三択 ― 2017年02月07日 13:12
三択
知的生命の未来について、三択しなければならない。
1. ほとんどの文明は技術的に成熟する前に絶滅した。
2. 十分に成熟した技術を持ったほとんどの文明はシミュレーション装置を作る興味がない。
3. 我々人間は実際にコンピュータ・シミュレーション上で生きている。
まあ、浮沈子的には断然1番なんだがな。
(「この世がマトリックスの可能性は50%」メリルリンチの衝撃調査結果が波紋呼ぶ)
http://tocana.jp/2016/09/post_10989_entry.html
「イーロン・マスク氏は「我々が“天然”な世界に生きている可能性は数十億分の1」と発言し、氏にとっては50%どころかほぼ確実に現在の我々がコンピュータ・シミュレーションの中で生きていることを指摘して物議を醸した。」
「何かと衝撃的なマスク氏の発言なのだが、今の我々がコンピュータ・シミュレーションの中で生きていることは決して悪いことではないという。なぜなら、ボストロム教授のシナリオの“1”である“人類の滅亡”が回避されたことの証しとなるからだ。」
何とも、ご都合主義的選択だが、2については、浮沈子もないと思っている。
それが可能であれば、選択しないということは有り得ない。
核兵器も反物質も、AIだって作り出す。
シミュレーション仮説は、あくまで仮説だ。
人類が、それを証明することは出来ない。
AIの飼い猫になる恐怖もまた、同じところからきている。
支配されることを意識させずに支配する。
しかしだな、そうして支配されているはずの人間が、VRとかで仮想現実世界を作ろうとしていることを考えると、その上位のシミュレーションを作ったやつらもまた、シミュレーションでないと言い切れるのかあ?。
(イーロン・マスク氏が「人類はコンピューター・シミュレーションの中で生きている」と考えるわけは?)
http://gigazine.net/news/20160816-elon-musk-living-simulation/
「もしシミュレーションの世界に生きているとすれば、そこにはきっと「上のレベルの人」が存在しているはず」
「このことを考え出すと、人々の議論は永遠にループするエンドレスなものに陥ってしまいます。」
「どうやらこの話しも大きなシミュレーションの一部であるようです。」
際限のない入れ子構造の中に落ち込んでしまう。
浮沈子的には、そんなややっこしい話にしないで、潔く滅亡してしまう方が分かりやすいと思うんだがな。
火星に行こうとか考えるには、そう簡単に文明が滅んでしまっては困るわけだ。
もっとも、火星植民が成功して、やれやれ、これで一つのバスケットにすべての卵を入れなくてもよくなったと思った矢先に、火星に巨大隕石が衝突して滅亡の憂き目にあうかもしれないけどな。
シミュレーション仮説については、知的ゲームとしては面白いけど、ちょっと荒唐無稽すぎる気もする。
(人間が実は作られたシミュレーションの世界に住んでいるのではないか?という仮説を科学者たちが議論)
http://gigazine.net/news/20160413-live-in-computer-simulation/
リサ・ランドールは、ばっさり切り捨ててる。
「はっきりとした蓋然性(見込み)に基づいていません。そもそも、なぜその高度な存在が我々をシミュレートしたいと考えるのかが分かりません」
「事実上、ゼロです」
うーん、そこまでつれなくしなくっても・・・。
浮沈子は、記事の中の数学的宇宙仮説の方が気になる。
(数学的宇宙仮説)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%BB%AE%E8%AA%AC
「自己認識する下部構造(人間のような知的生命体)を含むだけ複雑なこれらの[宇宙]においては、[彼ら]は自身を物理的に'現実の'世界に存在するものとして主観的に知覚する」
浮沈子には理解不能だから、自己認識する下部構造じゃないのかもしれない。
ともあれ、我々の世界がシミュレーションであれ、生の現実であれ、区別はつかないわけだ。
マトリックスの中で、サイファーという登場人物がいる。
(サイファー)
http://ja.matrix.wikia.com/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
彼は、マトリックスの中で偽りの人生を歩むことを望む。
浮沈子には、その気持ちが良く分かる。
鼻水のような不味いおかゆをすすりながら現実の世界を生きるよりも、美味いステーキを食いながら偽りの世界で生きる方が幸せだと感じる。
シミュレーションでも、数学的記述世界でもいいが、しっかりと幸福追求できるかどうかが問題だな。
シミュレーション仮説の三択には、その選択肢はない。
永遠の命や復活が、コンピューターゲームの隠喩であったとしても、それは何の意味もないだろう。
もっとも、幸福追求なんていう世俗的なアイテムを仕込むことくらい、ゲーム作家にとっては造作もないことなんだろうけどな・・・。
知的生命の未来について、三択しなければならない。
1. ほとんどの文明は技術的に成熟する前に絶滅した。
2. 十分に成熟した技術を持ったほとんどの文明はシミュレーション装置を作る興味がない。
3. 我々人間は実際にコンピュータ・シミュレーション上で生きている。
まあ、浮沈子的には断然1番なんだがな。
(「この世がマトリックスの可能性は50%」メリルリンチの衝撃調査結果が波紋呼ぶ)
http://tocana.jp/2016/09/post_10989_entry.html
「イーロン・マスク氏は「我々が“天然”な世界に生きている可能性は数十億分の1」と発言し、氏にとっては50%どころかほぼ確実に現在の我々がコンピュータ・シミュレーションの中で生きていることを指摘して物議を醸した。」
「何かと衝撃的なマスク氏の発言なのだが、今の我々がコンピュータ・シミュレーションの中で生きていることは決して悪いことではないという。なぜなら、ボストロム教授のシナリオの“1”である“人類の滅亡”が回避されたことの証しとなるからだ。」
何とも、ご都合主義的選択だが、2については、浮沈子もないと思っている。
それが可能であれば、選択しないということは有り得ない。
核兵器も反物質も、AIだって作り出す。
シミュレーション仮説は、あくまで仮説だ。
人類が、それを証明することは出来ない。
AIの飼い猫になる恐怖もまた、同じところからきている。
支配されることを意識させずに支配する。
しかしだな、そうして支配されているはずの人間が、VRとかで仮想現実世界を作ろうとしていることを考えると、その上位のシミュレーションを作ったやつらもまた、シミュレーションでないと言い切れるのかあ?。
(イーロン・マスク氏が「人類はコンピューター・シミュレーションの中で生きている」と考えるわけは?)
http://gigazine.net/news/20160816-elon-musk-living-simulation/
「もしシミュレーションの世界に生きているとすれば、そこにはきっと「上のレベルの人」が存在しているはず」
「このことを考え出すと、人々の議論は永遠にループするエンドレスなものに陥ってしまいます。」
「どうやらこの話しも大きなシミュレーションの一部であるようです。」
際限のない入れ子構造の中に落ち込んでしまう。
浮沈子的には、そんなややっこしい話にしないで、潔く滅亡してしまう方が分かりやすいと思うんだがな。
火星に行こうとか考えるには、そう簡単に文明が滅んでしまっては困るわけだ。
もっとも、火星植民が成功して、やれやれ、これで一つのバスケットにすべての卵を入れなくてもよくなったと思った矢先に、火星に巨大隕石が衝突して滅亡の憂き目にあうかもしれないけどな。
シミュレーション仮説については、知的ゲームとしては面白いけど、ちょっと荒唐無稽すぎる気もする。
(人間が実は作られたシミュレーションの世界に住んでいるのではないか?という仮説を科学者たちが議論)
http://gigazine.net/news/20160413-live-in-computer-simulation/
リサ・ランドールは、ばっさり切り捨ててる。
「はっきりとした蓋然性(見込み)に基づいていません。そもそも、なぜその高度な存在が我々をシミュレートしたいと考えるのかが分かりません」
「事実上、ゼロです」
うーん、そこまでつれなくしなくっても・・・。
浮沈子は、記事の中の数学的宇宙仮説の方が気になる。
(数学的宇宙仮説)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%BB%AE%E8%AA%AC
「自己認識する下部構造(人間のような知的生命体)を含むだけ複雑なこれらの[宇宙]においては、[彼ら]は自身を物理的に'現実の'世界に存在するものとして主観的に知覚する」
浮沈子には理解不能だから、自己認識する下部構造じゃないのかもしれない。
ともあれ、我々の世界がシミュレーションであれ、生の現実であれ、区別はつかないわけだ。
マトリックスの中で、サイファーという登場人物がいる。
(サイファー)
http://ja.matrix.wikia.com/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
彼は、マトリックスの中で偽りの人生を歩むことを望む。
浮沈子には、その気持ちが良く分かる。
鼻水のような不味いおかゆをすすりながら現実の世界を生きるよりも、美味いステーキを食いながら偽りの世界で生きる方が幸せだと感じる。
シミュレーションでも、数学的記述世界でもいいが、しっかりと幸福追求できるかどうかが問題だな。
シミュレーション仮説の三択には、その選択肢はない。
永遠の命や復活が、コンピューターゲームの隠喩であったとしても、それは何の意味もないだろう。
もっとも、幸福追求なんていう世俗的なアイテムを仕込むことくらい、ゲーム作家にとっては造作もないことなんだろうけどな・・・。
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