ダイバーと死 ― 2016年10月03日 07:57
ダイバーと死
生きている限り、いつかは受け入れなければならない死。
なるべくなら、日常的には遠ざけておきたい究極のイベントだな。
ランドツアーの時に、葬式の車列に紛れ込んでしまい、道草を食ってしまったが、そんなことでもなければ考えることは少ない。
しかし、ダイビングを行う以上、それが死の危険を伴う遊びであることを考えれば、考えないわけにはいかない。
昨日も、亡くなったダイバーの話が出た。
そういう話題は、なるべく表に出したくないだろうし、特に、お客さんには聞かせたくない話のはずなのだが、浮沈子は、そんな目では見られていないんだろう。
これまでにも、死亡に繋がるダイビング事故のことは何度か耳にしたことがある。
セブでも、ロタでも、亡くなった方はいた。
モアルボアルでも聞いた(ちょうど、行っている時)。
ダイバーである限り、綺麗、楽しい、面白いだけの世界でないことは、覚悟しなければならない。
その自覚がなければ、ダイビングなどという死の危険が伴う遊びなんか、するべきではないのだ。
だから、そうならないために、器材のメンテをしたり、スキルを磨いたり、保守的なダイビングを心がけたりする。
体調管理、生活態度、無茶をしない、ルールを守る。
それだって、水中世界を覗き見る楽しみは、十分に味わえる。
我々は、水中世界の生き物ではないのだ。
そこは、元々、死の世界なのである。
CCRであれ、オープンサーキットであれ、あらゆる潜水器は陸上の呼吸を水中に持ち込んでいるに過ぎない。
水中で息が出来ているわけではないのだ。
環境圧潜水ということであれば、深度に応じた圧力が掛かっていて、体内には、陸上とは異なるガス吸収がされていく。
そのこと自体が、重大な事故や、死に繋がるリスクを孕んでいる。
ダイビングを他人に強制すれば暴行罪、それで傷害を負わせれば傷害罪、死に至らしめれば殺人罪だ。
どんなダイビングも、強制することは出来ない。
自らの意思で、自らの責任において潜る。
ダイビングツアーを主催するショップやサービスに、故意や重大な過失がない限り、その結果についてはダイバー自身が負わなければならない。
それがいやなら、ダイビングなど行うべきではない。
陸上にだって、空の上だって、楽しいことはたくさんあるのだ。
水泳だって、危ないしな。
プールで、ライフジャケット着けて、仰向けに浮かんでいるくらいがちょうどいいかも。
浮沈子は、大井町のフィットネスで泳ぐときは、基本的にビート板を持って泳いでいる。
何かあれば、背の立つ水深であっても、浮力体があるほうがいい。
単に、水泳が下手くそなだけだけどな。
まあいい。
ダイビングに、死はつきものだ。
しかし、人間は、それでも潜ることを止めない。
日常を離れ、浮遊感を味わい、水中でなければ見ることが出来ないものを見るために、今日も潜る。
神が与えたもうた陸棲の身体に、潜水器という人が作りしものを纏い、死の危険を賭して潜る。
今朝は、アンテロープの飼い犬(?)であるUMI(♀)とPOTATO(♂)が放し飼いになっている。
浮沈子が犬が嫌いという話は伝えてあるので、スタッフも気を使っているが、たまには放してやらなければならないんだろう。
UMIは、良く吠えていたが、今回は大人しいな。
体調でも悪いんだろうか?。
ポテトは、相変わらず大人しい。
吠えているところを見たことがない。
カヨさんがいなくなって、ちょっと寂しい気がする。
他の日本人スタッフには、まだ馴染めないのだ。
浮沈子は、こう見えて人見知りである。
このアンテロープでの生活は、浮沈子的には実に快適で、ストレスがない。
穏やかで、アットホームな温かい時間の流れを味わう。
死の危険を感じることのない、人間の棲む陸上の世界だ。
もちろん、人間はいつか死ぬ。
そして、概ね、陸上で天寿を全うして死ぬ。
ダイバーの死は、一部の酔狂な人間の死に過ぎない。
それは、ある意味で、自ら選び取った死である。
もちろん、誰も、水中で死にたいと思ってダイバーになる者などいない。
しかし、人生の時間の一部を水中ですごすことを選んだ以上、そして、その世界が人間にとって死の世界である以上、それは常に傍らにある。
さて、そろそろ、死神とバディを組んで、潜りに行くとするか・・・。
生きている限り、いつかは受け入れなければならない死。
なるべくなら、日常的には遠ざけておきたい究極のイベントだな。
ランドツアーの時に、葬式の車列に紛れ込んでしまい、道草を食ってしまったが、そんなことでもなければ考えることは少ない。
しかし、ダイビングを行う以上、それが死の危険を伴う遊びであることを考えれば、考えないわけにはいかない。
昨日も、亡くなったダイバーの話が出た。
そういう話題は、なるべく表に出したくないだろうし、特に、お客さんには聞かせたくない話のはずなのだが、浮沈子は、そんな目では見られていないんだろう。
これまでにも、死亡に繋がるダイビング事故のことは何度か耳にしたことがある。
セブでも、ロタでも、亡くなった方はいた。
モアルボアルでも聞いた(ちょうど、行っている時)。
ダイバーである限り、綺麗、楽しい、面白いだけの世界でないことは、覚悟しなければならない。
その自覚がなければ、ダイビングなどという死の危険が伴う遊びなんか、するべきではないのだ。
だから、そうならないために、器材のメンテをしたり、スキルを磨いたり、保守的なダイビングを心がけたりする。
体調管理、生活態度、無茶をしない、ルールを守る。
それだって、水中世界を覗き見る楽しみは、十分に味わえる。
我々は、水中世界の生き物ではないのだ。
そこは、元々、死の世界なのである。
CCRであれ、オープンサーキットであれ、あらゆる潜水器は陸上の呼吸を水中に持ち込んでいるに過ぎない。
水中で息が出来ているわけではないのだ。
環境圧潜水ということであれば、深度に応じた圧力が掛かっていて、体内には、陸上とは異なるガス吸収がされていく。
そのこと自体が、重大な事故や、死に繋がるリスクを孕んでいる。
ダイビングを他人に強制すれば暴行罪、それで傷害を負わせれば傷害罪、死に至らしめれば殺人罪だ。
どんなダイビングも、強制することは出来ない。
自らの意思で、自らの責任において潜る。
ダイビングツアーを主催するショップやサービスに、故意や重大な過失がない限り、その結果についてはダイバー自身が負わなければならない。
それがいやなら、ダイビングなど行うべきではない。
陸上にだって、空の上だって、楽しいことはたくさんあるのだ。
水泳だって、危ないしな。
プールで、ライフジャケット着けて、仰向けに浮かんでいるくらいがちょうどいいかも。
浮沈子は、大井町のフィットネスで泳ぐときは、基本的にビート板を持って泳いでいる。
何かあれば、背の立つ水深であっても、浮力体があるほうがいい。
単に、水泳が下手くそなだけだけどな。
まあいい。
ダイビングに、死はつきものだ。
しかし、人間は、それでも潜ることを止めない。
日常を離れ、浮遊感を味わい、水中でなければ見ることが出来ないものを見るために、今日も潜る。
神が与えたもうた陸棲の身体に、潜水器という人が作りしものを纏い、死の危険を賭して潜る。
今朝は、アンテロープの飼い犬(?)であるUMI(♀)とPOTATO(♂)が放し飼いになっている。
浮沈子が犬が嫌いという話は伝えてあるので、スタッフも気を使っているが、たまには放してやらなければならないんだろう。
UMIは、良く吠えていたが、今回は大人しいな。
体調でも悪いんだろうか?。
ポテトは、相変わらず大人しい。
吠えているところを見たことがない。
カヨさんがいなくなって、ちょっと寂しい気がする。
他の日本人スタッフには、まだ馴染めないのだ。
浮沈子は、こう見えて人見知りである。
このアンテロープでの生活は、浮沈子的には実に快適で、ストレスがない。
穏やかで、アットホームな温かい時間の流れを味わう。
死の危険を感じることのない、人間の棲む陸上の世界だ。
もちろん、人間はいつか死ぬ。
そして、概ね、陸上で天寿を全うして死ぬ。
ダイバーの死は、一部の酔狂な人間の死に過ぎない。
それは、ある意味で、自ら選び取った死である。
もちろん、誰も、水中で死にたいと思ってダイバーになる者などいない。
しかし、人生の時間の一部を水中ですごすことを選んだ以上、そして、その世界が人間にとって死の世界である以上、それは常に傍らにある。
さて、そろそろ、死神とバディを組んで、潜りに行くとするか・・・。
CCR(8日目) ― 2016年10月03日 16:01
CCR(8日目)
DD前の特訓。
本日のお題は、足を止めろ。
トリムの微調整が続く。
2本目は肩のウエイトを左右3ポンドずつにして、概ね6mでのトリムを完成させる。
15mでは裏返しだ。
シーガルの浮力が無くなるので、トリムが崩れる。
BCの空気の溜め方を調整しなければならない。
左右のバランスは、くそ重いマンタのリールを付け替えて調整した。
これは、今後の課題だな。
明日は、沈船。
イントラによれば、今までで最も安定したダイビングだったとのこと。
その気にさせておいて、明日のダイビングで、また、狭いところに連れ込もうという魂胆は見えている・・・。
2時には片付けも終わったので、少しトレーニングについて話す。
トライミックスレベルのダイビングが、如何にリスキーであるか、そのためのスキルが、どれ程重要であるか。
こりゃあ、お墨付きを頂くのは、並大抵ではないと覚悟を決める。
止まれて、ボーっとしているだけが能ではない。
次々と起こる(かもしれない)トラブルの連鎖、それも、一番起こって欲しくないところで思いっきり起こる。
それに、平然と対応して、かつ、安全にダイビングを続け、必要な減圧をキッチリ行い、余裕をもって浮上する。
それを、いつ、いかなる状況においても、確実に実行する。
器材のトラブルだけではない。
海況の変化、身体の変化など、トラブルの種は山のようにある。
深度が深くなるということは、それらの要因をより多く抱え、ダイビング時間の長期化、それに付随するトラブルの増加も出てくる。
それに加えて、オペレーションは複雑化し、それに伴うミスの可能性が増える。
一つのミスが、次のミスを誘発し、短いサイクルの中で止まらなくなる。
トラブルの連鎖だ・・・。
そして、最も危険なパニックという陥穽に嵌る。
どれだけトレーニングし、どれだけスキルを身に着け、どれだけ装備を充実させていても、パニックになればそれらを活用することは出来ない。
最も行ってはならない行為に走ることになる。
浮上だ。
目に見えない天井を破って、浮上してしまう。
何千回潜っても、パニックは起こる。
そのストレスを、そもそも誘発しないためのトレーニング、仮に、ストレスが高じても、相当程度冷静に対応できるストレス耐性。
それら全てを身に着けて、初めてヘリウムが吸える・・・。
OK。
そのために必要なトレーニングを続け、そのためのスキルを身に着け、ストレス下でパニクらない耐性を養おう。
と、その舌の根も乾かないうちに、今夜の食事会の打ち合わせになった。
ちっと、気分転換も必要だしな。
加藤先生も同行できるというので、新規店舗の開拓(浮沈子にとって)に乗り出すことにする。
オープンサーキットのホバリングでは、足を止めるためのキーワードは、完璧なトリムだった。
CCRでも、それは同じだ。
ウエイトの位置、バランス、そして、BCのエアの溜まり具合の調節。
もちろん、完璧な静止にはなっていない。
10cm位の上下は出ている。
その振動の振幅を小さくし、周期を長くするしかない。
そのためのトレーニングはこれからだ。
浮力変化を感じてから対応したのでは、CCRでは完全に手遅れだ。
先の先を読んで、必要最小限の修正を掛け続けなければならない。
1.3でも、6mでは何とかなった。
0.7なら、3mでも大丈夫。
まあ、これは、某伊豆のスイミングプールでも出来ていたしな。
2本目に浮上したら、ちょうどダイビングボートが岸壁に着岸するところだった。
やっば!。
挟まれて、お陀仏になったら、絶対化けて出てやる。
まあ、どうでもいいんですが。
階段の下の踊り場に、必死に滑り込んだ。
間一髪だな。
こういうトラブルは、想定の範囲内だ。
そのために、イントラはマーカーブイを打ち上げて引っ張っている。
エキジットするときには、イントラが先に上がって、浮沈子のベイルアウトタンクを受け取る手はずになっているので、ボートはダイバーが全員上がったと勘違いした様だ。
やれやれ・・・。
こういう時には、ど派手のオレンジ色のシーガルのウエットスーツが役に立つわけだな。
水面近くにいれば、下手なマーカーブイよりも目立つ。
というわけで、6mでのトリムは、ほぼ制した(ホントかあ?)。
水底でのトリムの調整については、明日朝のBCの調整と、2ポンドのウエイトベルトでの調整に期待しよう。
DD前の特訓。
本日のお題は、足を止めろ。
トリムの微調整が続く。
2本目は肩のウエイトを左右3ポンドずつにして、概ね6mでのトリムを完成させる。
15mでは裏返しだ。
シーガルの浮力が無くなるので、トリムが崩れる。
BCの空気の溜め方を調整しなければならない。
左右のバランスは、くそ重いマンタのリールを付け替えて調整した。
これは、今後の課題だな。
明日は、沈船。
イントラによれば、今までで最も安定したダイビングだったとのこと。
その気にさせておいて、明日のダイビングで、また、狭いところに連れ込もうという魂胆は見えている・・・。
2時には片付けも終わったので、少しトレーニングについて話す。
トライミックスレベルのダイビングが、如何にリスキーであるか、そのためのスキルが、どれ程重要であるか。
こりゃあ、お墨付きを頂くのは、並大抵ではないと覚悟を決める。
止まれて、ボーっとしているだけが能ではない。
次々と起こる(かもしれない)トラブルの連鎖、それも、一番起こって欲しくないところで思いっきり起こる。
それに、平然と対応して、かつ、安全にダイビングを続け、必要な減圧をキッチリ行い、余裕をもって浮上する。
それを、いつ、いかなる状況においても、確実に実行する。
器材のトラブルだけではない。
海況の変化、身体の変化など、トラブルの種は山のようにある。
深度が深くなるということは、それらの要因をより多く抱え、ダイビング時間の長期化、それに付随するトラブルの増加も出てくる。
それに加えて、オペレーションは複雑化し、それに伴うミスの可能性が増える。
一つのミスが、次のミスを誘発し、短いサイクルの中で止まらなくなる。
トラブルの連鎖だ・・・。
そして、最も危険なパニックという陥穽に嵌る。
どれだけトレーニングし、どれだけスキルを身に着け、どれだけ装備を充実させていても、パニックになればそれらを活用することは出来ない。
最も行ってはならない行為に走ることになる。
浮上だ。
目に見えない天井を破って、浮上してしまう。
何千回潜っても、パニックは起こる。
そのストレスを、そもそも誘発しないためのトレーニング、仮に、ストレスが高じても、相当程度冷静に対応できるストレス耐性。
それら全てを身に着けて、初めてヘリウムが吸える・・・。
OK。
そのために必要なトレーニングを続け、そのためのスキルを身に着け、ストレス下でパニクらない耐性を養おう。
と、その舌の根も乾かないうちに、今夜の食事会の打ち合わせになった。
ちっと、気分転換も必要だしな。
加藤先生も同行できるというので、新規店舗の開拓(浮沈子にとって)に乗り出すことにする。
オープンサーキットのホバリングでは、足を止めるためのキーワードは、完璧なトリムだった。
CCRでも、それは同じだ。
ウエイトの位置、バランス、そして、BCのエアの溜まり具合の調節。
もちろん、完璧な静止にはなっていない。
10cm位の上下は出ている。
その振動の振幅を小さくし、周期を長くするしかない。
そのためのトレーニングはこれからだ。
浮力変化を感じてから対応したのでは、CCRでは完全に手遅れだ。
先の先を読んで、必要最小限の修正を掛け続けなければならない。
1.3でも、6mでは何とかなった。
0.7なら、3mでも大丈夫。
まあ、これは、某伊豆のスイミングプールでも出来ていたしな。
2本目に浮上したら、ちょうどダイビングボートが岸壁に着岸するところだった。
やっば!。
挟まれて、お陀仏になったら、絶対化けて出てやる。
まあ、どうでもいいんですが。
階段の下の踊り場に、必死に滑り込んだ。
間一髪だな。
こういうトラブルは、想定の範囲内だ。
そのために、イントラはマーカーブイを打ち上げて引っ張っている。
エキジットするときには、イントラが先に上がって、浮沈子のベイルアウトタンクを受け取る手はずになっているので、ボートはダイバーが全員上がったと勘違いした様だ。
やれやれ・・・。
こういう時には、ど派手のオレンジ色のシーガルのウエットスーツが役に立つわけだな。
水面近くにいれば、下手なマーカーブイよりも目立つ。
というわけで、6mでのトリムは、ほぼ制した(ホントかあ?)。
水底でのトリムの調整については、明日朝のBCの調整と、2ポンドのウエイトベルトでの調整に期待しよう。
コーブ ― 2016年10月03日 22:24
コーブ
ロイヤルリゾートの隣に出来た、コーブというホテルの1階にあるレストランで、イントラと加藤先生と会食。
あまりシリアスな話はせずに、とりとめもない雑談を楽しむ。
味は悪くないし、値段もリーズナブルだが、ビータよりはランクが落ちるな。
が、テンダーロインステーキの味は、パームベイより美味しい。
惜しむらくは、食後に頼んだエスプレッソで、これだけはパームベイが美味しい。
最終日には、フィッシャーマンに行く予定でいる。
CCRの話もした。
このブログに寄せられたコメントを紹介して、浅い深度での減圧停止の方法についてイントラに聞いてみた。
やはり、酸素毒性との絡みで一長一短があり、方法は人それぞれだろうが、教える立場としての基本は、PO2のコントロールはCCRに任せて、人間は浮力調整に専念すべきというコンサバな回答。
まあ、そういうと思ったがな。
ただ、いろいろな方法を試してみるというのはいいことだともいわれた。
テクニカルダイビングに、絶対の正解はない。
あるのは、絶対の間違いだけだ。
幸い、6mでのトリムに目途が付いて、減圧停止のシミュレーションも何とかなりそうなので、とりあえず、今回はスタンダードな方法でがんばってみる。
いやはや、誰が読んでいるか分からないので、迂闊なことは書けないな。
コメントいただいた方には、この場をお借りしてお礼申し上げる。
応援していただけるというのは、実に嬉しい。
励みになるしな。
イントラに隠れて、ちっと酸素足してみっかあ?。
まあいい。
潜降時に、ローセットポジションからハイセットポジションに切り替える際には、直前に軽くマニュアルインフレーターから酸素を送り込んでおくということは、たまにやっていた。
最近は、それさえも面倒くさがって、鼻からの排気だけで済ませている。
潜降速度や、目標深度にもよるが、それで特に問題がなければ、わざわざ手間掛けたりはしない。
セブでトレーニングしていた時には、よくエラーを吐いていたんだが、ソフトウェアのバージョンが変わったからか、最近はポジションの切り替えでは、エラーは出なくなったということもある。
早いとこ、自動中性浮力制御装置が出来るといいんだがな。
その場合だって、トリムは自分で取らなければならないだろう。
そして、人の作りしものは全て、いつか壊れる運命にあり、そういう時でも安全にダイビングを行うための修練では、そんなもんを使わずに中性浮力を取る練習に明け暮れるわけだから、結局は同じことだ。
CCRに上手いやり方はない。
地道な練習を積み重ねて、スタンダードなスキルを身に付けるしかないんだろう。
その上で、自分独自の方法を追求するとのは構わない。
明らかに誤った方法でない限りは、何でもアリだからな。
浮沈子は、潜降の時以外では、オートディリュエントバルブを閉じてしまっている。
一つは、予期せぬディリュエントの流入を避けて、ミニマムボリュームの維持と、酸素の節約を図るためであり、もう一つはヘリウム混合ガスの運用に対応するためである。
ADVの操作に慣れていれば、オンボードのガスを使っているうちは、同じことだろうし、マニュアルインフレーションボタンを押す手間がない分、楽ちんなわけだが、敢えて、そのようにはしていない。
ポセイドンは、ADVを作動させないわけにはいかんだろうしな。
ヘリウム混合ガスを使うときには、慎重に呼吸しなければならんな。
まあいい。
浮上の際に、ローセットに切り替えてからは、逆にADVを開けている。
もう、減圧停止は終わっているわけだし、ここから浮上までの間に溜め込む窒素なんて、高が知れている。
別に、開けなくてもいいんだろうが、ここからケチケチしてもしょうがないのと、深度調整に失敗して墜落した時の用心ということもある。
この辺りも、人によって、運用が異なるところだろう。
浮沈子のやり方が最適かどうかは分からない。
ただ、そうやって運用しているというだけに過ぎない。
今後、その運用が変わるかもしれない。
誰だったか覚えていないけど、ダイビングには、正しいやり方、間違ったやり方、俺のやり方というのがあると聞いたことがある。
まあ、殆どのダイバーは、俺のやり方で潜ってるんだろうな。
それが、明らかな誤りでない限り、問題になることはない。
しかし、認定を与える際には、正しいやり方が出来なければダメということになる。
減圧停止で、マニュアルインフレーションボタンから酸素入れてコントロールして、イントラが認定するかどうかはビミョーなところだ。
さて、明日はボートダイビングの予定だが、乗り合いになることはない。
浮沈子貸切になるか、ボートが出ないかのどちらかだそうだ。
出るとしたら、デイドリームのスタッフが、また何人か同乗することになるんだろう。
お店では、沈船ダイビングに力を入れていて、多くのスタッフに経験を積ませようとしているようだ。
浮沈子は、図らずも、その方針に協力していることになる。
DEMAショーにも出店して、ワールドワイドで周知を図ろうとしている。
世界中から沈船を見にやってくるお客さんが増えるといいな。
そうなると、ボート貸し切りとか出来なくなるだろうな。
お客一人に、スタッフ5人とかいう超贅沢なダイビングは望めなくなる。
まあ、イントラ以外は、浮沈子には目もくれずに潜ってるだけだがな。
寝ころびながら打ち込んだので、テキトーな記事になった。
食堂に行って、アップしてから寝るとしよう・・・。
ロイヤルリゾートの隣に出来た、コーブというホテルの1階にあるレストランで、イントラと加藤先生と会食。
あまりシリアスな話はせずに、とりとめもない雑談を楽しむ。
味は悪くないし、値段もリーズナブルだが、ビータよりはランクが落ちるな。
が、テンダーロインステーキの味は、パームベイより美味しい。
惜しむらくは、食後に頼んだエスプレッソで、これだけはパームベイが美味しい。
最終日には、フィッシャーマンに行く予定でいる。
CCRの話もした。
このブログに寄せられたコメントを紹介して、浅い深度での減圧停止の方法についてイントラに聞いてみた。
やはり、酸素毒性との絡みで一長一短があり、方法は人それぞれだろうが、教える立場としての基本は、PO2のコントロールはCCRに任せて、人間は浮力調整に専念すべきというコンサバな回答。
まあ、そういうと思ったがな。
ただ、いろいろな方法を試してみるというのはいいことだともいわれた。
テクニカルダイビングに、絶対の正解はない。
あるのは、絶対の間違いだけだ。
幸い、6mでのトリムに目途が付いて、減圧停止のシミュレーションも何とかなりそうなので、とりあえず、今回はスタンダードな方法でがんばってみる。
いやはや、誰が読んでいるか分からないので、迂闊なことは書けないな。
コメントいただいた方には、この場をお借りしてお礼申し上げる。
応援していただけるというのは、実に嬉しい。
励みになるしな。
イントラに隠れて、ちっと酸素足してみっかあ?。
まあいい。
潜降時に、ローセットポジションからハイセットポジションに切り替える際には、直前に軽くマニュアルインフレーターから酸素を送り込んでおくということは、たまにやっていた。
最近は、それさえも面倒くさがって、鼻からの排気だけで済ませている。
潜降速度や、目標深度にもよるが、それで特に問題がなければ、わざわざ手間掛けたりはしない。
セブでトレーニングしていた時には、よくエラーを吐いていたんだが、ソフトウェアのバージョンが変わったからか、最近はポジションの切り替えでは、エラーは出なくなったということもある。
早いとこ、自動中性浮力制御装置が出来るといいんだがな。
その場合だって、トリムは自分で取らなければならないだろう。
そして、人の作りしものは全て、いつか壊れる運命にあり、そういう時でも安全にダイビングを行うための修練では、そんなもんを使わずに中性浮力を取る練習に明け暮れるわけだから、結局は同じことだ。
CCRに上手いやり方はない。
地道な練習を積み重ねて、スタンダードなスキルを身に付けるしかないんだろう。
その上で、自分独自の方法を追求するとのは構わない。
明らかに誤った方法でない限りは、何でもアリだからな。
浮沈子は、潜降の時以外では、オートディリュエントバルブを閉じてしまっている。
一つは、予期せぬディリュエントの流入を避けて、ミニマムボリュームの維持と、酸素の節約を図るためであり、もう一つはヘリウム混合ガスの運用に対応するためである。
ADVの操作に慣れていれば、オンボードのガスを使っているうちは、同じことだろうし、マニュアルインフレーションボタンを押す手間がない分、楽ちんなわけだが、敢えて、そのようにはしていない。
ポセイドンは、ADVを作動させないわけにはいかんだろうしな。
ヘリウム混合ガスを使うときには、慎重に呼吸しなければならんな。
まあいい。
浮上の際に、ローセットに切り替えてからは、逆にADVを開けている。
もう、減圧停止は終わっているわけだし、ここから浮上までの間に溜め込む窒素なんて、高が知れている。
別に、開けなくてもいいんだろうが、ここからケチケチしてもしょうがないのと、深度調整に失敗して墜落した時の用心ということもある。
この辺りも、人によって、運用が異なるところだろう。
浮沈子のやり方が最適かどうかは分からない。
ただ、そうやって運用しているというだけに過ぎない。
今後、その運用が変わるかもしれない。
誰だったか覚えていないけど、ダイビングには、正しいやり方、間違ったやり方、俺のやり方というのがあると聞いたことがある。
まあ、殆どのダイバーは、俺のやり方で潜ってるんだろうな。
それが、明らかな誤りでない限り、問題になることはない。
しかし、認定を与える際には、正しいやり方が出来なければダメということになる。
減圧停止で、マニュアルインフレーションボタンから酸素入れてコントロールして、イントラが認定するかどうかはビミョーなところだ。
さて、明日はボートダイビングの予定だが、乗り合いになることはない。
浮沈子貸切になるか、ボートが出ないかのどちらかだそうだ。
出るとしたら、デイドリームのスタッフが、また何人か同乗することになるんだろう。
お店では、沈船ダイビングに力を入れていて、多くのスタッフに経験を積ませようとしているようだ。
浮沈子は、図らずも、その方針に協力していることになる。
DEMAショーにも出店して、ワールドワイドで周知を図ろうとしている。
世界中から沈船を見にやってくるお客さんが増えるといいな。
そうなると、ボート貸し切りとか出来なくなるだろうな。
お客一人に、スタッフ5人とかいう超贅沢なダイビングは望めなくなる。
まあ、イントラ以外は、浮沈子には目もくれずに潜ってるだけだがな。
寝ころびながら打ち込んだので、テキトーな記事になった。
食堂に行って、アップしてから寝るとしよう・・・。
真夜中の食堂 ― 2016年10月04日 02:20
真夜中の食堂
夜、10時過ぎに食堂に降りてくる。
スタッフのドナは引き上げていて、誰もいない。
雨が降り出して、気温が下がっている。
といっても、半そで短パンで、サンダル履き。
前の記事をアップして、さて寝ようかと思ったが、ちょっと寝付けそうにないので、何か書くことにする。
雨音が強くなって、食堂のトタン屋根を叩く。
今日、イントラと話したCCRの将来の話が思い出される。
テクニカルダイビングはともかく、レクリエーショナルでの普及はないだろうという、ちょっと悲観的な話だった。
PADIの方でも、テックレックでさえ、腰が引けている。
ビジネスとしての旨味はないということだ。
ましてや、数に限りがあるCCRの世界が、ビジネスとして成り立つかどうかというのは疑問なんだそうだ。
サイドマウントですら、将来はないという見方もある。
しかし、先のことは分からない。
あくまでも、現在のダイビングの姿をベースに考えればという大前提があるのだ。
シングルタンクでぞろぞろとビーチエントリーして、40分から60分潜って、エキジットしてからログ付して解散、または打ち上げ・・・。
まあ、海外だと、浮沈子が知る限り、殆どがボートダイビングで、乗り合いのデカいダイビングボートに乗って、ポイントに着くとガイドさんが飛び込んで、後に続いてゲストがエントリー。
ガイドにもよるが、西洋人は、ガンガン泳ぐ。
付いていくだけでも、精一杯だ。
そして、同じくらいの時間潜って、エキジットする。
2本から3本、クルーズでは、ナイト含めて5本潜ることもあるという。
浮沈子は、4本が最高だけどな。
疲れる・・・。
そういうんじゃなくって、朝、ゆっくりと起きだして、朝食を取った後、おもむろにCCRの用意して、10時頃にエントリーして、3時間連続で潜って、その日のダイビングはおしまい。
遅い昼食を食べ、ぐっすりと昼寝を楽しむ。
そういう、ゆとりのあるダイビングは、想定の範囲外だろう。
現在のダイビングのスタイルは、概ね器材の制約から来ている。
ダイビングの需要に合わせて器材が出来たわけではなく、器材の制約に合わせて、ダイビングスタイルが確立されただけだ。
しかも、激しい競争の中で、最も効率のいい運用、つまり、コストを掛けずに多くの人数を回すやり方になった。
ダイバーの快適さを最優先にするのではなく、サービスを提供する側の都合で作られたスタイルだ。
浮沈子は、器材は全て水中のステージで装着し、重さを感じないでエントリーできるのが当たり前ではないかと感じている。
CCR、重いしな。
また、ダイビングが水中世界に遊ぶという体験型のレクリエーションである以上、器材を所有するのではなく、そのサイトで、整備された最新の器材を貸し出すのが基本だと思っている。
CCRだって、そのうちスタンダードが出来るに違いないし、そうなればレンタル器材が当たり前になるんだろう。
そういう、新しいダイビングのスタイルを確立することなく、現在の器材の制約に縛られ、提供側のコスト最低、収益最大を基準に作られた枠組みの中だけで考えれば、確かにCCRの未来は暗い。
発想の転換が必要だな。
新しいダイビングスタイルを提案することなく、新しい器材を普及させることは出来ないだろう。
デイドリームが、サイドマウントとレックダイビングを融合させようとしているのは、その一つの試みなのかもしれない。
元々、狭いところを通り抜けるための器材として開発されたサイドマウントと、狭いとこならしこたまある缶詰め(沈船)とは、相性がいいのだ。
さらに、ナイトロックスやテクニカルダイビングの需要の掘り起こしにもつながる。
デイドリームでは、ナイトロックス吸い放題だからな。
ヘリウムこそないが、純酸素もたくさんあるので、CCRや加速減圧程度の需要には、十分応えられる。
現実的に、新しいダイビングのスタイルを提案してきている。
えーと、浮沈子の指向しているのとは、ちっと異なるけどな。
砂浜少ないし、ヤシの木生えた無人島に、ウクレレ引いてくれるねーちゃんいないしな(そうなのかあ?)。
まあ、どうでもいいんですが。
そういう、浅く、明るく、暖かい海での、リラックスしたダイビングがいい。
轟音まき散らし、水中生物を蹴散らしたり、追いかけたりするダイビングではなく、水中世界に溶け込むCCRで静かに潜る。
ああ、もちろん、中性浮力とトリムくらいは取れないとカッコ悪いけどな。
沈船の中に入るのではなく、甲板の上で浮かんでいるだけでもいい。
スクリュー見たり、舳先を見たり、操舵室を外から眺めるだけでもいい。
棲みついている生物や、そこにやってくる生物を、ぼんやり眺めているだけでいいのだ。
時折、ダイバーという生物もやってくる。
泡吹いて、狭いところに入りたがる、へんてこな生物だがな。
そうして、3時間も潜っていれば、入れ代わり立ち代わり、ダイバーがやってきては帰っていくのを眺めることが出来るだろう。
CCRでのダイビングは、従来のダイビングを根底から揺るがす潜在的な力を持っている。
そりゃあ、オープンサーキットだって、タンクをしこたま持ち込めば、同じようなことは出来るかもしれないし、既にテクニカルダイビングの世界では、そういうことが普通に行われている。
もしも、レクリエーショナルダイビングで同じようなことが出来るなら、その世界を彼らテクニカルダイバーだけのものにしておくのは、勿体ないのではないか。
無減圧、40m以内、閉鎖空間でないことを守れば、長時間の連続ダイビングを、静寂のなかで堪能できる。
その代償は安くはないが、オープンサーキットでは決して得られない経験が出来ることは確かだ。
目の前を魚が通り過ぎたり、トルネードに巻かれたり、身体の日陰にチョウチョウウオがいつまでもまとわりつくという経験は、CCRならではのものだ。
水中世界に溶け込む。
そして、その真の姿を垣間見る。
液晶の画面を通してではなく、今、そこにある水中世界を、ありのままに体験するのだ。
水族館というのがある。
アクリルの透明な板を隔てて、水中世界が目の前に展開する。
ついこの間、大洗の水族館に行ってきた。
大きな水槽の中を、魚たちが泳ぎ回り、その姿を陸上で呼吸する我々が眺めるという趣向だ。
アクリルの板に近づき、目を押し付け、耳を押し付けて、手を伸ばしてみる。
すると、あーら不思議、陸上と同じく息をしながら、水中の世界に入ってしまった(んなわけは、ないですが)。
CCRのイメージは、そんな感じだ。
もちろんそこには、環境圧潜水という絶対的な違いがある。
酸素の毒性、不活性ガスの蓄積など、身体によくない話は山ほどある。
水族館で、アクリル越しに眺めているのがよろしい。
CCRで潜ったって、水中眼鏡(業界用語では、マスクという)越しの世界だ。
水中では、体温も奪われるしな。
何より濡れる。
しかし、それが水中世界だ。
彼らは、そこで生きている。
水中で呼吸するために、高い圧力のガスを吸っていることを除けば、CCRは陸上での呼吸と同じだ。
肺は、体内とガス交換を行い、二酸化炭素を排出し、酸素を吸収する。
だから、陸棲動物である人間も、息が出来る。
その仕組みを、水中に持ち込んで呼吸しているだけなのだ。
地球大気では、吐き出した二酸化炭素は植物に吸収されるが、CCRでは水酸化カルシウムが化学反応を起こして、水と炭酸カルシウムを生成する。
ああ、熱も出るけどな。
使った酸素は、補充してやらなければならない。
どんだけ薄まったかを、ガルバニ電池である酸素センサーが発電して、微小電流を発生させ、コンピューターが良きに計らって、ソレノイドバルブを動かすと、オリフィスを音速で通過した圧縮酸素が呼吸回路内に足される。
圧力差を埋めるために、薄めガスであるディリュエントを足す仕組みを突っ込めば、CCRの完成だ。
循環させるためのループを構成し、カウンターラングを咬ませ、ガスの流れを一方通行にする逆止弁を備えればいい。
大気では、これらの仕組みは必要ない。
不活性ガスの、あまり有難くない作用については、割愛する。
CCRは、地球大気の縮小版なのだ。
いや、どこかの惑星、酸素濃度が地球の何倍も濃い惑星の大気を作り出す。
その装置を担いで潜る。
浮沈子が言いたいのは、水中に、地球大気を持ち込んでいるということだ。
シンプルには、タンクに大気をそのまま高圧で押し込んで持って行ってもいい。
そして、吐いた空気は、水中にぶちまける。
轟音と共に。
圧力を高くすれば、長時間潜っていることもできる。
700気圧の水素タンクが実用化されているので、将来は、そのくらいのダイビング用タンクが出来るかもしれない。
深度にもよるが、現在、200気圧で1時間くらいのダイビングが可能だから、3倍以上の潜水時間が可能になる(不活性ガスの蓄積があるので、単純にそういうことにはなりませんが)。
業界は、そういう状況にも対応していかなければならないわけで、CCRが普及するとしないとにかかわらず、いつまでも現在のダイビングスタイルを維持できるわけではないのだ。
未来のダイビングは、オープンサーキットは全て減圧ダイビングになり、CCRだけが無減圧で長時間潜れるという話になる可能性だってある。
技術の進歩が、器材を変え、それがダイビングスタイルを決定してきた。
ダイビングは、21世紀初頭に、大きな転機を迎えようとしているのかもしれない。
しかし、先のことは分からない。
ダイビングを規制しようという動きもある。
指導団体による自主規制ではなく、国家が介入しようという動きだ。
所詮は、遊びに過ぎないレジャーダイビングだから、別に世の中にとって必要不可欠な行為ではない。
ハイリスクな潜水器であるCCRなんて、真っ先に狙われそうだな。
CCR禁止とか。
エリアによっては、そういう話もあると聞く。
CCRでの事故が多発すれば、そういう方向で普及が閉ざされていくかもしれない。
世の中の大多数の人は、ダイバーではないのだ。
そんな危ない行為は、禁止してしまえ。
なかでも、怪しからんのはCCRとかいう器材だ。
ダイバーの中でも、足の引っ張り合いがあるかもしれない。
うちのエリアで、危険な潜水器を使って、事故でも起こされたらかなわない、そんな器材は、締め出してしまえ。
実際に、CCRでの死亡事故をきっかけに、持ち込み禁止になったエリアもあると聞く。
お先真っ暗だなあ。
CCRなんて、簡単に使えて、楽しいですよというつもりは、全くない。
このブログを読めば、如何に浮沈子が苦労しているかが分かって頂けると信じている。
使い方をマスターする過程そのものを楽しめなければ、辛いだけだ。
どんな道具も、正しく使わなければ危険なものになる。
正しく使えば、人類の福祉と幸福に資することが出来る。
人間は、そうやって文明を築いてきた。
CCRも、そういった道具の一つに過ぎない。
きっと、将来の人類は、CCRを正しく使って、幸せなダイビングを行っていくに違いないと信じたい。
しかしなあ、もう、何十年も前から潜水具として使われているのになあ。
現時点での結論としては、ダイビングのスタイルを変えない限り、CCRの普及は困難だということ。
どちらかといえば、ネガティブな状況が展開しているということ。
我が国では、少なくとも当分の間、普及は難しいだろうということ。
しかし、海外では、潜るところは皆無ではないということくらいかな。
グアムでも、フィリピンでも、CCRで潜るところはあるし、国内でもいくつかのエリアでは潜ることが出来る。
浮沈子は、石垣と獅子浜でしか潜ったことはないけどな。
何度も書くが、先のことは分からないのだ。
CCRの将来も分からないし、浮沈子のトレーニングの結末も分からない。
できることをしっかりやって、未来を信じるしかないだろう。
夜、10時過ぎに食堂に降りてくる。
スタッフのドナは引き上げていて、誰もいない。
雨が降り出して、気温が下がっている。
といっても、半そで短パンで、サンダル履き。
前の記事をアップして、さて寝ようかと思ったが、ちょっと寝付けそうにないので、何か書くことにする。
雨音が強くなって、食堂のトタン屋根を叩く。
今日、イントラと話したCCRの将来の話が思い出される。
テクニカルダイビングはともかく、レクリエーショナルでの普及はないだろうという、ちょっと悲観的な話だった。
PADIの方でも、テックレックでさえ、腰が引けている。
ビジネスとしての旨味はないということだ。
ましてや、数に限りがあるCCRの世界が、ビジネスとして成り立つかどうかというのは疑問なんだそうだ。
サイドマウントですら、将来はないという見方もある。
しかし、先のことは分からない。
あくまでも、現在のダイビングの姿をベースに考えればという大前提があるのだ。
シングルタンクでぞろぞろとビーチエントリーして、40分から60分潜って、エキジットしてからログ付して解散、または打ち上げ・・・。
まあ、海外だと、浮沈子が知る限り、殆どがボートダイビングで、乗り合いのデカいダイビングボートに乗って、ポイントに着くとガイドさんが飛び込んで、後に続いてゲストがエントリー。
ガイドにもよるが、西洋人は、ガンガン泳ぐ。
付いていくだけでも、精一杯だ。
そして、同じくらいの時間潜って、エキジットする。
2本から3本、クルーズでは、ナイト含めて5本潜ることもあるという。
浮沈子は、4本が最高だけどな。
疲れる・・・。
そういうんじゃなくって、朝、ゆっくりと起きだして、朝食を取った後、おもむろにCCRの用意して、10時頃にエントリーして、3時間連続で潜って、その日のダイビングはおしまい。
遅い昼食を食べ、ぐっすりと昼寝を楽しむ。
そういう、ゆとりのあるダイビングは、想定の範囲外だろう。
現在のダイビングのスタイルは、概ね器材の制約から来ている。
ダイビングの需要に合わせて器材が出来たわけではなく、器材の制約に合わせて、ダイビングスタイルが確立されただけだ。
しかも、激しい競争の中で、最も効率のいい運用、つまり、コストを掛けずに多くの人数を回すやり方になった。
ダイバーの快適さを最優先にするのではなく、サービスを提供する側の都合で作られたスタイルだ。
浮沈子は、器材は全て水中のステージで装着し、重さを感じないでエントリーできるのが当たり前ではないかと感じている。
CCR、重いしな。
また、ダイビングが水中世界に遊ぶという体験型のレクリエーションである以上、器材を所有するのではなく、そのサイトで、整備された最新の器材を貸し出すのが基本だと思っている。
CCRだって、そのうちスタンダードが出来るに違いないし、そうなればレンタル器材が当たり前になるんだろう。
そういう、新しいダイビングのスタイルを確立することなく、現在の器材の制約に縛られ、提供側のコスト最低、収益最大を基準に作られた枠組みの中だけで考えれば、確かにCCRの未来は暗い。
発想の転換が必要だな。
新しいダイビングスタイルを提案することなく、新しい器材を普及させることは出来ないだろう。
デイドリームが、サイドマウントとレックダイビングを融合させようとしているのは、その一つの試みなのかもしれない。
元々、狭いところを通り抜けるための器材として開発されたサイドマウントと、狭いとこならしこたまある缶詰め(沈船)とは、相性がいいのだ。
さらに、ナイトロックスやテクニカルダイビングの需要の掘り起こしにもつながる。
デイドリームでは、ナイトロックス吸い放題だからな。
ヘリウムこそないが、純酸素もたくさんあるので、CCRや加速減圧程度の需要には、十分応えられる。
現実的に、新しいダイビングのスタイルを提案してきている。
えーと、浮沈子の指向しているのとは、ちっと異なるけどな。
砂浜少ないし、ヤシの木生えた無人島に、ウクレレ引いてくれるねーちゃんいないしな(そうなのかあ?)。
まあ、どうでもいいんですが。
そういう、浅く、明るく、暖かい海での、リラックスしたダイビングがいい。
轟音まき散らし、水中生物を蹴散らしたり、追いかけたりするダイビングではなく、水中世界に溶け込むCCRで静かに潜る。
ああ、もちろん、中性浮力とトリムくらいは取れないとカッコ悪いけどな。
沈船の中に入るのではなく、甲板の上で浮かんでいるだけでもいい。
スクリュー見たり、舳先を見たり、操舵室を外から眺めるだけでもいい。
棲みついている生物や、そこにやってくる生物を、ぼんやり眺めているだけでいいのだ。
時折、ダイバーという生物もやってくる。
泡吹いて、狭いところに入りたがる、へんてこな生物だがな。
そうして、3時間も潜っていれば、入れ代わり立ち代わり、ダイバーがやってきては帰っていくのを眺めることが出来るだろう。
CCRでのダイビングは、従来のダイビングを根底から揺るがす潜在的な力を持っている。
そりゃあ、オープンサーキットだって、タンクをしこたま持ち込めば、同じようなことは出来るかもしれないし、既にテクニカルダイビングの世界では、そういうことが普通に行われている。
もしも、レクリエーショナルダイビングで同じようなことが出来るなら、その世界を彼らテクニカルダイバーだけのものにしておくのは、勿体ないのではないか。
無減圧、40m以内、閉鎖空間でないことを守れば、長時間の連続ダイビングを、静寂のなかで堪能できる。
その代償は安くはないが、オープンサーキットでは決して得られない経験が出来ることは確かだ。
目の前を魚が通り過ぎたり、トルネードに巻かれたり、身体の日陰にチョウチョウウオがいつまでもまとわりつくという経験は、CCRならではのものだ。
水中世界に溶け込む。
そして、その真の姿を垣間見る。
液晶の画面を通してではなく、今、そこにある水中世界を、ありのままに体験するのだ。
水族館というのがある。
アクリルの透明な板を隔てて、水中世界が目の前に展開する。
ついこの間、大洗の水族館に行ってきた。
大きな水槽の中を、魚たちが泳ぎ回り、その姿を陸上で呼吸する我々が眺めるという趣向だ。
アクリルの板に近づき、目を押し付け、耳を押し付けて、手を伸ばしてみる。
すると、あーら不思議、陸上と同じく息をしながら、水中の世界に入ってしまった(んなわけは、ないですが)。
CCRのイメージは、そんな感じだ。
もちろんそこには、環境圧潜水という絶対的な違いがある。
酸素の毒性、不活性ガスの蓄積など、身体によくない話は山ほどある。
水族館で、アクリル越しに眺めているのがよろしい。
CCRで潜ったって、水中眼鏡(業界用語では、マスクという)越しの世界だ。
水中では、体温も奪われるしな。
何より濡れる。
しかし、それが水中世界だ。
彼らは、そこで生きている。
水中で呼吸するために、高い圧力のガスを吸っていることを除けば、CCRは陸上での呼吸と同じだ。
肺は、体内とガス交換を行い、二酸化炭素を排出し、酸素を吸収する。
だから、陸棲動物である人間も、息が出来る。
その仕組みを、水中に持ち込んで呼吸しているだけなのだ。
地球大気では、吐き出した二酸化炭素は植物に吸収されるが、CCRでは水酸化カルシウムが化学反応を起こして、水と炭酸カルシウムを生成する。
ああ、熱も出るけどな。
使った酸素は、補充してやらなければならない。
どんだけ薄まったかを、ガルバニ電池である酸素センサーが発電して、微小電流を発生させ、コンピューターが良きに計らって、ソレノイドバルブを動かすと、オリフィスを音速で通過した圧縮酸素が呼吸回路内に足される。
圧力差を埋めるために、薄めガスであるディリュエントを足す仕組みを突っ込めば、CCRの完成だ。
循環させるためのループを構成し、カウンターラングを咬ませ、ガスの流れを一方通行にする逆止弁を備えればいい。
大気では、これらの仕組みは必要ない。
不活性ガスの、あまり有難くない作用については、割愛する。
CCRは、地球大気の縮小版なのだ。
いや、どこかの惑星、酸素濃度が地球の何倍も濃い惑星の大気を作り出す。
その装置を担いで潜る。
浮沈子が言いたいのは、水中に、地球大気を持ち込んでいるということだ。
シンプルには、タンクに大気をそのまま高圧で押し込んで持って行ってもいい。
そして、吐いた空気は、水中にぶちまける。
轟音と共に。
圧力を高くすれば、長時間潜っていることもできる。
700気圧の水素タンクが実用化されているので、将来は、そのくらいのダイビング用タンクが出来るかもしれない。
深度にもよるが、現在、200気圧で1時間くらいのダイビングが可能だから、3倍以上の潜水時間が可能になる(不活性ガスの蓄積があるので、単純にそういうことにはなりませんが)。
業界は、そういう状況にも対応していかなければならないわけで、CCRが普及するとしないとにかかわらず、いつまでも現在のダイビングスタイルを維持できるわけではないのだ。
未来のダイビングは、オープンサーキットは全て減圧ダイビングになり、CCRだけが無減圧で長時間潜れるという話になる可能性だってある。
技術の進歩が、器材を変え、それがダイビングスタイルを決定してきた。
ダイビングは、21世紀初頭に、大きな転機を迎えようとしているのかもしれない。
しかし、先のことは分からない。
ダイビングを規制しようという動きもある。
指導団体による自主規制ではなく、国家が介入しようという動きだ。
所詮は、遊びに過ぎないレジャーダイビングだから、別に世の中にとって必要不可欠な行為ではない。
ハイリスクな潜水器であるCCRなんて、真っ先に狙われそうだな。
CCR禁止とか。
エリアによっては、そういう話もあると聞く。
CCRでの事故が多発すれば、そういう方向で普及が閉ざされていくかもしれない。
世の中の大多数の人は、ダイバーではないのだ。
そんな危ない行為は、禁止してしまえ。
なかでも、怪しからんのはCCRとかいう器材だ。
ダイバーの中でも、足の引っ張り合いがあるかもしれない。
うちのエリアで、危険な潜水器を使って、事故でも起こされたらかなわない、そんな器材は、締め出してしまえ。
実際に、CCRでの死亡事故をきっかけに、持ち込み禁止になったエリアもあると聞く。
お先真っ暗だなあ。
CCRなんて、簡単に使えて、楽しいですよというつもりは、全くない。
このブログを読めば、如何に浮沈子が苦労しているかが分かって頂けると信じている。
使い方をマスターする過程そのものを楽しめなければ、辛いだけだ。
どんな道具も、正しく使わなければ危険なものになる。
正しく使えば、人類の福祉と幸福に資することが出来る。
人間は、そうやって文明を築いてきた。
CCRも、そういった道具の一つに過ぎない。
きっと、将来の人類は、CCRを正しく使って、幸せなダイビングを行っていくに違いないと信じたい。
しかしなあ、もう、何十年も前から潜水具として使われているのになあ。
現時点での結論としては、ダイビングのスタイルを変えない限り、CCRの普及は困難だということ。
どちらかといえば、ネガティブな状況が展開しているということ。
我が国では、少なくとも当分の間、普及は難しいだろうということ。
しかし、海外では、潜るところは皆無ではないということくらいかな。
グアムでも、フィリピンでも、CCRで潜るところはあるし、国内でもいくつかのエリアでは潜ることが出来る。
浮沈子は、石垣と獅子浜でしか潜ったことはないけどな。
何度も書くが、先のことは分からないのだ。
CCRの将来も分からないし、浮沈子のトレーニングの結末も分からない。
できることをしっかりやって、未来を信じるしかないだろう。
眠れない夜 ― 2016年10月04日 07:20
眠れない夜
うつらうつらとしただけで、殆ど眠れない夜が明けた。
昨夜から、妙に目が冴えてしまって寝付けない。
あの、コーブの苦いだけのエスプレッソのせいなんだろうか?。
夜中に降っていた雨は上がり、朝焼けの空が広がる。
食事の時の話で、沈船の魅力をどう伝えるかというのがあった(えーと、そうだったっけ?)。
戦争で沈められた船だから(パラオは、そういう船が多い)、楽しいとか、面白いとか、そういう言葉使いは良くないという話が出た。
確かに、そういわれてみればそうだ。
言ってみれば、墓標のようなもんだからな。
しかも、それらの船は、そこで沈められたくて沈んだわけではなく、命を落とされた方の遺骨も回収されていない船もあるという。
その戦跡に潜るというのは、いわば、禁じられた遊びなのだ。
しかし、まあ、そうはいっても、70年以上も昔の話だし、沈船自体は鉄の塊に過ぎない。
浮沈子の基本的な考えは、沈船は見たままの沈船であって、それ以上でもそれ以下でもない。
沈んだ船の背景が特異なものであるほど萌えるという方もいるが、浮沈子はそうではない。
また、船は萌えるけど、飛行機には萌えないという方もいる。
大きさとか、中に入れるとか、そういう沈船ならではの楽しみがあるからだという。
一方で、飛行機の方がいいという方もいるようだ。
工業製品として作られているので、ほとんど一品物の船よりも、分類とかでハッキリわかるんだそうだ。
はあ。
浮沈子には、ちょっと理解し難い。
しかし、いったいこれは何だろうという興味から、深く深く入っていくというのもある。
嵌ってしまったお客さんの一人は、ガイドよりも詳しくなってしまったという。
ガイドよ、がんばれ!。
まあ、どうでもいいんですが。
陸上の墓標と異なり、沈船は、概ね水中に沈んでいて見えない。
中には、一部を水面に出しているのもあるのかもしれない。
テニアンでは、そういう沈船もあった(ダイビングポイントではありませんが)。
座礁船というやつだな。
そういうのは例外として、概ね沈んでいて、水面からは見えない。
浅いところの沈船は、航路の邪魔になるので撤去されてしまう。
いきおい、ある程度、15mより深いところに沈んでいるものが多い。
停泊地の場合、それ程水深がないことが多く、パラオでも20mから40mの間で、多くの船が見つかっている。
中には、もっと深いところにある船もあるんだろうが、浮沈子は知らない。
夜はすっかり明けて、明るくなった。
暑くなりそうな予感がする。
予定ではあまり潜っていない沈船にいくという。
浮沈子は、何でもいいのだ。
そこに沈船があるから潜る。
区別するために、浮かんでいた当時の名前で呼ばれているが、沈船になった以上、沈船は沈船でいいのではないか。
その背景から解放されて、長い余生をおくっているのだから、あるがままを見ればいい。
その巨体は、確かに人の手が作り出したものだが、その鉄の由来は海である。
海からできた鉄鉱石が陸に上がり、それを人間が精錬し、加工して作った。
それが、人の手を離れ、海に還っていく。
そこに至ってなお、浮かんでいた時の短い時間の名前で呼ばれる。
それは、人間の驕りではないのか。
戦争という人間の行為で沈んだ沈船は、身をもってその行為を糾弾しているのかもしれない。
その記憶を、歴史に刻んで偲ぶといういうのも、沈船への接し方の一つであろうが、そうでない接し方もあっていい。
事実を事実として伝える。
解釈はしない。
お店のスタンスは明快だ。
その事実を、どう受け止め、どう接するかは、ゲストの問題である。
様々な接し方を許容し、広く沈船を知ってもらい、たくさんのゲストに来てもらいたわけだからな。
どんなものにも魂が宿るという考え方がある。
船ならば、命名されて進水式を行えば、そういうことになるんだろう。
神ならぬ人の作りしものに、もとより魂など宿るはずもないが、そこは人間の知恵というものだ。
大切に扱われ、しっかり役目を果たしてもらうためには、何らかの人格化が求められるんだろう。
沈船の扱いは、浮沈子にはその延長にあるようにも思える。
沈んだ船を名前で呼び、その背景を大切にしてダイバーの楽しみを豊かなものにする。
事実を伝え、様々な解釈を許容する。
それでいいのではないかとも思う。
が、浮沈子にとっては、沈船は沈船で、それ以上のものではない。
我々は、星屑から生まれた。
そして、やがては星屑へと還っていく。
沈船の魅力の一つは、そんな宇宙とのつながり、存在の共通性を感じさせてくれることにあるのかもしれない。
沈船は、黙して語らず。
その内なる声を聞くには、まずは、潜るしかない。
その上で、何を感じるかは、ダイバー一人一人の問題である・・・。
うつらうつらとしただけで、殆ど眠れない夜が明けた。
昨夜から、妙に目が冴えてしまって寝付けない。
あの、コーブの苦いだけのエスプレッソのせいなんだろうか?。
夜中に降っていた雨は上がり、朝焼けの空が広がる。
食事の時の話で、沈船の魅力をどう伝えるかというのがあった(えーと、そうだったっけ?)。
戦争で沈められた船だから(パラオは、そういう船が多い)、楽しいとか、面白いとか、そういう言葉使いは良くないという話が出た。
確かに、そういわれてみればそうだ。
言ってみれば、墓標のようなもんだからな。
しかも、それらの船は、そこで沈められたくて沈んだわけではなく、命を落とされた方の遺骨も回収されていない船もあるという。
その戦跡に潜るというのは、いわば、禁じられた遊びなのだ。
しかし、まあ、そうはいっても、70年以上も昔の話だし、沈船自体は鉄の塊に過ぎない。
浮沈子の基本的な考えは、沈船は見たままの沈船であって、それ以上でもそれ以下でもない。
沈んだ船の背景が特異なものであるほど萌えるという方もいるが、浮沈子はそうではない。
また、船は萌えるけど、飛行機には萌えないという方もいる。
大きさとか、中に入れるとか、そういう沈船ならではの楽しみがあるからだという。
一方で、飛行機の方がいいという方もいるようだ。
工業製品として作られているので、ほとんど一品物の船よりも、分類とかでハッキリわかるんだそうだ。
はあ。
浮沈子には、ちょっと理解し難い。
しかし、いったいこれは何だろうという興味から、深く深く入っていくというのもある。
嵌ってしまったお客さんの一人は、ガイドよりも詳しくなってしまったという。
ガイドよ、がんばれ!。
まあ、どうでもいいんですが。
陸上の墓標と異なり、沈船は、概ね水中に沈んでいて見えない。
中には、一部を水面に出しているのもあるのかもしれない。
テニアンでは、そういう沈船もあった(ダイビングポイントではありませんが)。
座礁船というやつだな。
そういうのは例外として、概ね沈んでいて、水面からは見えない。
浅いところの沈船は、航路の邪魔になるので撤去されてしまう。
いきおい、ある程度、15mより深いところに沈んでいるものが多い。
停泊地の場合、それ程水深がないことが多く、パラオでも20mから40mの間で、多くの船が見つかっている。
中には、もっと深いところにある船もあるんだろうが、浮沈子は知らない。
夜はすっかり明けて、明るくなった。
暑くなりそうな予感がする。
予定ではあまり潜っていない沈船にいくという。
浮沈子は、何でもいいのだ。
そこに沈船があるから潜る。
区別するために、浮かんでいた当時の名前で呼ばれているが、沈船になった以上、沈船は沈船でいいのではないか。
その背景から解放されて、長い余生をおくっているのだから、あるがままを見ればいい。
その巨体は、確かに人の手が作り出したものだが、その鉄の由来は海である。
海からできた鉄鉱石が陸に上がり、それを人間が精錬し、加工して作った。
それが、人の手を離れ、海に還っていく。
そこに至ってなお、浮かんでいた時の短い時間の名前で呼ばれる。
それは、人間の驕りではないのか。
戦争という人間の行為で沈んだ沈船は、身をもってその行為を糾弾しているのかもしれない。
その記憶を、歴史に刻んで偲ぶといういうのも、沈船への接し方の一つであろうが、そうでない接し方もあっていい。
事実を事実として伝える。
解釈はしない。
お店のスタンスは明快だ。
その事実を、どう受け止め、どう接するかは、ゲストの問題である。
様々な接し方を許容し、広く沈船を知ってもらい、たくさんのゲストに来てもらいたわけだからな。
どんなものにも魂が宿るという考え方がある。
船ならば、命名されて進水式を行えば、そういうことになるんだろう。
神ならぬ人の作りしものに、もとより魂など宿るはずもないが、そこは人間の知恵というものだ。
大切に扱われ、しっかり役目を果たしてもらうためには、何らかの人格化が求められるんだろう。
沈船の扱いは、浮沈子にはその延長にあるようにも思える。
沈んだ船を名前で呼び、その背景を大切にしてダイバーの楽しみを豊かなものにする。
事実を伝え、様々な解釈を許容する。
それでいいのではないかとも思う。
が、浮沈子にとっては、沈船は沈船で、それ以上のものではない。
我々は、星屑から生まれた。
そして、やがては星屑へと還っていく。
沈船の魅力の一つは、そんな宇宙とのつながり、存在の共通性を感じさせてくれることにあるのかもしれない。
沈船は、黙して語らず。
その内なる声を聞くには、まずは、潜るしかない。
その上で、何を感じるかは、ダイバー一人一人の問題である・・・。
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