なぜテック?2016年10月17日 02:24

なぜテック?


テクニカルダイビングは、レクリエーショナルでは禁じられている深度や環境に行く。

また、長時間の潜水を行い、しこたま不活性ガスを溜め込む。

減圧停止とかいう、ややっこしい話も出てくる。

体にいいことは何もないが、本当にそうなんだろうか?。

連日のようにファンダイビングして、窒素溜め込み続けるのと、どっちがヤバイんだろうか?。

カメラ片手に(まあ、デカいのは両手ですが)、獲物(?)に向かって突進するのと、シルトを巻き上げないように、申し訳程度にフィンを動かしているだけのダイバーの、どっちが疲れるんだろうか?。

寒い海で、ドライスーツとはいえ、ウエイトしこたま着けて、手すりにつかまりながらビーチエントリーするのと、南の島でボートの上からダブルタンクでバックロールエントリーするのと、どっちが楽ちんなんだろうか?(もちろん、エキジットもあるしな)。

つらつら考えるに、いろいろな安全策とか装備、スキルの話は別にして、ダイビングそのものを外から見ている限り、テクニカルダイビングがキツイという感じはしない。

むろん、外から見ただけではわからないことは山ほどあり、レクリエーショナルにはない、絶対的なリスクを負っていることは間違いない。

浮沈子は、ここでテクニカルダイビングを軽く見るべきだというつもりは毛頭ない。

その上で、テクニカルダイビングの講習を、楽ちんに、楽しく、快適に受講するにはどうすればいいかを考える。

要求されるのは、中性浮力とトリム、最低限のスキル、知識。

ある程度の経験は必要なようだが、絶対的なものではない。

指導団体によって差はあるし、個人によっても変わる。

今日、石井さんに聞いた話では、やっぱPADIのテックレックというのは、とっ付きの良さを重視して設計されたコースで、ストレス下のダイビングにいきなり行くにはスキルが足りないんだそうだ。

IANTDでは、その辺りも考慮して、ストレス耐性を重視している。

泳力テストや、目隠しダイビング、器材脱着などもそうだな。

そういうのに耐えて、忍んで、落ち着いて対応できるようにするには、ある程度のトレーニングも必要だ。

いきなりでは、やはりストレスを感じる。

ちっとずつ、慣らしていって、そういう状況下でのストレスに耐えられるようにしていこう。

しかし、それじゃあ、ストレステストにならないということもある。

ストレスを感じながら、楽ちんに練習するという、矛盾を抱えることになる。

まあいい。

そこは、指導者にお任せして、パニクることなくスキルをこなすことだけ考えよう。

いずれにしても、楽がしたいわけだ。

たぶん、身体負荷については、ノントラブルなテクニカルダイビングは、体内ガスの蓄積を除けば、レクリエーショナルレベルと大きく違わない。

器材はしこたま抱えることになるけどな。

どちらかといえば、メンタルな要素や、トラブル対応、ストレス耐性、ダイビングに対する基本的な態度、考え方などが違うんだろう。

ちなみに、浮沈子は、テクニカルダイビングレベルのテキストは、まだ読んでいない。

その段階で、感じたままを書いている。

中性浮力とか、トリムの維持とかいっても、要求水準がいきなり上がることは間違いない。

レクリエーショナルレベルがどの程度を要求しているのかという議論があるが、誤差1mで1分とかいうレベルでないことだけは確かだな。

ホリゾンタルでのトリムもシビアだ。

石井さんは、練習の時は、時折膝を曲げてみて、着底するかどうかでトリムのチェック(つーか、キャリブレーション?)をしているんだと。

ははあ、そういうことね。

道理で、水底ギリギリを這うように泳いでいると思った。

浮沈子は、その上空1mくらいを、よたよた付いていく。

いきなり止まられても、困らんように、なるべく間を開けながら・・・。

ズルじゃん!?。

まあいい。

水温は、昨日は22度から23度と、パラオとは雲泥の差だが、5mmウエットでフードなしでも、死ぬほど寒くはなかった。

2本目は、1時間を超えるダイビングになって、さすがに冷えたけどな。

むしろ、陸に上がってからの方が冷たかった。

チェックダイブなので、水深はせいぜい17m。

内容的には、ファンダイブだ。

キツイことは何もなく、穏やかな水中を楽しむ。

田原さんの講習を眺めたり、気分転換もできた。

が、まあ、暖かい海から戻ったばかりの状況では、寒いことは寒い。

暖かい海での講習の方がいいに決まっている。

さて、テクニカルダイビングというのがどんなものか、さっぱり分かっていない段階の浮沈子には、暖かい海で、たっぷりのガスを持ち込んで(ダブルタンクですから)、あまり泳がずに細かいことをいろいろやるイメージしかない。

少なくとも、そういう講習を受けたい。

まずは、講習の環境を整えるということから入る。

楽ちんなテクニカルダイビング(の講習)を目指して、いろいろ手立てを尽くす。

今回のチェックダイブだって、沼津に2泊して、環境を整えた。

深海水族館も見れたしな。

まあ、どうでもいいんですが。

気晴らしも必要だしな。

外堀を埋めておくというか、なるべくストレスのない周辺環境(特に陸上)は大切だ。

それでなくても、水中ではストレスがかかっているので、水から上がってきてからの快適さは確保しておきたい。

テクニカルダイビングの考えた方にも、繋がるかもな。

陸上で出来ることは、可能な限りやっておく。

器材のメンテ、必要な器材の選択と持ち込み。

精神面での保守も必要だ。

潜りたいという欲望と、潜りたくないというストレスとの葛藤だ。

あったかい海なら、ストレスの部分は随分と減ることになる。

そういう段取りというか、ジジイの道楽の仕込みをしてからでないと、浮沈子はテクニカルダイビングに進めない。

そんなにしてまで、何故テックしたいのか。

一つには、自分のスキルを磨いていきたいということ。

まあ、ふつーのファンダイブでも、それは心がけ次第だ。

しかし、黙って潜らせておけば、人は易きに流れる。

ちゃんと、講師に付いて、習うのが早道だ。

充実感もあるしな。

もう一つは、CCRダイビングのために必要なスキルや知識の一部を得ること。

ダブルタンクでのハンドリングは、あまり参考にはならないかもしれないが、知識面では共通要素は大きいだろう。

ダブルタンク自体は、経験値として持っておきたいしな。

竹内さんのサジェスチョンもあったが、一度は経験しておきたかった。

これで、ほぼ、段取りは付いて、次回はフィリピンでの講習につなげることが出来た。

しつこく書くが、浮沈子は狭いとこ、暗いとこ、冷たいとこはダメだ。

浅く明るく暖かい、南の島限定のリゾートダイバーである。

沈船は好きだが、外から眺めるだけで十分である。

楽に潜るためのスキルならいくらでも練習するけど、あんまヘンタイなのはいいや・・・。

60m位までの運用スキルがあれば、ずいぶんと行動範囲も広がるだろうしな。

当面は、それで十分だし、そのためのチャレンジはしておこう。

ほどほどにな。

穴(ケーブ)と缶詰(レック)には用心しながらな。

さすがに、今日はあちこち切ることはなかった。

天気も良く、波・風・流れもなく、寒い冷たいだけの快適なダイビングだった。

潮回りも良く、満潮前後で潜ることが出来た。

エントリーも、し易かった。

いい感じで潜れた。

石井さんも、忍耐強く教えてくれてたしな。

いい講師ぶりだ。

教える立場としても、学ぶことが多い。

習うだけでなく、教えることについては、盗む(参考にする)こともできる。

テクニカルダイビングに首を突っ込むのは、その意味でも有意義だ。

浮沈子は、テクニカルダイバーではないし、現時点では、その講習はCCRで継続中、オープンサーキットでは始まってもいない(ちなみに、PADIのテックサイドマウントは、テクニカルダイビングコースではありません)。

バリバリのテクニカル指向のダイバーの方から見たら、浮沈子の、この軟弱姿勢は危険にすら映るかもしれない。

そんな態度で、テックなんかやるんじゃねー!。

まあ、有難いことに、認定するのは浮沈子の仕事じゃない。

インストラクターがダメだと思えば、認定されないだけの話だ。

そこは逆に安心している。

テクニカルダイビングのインストラクターは、やたらに認定はしないからな(たぶん)。

粗製乱造したら、死屍累々だしな。

今後のトレーニングのとっかかりを作ることが出来たわけだが、順調に運ぶかどうかは分からない。

動機が不純だしな。

ダブルタンクをスービックで背負いたいからなんて、よく言えるよな・・・。

石井さんも、ちょっとムッとしたかもしれない(温厚な方なので、そんな素振りはされませんが)。

でも、それが正直な動機なんだから仕方ない。

そんな不純な奴には教えてやらんと言われなかっただけ、ラッキーだ。

そんでもって、最終的にはCCRでしか潜らんしな。

もってのほかだな・・・。

ただ、石井さんも言っていたが、テクニカルダイビングの考え方や知識、共通のスキルはあって、器材は、ダイビングのための道具に過ぎないからな。

さまざまなアプローチがあって、その中で、最適な選択ができればいいだけの話だ。

40mなら40mでの、安全なダイビングが行えればいいだけの話だ。

今年は、それで終わりになるだろう。

結局、CCRのインストラクターになるという年頭の目標は、未だに達成できていない。

まあ、それどころじゃない状況だから、それも仕方ない。

教える側の経験値を上げていかなければ、教えられる側は不幸だ。

しかし、どこかでリリースしていかなければならないだろう。

教える方だって、暫くは見習いしなけりゃならんしな。

それは、また、来年の目標にしよう。

鬼が笑うだろうけどな。

コンビニ行くと、もう、年賀状の印刷の受付が始まってたしな。

オレンジ色のカボチャだらけだしな。

不純な動機の、でも、楽ちんで楽しく快適なテックが始まろうとしている。

スービックで沈船に毒されたらどーする?。

いやいや、そんな心配はない。

たぶん。

きっと・・・。

水と生命2016年10月17日 16:50

水と生命


地球外生命探査については、このブログでも度々取り上げている(概ね、否定的ですが)。

先ごろも、木星の衛星エウロパで水が見つかったという報道があった。

(木星の衛星「エウロパ」で水蒸気が噴出か? - ハッブル宇宙望遠鏡が観測)
http://news.mynavi.jp/articles/2016/09/29/europa/

「エウロパの地下には液体の海があり、さらに生命が存在する可能性もあると考えられており・・・」

系外惑星の場合は、恒星からの距離とかで液体の水が存在するかどうかを推測しているが、太陽系の場合、木星軌道では到底液体で水を維持することはできない。

なのに、なぜエウロパや、さらに遠い土星の衛星エンケラドゥスに液体の水があるといわれているのか。

それは、巨大ガス惑星の潮汐力により衛星の地殻が歪み、地熱が発生しているという仮説に基づいている。

そして、地球生命の起源を深海の熱水鉱床みたいな、太陽に依存しないエネルギーを元に考えるなら、そういう潮汐力で地熱を発生させているような衛星にも生命がいるかもしれないという、タラレバの連鎖を連ねていって、推測しているわけだ。

しかし、水があれば、そして、地下から熱水が湧き上がってくるような環境があれば、即生命が発生するという考え方には、何の根拠もない。

宇宙空間には、様々な分子が飛び交っているし、隕石によって地表(まあ、水中でもいいんですが)にもたらされて、水という媒体を介して、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返した挙句、単細胞生物が生まれ、光合成が始まり、酸素をエネルギー源として使う生物が生まれ、細胞核が核膜で保護され、多細胞生物や雌雄別体とかややこしい話になる。

その間に、何度か絶滅に近い悲惨な目にあい、それでも、生命の遺伝子プールは維持されるかもしれない。

運よく、絶滅を免れて進化の過程を辿ることが出来、何かの間違いで人間が出来たりするかもしれない。

ダイビングとかで水中世界を見ると、生命が海から誕生したという話は、実にリアルな説得力があると感じる。

つーか、そもそも、海がある惑星は地球だけだし、衛星にしても、海はあるかも知れないが陸はない。

タイタンは、メタンの海と陸があるみたいだけどな。

メタンじゃな・・・。

(タイタン (衛星):生命の可能性)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E8%A1%9B%E6%98%9F)#.E7.94.9F.E5.91.BD.E3.81.AE.E5.8F.AF.E8.83.BD.E6.80.A7

浮沈子が地球外生命に懐疑的なのは、もちろん第一義的には、そんなもんは現時点で見つかっていないからだが、もっと直接的には、この地球生命圏といういうのが、実に精緻にできていて、到底3分クッキングでは作り得ないと考えているからだ。

宇宙人なんて、とんでもない話だし、人類が他の星(月含む)に定住することも不可能だと思っている。

この星に生まれ、この星にしがみつき、この星と運命を共にする。

人類は、どこまでも地球人だ。

その地球の表面の7割以上は水に覆われている。

そして、生命は水の中で生まれた。

最近の知見では、岩石の中に最も多くいるらしいが、岩の中で生まれたわけではなく、その中の水を含んだ層に生きている。

(地下生物圏)
http://www.ne.jp/asahi/mc/minatomachi/deep-biosphere.htm

まあ、仮に本当だとしても、岩の隙間の湿り気に、カビのように生活して一生を終わるというのは何とも言えない気がする。

浮沈子は、いい時代に生まれたといえよう。

地表に水がある時代だからな。

そうでなければ生まれては来なかったろうから、今更の気はするけどな。

地下でさえ、水がなければ化学合成細菌も生きてはいけない。

生命の誕生の話は、時代と共に変わってきている。

21世紀初頭の現代では、余程信仰が厚い方以外は、神様が人間を作ったという話を信じることはないだろう。

事実は、おそらく真逆で、人間が神様を作ったのだ。

人間は、別に特別なものではなく、地球の生命圏の中で、この環境をシェアしている他の生命たちの一員として暮らしている。

まあ、我が物顔だがな。

浮沈子は、それで十分だ。

宇宙の中の星屑たちの彼方にいるかもしれない他の生命や、太陽系の中に散り散りになっていく人類の末裔のことを考えることもない。

イカタコの火星人や、絶世の美女の金星人はいなかったし、もちろん、月にもウサギはいない。

宇宙空間を飛び回るエネルギー粒子は、ひょっとしたら過去に生命だった何者かの情報を内包しているのかもしれないが、それは最早、我々が認識する生命とはかけ離れている。

我々は星屑を材料として生まれ、その誕生した星にしがみついて生きている。

唯一の星。

少なくとも、現代に生きる人類は、この星で生きるしかない。

月で暮らしたいとか、火星に移住したいとか、ISSでホテル暮らしがいいとかいうかもしれないが、地球からの援助なしでは生活は営めない。

植民なんて、アホの極みだ。

浮沈子の考え方は、少し狭いかもしれず、将来の人類は、異なる世界観の中で生きるかもしれない。

浮沈子の親の世代は、銀河系が宇宙の全てであった時代に生まれている。

太陽が莫大なエネルギーを放出する原理は分かっておらず、プレートテクトニクスは一般には認識されていなかった。

現代と同じコンピューターは影も形もなく、タイガー計算機と計算尺とソロバンが全てだ。

飛行機は飛んでいたが、本格的なロケットが飛んだのは第二次世界大戦になってからだ。

そういう時代を経て、工業化が進み、インターネットで世界が繋がり、世界の裏側まで飛行機で一っ飛びで行けるようになった。

一人の人間が世界を認識するプロセスなんて、高が知れている。

浮沈子は、この地球上だけしか認識できないでいる。

宇宙空間とかは、自分の生活とは切り離された別世界の話であり、人類がそこに行くのは罪深いことに違いないと信じている。

たまに、ちょこっと行くならそれもいい。

しかし、そこを生活圏として植民するというのは自然の摂理に反する。

極地に生きる人々が、狩りの道具を作って獲物を得て暮らすのとはわけが違う。

そして、宇宙の中に、他の生命が存在し、ひょっとしたら我々とコンタクトしたがっているかもしれないなどと考えることは、おとぎ話の世界ならともかく、現実にはあり得ない話だと思うのだ。

そりゃあ、100年前にはスマホはなかったかもしれないし、世界がネットで繋がることなど考えもしなかったろうから、100年後の人類が、異なるコモンセンスの上に立脚して生活していても驚くにはあたらない。

核融合が実用化し、宇宙人とメル友(!:死語ですな)になり、火星植民地との戦争に明け暮れていたとしても、驚くにはあたらない。

しかし、それは浮沈子が生きる現代ではない。

SFの世界だ。

それは、物語としては面白いかもしれないが、現実ではない。

まあ、VRが進化して、生まれた時から目玉に液晶モニター埋め込まれるようになれば、現実の定義も変えなけりゃならんだろうがな。

それもまた、未来の常識になるかもしれない。

浮沈子は、テレビの黎明期に生まれ、コンピューターの発達とともに成長し(太っただけ?)、インターネットの普及とともに生きてきた。

通信の発達と、それを介して膨大なデータがやり取りされる時代を駆け抜けた。

宇宙に人類が到達し、他の天体に足跡を記した。

人工物が太陽系を離脱し、人類が70億人を超える日も迎えることが出来た。

我が国では戦争もなく、平和な日々が続いてきた。

そういう、個人の歴史の中での認識でしか、物事を考えられない。

水の惑星、地球(矛盾してません?)。

地球以外には生命はいないし、人類は他の惑星等には植民していない。

おそらく、その認識が覆ることはないだろう。

今、エウロパの水辺に、モノリスが屹立していたとしてもだ・・・。