哲学 ― 2016年11月04日 10:19
哲学
ポルシェの記事の続きが出ている。
(「ポルシェらしさ」の正体は何か)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226265/102600063/
会員登録しないと、全文は読めないんだが、浮沈子は無料なので登録していて、最後まで読んだ。
やたらと宣伝のメールが来ることを我慢すれば、登録しておいて損はない。
で、記事の中に哲学ということが出てくる。
「いま、日本のメーカーを含め世界中の自動車メーカーがこぞってニュルブルクリンクに開発に来るようになっています・・・」
「・・・他のブランドがここで開発することを望んでいるのであれば、それは私たちの哲学が正しかったと言えますよね。」
インタビューを受けているのは、トーマス・モーリク氏で、「フェラーリで10年間F1に従事し、その後、2年間アウディスポーツでDTM(ドイツツーリングカー選手権)を担当」とある。
レース屋なのだ。
そんな人を「新型パナメーラをはじめ、911など全プロダクトの運動性能およびパフォーマンス性能の責任者」として据えている。
ポルシェには、哲学があり、それを形にするための態勢がある。
その哲学とは、すべてを「正しいもの」にすることだという。
「他社はさまざまな制約の中でクルマの開発をしなければならず、おそらくコンセプトすらしっかりと定めることができないケースも多い・・・。」
ポルシェが作るクルマは、尖った車だ。
えーと、フロントがカエル面で、尖ってるとかいうことじゃなくて、スポーツカーっぽさがあるということだ。
それぞれのクラスで最もスポーティなクルマを作る。
「例えば、ステアリングの入力に対してクルマがどう反応するか、リアのスタビリティの高さはどうか、などそれぞれのモデルに対して明確なターゲットがあり、それが全プロダクトにわたって一気通貫している。」
筆跡のようなものだという。
味付けだな。
それを、維持し続けることは難しいだろう。
パワーはどんどん上がって来るし、新しいシステムも導入される。
その中で、乗り味を保つというのは大変だ。
しかし、それを正しいコンセプトとして明確に掲げ、実行する態勢を貫く。
もちろん、乗り味を保つといったって、同じじゃない。
モデルごとに見ても、もちろん異なる。
33年前の911と、13年前のボクスターに乗り、めぼしいモデルが出れば、とりあえず試乗だけはしてきた浮沈子は、現代のポルシェが、昔と同じクルマだなどというつもりはない。
工業製品である以上、そんなことはあり得ないのだ。
しかし、ポルシェに乗ると、確かに何か共通の味があると感じる。
アクセル踏んだら、このくらいの押し出し感で出るだろうというところが、しっかり共通なのだ。
83タルガは、パワステじゃないから、据え切りとかはとんでもないけど、走り出せば、そのハンドルのフィーリングは快適だ(雨の日の急ハンドルや急加速は厳禁ですが)。
味は、コテコテに濃い。
03ボクスターも、非力だけれど、想定されている速度域になれば、きっと楽しいクルマだろうと感じる。
ちょっと薄味だけどな。
そういう、作法というか、動的なフィーリングを維持しながら、けっしてもっさりとしたクルマは出さない。
ベースラインのモデルでも、実に活発に走る。
我が国の道路を走る分には、十分過ぎる。
そういうクルマを、何十年にも渡って作り続けている。
それで商売が成り立っているというところが凄いな。
哲学かあ。
正しいものを作るという、揺るぎない意志を感じる。
そして、それは机上の空論ではない。
ニュル北を走らせて、証明し続けているのだ。
スポーティでなければ、ポルシェではない。
一方で、安全で快適でなければ、現代のクルマとして通用しない。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない。」
フィリップ・マーロウのもじりだが、何となくポルシェに似合うセリフだな。
ポルシェの哲学は、男の美学と、どこか通底しているような気がする・・・。
ポルシェの記事の続きが出ている。
(「ポルシェらしさ」の正体は何か)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226265/102600063/
会員登録しないと、全文は読めないんだが、浮沈子は無料なので登録していて、最後まで読んだ。
やたらと宣伝のメールが来ることを我慢すれば、登録しておいて損はない。
で、記事の中に哲学ということが出てくる。
「いま、日本のメーカーを含め世界中の自動車メーカーがこぞってニュルブルクリンクに開発に来るようになっています・・・」
「・・・他のブランドがここで開発することを望んでいるのであれば、それは私たちの哲学が正しかったと言えますよね。」
インタビューを受けているのは、トーマス・モーリク氏で、「フェラーリで10年間F1に従事し、その後、2年間アウディスポーツでDTM(ドイツツーリングカー選手権)を担当」とある。
レース屋なのだ。
そんな人を「新型パナメーラをはじめ、911など全プロダクトの運動性能およびパフォーマンス性能の責任者」として据えている。
ポルシェには、哲学があり、それを形にするための態勢がある。
その哲学とは、すべてを「正しいもの」にすることだという。
「他社はさまざまな制約の中でクルマの開発をしなければならず、おそらくコンセプトすらしっかりと定めることができないケースも多い・・・。」
ポルシェが作るクルマは、尖った車だ。
えーと、フロントがカエル面で、尖ってるとかいうことじゃなくて、スポーツカーっぽさがあるということだ。
それぞれのクラスで最もスポーティなクルマを作る。
「例えば、ステアリングの入力に対してクルマがどう反応するか、リアのスタビリティの高さはどうか、などそれぞれのモデルに対して明確なターゲットがあり、それが全プロダクトにわたって一気通貫している。」
筆跡のようなものだという。
味付けだな。
それを、維持し続けることは難しいだろう。
パワーはどんどん上がって来るし、新しいシステムも導入される。
その中で、乗り味を保つというのは大変だ。
しかし、それを正しいコンセプトとして明確に掲げ、実行する態勢を貫く。
もちろん、乗り味を保つといったって、同じじゃない。
モデルごとに見ても、もちろん異なる。
33年前の911と、13年前のボクスターに乗り、めぼしいモデルが出れば、とりあえず試乗だけはしてきた浮沈子は、現代のポルシェが、昔と同じクルマだなどというつもりはない。
工業製品である以上、そんなことはあり得ないのだ。
しかし、ポルシェに乗ると、確かに何か共通の味があると感じる。
アクセル踏んだら、このくらいの押し出し感で出るだろうというところが、しっかり共通なのだ。
83タルガは、パワステじゃないから、据え切りとかはとんでもないけど、走り出せば、そのハンドルのフィーリングは快適だ(雨の日の急ハンドルや急加速は厳禁ですが)。
味は、コテコテに濃い。
03ボクスターも、非力だけれど、想定されている速度域になれば、きっと楽しいクルマだろうと感じる。
ちょっと薄味だけどな。
そういう、作法というか、動的なフィーリングを維持しながら、けっしてもっさりとしたクルマは出さない。
ベースラインのモデルでも、実に活発に走る。
我が国の道路を走る分には、十分過ぎる。
そういうクルマを、何十年にも渡って作り続けている。
それで商売が成り立っているというところが凄いな。
哲学かあ。
正しいものを作るという、揺るぎない意志を感じる。
そして、それは机上の空論ではない。
ニュル北を走らせて、証明し続けているのだ。
スポーティでなければ、ポルシェではない。
一方で、安全で快適でなければ、現代のクルマとして通用しない。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない。」
フィリップ・マーロウのもじりだが、何となくポルシェに似合うセリフだな。
ポルシェの哲学は、男の美学と、どこか通底しているような気がする・・・。
120分 ― 2016年11月04日 22:20
120分
今週2度目のプール練習。
今日は、余り動かずに、120分で160バール位吸った。
10リッターのタンクだから、水面換算すると、160×10÷1.3(3mだから)÷120で、毎分10.26リッター吸っている。
やや多い。
結局、深度調整に使っているということだろうな。
前回くらいから、トリムを意識して潜るようにしている。
おもりの位置、呼吸による変化(肺は、通常重心よりも上(頭に近い位置)にあるから、息を吸えばアップトリムになり、吐けばダウントリムになる)に注意して、安定するポイントを探る。
中性浮力は、それ程厳密には意識しない。
浮き沈みではなく、トリムの変化として意識する。
完全に脱力して、シングルタンクのサイドマウントの重心の周りに、緩やかに揺れながらダッチロールする。
この状態が、最も自然で、意識して呼吸で中性浮力を保とうとすると、やや乱れる。
タンクの位置(ウエストベルトのDリングの位置)を調節したりして、落ち着いたところでDSMBをオーラル給気で上げる。
今日は2息。
計算通り、半分入った。
次回は、3回吹き込んでみよう(上手くいけば、4分の3入るはず)。
今日も、リールに掴まり20分の減圧シミュレーション。
つかまるというか、手を添える程度だ。
DSMBが立つ程度に、そっと手を置く。
それでも、ずいぶん楽だ。
目を閉じて、そうして浮いていると、眠気が襲ってくる。
呼吸を安定させようとして、なるべく余計なことを考えないようにしている。
時々、ペトレルを見たり、ゲージを見たりするだけ。
そして、今度はリールから手を放して、それが目の前に来るように、自分の位置を調整しながら浮かぶ。
今日は、プールの水が明らかに流れていて、脱力して浮いていても、ゆっくりと移動する。
泡に押されて移動するリールを追って、ビミョーなフィンワークをしながら、しかし、ほぼジッとして時間を過ごす。
バックキックとか、ヘリコプターの練習を軽くして、時間になって上がる。
次の生徒さんが来ていて、丁度入れ替えで上がった。
今日は余り水中でジタバタしなかった。
今週2回目なので、無理はしない。
ホバリングし続けることに対する慣れのために潜っている。
トリムは、やはり崩れる。
左右については、サイドマウント1本差しなので、ある程度は仕方ない(ウエイトベルトを回して調整)。
前後にも動かして、タンクの残圧の変化によるトリムへの影響を相殺している。
しかし、それでも乱れる。
足の位置が良くない。
腰が曲がり、膝が曲がり、足首が曲がる。
腰は曲がらず、膝と足首の曲がりを浅くする(75度)のが、最近の流行りだそうだ。
足はなるべく開かない(肩幅程度)。
上体は、やや起きている。
視界の確保のためだそうだ。
うーん、これって、狭いところに入っていくためのトリムじゃね?。
まあいい。
レックの装備でケーブに潜るようにするのがいいそうだ。
何のことやら・・・。
ポケットパンツのハンドリングも、一応やってみる。
次回は、中身を持ってきて、入れたり出したりしてみよう。
ノートに書いたりもして、安定したトリムで作業が出来るかもチェックする。
来週は、金曜日に1回だけ潜ることにした。
ちょっと週に2回は厳しい(水曜には、水泳教室があるしな)。
柏崎さんや竹内さんは、プールでのダブルタンクの練習を勧めてくれる。
申し出は有り難いんだが、浮沈子は全く気乗りがしない。
ああいうもんは、なるべくなら背負いたくないな。
必要最小限にしたい。
まあ、1回くらいはいいかもしれない。
今週は、ここまでだ。
来週の練習が終わったら、また考えよう。
器材を片付けて、着替えをするときに、また腕時計(歩数計:ビボフィット初代)を着け忘れた。
気付いてロッカーに戻って、残っていたので良かった。
毎回忘れると、ブラックリストに載るかもしれない。
藤上さんと、スノーケリングやボホールツアーの話などをして帰宅した。
1日掛かりだな。
往復の自転車が気持ちいい。
風はやや寒いが、日差しは暖かい。
夕食を食べ、一寝入りする。
筋トレもせず、重労働もしていないが、このくらいの負荷が丁度いい感じだ。
いい感じの疲労感だな。
駅ビルの7階の円筒形の水の底で、120分潜る。
ダイビングというか、水に浸かっているだけというか。
殆ど泳がないしな。
浮きも沈みもしない。
ここでは、浮沈子は、浮沈子ではない・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
水深3m(中層)の世界。
自分の吸気音と、豪快な排気音しかしない世界だ。
トリムとか、深度とか、タンクの浮き具合とか、残圧とかに気を配っているけど、たまに膝をそっと水底に付けて、トリムのチェックをしたりする程度で、概ねボーっと3mに浮いているだけだ。
平和だな。
プールの空き時間を使って、この時間と空間を独り占めする。
贅沢な話だ。
秋が深まり、イチョウは黄色く色付き始め、朝晩の気温は10度を切ってきた。
そんな昼下がりのひと時を、プールの底で過ごす・・・。
ダブルタンクを担いで潜るための練習ということになっているが、ここで潜る口実を作るために、ダブルタンクを担ごうとしているだけかもしれない。
胡蝶の夢のようなものか。
(胡蝶の夢)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2
「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話」
「どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよい」
CCRで潜るのも、ダブルタンクで潜るのも、プールの底に潜るのも、いずれも肯定して、それぞれの場で満足することが肝要だな。
今日は、まあまあ、満足のいくプール練習だった。
「荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。」
潜っている自分が満足ならば、それでいいのではないか。
形にとらわれることなく、ダイビングを楽しんでいきたいものだ・・・。
今週2度目のプール練習。
今日は、余り動かずに、120分で160バール位吸った。
10リッターのタンクだから、水面換算すると、160×10÷1.3(3mだから)÷120で、毎分10.26リッター吸っている。
やや多い。
結局、深度調整に使っているということだろうな。
前回くらいから、トリムを意識して潜るようにしている。
おもりの位置、呼吸による変化(肺は、通常重心よりも上(頭に近い位置)にあるから、息を吸えばアップトリムになり、吐けばダウントリムになる)に注意して、安定するポイントを探る。
中性浮力は、それ程厳密には意識しない。
浮き沈みではなく、トリムの変化として意識する。
完全に脱力して、シングルタンクのサイドマウントの重心の周りに、緩やかに揺れながらダッチロールする。
この状態が、最も自然で、意識して呼吸で中性浮力を保とうとすると、やや乱れる。
タンクの位置(ウエストベルトのDリングの位置)を調節したりして、落ち着いたところでDSMBをオーラル給気で上げる。
今日は2息。
計算通り、半分入った。
次回は、3回吹き込んでみよう(上手くいけば、4分の3入るはず)。
今日も、リールに掴まり20分の減圧シミュレーション。
つかまるというか、手を添える程度だ。
DSMBが立つ程度に、そっと手を置く。
それでも、ずいぶん楽だ。
目を閉じて、そうして浮いていると、眠気が襲ってくる。
呼吸を安定させようとして、なるべく余計なことを考えないようにしている。
時々、ペトレルを見たり、ゲージを見たりするだけ。
そして、今度はリールから手を放して、それが目の前に来るように、自分の位置を調整しながら浮かぶ。
今日は、プールの水が明らかに流れていて、脱力して浮いていても、ゆっくりと移動する。
泡に押されて移動するリールを追って、ビミョーなフィンワークをしながら、しかし、ほぼジッとして時間を過ごす。
バックキックとか、ヘリコプターの練習を軽くして、時間になって上がる。
次の生徒さんが来ていて、丁度入れ替えで上がった。
今日は余り水中でジタバタしなかった。
今週2回目なので、無理はしない。
ホバリングし続けることに対する慣れのために潜っている。
トリムは、やはり崩れる。
左右については、サイドマウント1本差しなので、ある程度は仕方ない(ウエイトベルトを回して調整)。
前後にも動かして、タンクの残圧の変化によるトリムへの影響を相殺している。
しかし、それでも乱れる。
足の位置が良くない。
腰が曲がり、膝が曲がり、足首が曲がる。
腰は曲がらず、膝と足首の曲がりを浅くする(75度)のが、最近の流行りだそうだ。
足はなるべく開かない(肩幅程度)。
上体は、やや起きている。
視界の確保のためだそうだ。
うーん、これって、狭いところに入っていくためのトリムじゃね?。
まあいい。
レックの装備でケーブに潜るようにするのがいいそうだ。
何のことやら・・・。
ポケットパンツのハンドリングも、一応やってみる。
次回は、中身を持ってきて、入れたり出したりしてみよう。
ノートに書いたりもして、安定したトリムで作業が出来るかもチェックする。
来週は、金曜日に1回だけ潜ることにした。
ちょっと週に2回は厳しい(水曜には、水泳教室があるしな)。
柏崎さんや竹内さんは、プールでのダブルタンクの練習を勧めてくれる。
申し出は有り難いんだが、浮沈子は全く気乗りがしない。
ああいうもんは、なるべくなら背負いたくないな。
必要最小限にしたい。
まあ、1回くらいはいいかもしれない。
今週は、ここまでだ。
来週の練習が終わったら、また考えよう。
器材を片付けて、着替えをするときに、また腕時計(歩数計:ビボフィット初代)を着け忘れた。
気付いてロッカーに戻って、残っていたので良かった。
毎回忘れると、ブラックリストに載るかもしれない。
藤上さんと、スノーケリングやボホールツアーの話などをして帰宅した。
1日掛かりだな。
往復の自転車が気持ちいい。
風はやや寒いが、日差しは暖かい。
夕食を食べ、一寝入りする。
筋トレもせず、重労働もしていないが、このくらいの負荷が丁度いい感じだ。
いい感じの疲労感だな。
駅ビルの7階の円筒形の水の底で、120分潜る。
ダイビングというか、水に浸かっているだけというか。
殆ど泳がないしな。
浮きも沈みもしない。
ここでは、浮沈子は、浮沈子ではない・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
水深3m(中層)の世界。
自分の吸気音と、豪快な排気音しかしない世界だ。
トリムとか、深度とか、タンクの浮き具合とか、残圧とかに気を配っているけど、たまに膝をそっと水底に付けて、トリムのチェックをしたりする程度で、概ねボーっと3mに浮いているだけだ。
平和だな。
プールの空き時間を使って、この時間と空間を独り占めする。
贅沢な話だ。
秋が深まり、イチョウは黄色く色付き始め、朝晩の気温は10度を切ってきた。
そんな昼下がりのひと時を、プールの底で過ごす・・・。
ダブルタンクを担いで潜るための練習ということになっているが、ここで潜る口実を作るために、ダブルタンクを担ごうとしているだけかもしれない。
胡蝶の夢のようなものか。
(胡蝶の夢)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2
「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話」
「どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよい」
CCRで潜るのも、ダブルタンクで潜るのも、プールの底に潜るのも、いずれも肯定して、それぞれの場で満足することが肝要だな。
今日は、まあまあ、満足のいくプール練習だった。
「荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。」
潜っている自分が満足ならば、それでいいのではないか。
形にとらわれることなく、ダイビングを楽しんでいきたいものだ・・・。
王国対帝国 ― 2016年11月05日 08:05
王国対帝国
自動車、CCR、宇宙。
このブログのメインのカテゴリー。
その中で、20世紀から21世紀にかけて、最も大きな変化があったのは、電子制御技術の進歩だ。
浮沈子は、機械が好きだから、機械の王国と呼んでいるし、それこそが動くもの(乗り物)の基本だと思っている。
だから、電車とかには興味ない(そういうことかあ?)。
あんま、関係ないな(蒸気機関車にも、ディーゼル機関車にも興味ないしな)。
電子の世界は、コンピューターから興味を持った。
一時期、パソコンを自作したり、プログラミングのまねごとをしたりしていたしな。
こっちは、電子の帝国と呼んでいる。
現代の機械は、多かれ少なかれ電子の帝国のお世話になっている。
機械の王国が、電子の帝国に侵略されている。
自動車とかは、如何にも分かりやすい。
電子制御を受けていない自動車は、現代では考えられない。
エンジンの点火を、コンピューター制御していないクルマはない。
ああ、電気自動車は、エンジンなかったりするけどな(全部、電気だしな)。
アクセルは元より、ハンドル、ブレーキさえも、電子制御されてきている。
全自動運転で統合制御されるようになれば、自動車という機械は、メインコンピューターの単なるデバイスになる。
人間は、機械を統合制御する立場から、単なる荷物に格下げだ。
浮沈子は、その影響が、海の中に及んでくるのは時間の問題だと思っている。
既に、電子制御されていないリブリーザーは、殆どない。
センサーの値をモニターして、人間コンピューターで制御しようなどというのは、特殊用途に限られるだろう。
まあ、CCR自体が特殊用途なのかもしれないけどな。
浮沈子が苦労している中性浮力だって、何時の日か、コンピューターのお世話になる日が来るにきまってる。
その際は、是非とも、トリム調整のオプションを付けてもらいたいもんだな。
まあいい。
宇宙開発は、コンピューターの進展と共に拡大してきたといってもいい。
アポロ計画は、航法コンピューターなしでは成しえなかった。
今や、ロケットは、完全にコンピューターのデバイスになっている。
たまに爆発するけどな。
今朝は、ユーチューブで、こんなシリーズを観た。
([軍事]YF-23ドキュメント 01)
https://www.youtube.com/watch?v=70VAtJVFfpg
([軍事]YF-23ドキュメント 02)
https://www.youtube.com/watch?v=hv5diH338Aw
([軍事]YF-23ドキュメント 03)
https://www.youtube.com/watch?v=_-YMXCT77S8
([軍事]YF-23ドキュメント 04)
https://www.youtube.com/watch?v=nlXBfAY11Ao
([軍事]YF-23ドキュメント 05)
https://www.youtube.com/watch?v=zGilijER6KU
([軍事]YF-23ドキュメント 06)
https://www.youtube.com/watch?v=oi5R5O0ymfk
採用されなかったプロトタイプ。
ステルス性を最優先し、完全にフライバイワイヤーによる制御に依存する機体だ。
開発段階で、面白いエピソードが紹介されている。
滑走路を走っていると、動翼が勝手に動き出すというのだ。
センサーが凸凹を感知して、コンピューターが、飛行中と勘違いして機体を安定させようとしているわけだな。
コンピューターを修正して、解決したらしい。
第4話の7分20秒辺りから出てくる。
ああ、きっとプログラマーは、飛行機が滑走してから空中に浮かぶということを忘れていたに違いない・・・。
この手の飛行機は、最早、コンピューターなしに飛ぶことはできない。
操縦はコンピューターが行い、人間はコンピューターに指示を与えるだけだ。
今は、その都度、操縦桿やジョイスティックで指示しているんだろうが、そのうち、音声とか、脳波で制御するようになるんだろうな。
ああ、もちろん、人間なんて乗っていないけどな。
高機動掛けた際に、簡単に失神するような生卵を乗せていたら、ドッグファイトで勝てないしな。
敵味方双方のステルス性能が拮抗すれば、ミノフスキー粒子じゃないが、結局は目視でドッグファイトして雌雄を決することになる。
ミサイル避けなきゃいけないんだから、とんでもない高機動掛けることになる。
有人で飛ばすことなどありえない。
コンピューターの演算能力と、機体強度の勝負だな。
あまりのGで、機体がバラバラになるかもしれないしな。
もっとも、その頃になると、ビーム兵器が実用化されていて、シンゴジラみたいに、四方八方にビームを放射しまくるから、避けようがないともいうがな。
まあ、どうでもいいんですが。
YF-23は、採用に至らなかった。
理由ははっきりとはしていない。
(YF-23 (航空機))
https://ja.wikipedia.org/wiki/YF-23_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
「生産と整備の容易さ・汎用性の高さや機動性・操作性を重視し、推力に劣るYF119-PW-100を搭載エンジンに採用したためにより自重の小さい機体を採用する必要があったことから、より小型で保守的な設計に仕上がったYF-22を選んだと言われている。」
1980年代の設計だ。
コンピューターの能力が、今ほどない時代だったから、開発は大変だったろうと思われる。
第3話2分44秒辺りから始まる。
当時の汎用コンピューターよりも高い演算能力が要求された。
今じゃあ、アイフォーンの方が、何倍も速いだろうけどな。
素材技術の進展もあった。
複合素材のさきがけのようなもんだな。
もう、機械の王国とか言ってる場合じゃないんだ。
民生品で、耐久性やコスト重視なら別だけど、究極の性能を絞り出して、敵を上回らなければ自らが撃ち落とされてしまうような戦闘機の世界では、1980年代から電子の帝国なしには、成立しない世界があったわけだ。
それから30年以上が経って、現代はコンピューター万能の世の中になっている。
機械の王国は、電子の帝国に平伏し、その駆動部品に成り下がっている。
機械時計のような、一部のマニアックな世界は別として、機械仕掛けだけで動くものは、徐々に消えつつある。
世界は、IoTの時代になりつつあるのだ。
水中世界で、そのことを如実に感じるのは、ダイコンだろう。
テック用のコンピューターは、ブルートゥースでパソコンと交信し、プログラムの入れ替えから、データのアップロードまでこなす。
CCRなんざ、どう見ても、コンピューターのデバイスに過ぎない。
人間は、ステルス機のようなCCRを背負って、そのコンピューターの使い方と、それが壊れた時の生き残りの方法をトレーニングしている。
ステルス機は、射出座席で脱出するしかない。
CCRは、センサーが生きていれば、やや(相当?)いいかげんとはいえ、人間によるマニュアルコントロールでも、PO2を維持することが出来るし、センサーがいかれても、水没さえしなければ、深度に応じたディリュエントガスの呼吸とフラッシングを繰り返して、ガスを節約しながらSCR運用することも可能だ。
うーん、まだまだ、電子の帝国の支配は限定されているな。
ベイルアウトは、最後の手段だし、浮沈子は、ゆくゆくはそれもCCRにしようとしている。
まあいい。
帝国の侵略は、隅々にまで及んできている。
ジタバタしても、水中世界だって、屈服するのは時間の問題だ。
それが嫌なら、素潜りでもするしかない。
ああ、スノーケリング用のダイコンとか、データを映すことができるデータマスクみたいのもできるかもな。
赤外線で、脈拍とかチェックして、血液中の酸素量とかも計測して、ブラックアウトしないように警告するとかしてな。
世も末だな・・・。
自動車、CCR、宇宙。
このブログのメインのカテゴリー。
その中で、20世紀から21世紀にかけて、最も大きな変化があったのは、電子制御技術の進歩だ。
浮沈子は、機械が好きだから、機械の王国と呼んでいるし、それこそが動くもの(乗り物)の基本だと思っている。
だから、電車とかには興味ない(そういうことかあ?)。
あんま、関係ないな(蒸気機関車にも、ディーゼル機関車にも興味ないしな)。
電子の世界は、コンピューターから興味を持った。
一時期、パソコンを自作したり、プログラミングのまねごとをしたりしていたしな。
こっちは、電子の帝国と呼んでいる。
現代の機械は、多かれ少なかれ電子の帝国のお世話になっている。
機械の王国が、電子の帝国に侵略されている。
自動車とかは、如何にも分かりやすい。
電子制御を受けていない自動車は、現代では考えられない。
エンジンの点火を、コンピューター制御していないクルマはない。
ああ、電気自動車は、エンジンなかったりするけどな(全部、電気だしな)。
アクセルは元より、ハンドル、ブレーキさえも、電子制御されてきている。
全自動運転で統合制御されるようになれば、自動車という機械は、メインコンピューターの単なるデバイスになる。
人間は、機械を統合制御する立場から、単なる荷物に格下げだ。
浮沈子は、その影響が、海の中に及んでくるのは時間の問題だと思っている。
既に、電子制御されていないリブリーザーは、殆どない。
センサーの値をモニターして、人間コンピューターで制御しようなどというのは、特殊用途に限られるだろう。
まあ、CCR自体が特殊用途なのかもしれないけどな。
浮沈子が苦労している中性浮力だって、何時の日か、コンピューターのお世話になる日が来るにきまってる。
その際は、是非とも、トリム調整のオプションを付けてもらいたいもんだな。
まあいい。
宇宙開発は、コンピューターの進展と共に拡大してきたといってもいい。
アポロ計画は、航法コンピューターなしでは成しえなかった。
今や、ロケットは、完全にコンピューターのデバイスになっている。
たまに爆発するけどな。
今朝は、ユーチューブで、こんなシリーズを観た。
([軍事]YF-23ドキュメント 01)
https://www.youtube.com/watch?v=70VAtJVFfpg
([軍事]YF-23ドキュメント 02)
https://www.youtube.com/watch?v=hv5diH338Aw
([軍事]YF-23ドキュメント 03)
https://www.youtube.com/watch?v=_-YMXCT77S8
([軍事]YF-23ドキュメント 04)
https://www.youtube.com/watch?v=nlXBfAY11Ao
([軍事]YF-23ドキュメント 05)
https://www.youtube.com/watch?v=zGilijER6KU
([軍事]YF-23ドキュメント 06)
https://www.youtube.com/watch?v=oi5R5O0ymfk
採用されなかったプロトタイプ。
ステルス性を最優先し、完全にフライバイワイヤーによる制御に依存する機体だ。
開発段階で、面白いエピソードが紹介されている。
滑走路を走っていると、動翼が勝手に動き出すというのだ。
センサーが凸凹を感知して、コンピューターが、飛行中と勘違いして機体を安定させようとしているわけだな。
コンピューターを修正して、解決したらしい。
第4話の7分20秒辺りから出てくる。
ああ、きっとプログラマーは、飛行機が滑走してから空中に浮かぶということを忘れていたに違いない・・・。
この手の飛行機は、最早、コンピューターなしに飛ぶことはできない。
操縦はコンピューターが行い、人間はコンピューターに指示を与えるだけだ。
今は、その都度、操縦桿やジョイスティックで指示しているんだろうが、そのうち、音声とか、脳波で制御するようになるんだろうな。
ああ、もちろん、人間なんて乗っていないけどな。
高機動掛けた際に、簡単に失神するような生卵を乗せていたら、ドッグファイトで勝てないしな。
敵味方双方のステルス性能が拮抗すれば、ミノフスキー粒子じゃないが、結局は目視でドッグファイトして雌雄を決することになる。
ミサイル避けなきゃいけないんだから、とんでもない高機動掛けることになる。
有人で飛ばすことなどありえない。
コンピューターの演算能力と、機体強度の勝負だな。
あまりのGで、機体がバラバラになるかもしれないしな。
もっとも、その頃になると、ビーム兵器が実用化されていて、シンゴジラみたいに、四方八方にビームを放射しまくるから、避けようがないともいうがな。
まあ、どうでもいいんですが。
YF-23は、採用に至らなかった。
理由ははっきりとはしていない。
(YF-23 (航空機))
https://ja.wikipedia.org/wiki/YF-23_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
「生産と整備の容易さ・汎用性の高さや機動性・操作性を重視し、推力に劣るYF119-PW-100を搭載エンジンに採用したためにより自重の小さい機体を採用する必要があったことから、より小型で保守的な設計に仕上がったYF-22を選んだと言われている。」
1980年代の設計だ。
コンピューターの能力が、今ほどない時代だったから、開発は大変だったろうと思われる。
第3話2分44秒辺りから始まる。
当時の汎用コンピューターよりも高い演算能力が要求された。
今じゃあ、アイフォーンの方が、何倍も速いだろうけどな。
素材技術の進展もあった。
複合素材のさきがけのようなもんだな。
もう、機械の王国とか言ってる場合じゃないんだ。
民生品で、耐久性やコスト重視なら別だけど、究極の性能を絞り出して、敵を上回らなければ自らが撃ち落とされてしまうような戦闘機の世界では、1980年代から電子の帝国なしには、成立しない世界があったわけだ。
それから30年以上が経って、現代はコンピューター万能の世の中になっている。
機械の王国は、電子の帝国に平伏し、その駆動部品に成り下がっている。
機械時計のような、一部のマニアックな世界は別として、機械仕掛けだけで動くものは、徐々に消えつつある。
世界は、IoTの時代になりつつあるのだ。
水中世界で、そのことを如実に感じるのは、ダイコンだろう。
テック用のコンピューターは、ブルートゥースでパソコンと交信し、プログラムの入れ替えから、データのアップロードまでこなす。
CCRなんざ、どう見ても、コンピューターのデバイスに過ぎない。
人間は、ステルス機のようなCCRを背負って、そのコンピューターの使い方と、それが壊れた時の生き残りの方法をトレーニングしている。
ステルス機は、射出座席で脱出するしかない。
CCRは、センサーが生きていれば、やや(相当?)いいかげんとはいえ、人間によるマニュアルコントロールでも、PO2を維持することが出来るし、センサーがいかれても、水没さえしなければ、深度に応じたディリュエントガスの呼吸とフラッシングを繰り返して、ガスを節約しながらSCR運用することも可能だ。
うーん、まだまだ、電子の帝国の支配は限定されているな。
ベイルアウトは、最後の手段だし、浮沈子は、ゆくゆくはそれもCCRにしようとしている。
まあいい。
帝国の侵略は、隅々にまで及んできている。
ジタバタしても、水中世界だって、屈服するのは時間の問題だ。
それが嫌なら、素潜りでもするしかない。
ああ、スノーケリング用のダイコンとか、データを映すことができるデータマスクみたいのもできるかもな。
赤外線で、脈拍とかチェックして、血液中の酸素量とかも計測して、ブラックアウトしないように警告するとかしてな。
世も末だな・・・。
帝国の賑わい ― 2016年11月05日 21:10
帝国の賑わい
気が早い店舗には、クリスマスのアイテムが並んでいた。
今日は、秋葉原に進撃する。
電子部品のばら売りの町が、家電量販店の町になり、パソコンが席巻して、今はもえ系の町になっている。
時代と共に移り変わってはいるものの、電子の町としての体裁は保っている。
これからは、VRの町になるんだろうか。
午前中、83タルガで近所を転がし、ディーラーでEクラスのセダンに試乗し、500Eで愚弟と昼飯がてら、秋葉に繰り出す。
年末商戦の前の束の間の静けさだが、人通りはそれなりにある。
アイフォーン7プラスを手に取ってみて、確かにイヤホン用のミニプラグの穴がないことを確認したり、108円で手袋を買ったりして、それなりに楽しむ。
別に、お目当てがあったわけではない。
愚弟は、2分割できるデスクトップ用のキーボードが見たかったらしい。
ツクモの2階の片隅に、予約受付中として飾ってあった。
([新製品]左右分離型メカニカルキーボード Mistel Barocco MD600シリーズ 販売開始)
http://www.archisite.co.jp/2016/10/21/new-barocco/
用事が済んで、さっさと帰ればいいものを、あちらに寄り、こちらに寄りしながら、駐車場に戻る。
500Eは、相変わらず、快調だ。
先日点検してもらったら、ワイパー不良の原因は、モーターの劣化らしい。
うんまんえんで交換ということで、部品待ちである。
やれやれ・・・。
ドアキャッチも交換してもらうことに。
こちらも部品待ち。
浮沈子が手放すころには、交換すべきものはすべて交換し、絶好調の状態になるに違いない・・・。
午前中に試乗したE200スポーツは良かったな。
2リッターターボだが、何のストレスもない。
サスペンションがプアなのと、ブレーキの異音(停まる寸前に、ギギッという音がする)が気になる程度だ(たぶん、この個体固有の問題だろう)。
エンジンは十分なトルクを絞り出していて、4気筒なのに、高級感がある。
例によって、浮沈子が理解できないチャライ仕掛けが山ほどあって、営業さんは一生懸命説明してくれるが、運転に集中している浮沈子は、全然聞いていない。
まあ、どうでもいいんですよ、そういう仕掛けは・・・。
これで700まんえんふんだくるんだから、いい商売してるよな。
以前、マークX乗った時に、250万円という値段を聞いて、この車をそんな値段で売ったら、安過ぎて犯罪だと思ったが、Eクラスは、逆の意味で犯罪だな。
ボリ過ぎだろう。
でも、ベンツは昔からそうなので、気にはならない。
バブルの時代を駆け抜けたW124の300Eは、同じ値段だったしな。
このセグメントの価格は、30年経っても変わっていないのだ。
ふーん、そういうことなのか。
クルマは、コスト削減を果たし、性能は向上し、技術の進歩は、売る方も買う方もハッピーにしてくれているが、出来上がった車の中身をみれば、ダウンサイジングターボエンジンを、電子制御された9段オートマチックで良きに計らい、きらびやかなエレクトロニクスの衣をまぶして、現代風の車体デザインで、さっぱりと仕上げただけの話だ。
2リッターのクルマを、700万円で売るなんざ、詐欺以外の何物でもない(!)。
軽くなったとはいえ、車両重量は1.7トンある。
押しも押されぬ、立派なセダンだ。
走りも悪くないし、売れるんだろうな。
そこに、スリーポインテッドスターがあれば、700万円をポンと出すんだろう。
20年、30年経って、機械としての価値がどうかという話は、してはいけないのだ。
いま、ここにあるものの価値が全てだ。
そういうクルマなんだろう。
もう、500Eなんて、クラシックの世界だな。
ガソリンぶちまけながら走るようなクルマは、逆に現代ではお断りということになる。
機械の王国の末裔で、電子の帝国に乗り込み、再び500Eで帰って来る。
いいな。
浮沈子は、この車でいい。
十分だ。
この走りは、唯一無二のもので、二度と作られることのない頑丈なシャシーを、苦も無く加速する。
その乗り味を味わいながら、電子の帝国を脱出する。
まあ、500Eだって、いろいろ電子制御している。
統合制御のまねごともやっている。
電子制御は、お手の物なのだ。
ダイムラー社はあまり宣伝していないが、自動運転技術では、日産に引けは取らない。
それでも、500Eの時代は、機械の王国があった。
E200は、悪いクルマではない。
上等の部類だ。
1500まんえんした500Eと乗り比べても、都内下道では遜色ない走りをする。
そういうクルマをネタにして、電子の帝国に屈服したとか、機械の王国は滅んだとか言っても始まらない。
そういう時代なのだ。
物理の神様にケンカを売って、ズルして、胡麻化して、あり得ない特性をでっちあげる。
それを可能にしているのは、確かにコンピューターだ。
最適化した状態を、次々に紡ぎ出しては、人間にとって好ましい結果を生み出す。
エンジンや、トランスミッションや、ハンドリングの味付けを変え、燃費最適やスポーツモードの設定を可能にする。
それは、従来は人間が制御していた。
床まで踏めよ!。
まあいい。
若い営業さんは、生まれた時から電子制御の自動車に乗っている。
それが、自動車なのだ。
まるで、浮沈子が、いきなりECCRを使いだしたようなもんだな。
キャリブレーションを手動で調整していた時代は知らない。
それは、コンピューターが自動で行うのが当然だと思っている。
営業さんが、助手席からいろいろ車載コンピューターを操作して、ナビの地図を拡大したり、縮小したりする。
メーターパネルも、フル液晶で、物理的なメーターなどはない。
何種類ものデザインが選択可能だ。
浮沈子に、どんなタイプが好みですか?、とか聞いてくる。
「いや、ふつーのでいいです・・・(だんだん小声に)。」
浮沈子にとって、メーターパネルのデザインを選ぶというのは、クルマを選ぶのと同義だ。
5連メーターなら911。
3連なら、ボクスター。
「フェラーリのにしてください!」
とは、言わなかったけどな(フェラーリのメーターって、どんなんだけえ?)。
まあ、どうでもいいんですが。
ことほど左様に、ワケワカなところだけは異様に進化している。
しかし、700まんえんのクルマにしてはチープなサスペンションと、ブレーキの異音だけは分かった。
浮沈子に分かるのは、機械の王国のところだけ。
E200。
いいクルマである。
200kmで走らせれば、いろいろ見えてくるかもしれないけど、我が国では無用の性能だ。
500Eからおよそ四半世紀の時の流れを隔てて、メルセデスのミドルクラスセダンは、電子の帝国テンコ盛りの賑わいである。
秋葉原も、この間、大きく変わったのだ。
ベンツが変わったとしても、驚くにはあたらない。
50万円近いレザーパッケージ付けて、750万円払うなら、マークX3台買った方がいいような気もするけどな・・・。
気が早い店舗には、クリスマスのアイテムが並んでいた。
今日は、秋葉原に進撃する。
電子部品のばら売りの町が、家電量販店の町になり、パソコンが席巻して、今はもえ系の町になっている。
時代と共に移り変わってはいるものの、電子の町としての体裁は保っている。
これからは、VRの町になるんだろうか。
午前中、83タルガで近所を転がし、ディーラーでEクラスのセダンに試乗し、500Eで愚弟と昼飯がてら、秋葉に繰り出す。
年末商戦の前の束の間の静けさだが、人通りはそれなりにある。
アイフォーン7プラスを手に取ってみて、確かにイヤホン用のミニプラグの穴がないことを確認したり、108円で手袋を買ったりして、それなりに楽しむ。
別に、お目当てがあったわけではない。
愚弟は、2分割できるデスクトップ用のキーボードが見たかったらしい。
ツクモの2階の片隅に、予約受付中として飾ってあった。
([新製品]左右分離型メカニカルキーボード Mistel Barocco MD600シリーズ 販売開始)
http://www.archisite.co.jp/2016/10/21/new-barocco/
用事が済んで、さっさと帰ればいいものを、あちらに寄り、こちらに寄りしながら、駐車場に戻る。
500Eは、相変わらず、快調だ。
先日点検してもらったら、ワイパー不良の原因は、モーターの劣化らしい。
うんまんえんで交換ということで、部品待ちである。
やれやれ・・・。
ドアキャッチも交換してもらうことに。
こちらも部品待ち。
浮沈子が手放すころには、交換すべきものはすべて交換し、絶好調の状態になるに違いない・・・。
午前中に試乗したE200スポーツは良かったな。
2リッターターボだが、何のストレスもない。
サスペンションがプアなのと、ブレーキの異音(停まる寸前に、ギギッという音がする)が気になる程度だ(たぶん、この個体固有の問題だろう)。
エンジンは十分なトルクを絞り出していて、4気筒なのに、高級感がある。
例によって、浮沈子が理解できないチャライ仕掛けが山ほどあって、営業さんは一生懸命説明してくれるが、運転に集中している浮沈子は、全然聞いていない。
まあ、どうでもいいんですよ、そういう仕掛けは・・・。
これで700まんえんふんだくるんだから、いい商売してるよな。
以前、マークX乗った時に、250万円という値段を聞いて、この車をそんな値段で売ったら、安過ぎて犯罪だと思ったが、Eクラスは、逆の意味で犯罪だな。
ボリ過ぎだろう。
でも、ベンツは昔からそうなので、気にはならない。
バブルの時代を駆け抜けたW124の300Eは、同じ値段だったしな。
このセグメントの価格は、30年経っても変わっていないのだ。
ふーん、そういうことなのか。
クルマは、コスト削減を果たし、性能は向上し、技術の進歩は、売る方も買う方もハッピーにしてくれているが、出来上がった車の中身をみれば、ダウンサイジングターボエンジンを、電子制御された9段オートマチックで良きに計らい、きらびやかなエレクトロニクスの衣をまぶして、現代風の車体デザインで、さっぱりと仕上げただけの話だ。
2リッターのクルマを、700万円で売るなんざ、詐欺以外の何物でもない(!)。
軽くなったとはいえ、車両重量は1.7トンある。
押しも押されぬ、立派なセダンだ。
走りも悪くないし、売れるんだろうな。
そこに、スリーポインテッドスターがあれば、700万円をポンと出すんだろう。
20年、30年経って、機械としての価値がどうかという話は、してはいけないのだ。
いま、ここにあるものの価値が全てだ。
そういうクルマなんだろう。
もう、500Eなんて、クラシックの世界だな。
ガソリンぶちまけながら走るようなクルマは、逆に現代ではお断りということになる。
機械の王国の末裔で、電子の帝国に乗り込み、再び500Eで帰って来る。
いいな。
浮沈子は、この車でいい。
十分だ。
この走りは、唯一無二のもので、二度と作られることのない頑丈なシャシーを、苦も無く加速する。
その乗り味を味わいながら、電子の帝国を脱出する。
まあ、500Eだって、いろいろ電子制御している。
統合制御のまねごともやっている。
電子制御は、お手の物なのだ。
ダイムラー社はあまり宣伝していないが、自動運転技術では、日産に引けは取らない。
それでも、500Eの時代は、機械の王国があった。
E200は、悪いクルマではない。
上等の部類だ。
1500まんえんした500Eと乗り比べても、都内下道では遜色ない走りをする。
そういうクルマをネタにして、電子の帝国に屈服したとか、機械の王国は滅んだとか言っても始まらない。
そういう時代なのだ。
物理の神様にケンカを売って、ズルして、胡麻化して、あり得ない特性をでっちあげる。
それを可能にしているのは、確かにコンピューターだ。
最適化した状態を、次々に紡ぎ出しては、人間にとって好ましい結果を生み出す。
エンジンや、トランスミッションや、ハンドリングの味付けを変え、燃費最適やスポーツモードの設定を可能にする。
それは、従来は人間が制御していた。
床まで踏めよ!。
まあいい。
若い営業さんは、生まれた時から電子制御の自動車に乗っている。
それが、自動車なのだ。
まるで、浮沈子が、いきなりECCRを使いだしたようなもんだな。
キャリブレーションを手動で調整していた時代は知らない。
それは、コンピューターが自動で行うのが当然だと思っている。
営業さんが、助手席からいろいろ車載コンピューターを操作して、ナビの地図を拡大したり、縮小したりする。
メーターパネルも、フル液晶で、物理的なメーターなどはない。
何種類ものデザインが選択可能だ。
浮沈子に、どんなタイプが好みですか?、とか聞いてくる。
「いや、ふつーのでいいです・・・(だんだん小声に)。」
浮沈子にとって、メーターパネルのデザインを選ぶというのは、クルマを選ぶのと同義だ。
5連メーターなら911。
3連なら、ボクスター。
「フェラーリのにしてください!」
とは、言わなかったけどな(フェラーリのメーターって、どんなんだけえ?)。
まあ、どうでもいいんですが。
ことほど左様に、ワケワカなところだけは異様に進化している。
しかし、700まんえんのクルマにしてはチープなサスペンションと、ブレーキの異音だけは分かった。
浮沈子に分かるのは、機械の王国のところだけ。
E200。
いいクルマである。
200kmで走らせれば、いろいろ見えてくるかもしれないけど、我が国では無用の性能だ。
500Eからおよそ四半世紀の時の流れを隔てて、メルセデスのミドルクラスセダンは、電子の帝国テンコ盛りの賑わいである。
秋葉原も、この間、大きく変わったのだ。
ベンツが変わったとしても、驚くにはあたらない。
50万円近いレザーパッケージ付けて、750万円払うなら、マークX3台買った方がいいような気もするけどな・・・。
ボクスターダウン ― 2016年11月06日 16:06
ボクスターダウン
若干風は強かったが、絶好の行楽日和。
こんな日に、オープンカー(和製英語:ナイターのようなもんですな)に乗らないでどーする?。
83タルガの屋根を取っ払って、サイドウインドウも全開にして、一路、ボクスターの疎開先へと向かう。
いい感じに走る。
やっぱ、この走り味がいい。
200馬力そこそこのパワーは、今どきのスポーツカーとしては、どうってことはないし、パワーアシストなしのハンドルは、据え切り御免の重ステだが、走っているときは文句のつけようがない。
33年前のままに、快適に転がっていく。
疎開先に着いて、ボクスターのエンジンをかける。
2か月ぶりなので、かかるかどうかは分からなかった。
ジャンプコードは常備しているし、念のため、起動用バッテリーも持参したが、あっけなくかかった。
よーし・・・。
あれっ?。
シフトのインジケーターが、4速とDマークで、交互に点滅している。
動かしてみると、一応動くようだ。
あーあ・・・。
入れ替えを終え、いつ止まるかもわからないボクスターを屋根全開にして転がす。
きもちいーっ!。
ちょーきもちいーっ!。
いつ止まるかもわからない緊張感が、その快感を加速する。
ちゃんと、シフトアップもシフトダウンもしているが、2速ではなく1速発進になる。
停止すると、ガクンというショックが、何回かあった。
マニュアルモードには、どうやってもならない。
何度か再始動してみても、同じだ。
むろん、そのまま、都内某ポルシェセンターに直行する。
今日は、何かのキャンペーンの日で、多分通知をもらっていたんだろうけど、記憶にない(画像は、頂いた小銭入れ)。
忙しいさなかに、ショボいボクスターを持ち込んで、修理を依頼する。
ったく、金にならない客だな・・・。
でも、まあ、いちおう、ここで買ったわけだから、正規のお客様である。
テーブルがいっぱいだったのと、昼めし食ってなかったので、携帯電話の番号を教えて、近所のカレー屋さんでカツカレー+チーズのトッピングを食べた。
携帯が鳴ったのに気付かず、店を出ると、2回も受信していた。
ポルシェセンターに戻って、説明を聞くと、どうやら、松竹梅の3種類が考えられるという。
梅:コネクターの不良
竹:ミッション受信部の不良
松:ミッションそのものの機械的不良
梅でさえ、9万円だというが、直さないわけにはいかない。
とりあえず、症状を詳細にみてもらって、その結果を連絡してもらうことにする。
数日で分かるというので、今週中にはケリを着けよう。
以前から、予期せずに1速発進になることがあって、車検の時にもその旨伝えてあるけど、様子見ということになっていた。
03ボクスターは、21世紀のクルマだ。
設計は20世紀だけど。
電子の帝国に片足突っ込んでいる。
新世代のポルシェだ。
水冷エンジン、電子制御、久々のミッドシップ2シーター。
しかも、オープンカーだ。
今日は、白い718が走っているのを見た。
屋根閉じてたけどな(今日くらい、開けろよ!)。
まあいい。
新しいボクスターは、電子制御の塊だな。
コンピューターが死んだら、ピクリとも動かないに違いない(詳しくは知りません)。
986のボクスターは、一応、シフトチェンジはしていた。
ティプトロニックSだが、エラーコードを吐きながら、ふつーの動作は確保されている。
希望的観測では、機械的な部分は問題ないような感じだった。
シフトの信号が、全く届いていない。
マニュアルに切り替えても、一切反応しなかった。
運転するのに支障はない。
1速発進だと、やや、ギクシャクする感じもしたが、そーっと踏み込めば、ちゃんとシフトアップする。
500Eのトランスミッションと同じだ。
あれは、完全に機械式だからな。
修理がどの程度になるかわかれば、また書く。
しかし、ドライブ自体は快適だった。
秋の日のドライブ。
街路樹の葉が紅葉し、止まっているとオープンにした車内に落ちてくる。
舞い上がった葉が、ウインドウをかすめて飛び去る。
ピアノのソロが聞こえてくるような、まるで、絵に描いたような時間が流れていく。
オープンポルシェの魅力を、2世代にわたって満喫した。
ああ、もちろん、ボクスターは預けてきて、帰りは電車。
駐車場で、フェラーリ号(という名の、電動ママチャリ)に乗り換えて帰って来る。
もちろん、オープン!(自転車なんで・・・)。
さて、これからフィットネスに行こうかどうしようか。
一休みして考えよう・・・。
若干風は強かったが、絶好の行楽日和。
こんな日に、オープンカー(和製英語:ナイターのようなもんですな)に乗らないでどーする?。
83タルガの屋根を取っ払って、サイドウインドウも全開にして、一路、ボクスターの疎開先へと向かう。
いい感じに走る。
やっぱ、この走り味がいい。
200馬力そこそこのパワーは、今どきのスポーツカーとしては、どうってことはないし、パワーアシストなしのハンドルは、据え切り御免の重ステだが、走っているときは文句のつけようがない。
33年前のままに、快適に転がっていく。
疎開先に着いて、ボクスターのエンジンをかける。
2か月ぶりなので、かかるかどうかは分からなかった。
ジャンプコードは常備しているし、念のため、起動用バッテリーも持参したが、あっけなくかかった。
よーし・・・。
あれっ?。
シフトのインジケーターが、4速とDマークで、交互に点滅している。
動かしてみると、一応動くようだ。
あーあ・・・。
入れ替えを終え、いつ止まるかもわからないボクスターを屋根全開にして転がす。
きもちいーっ!。
ちょーきもちいーっ!。
いつ止まるかもわからない緊張感が、その快感を加速する。
ちゃんと、シフトアップもシフトダウンもしているが、2速ではなく1速発進になる。
停止すると、ガクンというショックが、何回かあった。
マニュアルモードには、どうやってもならない。
何度か再始動してみても、同じだ。
むろん、そのまま、都内某ポルシェセンターに直行する。
今日は、何かのキャンペーンの日で、多分通知をもらっていたんだろうけど、記憶にない(画像は、頂いた小銭入れ)。
忙しいさなかに、ショボいボクスターを持ち込んで、修理を依頼する。
ったく、金にならない客だな・・・。
でも、まあ、いちおう、ここで買ったわけだから、正規のお客様である。
テーブルがいっぱいだったのと、昼めし食ってなかったので、携帯電話の番号を教えて、近所のカレー屋さんでカツカレー+チーズのトッピングを食べた。
携帯が鳴ったのに気付かず、店を出ると、2回も受信していた。
ポルシェセンターに戻って、説明を聞くと、どうやら、松竹梅の3種類が考えられるという。
梅:コネクターの不良
竹:ミッション受信部の不良
松:ミッションそのものの機械的不良
梅でさえ、9万円だというが、直さないわけにはいかない。
とりあえず、症状を詳細にみてもらって、その結果を連絡してもらうことにする。
数日で分かるというので、今週中にはケリを着けよう。
以前から、予期せずに1速発進になることがあって、車検の時にもその旨伝えてあるけど、様子見ということになっていた。
03ボクスターは、21世紀のクルマだ。
設計は20世紀だけど。
電子の帝国に片足突っ込んでいる。
新世代のポルシェだ。
水冷エンジン、電子制御、久々のミッドシップ2シーター。
しかも、オープンカーだ。
今日は、白い718が走っているのを見た。
屋根閉じてたけどな(今日くらい、開けろよ!)。
まあいい。
新しいボクスターは、電子制御の塊だな。
コンピューターが死んだら、ピクリとも動かないに違いない(詳しくは知りません)。
986のボクスターは、一応、シフトチェンジはしていた。
ティプトロニックSだが、エラーコードを吐きながら、ふつーの動作は確保されている。
希望的観測では、機械的な部分は問題ないような感じだった。
シフトの信号が、全く届いていない。
マニュアルに切り替えても、一切反応しなかった。
運転するのに支障はない。
1速発進だと、やや、ギクシャクする感じもしたが、そーっと踏み込めば、ちゃんとシフトアップする。
500Eのトランスミッションと同じだ。
あれは、完全に機械式だからな。
修理がどの程度になるかわかれば、また書く。
しかし、ドライブ自体は快適だった。
秋の日のドライブ。
街路樹の葉が紅葉し、止まっているとオープンにした車内に落ちてくる。
舞い上がった葉が、ウインドウをかすめて飛び去る。
ピアノのソロが聞こえてくるような、まるで、絵に描いたような時間が流れていく。
オープンポルシェの魅力を、2世代にわたって満喫した。
ああ、もちろん、ボクスターは預けてきて、帰りは電車。
駐車場で、フェラーリ号(という名の、電動ママチャリ)に乗り換えて帰って来る。
もちろん、オープン!(自転車なんで・・・)。
さて、これからフィットネスに行こうかどうしようか。
一休みして考えよう・・・。
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