物狂おしい夜 ― 2017年02月18日 03:20
物狂おしい夜
このブログのタイトルにもなっている徒然草の書き出し。
(徒然草 序段 つれづれなるまゝに 、)
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure000.htm
「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
2日間ほど体調を崩して、ネットを徘徊したり、ネタを見つけてはブログで噛みついたりしていると、吉田さん(兼好法師)の気持ちが痛いほどわかるな。
(吉田兼好)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%85%BC%E5%A5%BD
「本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)」
「卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。」
(徒然草)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
「兼好が書いたとする明確な証拠は何一つない。」
マジかよ・・・。
「執筆後約百年間は注目されなかった」
「室町中期に僧・正徹が注歌師たちに波及し、応仁の乱の時代に生きた彼らは、「無常観の文学」という観点から『徒然草』に共感をよせた。」
「清水(義範)は、人間は皆、兼好が徒然草で喝破したように、毒を吐いて「けしからん」と言うのが愉しいのだと指摘する」
深く同感だな。
今後も、マネしていこう!。
まあ、どうでもいいんですが。
ウィキには、かなり砕けた現代語訳で楽しめるページもリンクされている。
(徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳))
http://tsurezuregusa.com/
ちなみに、序段は、こうだ!。
「むらむらと発情したまま(!)一日中、硯(すずり)とにらめっこしながら、心の中を通り過ぎてゆくどうしようもないことをだらだらと書きつけているうちに、なんとなく変な気分になってしまった。」
そう来たかあ・・・。
発情、してねえなあ・・・。
まあいい(子供は、分かんなくていいです!)。
注釈には、こうある。
「つれづれ:
求道者としての兼好法師という側面から「煩悩(ぼんのう)散乱状態」であると考えることもできる。(以下略)」
ちょっと、襟を正して読んだ段がある。
(徒然草 第百五十段)
http://tsurezuregusa.com/150dan/
「これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。」
大井町のプールで、2時間座禅を組んでいた浮沈子は、何百年も前の坊主に見透かされていたことになる。
別に、芸を披露する気はないけど、そんな気持ちがなかったかと百叩きすれば、皆無とは言えない。
人と交わり恥をかき、屈辱に耐えて修行を重ねなければ、伸びることはないのだ。
水泳も、習字も、バイオリンも、三味線も、ダイビングも、習い事でものになったのは何一つない。
気位だけ高く、小器用で、修練を舐めてかかってきた結果だ。
別に、浮沈子は、それでもかまわないと思っている。
やせ我慢で言っているのではない(痩せてねーしな)。
一芸に秀でる人には分からない、器用貧乏の悲哀を味わうのも、人生の粋だ。
真っ当に、芸を磨いてきた人には、この段を読んで、ずしんと心に響くこともないだろう。
しかし、重いな・・・。
もちろん、その高みに上り詰めれば、また、異なる世界が見えるんだろうが、全ての人がそこに至るわけではない。
多くの人は、途中で挫折し、放棄し、断念し、諦め、めげて降りる・・・。
その中途半端な状態こそ、人間の本当の姿だと、浮沈子は思うのだ。
そもそも、猛特訓して上達しようとするだけ、エライと思うけどな。
見栄を張るのも、芸のうちだ。
何でも手を付けては中途半端で投げ出すのと、何もしないで斜に構えているのと、どちらがいいのかということもある。
まあ、どっちでもいいんですが。
今日は、生命の起源について、化学進化からアプローチした記事をいくつか読んだ。
(物質が生命となった瞬間)
https://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miraisekkei/html/Theme001/01_01.html
「単純な物質から複雑な物質へ化学的に進化していった末に、あるとき物質が生命という機能を獲得しました。」
まあ、ずいぶん、あっさり言ってくれるじゃないの・・・。
ハッキリ言って、21世紀初頭の人類は、その発生機序を解明してはいないのだ。
生物と無生物の間には、未だ越えがたい壁があるのに、そんなもんはどーでもいーと見ぬふりをして、さっさと地球外生命を見つけた方が手っ取り早いと思ってる連中ばかりになった。
(化学進化と生命の起源の考え方:PDFダウンロードされます)
www.naruto-u.ac.jp/repository/file/463/20161116133633/KK28008.pdf
かなり雑駁な感じだが、広範な観点から化学進化と生命の起源を捉えている。
結局、化学進化と生命の誕生の間をつないでいるはずの、ミッシングリンクは、まだ見つかっていない。
タンパク質や、アミノ酸、核酸、脂肪、糖質など、生命をどれだけ切り刻んでいっても、どこかに生命の種のようなものがあるわけではなく(そもそも、種は生命ですが)、それらの物質が整然と化学反応を進行させ、調和を保ち運行しているだけなのだ。
じゃあ、演繹的に、化学合成可能な部品を寄せ集めてグツグツしたり、バチバチさせれば生物になるかといえばそんなことはなく、合成DNAを使って既存の生物のDNAを置き換えることくらいしかできていない。
それはそれで、驚くべきことかもしれないけれど、遺伝子の改変を掛け合わせで行ったメンデルの延長線上にあるだけのような気がするな(そうなのかあ?)。
つまり、人類の知性は、生命がどのようにして誕生したのかという、核心の部分に光を当てることが出来ないでいる。
まるでブラックホールの周りをぐるぐる回っているような感じだ。
まあ、ブラックホールに光を当てても、吸い込まれちまって出てこられないけどな。
最近では、高温高圧環境で化学進化が加速して複雑系が生まれたことになっていて、そこは都合よく省略して、似たような環境がある他の天体に探査機送って調べてみようという話まで出てくる始末だ。
そこで生命が見つかれば、やっぱそうじゃんということで、演繹過程が解明されなくても、帰納的に納得しようとしているようにも見える。
ちゃんと無生物から生物を合成して、これこれこういうわけだから、生命は化学進化の結果として生まれたんだよ、ほれっ、ってやって欲しいんだがな。
地球はどうも46億年とかその位前に出来て、35億年くらい前には生命がいたことが分かっているらしいから、差し引き11億年くらいグツグツ、バチバチやっていれば、きっと生命が誕生することを証明できるかもしれない。
そして、人類は、決して化学進化のプロセスを解明できずに、その文明を閉じることになる(たぶん)。
さらに、他の天体(直接調べられるのは太陽系内だけ)で、生命の痕跡を見つけられずに終わることになる(たぶん)。
また、有り難いことに、他の天体(今度は、別の恒星系)に生命の痕跡を見つけることも出来ず仕舞いになる(たぶん)。
それでも、われわれは孤独ではない(We are not alone.)と信じて、探求や探査を続けることだろう。
系外惑星が発見されたのは、ついこの間だし、宇宙が天の川銀河の外に広がっていると明らかになってから、まだ100年も経っていない。
DNAのらせん構造が発見されてから、まだ半世紀位だしな(1953年)。
そう考えると、今後100年の間にどんな発見があるかは分からない。
物理的な時間を掛けて、生命を合成するのではなく、コンピューター内でシミュレーションすれば、11億年くらいの化学進化を再現するのはわけない(!)かも知れないしな。
最近の天文学とかは、シミュレーションなしには商売にならんからな。
宇宙の誕生からモデル化して、遥か未来までシミュレーションしようという話だからな。
生命の材料と、想定されるあらゆる環境要因を外挿して、何億年もの化学変化をシミュレーションするという話は、もう、現実になろうとしているんだろう。
(ここからは、お約束の妄想が羽ばたく・・・)
その結果、コンピューターの中には、AIなんかではない、本物の生命が宿ることになる。
もちろん、その存在は極秘とされ、誰にも知られることはない(ネットを徘徊しても、どこにもそんなもんは出ていないしな)。
人間の意識とか、脳の模倣とか、そういうチャチな話ではなく、機械の中の「本物の生命」というところが、これまでのコンセプトと異なるところだ。
分子レベルでシミュレーションされているので、必要なら生体分子を使った3Dプリンターで実在化させることも可能だ(キラリティーの問題も解決済み)。
そして、環境下における実際の進化速度を超え、驚くべき速さで進化していく。
コンピューターの中では、隕石の衝突だろうが、太陽フレアだろうが、超新星爆発によるガンマ線の直撃だろうが、大規模噴火だろうが、ありとあらゆる環境要因を外挿することが出来るし、実際には起こらなかったカタストロフさえ実装することが可能だ。
そう、進化の過程を改変することも出来る。
逆も可能で、地球史的に起きたカタストロフをパスして、恐竜のまま、絶滅させず進化させたりすることも可能だ。
何なら、火星とかで進化させて、火星人作ったりすることも可能になる。
コンピューターの中で飼っている限りは、あくまでもシミュレーションだし、VRヘルメット被って、ジュラシックパークでヴェロキラプトルに食われたって、服が赤いインクで汚れるだけで済むかもしれない。
しかし、そのシステムのメンテナンスを任されていたオペレーターが、外部のそそのかしに乗って、生体3Dプリンターと、データを持ち出そうと嵐の夜に画策するわけだな・・・。
ちょっとコーラを買いに行ってくるとか言って、席を外すわけだ。
厳重なはずのセキュリティは、まあ、どんな世界でも肝心な時には無効にされていて、犯人はまんまと機密を持ち出すことに成功する(ここが、映画とは異なるところだ)。
悪人の手に渡った機械内生命体と、生体3Dプリンターがあれば、どんな時代のどんな生物も再現することが出来る。
カエルに恐竜の遺伝子入れて増やすなんて、原始的なレベルではない。
やっぱ、VRよか、現実の世界の方がリアルだしな。
そして、あろうことか、宇宙戦争に登場するエイリアンをプリントアウトしてしまうわけだ。
もちろん、イカタコの乗り物と一緒に・・・。
人間を餌にする阿鼻叫喚の地獄絵が展開する。
映画の方では、地球上のウイルスに感染して、駆除されることになっているんだが、当然のことながら、妄想の世界では、ちゃんとウイルス対策済みのキャラをプリントしてあるので、そう簡単にはいかない。
地球上にみるみる繁殖して、ショボい軍隊では手も足も出ず、Fー35だろうが何だろうが、歯が立たないわけだ。
人類は、アホなオペレーターのせいで、絶滅の危機に瀕する。
だから、AIに任せなくちゃダメだって言ったのに・・・。
と、そこに巨大な隕石が降ってくるわけだな。
直径10キロ、とてつもなくデカい。
そして、繁栄していた人類や、それを餌にしていたエイリアンもろとも、地上は壊滅し、文明も滅び去り、地表にはイリジウムの薄い層が全世界に降り積もることになる・・・。
6600万年の時が流れ、地球には新たな生命が蔓延り、文明を花開かせ、繁栄を享受している。
新たな地球の支配者は、当然、サルだ。
猿の惑星。
チンパンジーは、お約束の科学者になり、ある時、禁断の地でプログラムと生体3Dプリンターを見つけるのだ。
まあ、サルだからな。
弄ってるうちに、使い方を身に着け、早速進化をシミュレーションする。
そして、あろうことか、人間を作り出してプリントアウトしてしまうわけだ。
サルだからな。
ちょっと、やっぱ足りないわけだ。
自然に進化した存在の限界。
真の進化は、シミュレーションの中で行われるわけだ。
最早、生命は、生体3Dプリンターから出力される存在となり、その未来はシミュレーションプログラムが握っている。
えっ?、生体3Dプリンターなんて、見たことないってえ?。
そんなはずはない。
2001年宇宙の旅にも出てくるじゃん。
ほら、あの、黒い四角いやつだよ・・・。
このブログのタイトルにもなっている徒然草の書き出し。
(徒然草 序段 つれづれなるまゝに 、)
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure000.htm
「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
2日間ほど体調を崩して、ネットを徘徊したり、ネタを見つけてはブログで噛みついたりしていると、吉田さん(兼好法師)の気持ちが痛いほどわかるな。
(吉田兼好)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%85%BC%E5%A5%BD
「本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)」
「卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。」
(徒然草)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
「兼好が書いたとする明確な証拠は何一つない。」
マジかよ・・・。
「執筆後約百年間は注目されなかった」
「室町中期に僧・正徹が注歌師たちに波及し、応仁の乱の時代に生きた彼らは、「無常観の文学」という観点から『徒然草』に共感をよせた。」
「清水(義範)は、人間は皆、兼好が徒然草で喝破したように、毒を吐いて「けしからん」と言うのが愉しいのだと指摘する」
深く同感だな。
今後も、マネしていこう!。
まあ、どうでもいいんですが。
ウィキには、かなり砕けた現代語訳で楽しめるページもリンクされている。
(徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳))
http://tsurezuregusa.com/
ちなみに、序段は、こうだ!。
「むらむらと発情したまま(!)一日中、硯(すずり)とにらめっこしながら、心の中を通り過ぎてゆくどうしようもないことをだらだらと書きつけているうちに、なんとなく変な気分になってしまった。」
そう来たかあ・・・。
発情、してねえなあ・・・。
まあいい(子供は、分かんなくていいです!)。
注釈には、こうある。
「つれづれ:
求道者としての兼好法師という側面から「煩悩(ぼんのう)散乱状態」であると考えることもできる。(以下略)」
ちょっと、襟を正して読んだ段がある。
(徒然草 第百五十段)
http://tsurezuregusa.com/150dan/
「これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。」
大井町のプールで、2時間座禅を組んでいた浮沈子は、何百年も前の坊主に見透かされていたことになる。
別に、芸を披露する気はないけど、そんな気持ちがなかったかと百叩きすれば、皆無とは言えない。
人と交わり恥をかき、屈辱に耐えて修行を重ねなければ、伸びることはないのだ。
水泳も、習字も、バイオリンも、三味線も、ダイビングも、習い事でものになったのは何一つない。
気位だけ高く、小器用で、修練を舐めてかかってきた結果だ。
別に、浮沈子は、それでもかまわないと思っている。
やせ我慢で言っているのではない(痩せてねーしな)。
一芸に秀でる人には分からない、器用貧乏の悲哀を味わうのも、人生の粋だ。
真っ当に、芸を磨いてきた人には、この段を読んで、ずしんと心に響くこともないだろう。
しかし、重いな・・・。
もちろん、その高みに上り詰めれば、また、異なる世界が見えるんだろうが、全ての人がそこに至るわけではない。
多くの人は、途中で挫折し、放棄し、断念し、諦め、めげて降りる・・・。
その中途半端な状態こそ、人間の本当の姿だと、浮沈子は思うのだ。
そもそも、猛特訓して上達しようとするだけ、エライと思うけどな。
見栄を張るのも、芸のうちだ。
何でも手を付けては中途半端で投げ出すのと、何もしないで斜に構えているのと、どちらがいいのかということもある。
まあ、どっちでもいいんですが。
今日は、生命の起源について、化学進化からアプローチした記事をいくつか読んだ。
(物質が生命となった瞬間)
https://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miraisekkei/html/Theme001/01_01.html
「単純な物質から複雑な物質へ化学的に進化していった末に、あるとき物質が生命という機能を獲得しました。」
まあ、ずいぶん、あっさり言ってくれるじゃないの・・・。
ハッキリ言って、21世紀初頭の人類は、その発生機序を解明してはいないのだ。
生物と無生物の間には、未だ越えがたい壁があるのに、そんなもんはどーでもいーと見ぬふりをして、さっさと地球外生命を見つけた方が手っ取り早いと思ってる連中ばかりになった。
(化学進化と生命の起源の考え方:PDFダウンロードされます)
www.naruto-u.ac.jp/repository/file/463/20161116133633/KK28008.pdf
かなり雑駁な感じだが、広範な観点から化学進化と生命の起源を捉えている。
結局、化学進化と生命の誕生の間をつないでいるはずの、ミッシングリンクは、まだ見つかっていない。
タンパク質や、アミノ酸、核酸、脂肪、糖質など、生命をどれだけ切り刻んでいっても、どこかに生命の種のようなものがあるわけではなく(そもそも、種は生命ですが)、それらの物質が整然と化学反応を進行させ、調和を保ち運行しているだけなのだ。
じゃあ、演繹的に、化学合成可能な部品を寄せ集めてグツグツしたり、バチバチさせれば生物になるかといえばそんなことはなく、合成DNAを使って既存の生物のDNAを置き換えることくらいしかできていない。
それはそれで、驚くべきことかもしれないけれど、遺伝子の改変を掛け合わせで行ったメンデルの延長線上にあるだけのような気がするな(そうなのかあ?)。
つまり、人類の知性は、生命がどのようにして誕生したのかという、核心の部分に光を当てることが出来ないでいる。
まるでブラックホールの周りをぐるぐる回っているような感じだ。
まあ、ブラックホールに光を当てても、吸い込まれちまって出てこられないけどな。
最近では、高温高圧環境で化学進化が加速して複雑系が生まれたことになっていて、そこは都合よく省略して、似たような環境がある他の天体に探査機送って調べてみようという話まで出てくる始末だ。
そこで生命が見つかれば、やっぱそうじゃんということで、演繹過程が解明されなくても、帰納的に納得しようとしているようにも見える。
ちゃんと無生物から生物を合成して、これこれこういうわけだから、生命は化学進化の結果として生まれたんだよ、ほれっ、ってやって欲しいんだがな。
地球はどうも46億年とかその位前に出来て、35億年くらい前には生命がいたことが分かっているらしいから、差し引き11億年くらいグツグツ、バチバチやっていれば、きっと生命が誕生することを証明できるかもしれない。
そして、人類は、決して化学進化のプロセスを解明できずに、その文明を閉じることになる(たぶん)。
さらに、他の天体(直接調べられるのは太陽系内だけ)で、生命の痕跡を見つけられずに終わることになる(たぶん)。
また、有り難いことに、他の天体(今度は、別の恒星系)に生命の痕跡を見つけることも出来ず仕舞いになる(たぶん)。
それでも、われわれは孤独ではない(We are not alone.)と信じて、探求や探査を続けることだろう。
系外惑星が発見されたのは、ついこの間だし、宇宙が天の川銀河の外に広がっていると明らかになってから、まだ100年も経っていない。
DNAのらせん構造が発見されてから、まだ半世紀位だしな(1953年)。
そう考えると、今後100年の間にどんな発見があるかは分からない。
物理的な時間を掛けて、生命を合成するのではなく、コンピューター内でシミュレーションすれば、11億年くらいの化学進化を再現するのはわけない(!)かも知れないしな。
最近の天文学とかは、シミュレーションなしには商売にならんからな。
宇宙の誕生からモデル化して、遥か未来までシミュレーションしようという話だからな。
生命の材料と、想定されるあらゆる環境要因を外挿して、何億年もの化学変化をシミュレーションするという話は、もう、現実になろうとしているんだろう。
(ここからは、お約束の妄想が羽ばたく・・・)
その結果、コンピューターの中には、AIなんかではない、本物の生命が宿ることになる。
もちろん、その存在は極秘とされ、誰にも知られることはない(ネットを徘徊しても、どこにもそんなもんは出ていないしな)。
人間の意識とか、脳の模倣とか、そういうチャチな話ではなく、機械の中の「本物の生命」というところが、これまでのコンセプトと異なるところだ。
分子レベルでシミュレーションされているので、必要なら生体分子を使った3Dプリンターで実在化させることも可能だ(キラリティーの問題も解決済み)。
そして、環境下における実際の進化速度を超え、驚くべき速さで進化していく。
コンピューターの中では、隕石の衝突だろうが、太陽フレアだろうが、超新星爆発によるガンマ線の直撃だろうが、大規模噴火だろうが、ありとあらゆる環境要因を外挿することが出来るし、実際には起こらなかったカタストロフさえ実装することが可能だ。
そう、進化の過程を改変することも出来る。
逆も可能で、地球史的に起きたカタストロフをパスして、恐竜のまま、絶滅させず進化させたりすることも可能だ。
何なら、火星とかで進化させて、火星人作ったりすることも可能になる。
コンピューターの中で飼っている限りは、あくまでもシミュレーションだし、VRヘルメット被って、ジュラシックパークでヴェロキラプトルに食われたって、服が赤いインクで汚れるだけで済むかもしれない。
しかし、そのシステムのメンテナンスを任されていたオペレーターが、外部のそそのかしに乗って、生体3Dプリンターと、データを持ち出そうと嵐の夜に画策するわけだな・・・。
ちょっとコーラを買いに行ってくるとか言って、席を外すわけだ。
厳重なはずのセキュリティは、まあ、どんな世界でも肝心な時には無効にされていて、犯人はまんまと機密を持ち出すことに成功する(ここが、映画とは異なるところだ)。
悪人の手に渡った機械内生命体と、生体3Dプリンターがあれば、どんな時代のどんな生物も再現することが出来る。
カエルに恐竜の遺伝子入れて増やすなんて、原始的なレベルではない。
やっぱ、VRよか、現実の世界の方がリアルだしな。
そして、あろうことか、宇宙戦争に登場するエイリアンをプリントアウトしてしまうわけだ。
もちろん、イカタコの乗り物と一緒に・・・。
人間を餌にする阿鼻叫喚の地獄絵が展開する。
映画の方では、地球上のウイルスに感染して、駆除されることになっているんだが、当然のことながら、妄想の世界では、ちゃんとウイルス対策済みのキャラをプリントしてあるので、そう簡単にはいかない。
地球上にみるみる繁殖して、ショボい軍隊では手も足も出ず、Fー35だろうが何だろうが、歯が立たないわけだ。
人類は、アホなオペレーターのせいで、絶滅の危機に瀕する。
だから、AIに任せなくちゃダメだって言ったのに・・・。
と、そこに巨大な隕石が降ってくるわけだな。
直径10キロ、とてつもなくデカい。
そして、繁栄していた人類や、それを餌にしていたエイリアンもろとも、地上は壊滅し、文明も滅び去り、地表にはイリジウムの薄い層が全世界に降り積もることになる・・・。
6600万年の時が流れ、地球には新たな生命が蔓延り、文明を花開かせ、繁栄を享受している。
新たな地球の支配者は、当然、サルだ。
猿の惑星。
チンパンジーは、お約束の科学者になり、ある時、禁断の地でプログラムと生体3Dプリンターを見つけるのだ。
まあ、サルだからな。
弄ってるうちに、使い方を身に着け、早速進化をシミュレーションする。
そして、あろうことか、人間を作り出してプリントアウトしてしまうわけだ。
サルだからな。
ちょっと、やっぱ足りないわけだ。
自然に進化した存在の限界。
真の進化は、シミュレーションの中で行われるわけだ。
最早、生命は、生体3Dプリンターから出力される存在となり、その未来はシミュレーションプログラムが握っている。
えっ?、生体3Dプリンターなんて、見たことないってえ?。
そんなはずはない。
2001年宇宙の旅にも出てくるじゃん。
ほら、あの、黒い四角いやつだよ・・・。
久々の打ち上げ ― 2017年02月18日 20:04
久々の打ち上げ
今日は、久しぶりのファルコン9の打ち上げだ。
わくわくする。
もちろん、成功を期待している。
決して、ドハデなイベントを待ち望むような、不埒な考えはない。
1段目の回収については、今回は、陸上への回収を予定している。
(CRS-10 MISSION)
http://www.spacex.com/webcast
「Following stage separation, the first stage of Falcon 9 will attempt to land at SpaceX's Landing Zone 1 (LZ-1) at Cape Canaveral Air Force Station, Florida.」
打ち上げ的に難しい要素は何もない。
軽いペイロード、低い軌道、少ない燃料、エトセエトセ。
楽勝だろう。
新しい要素があるとすれば、発射台位のものだ。
改修後、初めての使用になる。
ロケットの打ち上げについては、地上施設は重要だからな。
ローンチコンプレックス39Aは、米国にとっては由緒ある発射台だ。
アポロが上がり、スペースシャトルが上がった発射台。
米国の威信、象徴、空威張りではない、有無を言わせぬ実力の根源。
全ては、そこから始まり、続いている。
「The CRS-10 mission will be SpaceX's first launch from historic LC-39A at Kennedy Space Center.」
スペースXは、そしてイーロンマスクは、今回の打ち上げの意義をよく理解している。
特別な打ち上げなのだ。
人は、テクノロジーだけに生きるものにあらず。
まあ、火星に有人ロケット飛ばそうというのだから、彼らにとっては通過点の一つに過ぎない。
今回の打ち上げは、そういう、いわば、情緒的な部分での味わいになる。
それ以外は、いつか来た道に過ぎない。
ドハデなイベントは、起きないだろう。
たぶん。
きっと。
機体的にも、チャレンジングな要素はない。
打ち上げの度に完成度を増していくファルコン9の、ごくごくふつーの打ち上げになる。
陸上への回収は、たぶん、3回目くらいだろうけど、その成功を疑う要素は何もない。
楽勝間違いなし。
見世物的要素も、徐々になくなってきたわけだ。
喜ばしい話である。
いや、ホントに。
ホントなら、エコースター23の打ち上げが先だったんだろうが、NASAのごり押しで(?)、39Aの初打ち上げはCRS-10になった。
その先には、回収した1段目を使った再使用ロケットによる打ち上げが予定されている。
コスト削減が、ただの与太話なのか、それとも宇宙へのアクセスが激変するのか。
その成功と評価は、スペースXにとって、試金石となるわけだ。
そんな、本当の歴史的な打ち上げを前にして、今回はルーチンワークをこなすだけの、実に、つまらん打ち上げになる。
宇宙開発において、そのことは、何より重要だ。
失敗を織り込む挑戦的な運用、リスクの評価、開発の管理、必要な資源の投入、撤退、断念、再挑戦・・・。
我々が、宇宙開発の物語に惹かれるのは、そこに、人間の本能ともいうべきチャレンジ魂を見るからに他ならない。
自らの体験に引き寄せて、そこから元気をもらうことが出来るから。
そして、やがて、数々の失敗を乗り越えて、しっかりとした足場を築く。
盤石の、安定した打ち上げ。
コントロールされたリスク。
予測可能なトラブルと、その対策。
練り上げられた最適化と、最新の技術の継続的な取り込み。
スタッフの持続性の確保や、知識、技能のブラッシュアップ。
そして、更なる開発への挑戦。
それは、SLSのような巨大ロケットであれ、我が国の電柱ロケットであれ、同じことだ。
今回の打ち上げは、ファルコン9にとっては、踊り場のようなものだ。
求められるのは、安定した打ち上げであり、鬼面人を驚かす最先端のテクノロジーではない。
2日後には、ISSにドッキングして、1か月後に、太平洋に着水して回収される。
ミッションとしては、長丁場になるが、新しい要素は何もない。
怪しげなウイルスをISSに持ち込むなど、ネタになりそうな話はあるが、まあ、どうということはないだろう。
ミッションパッチを見ても、10回目なのに、星の数が3個しかないとか、そんなことしか突っ込みようがない(8回目までは、ずーっと数を合わせてたんだがな)。
CRS-7で、空中爆発したので、8回目の時には、星の1つが暗かったりと、芸が細かかった。
9回目は、14個も撒き散らして、そのこだわりを断ち切っている。
回収地点(?)を示す黄色いマーク、四葉のクローバーも、定番になった。
あと、4時間で打ち上げになる。
天気さえ良ければ。
なんか、上段でリークがあったという話もある。
(Investigating a (very small) leak in the upper stage.)
https://twitter.com/elonmusk/status/832647116816150530?ref_src=twsrc%5Etfw
「If ok, will launch tomorrow.」
ちょっと、期待(何を?)してもいいかな・・・。
今日は、久しぶりのファルコン9の打ち上げだ。
わくわくする。
もちろん、成功を期待している。
決して、ドハデなイベントを待ち望むような、不埒な考えはない。
1段目の回収については、今回は、陸上への回収を予定している。
(CRS-10 MISSION)
http://www.spacex.com/webcast
「Following stage separation, the first stage of Falcon 9 will attempt to land at SpaceX's Landing Zone 1 (LZ-1) at Cape Canaveral Air Force Station, Florida.」
打ち上げ的に難しい要素は何もない。
軽いペイロード、低い軌道、少ない燃料、エトセエトセ。
楽勝だろう。
新しい要素があるとすれば、発射台位のものだ。
改修後、初めての使用になる。
ロケットの打ち上げについては、地上施設は重要だからな。
ローンチコンプレックス39Aは、米国にとっては由緒ある発射台だ。
アポロが上がり、スペースシャトルが上がった発射台。
米国の威信、象徴、空威張りではない、有無を言わせぬ実力の根源。
全ては、そこから始まり、続いている。
「The CRS-10 mission will be SpaceX's first launch from historic LC-39A at Kennedy Space Center.」
スペースXは、そしてイーロンマスクは、今回の打ち上げの意義をよく理解している。
特別な打ち上げなのだ。
人は、テクノロジーだけに生きるものにあらず。
まあ、火星に有人ロケット飛ばそうというのだから、彼らにとっては通過点の一つに過ぎない。
今回の打ち上げは、そういう、いわば、情緒的な部分での味わいになる。
それ以外は、いつか来た道に過ぎない。
ドハデなイベントは、起きないだろう。
たぶん。
きっと。
機体的にも、チャレンジングな要素はない。
打ち上げの度に完成度を増していくファルコン9の、ごくごくふつーの打ち上げになる。
陸上への回収は、たぶん、3回目くらいだろうけど、その成功を疑う要素は何もない。
楽勝間違いなし。
見世物的要素も、徐々になくなってきたわけだ。
喜ばしい話である。
いや、ホントに。
ホントなら、エコースター23の打ち上げが先だったんだろうが、NASAのごり押しで(?)、39Aの初打ち上げはCRS-10になった。
その先には、回収した1段目を使った再使用ロケットによる打ち上げが予定されている。
コスト削減が、ただの与太話なのか、それとも宇宙へのアクセスが激変するのか。
その成功と評価は、スペースXにとって、試金石となるわけだ。
そんな、本当の歴史的な打ち上げを前にして、今回はルーチンワークをこなすだけの、実に、つまらん打ち上げになる。
宇宙開発において、そのことは、何より重要だ。
失敗を織り込む挑戦的な運用、リスクの評価、開発の管理、必要な資源の投入、撤退、断念、再挑戦・・・。
我々が、宇宙開発の物語に惹かれるのは、そこに、人間の本能ともいうべきチャレンジ魂を見るからに他ならない。
自らの体験に引き寄せて、そこから元気をもらうことが出来るから。
そして、やがて、数々の失敗を乗り越えて、しっかりとした足場を築く。
盤石の、安定した打ち上げ。
コントロールされたリスク。
予測可能なトラブルと、その対策。
練り上げられた最適化と、最新の技術の継続的な取り込み。
スタッフの持続性の確保や、知識、技能のブラッシュアップ。
そして、更なる開発への挑戦。
それは、SLSのような巨大ロケットであれ、我が国の電柱ロケットであれ、同じことだ。
今回の打ち上げは、ファルコン9にとっては、踊り場のようなものだ。
求められるのは、安定した打ち上げであり、鬼面人を驚かす最先端のテクノロジーではない。
2日後には、ISSにドッキングして、1か月後に、太平洋に着水して回収される。
ミッションとしては、長丁場になるが、新しい要素は何もない。
怪しげなウイルスをISSに持ち込むなど、ネタになりそうな話はあるが、まあ、どうということはないだろう。
ミッションパッチを見ても、10回目なのに、星の数が3個しかないとか、そんなことしか突っ込みようがない(8回目までは、ずーっと数を合わせてたんだがな)。
CRS-7で、空中爆発したので、8回目の時には、星の1つが暗かったりと、芸が細かかった。
9回目は、14個も撒き散らして、そのこだわりを断ち切っている。
回収地点(?)を示す黄色いマーク、四葉のクローバーも、定番になった。
あと、4時間で打ち上げになる。
天気さえ良ければ。
なんか、上段でリークがあったという話もある。
(Investigating a (very small) leak in the upper stage.)
https://twitter.com/elonmusk/status/832647116816150530?ref_src=twsrc%5Etfw
「If ok, will launch tomorrow.」
ちょっと、期待(何を?)してもいいかな・・・。
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