水と生命2016年10月17日 16:50

水と生命


地球外生命探査については、このブログでも度々取り上げている(概ね、否定的ですが)。

先ごろも、木星の衛星エウロパで水が見つかったという報道があった。

(木星の衛星「エウロパ」で水蒸気が噴出か? - ハッブル宇宙望遠鏡が観測)
http://news.mynavi.jp/articles/2016/09/29/europa/

「エウロパの地下には液体の海があり、さらに生命が存在する可能性もあると考えられており・・・」

系外惑星の場合は、恒星からの距離とかで液体の水が存在するかどうかを推測しているが、太陽系の場合、木星軌道では到底液体で水を維持することはできない。

なのに、なぜエウロパや、さらに遠い土星の衛星エンケラドゥスに液体の水があるといわれているのか。

それは、巨大ガス惑星の潮汐力により衛星の地殻が歪み、地熱が発生しているという仮説に基づいている。

そして、地球生命の起源を深海の熱水鉱床みたいな、太陽に依存しないエネルギーを元に考えるなら、そういう潮汐力で地熱を発生させているような衛星にも生命がいるかもしれないという、タラレバの連鎖を連ねていって、推測しているわけだ。

しかし、水があれば、そして、地下から熱水が湧き上がってくるような環境があれば、即生命が発生するという考え方には、何の根拠もない。

宇宙空間には、様々な分子が飛び交っているし、隕石によって地表(まあ、水中でもいいんですが)にもたらされて、水という媒体を介して、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返した挙句、単細胞生物が生まれ、光合成が始まり、酸素をエネルギー源として使う生物が生まれ、細胞核が核膜で保護され、多細胞生物や雌雄別体とかややこしい話になる。

その間に、何度か絶滅に近い悲惨な目にあい、それでも、生命の遺伝子プールは維持されるかもしれない。

運よく、絶滅を免れて進化の過程を辿ることが出来、何かの間違いで人間が出来たりするかもしれない。

ダイビングとかで水中世界を見ると、生命が海から誕生したという話は、実にリアルな説得力があると感じる。

つーか、そもそも、海がある惑星は地球だけだし、衛星にしても、海はあるかも知れないが陸はない。

タイタンは、メタンの海と陸があるみたいだけどな。

メタンじゃな・・・。

(タイタン (衛星):生命の可能性)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E8%A1%9B%E6%98%9F)#.E7.94.9F.E5.91.BD.E3.81.AE.E5.8F.AF.E8.83.BD.E6.80.A7

浮沈子が地球外生命に懐疑的なのは、もちろん第一義的には、そんなもんは現時点で見つかっていないからだが、もっと直接的には、この地球生命圏といういうのが、実に精緻にできていて、到底3分クッキングでは作り得ないと考えているからだ。

宇宙人なんて、とんでもない話だし、人類が他の星(月含む)に定住することも不可能だと思っている。

この星に生まれ、この星にしがみつき、この星と運命を共にする。

人類は、どこまでも地球人だ。

その地球の表面の7割以上は水に覆われている。

そして、生命は水の中で生まれた。

最近の知見では、岩石の中に最も多くいるらしいが、岩の中で生まれたわけではなく、その中の水を含んだ層に生きている。

(地下生物圏)
http://www.ne.jp/asahi/mc/minatomachi/deep-biosphere.htm

まあ、仮に本当だとしても、岩の隙間の湿り気に、カビのように生活して一生を終わるというのは何とも言えない気がする。

浮沈子は、いい時代に生まれたといえよう。

地表に水がある時代だからな。

そうでなければ生まれては来なかったろうから、今更の気はするけどな。

地下でさえ、水がなければ化学合成細菌も生きてはいけない。

生命の誕生の話は、時代と共に変わってきている。

21世紀初頭の現代では、余程信仰が厚い方以外は、神様が人間を作ったという話を信じることはないだろう。

事実は、おそらく真逆で、人間が神様を作ったのだ。

人間は、別に特別なものではなく、地球の生命圏の中で、この環境をシェアしている他の生命たちの一員として暮らしている。

まあ、我が物顔だがな。

浮沈子は、それで十分だ。

宇宙の中の星屑たちの彼方にいるかもしれない他の生命や、太陽系の中に散り散りになっていく人類の末裔のことを考えることもない。

イカタコの火星人や、絶世の美女の金星人はいなかったし、もちろん、月にもウサギはいない。

宇宙空間を飛び回るエネルギー粒子は、ひょっとしたら過去に生命だった何者かの情報を内包しているのかもしれないが、それは最早、我々が認識する生命とはかけ離れている。

我々は星屑を材料として生まれ、その誕生した星にしがみついて生きている。

唯一の星。

少なくとも、現代に生きる人類は、この星で生きるしかない。

月で暮らしたいとか、火星に移住したいとか、ISSでホテル暮らしがいいとかいうかもしれないが、地球からの援助なしでは生活は営めない。

植民なんて、アホの極みだ。

浮沈子の考え方は、少し狭いかもしれず、将来の人類は、異なる世界観の中で生きるかもしれない。

浮沈子の親の世代は、銀河系が宇宙の全てであった時代に生まれている。

太陽が莫大なエネルギーを放出する原理は分かっておらず、プレートテクトニクスは一般には認識されていなかった。

現代と同じコンピューターは影も形もなく、タイガー計算機と計算尺とソロバンが全てだ。

飛行機は飛んでいたが、本格的なロケットが飛んだのは第二次世界大戦になってからだ。

そういう時代を経て、工業化が進み、インターネットで世界が繋がり、世界の裏側まで飛行機で一っ飛びで行けるようになった。

一人の人間が世界を認識するプロセスなんて、高が知れている。

浮沈子は、この地球上だけしか認識できないでいる。

宇宙空間とかは、自分の生活とは切り離された別世界の話であり、人類がそこに行くのは罪深いことに違いないと信じている。

たまに、ちょこっと行くならそれもいい。

しかし、そこを生活圏として植民するというのは自然の摂理に反する。

極地に生きる人々が、狩りの道具を作って獲物を得て暮らすのとはわけが違う。

そして、宇宙の中に、他の生命が存在し、ひょっとしたら我々とコンタクトしたがっているかもしれないなどと考えることは、おとぎ話の世界ならともかく、現実にはあり得ない話だと思うのだ。

そりゃあ、100年前にはスマホはなかったかもしれないし、世界がネットで繋がることなど考えもしなかったろうから、100年後の人類が、異なるコモンセンスの上に立脚して生活していても驚くにはあたらない。

核融合が実用化し、宇宙人とメル友(!:死語ですな)になり、火星植民地との戦争に明け暮れていたとしても、驚くにはあたらない。

しかし、それは浮沈子が生きる現代ではない。

SFの世界だ。

それは、物語としては面白いかもしれないが、現実ではない。

まあ、VRが進化して、生まれた時から目玉に液晶モニター埋め込まれるようになれば、現実の定義も変えなけりゃならんだろうがな。

それもまた、未来の常識になるかもしれない。

浮沈子は、テレビの黎明期に生まれ、コンピューターの発達とともに成長し(太っただけ?)、インターネットの普及とともに生きてきた。

通信の発達と、それを介して膨大なデータがやり取りされる時代を駆け抜けた。

宇宙に人類が到達し、他の天体に足跡を記した。

人工物が太陽系を離脱し、人類が70億人を超える日も迎えることが出来た。

我が国では戦争もなく、平和な日々が続いてきた。

そういう、個人の歴史の中での認識でしか、物事を考えられない。

水の惑星、地球(矛盾してません?)。

地球以外には生命はいないし、人類は他の惑星等には植民していない。

おそらく、その認識が覆ることはないだろう。

今、エウロパの水辺に、モノリスが屹立していたとしてもだ・・・。

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