手さはない。

しかし、その威容と存在感は、もう一つの神の衣の裾である。

神は遍在する。

別に、沈船に潜らなくても、それを感じることが出来ればそれでいい。

鈍感な浮沈子には、この、壊れかけのキーボードに神が宿っているとは信じられないだけだ。

ダイバーにとって、沈船とは何か。

その答えは、人によって異なる。

ただ、浮沈子には、人の手を離れ、自然に還っていこうとする、大きな鉄の塊に見える。

そして、その背後に、人知を超えた存在を感じる。

今日も、沈船に潜る。

無言で横たわる姿に接し、神の衣の裾に口づけるために・・・。

シングルタンクサイドマウント2016年10月08日 19:09

シングルタンクサイドマウント


CCRのリークの原因が掴めず、急遽、シングルタンクのサイドマウントに切り替えて、石廊に潜る。

BCは、ホリスのSMS100。

シングルブラダー。

焦ってレギュレーターを組んだので、いつものスタイルになっていない。

ウエイトは12ポンドで正解だが、胸のあたりまで上げないと、脚が下がる。

明日明後日と、ファンダイブして過ごすことにした。

ちょっと、これからテックサイドマウントの講習はキツイ。

で、2本目はヘルメットレック。

ウエイトの位置を直したりして、少しは安定する。

CCRでは、入れなかった狭いところに入っていく。

やっぱ、浮沈子には向かない。

ヘンタイダイバーのマネをしても、ヘンタイにはなれない。

イントラは、例によって、身をよじりながら、浮沈子を外に待たせて、とんでもないところに入っていく。

まあ、泡の出るところを追っていけば、大体出てくるところは見当がつく。

その辺りで、ホバリングの練習をして待っていると、ひょっこり現れる。

オープンサーキットは、吐く息の音も轟音だが、吸い込む息の音も大きいことに気付く。

セオリー通り、途切れのない呼吸をしている限り、水中の音など聞こえるはずもない。

クストーは、なぜ沈黙の世界などといったのだろう?。

豊かな水中の音を、オープンサーキットの轟音でかき消しておいて、よく言うよ。

まあいい。

しかし、準備や後片付け、タンクを付けずにボートからエントリーしたり、ボートスタッフにタンクを渡してエキジットする時は、格段に楽ちんだ。

これなら、80になっても、ダイビングが楽しめそうだ。

タンクが小さくて済めば、それに越したことはない。

80キュービックフィートのタンクで、残圧は50前後だ。

吸い過ぎと笑われてしまう。

慣れないんだから、仕方ないでしょ?。

魚たちとの距離感も違う。

BCのダンプバルブが上についているタイプで、排気がやり辛い。

2本目はずいぶん慣れたが、それでもびみょーに抜きたい時には上手くいかない。

ブラダーとハーネスが一体になっているタイプは、ウエイトのバランスが命だ。

概ね脚が下がる。

前回は、下半身が浮いてしまって困ったのにな。

体形が変わったんだろうか。

ウエットスーツの気泡が潰れたのかもしれない。

シーガルだからな。

さて、明日は、少しコンフィギュレーションを整えて、本格的なヘンタイダイビング(沈船の通り抜け)に付き合わなければならない。

浮沈子は、沈船スペシャルティは持っていないので、基本的にはペネトレーションは出来ない・・・。

・・・はずなんだがな。

くぐったり、入ってはUターンしたりしている。

出てきた後を振り返ると、もうもうと舞い上がった堆積物で、後のダイバーは、しばらく入ることは出来ない・・・。

リールやマーカーブイ、カメラなども、きちんと収めよう。

せっかくなんだから、まずは、形からだな。

気分を切り替えて、残り2日間のダイビングを楽しもう。

ガス抜きの日の予定も確定した。

前回のランドツアーで行かなかったガラスマオの滝に行くことになった。

モノレール式のトロッコに乗って、楽な登りのクリアが出来るらしい。

プラス20ドルだそうだが、乗り物好きの浮沈子としては、乗らないわけにはいかない(単に、楽したいだけじゃねえの?)。

パラオの海と陸を制して、今回の旅行の最後を飾ろうというワケだ。

CCRの講習が終わってしまったのは残念だが、行き詰まりを感じていたので、ちょうどいいかもしれない。

前向きに考えて、切り替えていこう。