E.T.2016年12月13日 00:18

E.T.
E.T.


1982年、34年も前の映画の中に、宇宙人が自転車に乗って空を飛ぶシーンが描かれている。

(E.T.)
https://ja.wikipedia.org/wiki/E.T.

まあ、正確には、宇宙人は前かご(前箱?)に放り込まれているだけで、自転車を漕いでいるのは、地球人の男の子だけどな。

この映画の中で、使われている自転車が、日本製だという記述もある。

「この映画で空を飛んだ自転車は、大阪・今里にあるKUWAHARA BIKE WORKS(映画公開当時は桑原商会)という会社の製品である。」

最近、自転車にハマっているので、ちょっと気になった。

まあ、宇宙人の方は、あまりハマっているとは言えない。

とりあえず、空飛ぶシーンだけでも探してみるかな。

(Ride in the Sky - E.T.: The Extra-Terrestrial (9/10) Movie CLIP (1982) HD:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=oR1-UFrcZ0k

このシーンを見ていると、大人はいつも大勢で子供の邪魔をしている。

そういうもんだ、昔から・・・。

追いつめられ、絶体絶命のその瞬間、宇宙人を乗せていた自転車と、そのシンパの面々は、宙に浮く。

ファンタジーだ。

現実の世界では、大人たちに捕まって、こっぴどく叱られ、外出禁止、おやつなし、自転車没収、エトセエトセの災難になる。

惑星の運動を説明するために、ボールを宙に浮かせていたシーンがあって、ある意味では予定調和的、想定の範囲内的展開なんだが、それは、演出上、上手く仕込まれている。

大人が仕組んだファンタジーだな。

つまらん。

つまらんけど、いい大人になっていた当時の浮沈子も、何となく、このシーンは覚えている。

そして、指の先が光るシーンとかも。

ETは、大ヒットしたが、それは、お子様向けのファンタジー映画としてだ。

人類と宇宙人との遭遇という点では、既に未知との遭遇があった。

(未知との遭遇)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E7%9F%A5%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%81%AD%E9%81%87

「1977年に公開されたアメリカ映画である。」

こっちは、普通の大人向けだな。

ストーリーは、延々前置きが長く、インスピレーションを宿した冴えない男の悲哀だ。

この映画全体が、一つのプロローグのようなもんだ。

しかし、なんといっても、2001年だろう。

(2001年宇宙の旅)
https://ja.wikipedia.org/wiki/2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85

「1968年4月6日にアメリカで公開された。」

米国人は、宇宙ものが好きなんだが、あまりシリアスなのは作らないな。

スターウォーズなんかも、そうだが、設定として宇宙とか宇宙人とかが出てくるけど、それは世界観を作り上げるための大道具小道具の類だ。

宇宙戦争などは、むしろ例外的な作品になる。

あれは、まあ、宇宙といったって、地球しか出てこないけどな。

地中に埋まっていたトライポッドが、その間、バクテリアに食われていなかったというのが無理な設定だなどの突っ込みを入れてはいけないだろう。

ファンタジーや、スペースオペラは、娯楽として楽しめばいいのだ。

もう誰も、宇宙船や、テレポーテーションを描いても、驚いたり感動したりはしてくれない。

自転車が宙を飛んでウケたのは、大昔の話だ。

困ったことに、そういうのが当たり前になって、宇宙人はきっと本当にいるに違いないと信じる人々を作り出してしまった。

最近、地球に似た惑星が、それこそ、星の数ほど見つかって、宇宙は生命に満ち溢れていると信じる学者が、恥ずかしげもなくそのことを公言するようになった。

浮沈子は、たった1度でいいから、この地球上で、化学進化としての生命の誕生を再現してから言ってもらいたいな。

確かに、宇宙の中で、少なくとも1回は、生命の誕生に成功したことは認めよう。

多少、その出来に問題があるとしても、浮沈子自身がその証拠だしな。

液体の水が、これ程豊富にありながら、過去46億年の間に、たった1度だけの誕生しかしなかった地球生命。

宇宙の歴史は、たかがその3倍程度と見積もられている。

そんな短期間(!?)に、山のような生命の誕生があるなどと、信じる方がおかしいのではないか。

残念ながら、E.T.は、存在しない。

そして、空を飛ぶ自転車も・・・。

(4K撮影 大阪エキスポシティ 空飛ぶ自転車:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=510pX3K2p8w

うーん、ちょっと違うような気がするんだがな・・・。

心の乱れ2016年12月13日 16:47

心の乱れ
心の乱れ


プールの中層、水深3mでホバリングしながら、マスク脱着(予備のマスクとの交換)を行う。

ラストスパートの特訓初日。

もう、DSMBを上げられるのは、当たり前(今日は、ズルなし)。

リールにラインが絡まるが、落ち着いて打ち上げてから外した。

たぶん、手を離す前に緩んで、スプールから外れていた可能性がある。

気を付けよう。

で、今日のお題のマスク交換。

やっぱ、水深が変化する。

足も動いてしまい、プールの中をあちこち移動する。

ポケットから出して、ダブルエンダーを外して、肩のDリングに掛けて、外したマスクをそれに掛けて、新しいマスクを着けるだけなんだがな。

深度の乱れは、呼吸の乱れ、呼吸の乱れは、心の乱れ・・・。

落ち着いて、ゆっくりやればいいんだが、マスクを外した状態でのストレスが大きく、どうしても慌ててしまう。

着底して行う場合は、それ程気にならないのに、ホバリング状態で行うと、不安定になる。

そう、如何に視覚に依存して中性浮力を維持しているかという証拠だ。

本当の静止する感覚が、まだ身についていないということでもある。

何かに触れているなら、目を閉じても、呼吸に集中していれば止まることはできるが、全く何もない状態で目を閉じて止まることはできない。

まして、何か作業をしながらの中性浮力の維持というのは、実はまだ出来ていない。

リールを、左右のDリングに付け替えたり、そういう、簡単な作業は出来る。

平常心を保ち、足も動かさず、呼吸も乱れない。

マスク交換をやってみて、つくづく心の乱れを実感する。

ストレスを感じ、慌てて、ジタバタし、水深が維持できず、それがまた、ストレスを与える。

悪循環が始まり、杜撰な中性浮力の管理の中で、あちこち動き回りながら、なんとか交換する。

それを、3回行って、今日はおしまいにした。

これ以上やっても、効果がないと思ったから。

そもそも、予備のマスクに交換しなければならない状況に陥らないようにするのが基本だが、やむを得ず、そんな状況になれば、やらざるを得ない。

場合によっては、減圧浮上中に、交換してしまわなければならず、相当のストレス下で行うことになる。

さっさと交換してしまわないと、ゲージや深度計(ダイコン)が読めないしな。

鼻歌を歌いながら、楽勝で交換できて当たり前のスキルだ。

それがストレスになっているようでは、本末転倒である。

本当に耐えなければならないストレスは、その先にあるというのに・・・。

43分で、70バールほど吸って、ボトルキープ(?)してもらった。

明日も、水深3mでの格闘(?)が待っている。

鼻歌を歌えるようになるのは、何時になることやら・・・。