存在の条件2016年11月16日 18:00

存在の条件


(テスラがまたも進化! モデルSで試した最新ソフトウェア アップデート8.0の実力(3/3))
http://autoc-one.jp/tesla/model_s/report-3002479/0003.html

「現段階ではまだ、アナログなクルマのユーザーインターフェイスやソフトウェアでも何とか存在していける」

「機構やメカに偏重しすぎた思考のままだと、今後はトレンドから取り残される可能性も高く、あっという間に前時代の自動車になりかねない状況」

クルマがスマホに追いつけない状況を嘆いているが、浮沈子は、そんなのはほっとけと言いたい。

だいたい、河口まなぶに言われたくない!。

(半端ねぇ! 史上最速牛 アヴェンタドール全開!)
https://www.youtube.com/watch?v=Azp4up645dA

インプレしないで、馬鹿笑いと、オエッ、とかしてるだけの映像だが、ちゃんとしたインプレとかも書いている。

ちょっと見つけられなかったが、読んだ記憶はある。

試乗しているのが、テスラのモデルSで、バージョンアップしたソフトウェアを走らせている。

クルマ自体のハードも改善されてきているので、トータルでの価値は上がっているんだろうが、ソフトウェアの向上による進化に焦点を当てている。

そのテスラでさえ、スマホにはおいていかれているというのだ。

別に、スマホに追いつく必要もないと思うんだがな。

人の命を乗せて走っているんだから、ちゃらちゃらした話は、それこそスマホに任せておけばいいと思うんだがな。

ナビとかで、一通逆走したりするよりは、時代遅れのインターフェースで、ガチガチな方がいいに決まっている。

しかし、先だって試乗したEクラスのメーターが、完全にスクリーンになっていて、物理的なメーターがどこにもないという時代になったことを考えると、ビジュアルも含めて、全てのインターフェースが統合されて、クルマの中だろうが外だろうが、一切区別なくシームレスに繋がっているという方向に動いていることは間違いないだろう。

それは、従来は、ハードウェアの選択によって行われていたんだろうが、今や電子の力でソフトをちょちょっと弄ると、簡単に変更できるようになった。

もちろん、ハードウェアの絶対的な能力を超えて性能を発揮することは不可能だが、日常生活を豊かにし、バリアフリーを実現し、環境にやさしい移動を実現するには、不可欠なアイテムになった。

スマホだ。

自動車は、スマホになった。

そして、自動車評論家は、スマホより進化が遅いと嘆く時代になったわけだな。

世も末である。

ハンドリングがどう変わったかとか、サスペンションがどれだけ改善されたかとか、エンジン(いや、モーターか)のフィーリングが、どんだけスムーズになったかとか、そういう話ではなく、スマホとの比較に陥っている。

旧バージョンと乗り比べて、古いOSを弄っているようだとのたまう。

そして、ハッキリ書いてはいないが、5年、10年先には、ユーザーインターフェースとコネクティビティが、クルマの存在価値を左右するという。

ふざけんな、と言いたい。

クルマの価値は、そんなチャラい要素に左右されることはない。

事前に(紙の)地図でルートを確認し、曲がる交差点に印をつけ、近くの目印を探してマークする。

カーナビなんぞは、その地図帳の代わりに過ぎない。

外部とのコネクティビティは、AMラジオの交通情報で沢山だろう。

そして、マニュアルトランスミッションをぐりぐりし、左足をばたばたさせながら、足吊りそうになって運転するのが自動車というもんだ。

そして、どこでも行きたいところに、何時でも行けるという、絶対的な自由を手に入れる。

公共交通機関が網の目のように張り巡らされ、省エネや環境保護の観点から、その利用が推奨されている都市部でさえ、いや、そうだからこそ、クルマは走り回っているのだ。

荷物を積み、人を乗せ、バスや地下鉄や電車などでは不自由極まりない移動を、魔法のように解決する。

郊外になれば、他に手段はない。

まして、行楽地というのは、概ね交通が不便なところにあると、相場が決まっている。

クルマの価値は、そういうところにもやすやすと行くことが出来るという、移動手段としての絶対的なものだ。

スマホは、どう逆立ちしても、箱根の山の上まで運んではくれない。

当たり前といえば当たり前だが、クルマはスマホではない。

便利さの代償として、移動手段としての基本性能が疎かになっては、本末転倒というものだ。

「特に顕著なのが乗り心地で、2014年モデルは全体的に乗り心地面で荒い部分があり、高速道路等では路面変化によって姿勢がフラットに保てないこともあるなど、大きな違いが感じられた。」

これだけのボリュームの記事で、従来の試乗インプレに該当すると思われる記述は、たったこれだけ・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

室内の設えも良くなったようだが、評者は、具体的な項目に目が行っていない。

どうしても、スマホ的インプレに流されているのだ。

内装の質感、スイッチ類の感触(ああ、タッチ画面だから、スイッチないのかあ?)、色合い、手触り、シートの硬さ、撓み、疲れ具合、室内の騒音レベル、音質、振動、エトセエトセ・・・。

いっせんまんえんクラスのクルマだから、当然、そういう高級感の演出について要求していい。

それはいったいどうだったのかという話よりも、スマホ的レスポンスや、画面のデザイン、外部との通信、エトセエトセが重要になる。

クルマとは何だ?。

ゴチャゴチャとハンドルに付いているスイッチを、さりげなく使いこなして、カーナビを操作して見せることなのか、スマホに届いたメールを読み上げさせることなのか。。

オーディオを切り替え、自動運転し(まあ、ハンドルを握っているにしても)、まるでスマホを操っているような時間を過ごすことなのか。

そうじゃないだろう?。

助手席で、馬鹿笑いしたり、オエッ!といったりすることでもないけどな。

まあいい。

浮沈子は、5年、10年後には、存在意義を問われるだろうな。

チャラいクルマに用はない。

走る曲がる止まるに特化した、マンマシンインターフェースを持ち、外部とのコンタクトといえば、せいぜいハンドルやシートに伝わる振動や、前後左右に襲い掛かる加速度、アクセルやブレーキの操作感、まあ、良くてオープンにした車内に入り込んでくる音や風くらいのもんだな。

携帯電話も、インターネットも、オーディオも、ラジオさえもいらない。

ドライブすること、それ自体を楽しむ。

そうでなくて、どーする?。

絶滅危惧種である浮沈子は、インフォテインメントのカケラもないクルマに乗るが、そんなもんは必要ない。

クルマと人とのつながり方は、それこそ人それぞれだろうから、良し悪しの問題ではなく、好き嫌いの問題なんだろう。

人様の好みに文句をつけても始まらないのかもしれない。

それに、なんといっても、自動車メーカーは、お客様が買ってくれてナンボの商売でクルマを作っている。

そう、冗談ではなく、クルマの最大のライバルはスマホなのだ。

可処分所得は、クルマにではなく、スマホに投じられることになる。

モバゲーやアプリに消える。

そのおすそ分けをもらおうとするなら、クルマはスマホになるしかないのだ・・・。

そして、気の利いた自動車評論家は、馬鹿笑いする代わりに、クルマとスマホを天秤にかける。

まあ、確かに、クルマにもよるだろうけどな。

モデルSなら、スマホネタ出してもいいけど、アベンタドールでそれやっても受けないだろうしな・・・。

終焉2016年11月16日 23:18

終焉


電子の帝国に蹂躙される機械の王国・・・。

その機械の王国の中でも、最近、看過できない流れが完全に定着している。

ターボ化というやつだ。

エンジンの排気を利用して、タービンと同軸上のコンプレッサーを回し、吸気圧を上げて、大気圧以上の空気をエンジンの中に押し込む仕掛けだ。

フェラーリも、ポルシェも、ついにターボエンジンをラインアップした。

まあ、ポルシェは、ずーっと前からターボしてたけどな。

アクセルに対するレスポンスにタイムラグが生じることから、リニアな特性が失われるということで、スポーツモデルには採用されてこなかった。

いわゆるGT系モデルに採用されてきたわけだ。

しかし、最近の流れは少し違うようで、トランスミッションの多段化と電子制御によるダウンサイジングターボというやつらしい。

どうやら、世界的な流れになってきていて、高性能車でも、排気量を小さくして、低圧加給のターボを組み合わせるのが流行り出した。

もちろん、シングルターボだと、タイムラグが大きくなるので、高性能車の場合は2個とか4個(!)とか、マルチターボ化するのが一般的だ。

それだけコストもかかるわけだが、それに見合うパワーアップと、燃費の縮減が図れるということもあり、この流れは止まりそうもない。

パワーと燃費の両立、しかも、エンジン重量や車体重量の軽減にもつながる。

流量を調節したりして、適切な加給をコントロールする仕組みも普及し、今後一層増えていくことだろう。

(アストンマーティンから新型ヴァンキッシュ Sが登場──フラグシップモデルは次のレベルに)
http://gqjapan.jp/car/news/20161116/astonmartin-vanquish-s/page/2

「新型「DB11」が既にターボ化された今となっては、とりもなおさずアストンマーティンが長らく採用し、その豊穣というほかないフィーリングでファンを魅了してきた自然吸気V12・6リッターユニットの終焉が迫ってきていることをも意味するのである。」

バルカンという最終兵器はあるものの、公道走行モデルとしては、自然吸気多気筒エンジンの終焉は避けがたいというところか。

ハイブリッドのように、電気的にパワーを印加するわけではないので、構造的にタイムラグが生じるのは仕方がない。

これを解消するために、アクセルを戻しても、排気圧を保つような仕掛けも考案されているようだが、何時も可能というわけではなく、リニアな特性が失われることに変わりはない。

日常使いでは、ほとんど関係ないともいうが、NA多気筒エンジンが、また一つ消えてなくなる。

1気筒当たりの適正な排気量というのが、ある程度決まっており(500cc弱といわれている)、排気量増やしてパワーを得るには多気筒化していくしかなく、それを一定の長さに収めるために(長いと、運動性能が犠牲になるので)、水平対向にしたり、V型にして車軸の間に押し込んできたわけだ(横置きにしたのもありますけど)。

ターボ化して気筒数を減らせば、その分、軸距が短くできて、運動性能の向上も期待できる(あんま、そういう方向ではないような気もするけどな)。

紆余曲折を経て、今は、多くても8気筒、概ね6気筒くらいに収まってきつつある(アウディとか、V10作ってますけど)。

NA12気筒というのは、フェラーリ、ランボルギーニ、アストンマーチンくらいしかない。

多気筒ということなら、新型シロンとかが16気筒だが、先代のベイロンも含めて、こっちはターボが4つも付いている。

これでもかっ!。

まあ、どうでもいいんですが。

(工場 ブガッティ ヴェイロン)
https://www.youtube.com/watch?v=ieti-fCoCag

何度か見ている映像だけど、このクルマが目指しているのは究極のGTカーだ。

そういう観点から言えば、バンキッシュだって、GTカーかもしれない。

2740 mmというホイールベースは、決して短いとは言えない。

現行911の軸距は、2450mm、ドデカイパナメーラは、2950mmだから、その中間にある。

ちなみに、500Eは2800mm。

今日も、J-AUTOから引き取ってきた。

ワイパーのモーターを交換し、スムーズに動くようになった。

正解だな。

雨の日に乗ることが多く(晴れた日は、ボクスターとかタルガだから)、どうしても、ワイパーの使用頻度は高い。

500Eは、大事にガレージにしまっておくようなクルマではない。

ガンガン乗って、ガンガン消耗品替えて、使い潰していくのがよろしい。

まあ、消耗品替えるたんびに、不死鳥のように蘇って、元の乗り味を取り戻してしまうというのが曲者なんだがな。

いくら乗っても、たぶん、浮沈子の一生かけても、乗りつぶすことはできないに違いない。

消耗する部品が再選産されたり、社外品が作られたりしている限り、新車のような乗り味がよみがえる。

しかし、まあ、これもいってみればV8だしな。

5リッターだから、もう少し気筒数増やしても良かったかもしれない。

BMWの735iに乗ったことがあって、V8エンジンというのは、ワラワラしているもんだという先入観があったんだが、500EのV8は、それこそ絹のように滑らかに回る。

V12エンジンはどうだか知らない。

バランス的には、もっといい感じのはずだが、浮沈子は乗ったことがない。

なんかこう、神が宿るというか、そういう神々しささえ感じる。

じゃあ、センチュリーが有り難いかといえば、なんか外している感じもするしな。

宗教のようなもので、ご本尊はV12NAエンジンを積んだスポーツカーだ。

多神教だな。

しかし、そのうち、一神教になってしまうかもしれない。

徐々に、加給エンジンに置き換えられて、やがては消滅する運命にあるんだろう。

そもそも、エンジン自体が、自動車の動力源として先がないような気もするしな。

先々は、電気モーターに置き換わっていくんだろう。

そんな時代が来れば、NAだ、ターボだと喚かなくても済むようになるだろう。

クルマの動力源は、そもそもが馬だったわけで、ガソリンエンジンや、電気モーターというのは、その代替手段として登場している。

信頼性の確保に、100年掛かったわけだ。

バンキッシュSのエンジンは、NA6リッターで600馬力だという。

それ程、カリカリにチューンしているわけではない。

6リッターV12といえば、20世紀の機械の王国を代表するマクラーレンF1のエンジンがある(BMW製)。

(マクラーレン・F1)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBF1

「ミッドシップにマウントされているエンジンはBMWモータースポーツGmbH製で、元はBMW・8シリーズに同社が手を加えた「M8」に搭載されるはずであったが、結局生産されずにお蔵入りとなってしまったもの。S70/2型というコードがつけられたこのエンジンは、6.1 L V型12気筒 DOHC 48バルブで、出力はリッター100 bhpを超える627 bhpを達成している。当時「世界で最も出力の高いクルマ」としてギネス・ワールド・レコーズに認定された。」

これも、神エンジンだな。

今となっては、凡百のスーパースポーツに埋もれる存在だが、NA12気筒として、現代でも遜色ないパワーだ。

フェラーリのF12ベルリネッタは、740馬力といわれている。

(フェラーリ・F12ベルリネッタ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BBF12%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%BF

「フロント・ミッドシップに搭載されたエンジンは65度V12、ボア×ストロークφ94×75.2mmで6,262cc。圧縮比13.5で最大出力545kW(740PS)/8,500rpm、最大トルク690N·m/6,000rpmを発生し、これまでのフェラーリのロードカーのなかでは最もパワフルである。」

まあ、フェラーリだからな。

イタ車のパワーなんて、当てにゃならんからな。

しかし、スペックを見る限りでは、半端ない。

そして、公道走行できないけど、バルカンがある。

(【ジュネーブ2015】限定生産のアストンマーティン「ヴァルカン」は800馬力超!)
http://jp.autoblog.com/2015/03/05/aston-martin-vulcan-geneva-2015/

「ヴァルカンのために、アストンマーティンは長年使い続けてきたV型12気筒エンジンの排気量を7.0リッターに拡大することに成功し、その最高出力は800psを超えると約束している。」

(世界限定24台のアストンマーティン・ヴァルカンが誕生|スペック・価格などを徹底解剖)
https://carnny.jp/2374

「アストンマーティン・ヴァルカンの仕様とスペック:
・ボディタイプ:クーペ
・ドア数/席数:2/2
・サイズ(全長×全幅×全高):4,750mm × 2,200mm ×1,120mm
・ホイールベース:2,791mm
・車重:1,350kg
・エンジン:V型直列12気筒 7L NA
・最高出力:811ps
・最高速度:320km/h
・ミッション:6速シーケンシャル
・駆動:FR(LSD装備)
・サスペンション:プッシュロッド式
・タイヤ:ミシュラン製 345/30R19」

はっぴゃくじゅういちばりき・・・。

7リッターとはいえ、とてつもないパワーだ。

これ、何の過給機も付いていないし、ハイブリッドでもない。

素のエンジンのパワーということになる。

24台しか作られないクルマだそうだが、この世に存在すること自体が奇跡のような感じがするな。

最高速は、たったの(!)320kmに過ぎない。

たぶん、いつでも、簡単に出せてしまうんだろうな。

ちなみに、ポルシェターボの最高速は、330kmとアナウンスされている。

こっちは、公道走行可能だ。

580馬力しか(!)ないけどな。

税込み、約2600万円というのは、バルカンの8パーセント以下だ。

安っ!。

ちなみに、浮沈子のボクスターの中古購入価格は、この更に1割だった。

2桁も違う値段のクルマの話をしても、何の意味もないんだろうが、バルカンは確かに別格な感じがする。

もう、たぶん、きっと、おそらく、二度と作られることがないクルマに違いない。

エンジンもだ。

NA多気筒エンジンの終焉。

浮沈子は、そういう時代の真っただ中に生きている。

神話に彩られた時代は、終わろうとしている。

神々の黄昏・・・。

そのエンジンの咆哮が、嘆き悲しむ叫びに聞こえるのは、単なる気のせいなんだろうか?。