飛行機とダイビング ― 2017年02月11日 02:18
飛行機とダイビング
どちらも中途半端になっている、テック40のナレッジリビューと、機長の危機管理。
中途半端といえば聞こえは悪いが、一応、同時並行で進行中ということだ。
今更ながら、両者はよく似ている。
片や空中、此方水中。
降りたい時に降りられず、浮上したくても浮上できない状況は、全く同じだ。
そして、両者ともに機材(器材:以下、器材に統一)に依存する。
器材の故障は直ちに命に係わるが、それを持てる知能と技術を尽くして回避する。
運用上、違うところがあるとすれば、テクニカルダイビングは、各ダイバーが機長みたいなもんだが、旅客機の機長は配下のコーパイなどを使って、チームを管理しなければならない。
テックでもチームが重要という点では同じだけどな。
とにかく似ている。
そのことに、あらためて気づく。
テック40の講習では、覚えたりスキルを練習することに集中していたが、その意味を深く考え、なぜそうするのかについては、あまり意識はしなかった(←そんなことでいいのかあ?)。
だって、覚えることとかに精一杯だったから。
先週までお手伝いしていたIE受験生の講習の際に、コースディレクターの柏崎さんは、なぜそうするのかを考えさせることを重視していた。
そのスキルは、なぜそうするのか。
他の方法でもいいのか。
それと比較して、どちらが望ましいか。
それはなぜか・・・。
そういえば、浮沈子の時にも、そういう指導だった気がする。
無我夢中だったので、それどころじゃあなかったけどな。
今になって、その意味が少しずつ分かって来る。
なるほど、そういうことか・・・。
テック40も同じだ。
石井さんの講習は、PADIの要件を踏み越えて、かなり広範に渡っていた。
それは、テック40という、テクニカルダイビングの入り口においてさえも、求められる考え方を理解させるのに必要なスキルだったということだ。
形から入る浮沈子だが、その形に辿り着くまでのプロセスや、意義を理解しなければ、形を守ることもままならない。
意味も分からずに真似をするだけでは、ちゃんと出来たことにはならないのだ。
機長の危機管理では、マニュアルの話が出てくるけど、それは無機質でドライなものではないし、そうあってはならないものだ。
なぜなら、マニュアルは、人間が人間に伝えるというコミュニケーションの形だから。
伝えるべき事柄があり、送り手と受け手があり、その間を取り持つ媒体がある。
それら全てが十全に機能しなければ、伝えられるべきことは伝えられず、そのことによるリスクが発生する。
器材の操作について、誤った認識をもって行えば、アホな器材はその通りにしか動かない。
ボーイングとエアバスで、トグルスイッチの方向が逆になっているという話が書いてあった。
機種転換訓練というのがあって、それをやってるはずなんだが、間違うことがあるそうだ。
ダイビングでも、BCなどは、モデルによって違うしな。
インフレーターとか、排気バルブの位置、特にSプロのエア2とかは、中圧ホースのコネクターが違ってたりするしな。
ふつーのBCに疎い浮沈子は、仕方なくずーっとオーラルで給気してたことがあった(←こんなことでいいのかあ?)。
まあ、どうでもいいんですが。
人間から人間へ、大切なことを伝えるための手段としてのマニュアル。
なぜそうするのかが、正しく伝わるマニュアル。
そして、覚えなくても身に着くマニュアル。
細かく覚えなければならないところは、外部化してチェックリストで行う。
さらには、そこまで自動化して、チェックしてくれる器材。
さらに自動化して、息するだけで潜れるダイビング器材・・・。
レギュレーターが外れたら、自分で口元まで泳いできてくれないかな。
フィンが外れたら、自動で足に戻ってきたりして!。
他力本願、器材べったりの浮沈子・・・。
そんな時代になっても、スキルアップ、知識のブラッシュアップは必要だ。
そして、危機に陥らないようにするための事前の管理、通常運用中の管理、さらには、万が一危機的状況になった時のオペレーション。
運よく生きて帰ってこられた後の事後対応。
事後評価と改善も重要だな。
器材の見直し、交換、改良、その他もろもろ。
終わることのない安全性の向上。
その継続の中でしか、果てしなく壊れる器材を使ってのミッション達成はない。
ああ、もちろん、果てしなく壊れるのは人間の方も同じだ。
覚えられず、身に着かず、誤り、認識違いし、忘れ、しまいにパニクる最悪の器材!。
しかも、年々衰える一方だ。
器材は買い替えれば済むが、人間だけはどうしようもない。
引退するか、使い方を変えるかしなければどうしようもない。
飯も食わせなければならないし、睡眠も摂らなければならない。
適度な運動、気分転換、集中するためのトレーニング、リラックスなど、贅沢なメンテも必要だな。
一番やっかいな代物だ。
そして、マン・マシンシステムである飛行機やダイビングが成立する。
いや、絶対、AIが取って代わるだろう。
浮力コントロールに苦労するなんて楽しみ(?)は、今のうちじゃないとできないだろうな。
トランスミッターで残圧を管理し、ダイコンの指示通りに潜る。
もちろん、フィンで漕ぐなどという野蛮な(!)ことはしない。
DPVに頼って潜る。
器材は水中(水面)で脱着し、重さを感じることはない。
ああ、だんだんジジババダイビングの話になってきてしまった。
それが、一番楽しいダイビングだろう。
浮沈子は、それでいいような気がしてきた。
テクニカルダイビングの勉強は続けようと思っているけど、自分が消化できる範囲でいい。
テック40も、まだ、未消化の状況だ。
少しずつ、マイペースで臨んでいきたい。
どちらも中途半端になっている、テック40のナレッジリビューと、機長の危機管理。
中途半端といえば聞こえは悪いが、一応、同時並行で進行中ということだ。
今更ながら、両者はよく似ている。
片や空中、此方水中。
降りたい時に降りられず、浮上したくても浮上できない状況は、全く同じだ。
そして、両者ともに機材(器材:以下、器材に統一)に依存する。
器材の故障は直ちに命に係わるが、それを持てる知能と技術を尽くして回避する。
運用上、違うところがあるとすれば、テクニカルダイビングは、各ダイバーが機長みたいなもんだが、旅客機の機長は配下のコーパイなどを使って、チームを管理しなければならない。
テックでもチームが重要という点では同じだけどな。
とにかく似ている。
そのことに、あらためて気づく。
テック40の講習では、覚えたりスキルを練習することに集中していたが、その意味を深く考え、なぜそうするのかについては、あまり意識はしなかった(←そんなことでいいのかあ?)。
だって、覚えることとかに精一杯だったから。
先週までお手伝いしていたIE受験生の講習の際に、コースディレクターの柏崎さんは、なぜそうするのかを考えさせることを重視していた。
そのスキルは、なぜそうするのか。
他の方法でもいいのか。
それと比較して、どちらが望ましいか。
それはなぜか・・・。
そういえば、浮沈子の時にも、そういう指導だった気がする。
無我夢中だったので、それどころじゃあなかったけどな。
今になって、その意味が少しずつ分かって来る。
なるほど、そういうことか・・・。
テック40も同じだ。
石井さんの講習は、PADIの要件を踏み越えて、かなり広範に渡っていた。
それは、テック40という、テクニカルダイビングの入り口においてさえも、求められる考え方を理解させるのに必要なスキルだったということだ。
形から入る浮沈子だが、その形に辿り着くまでのプロセスや、意義を理解しなければ、形を守ることもままならない。
意味も分からずに真似をするだけでは、ちゃんと出来たことにはならないのだ。
機長の危機管理では、マニュアルの話が出てくるけど、それは無機質でドライなものではないし、そうあってはならないものだ。
なぜなら、マニュアルは、人間が人間に伝えるというコミュニケーションの形だから。
伝えるべき事柄があり、送り手と受け手があり、その間を取り持つ媒体がある。
それら全てが十全に機能しなければ、伝えられるべきことは伝えられず、そのことによるリスクが発生する。
器材の操作について、誤った認識をもって行えば、アホな器材はその通りにしか動かない。
ボーイングとエアバスで、トグルスイッチの方向が逆になっているという話が書いてあった。
機種転換訓練というのがあって、それをやってるはずなんだが、間違うことがあるそうだ。
ダイビングでも、BCなどは、モデルによって違うしな。
インフレーターとか、排気バルブの位置、特にSプロのエア2とかは、中圧ホースのコネクターが違ってたりするしな。
ふつーのBCに疎い浮沈子は、仕方なくずーっとオーラルで給気してたことがあった(←こんなことでいいのかあ?)。
まあ、どうでもいいんですが。
人間から人間へ、大切なことを伝えるための手段としてのマニュアル。
なぜそうするのかが、正しく伝わるマニュアル。
そして、覚えなくても身に着くマニュアル。
細かく覚えなければならないところは、外部化してチェックリストで行う。
さらには、そこまで自動化して、チェックしてくれる器材。
さらに自動化して、息するだけで潜れるダイビング器材・・・。
レギュレーターが外れたら、自分で口元まで泳いできてくれないかな。
フィンが外れたら、自動で足に戻ってきたりして!。
他力本願、器材べったりの浮沈子・・・。
そんな時代になっても、スキルアップ、知識のブラッシュアップは必要だ。
そして、危機に陥らないようにするための事前の管理、通常運用中の管理、さらには、万が一危機的状況になった時のオペレーション。
運よく生きて帰ってこられた後の事後対応。
事後評価と改善も重要だな。
器材の見直し、交換、改良、その他もろもろ。
終わることのない安全性の向上。
その継続の中でしか、果てしなく壊れる器材を使ってのミッション達成はない。
ああ、もちろん、果てしなく壊れるのは人間の方も同じだ。
覚えられず、身に着かず、誤り、認識違いし、忘れ、しまいにパニクる最悪の器材!。
しかも、年々衰える一方だ。
器材は買い替えれば済むが、人間だけはどうしようもない。
引退するか、使い方を変えるかしなければどうしようもない。
飯も食わせなければならないし、睡眠も摂らなければならない。
適度な運動、気分転換、集中するためのトレーニング、リラックスなど、贅沢なメンテも必要だな。
一番やっかいな代物だ。
そして、マン・マシンシステムである飛行機やダイビングが成立する。
いや、絶対、AIが取って代わるだろう。
浮力コントロールに苦労するなんて楽しみ(?)は、今のうちじゃないとできないだろうな。
トランスミッターで残圧を管理し、ダイコンの指示通りに潜る。
もちろん、フィンで漕ぐなどという野蛮な(!)ことはしない。
DPVに頼って潜る。
器材は水中(水面)で脱着し、重さを感じることはない。
ああ、だんだんジジババダイビングの話になってきてしまった。
それが、一番楽しいダイビングだろう。
浮沈子は、それでいいような気がしてきた。
テクニカルダイビングの勉強は続けようと思っているけど、自分が消化できる範囲でいい。
テック40も、まだ、未消化の状況だ。
少しずつ、マイペースで臨んでいきたい。
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