原発ゼロ ― 2017年02月19日 22:33
原発ゼロ
国内の原発をゼロにしようという政策目標を掲げている人々がいる。
浮沈子は、別に、どこに作ってもいいと思っているので、どーしても国内に作らなければならないとは思わない。
不安定な地盤、多発する地震、押し寄せる津波、狭い国土を考えれば、無理して作らなくてもいい。
エネルギーの確保と、二酸化炭素の排出については、そのうち何らかの形で落とし前を付けることになるが、その解決策が原発だけというわけではない。
事故が起これば、大変な思いをすることになるし、なければないで、電気が賄えてしまうことは証明された。
なんだ。
出来るんじゃん。
電気料金が多少上がるかもしれないけど、未来永劫続く核廃棄物の管理コストを考えれば、安いものだ。
それは、未来の人々の負担になるわけだから、現世利益を考えれば原発を動かし続けるのがいいのかも知れない。
山のような核廃棄物を、将来の資源だと言い張るために、もんじゅなき後も核燃料サイクル政策は継続される。
それはもう、国家的詐欺に等しい。
うそにウソを重ねて、そのうち、本当にそれが嘘だということも分からなくなる。
原子力の平和利用は、少なくとも発電については間違ってましたという、避けようのない事実を突きつけられても、やっぱ、未練は残るんだろう。
うまくやってたのに・・・。
浮沈子は、技術に対する無定見な信仰のようなものがあるから、人類の核エネルギーの利用については、原則として肯定的だ。
爆弾作ろうが、原発作ろうが、ラジオアイソトープを利用しようが、それは選択の問題だと思っている。
そもそも、電気を使おうなどという選択をした時から、何かが狂い始めている。
まあいい。
そう決めちまったんだからな。
今更、止めるわけにもいかないだろう。
有り余る石油を燃やしていた自動車まで、最近は電気で走りたがる。
日産ノートは、ヘンタイだけど。
どうやって電気を得るかというのも、選択の問題だ。
ひとたび事故を起こせば、長期に渡って影響が出ること、また、その廃棄物が始末に負えないことを考えれば、原発は、もうたくさんだという気分にもなる。
東芝のこともあるしな。
限られた市場にひしめく原発産業は、そろそろ引き際を考え始めている。
国民の選択は、現状、一定の割合で原発を残そうということになっている。
別に、国内の電力が賄えないわけではないんだから、無理して残しておくことはない。
石油(天然ガス含む)一辺倒のエネルギー政策に自信が持てないから、より不安定ではあっても、多様なエネルギー源を持ちたいだけだ。
今後、国内のエネルギー需要が増える見込みはない。
市場がクランチしていく我が国で、無理して原発を抱えていく必要はない。
失敗しました、ごめんなさいで、整理してしまうのも、一つの選択ではある。
世界中の、より原発立地に相応しい土地に、バンバン原発建てて、ますます需要がなくなってくる石油を輸入してエネルギーを賄う。
火力発電での二酸化炭素の排出については、いろいろ対策があるだろう。
当面は、それで賄えばいい。
核融合発電とかがものになれば、また、考えればいいのだ。
そうやって、21世紀を凌げば、22世紀には、世界の人口が減少を始め、人類全体でのエネルギー需要が頭打ちになる。
その時に、どんな選択肢があるかは、今は分からない。
2030年とか、いや、2030年代だとか、些末な話はこの際どーでもいー。
国策として維持したくても、出来なくなる時が来る。
先々を考えれば、核分裂反応に依存するエネルギー体系は、どのみち、一時的なものになる。
潜水艦とか、空母とか、限られた移動体の動力源としては残るだろうが、民生市場からは撤退を余儀なくされるだろう。
そして、石油をめぐる紛争は絶えることはない。
地球温暖化も止まらないだろう。
まあ、太陽活動が変化して、太陽磁気圏が弱まり、銀河宇宙線がバンバン降り注ぎ、雲の発生が増えて日照が減って寒冷化が進めば、相殺されるかもな。
もっと、石油掘って、温暖化ガスを出さなくっちゃ・・・。
(原発ゼロ前倒し、民進紛糾 問われる蓮舫代表の指導力)
http://www.asahi.com/articles/ASK2J4WK1K2JUTFK00F.html
100年後の人類は、この記事読んで、ピンとくるんだろうか?。
国内の原発をゼロにしようという政策目標を掲げている人々がいる。
浮沈子は、別に、どこに作ってもいいと思っているので、どーしても国内に作らなければならないとは思わない。
不安定な地盤、多発する地震、押し寄せる津波、狭い国土を考えれば、無理して作らなくてもいい。
エネルギーの確保と、二酸化炭素の排出については、そのうち何らかの形で落とし前を付けることになるが、その解決策が原発だけというわけではない。
事故が起これば、大変な思いをすることになるし、なければないで、電気が賄えてしまうことは証明された。
なんだ。
出来るんじゃん。
電気料金が多少上がるかもしれないけど、未来永劫続く核廃棄物の管理コストを考えれば、安いものだ。
それは、未来の人々の負担になるわけだから、現世利益を考えれば原発を動かし続けるのがいいのかも知れない。
山のような核廃棄物を、将来の資源だと言い張るために、もんじゅなき後も核燃料サイクル政策は継続される。
それはもう、国家的詐欺に等しい。
うそにウソを重ねて、そのうち、本当にそれが嘘だということも分からなくなる。
原子力の平和利用は、少なくとも発電については間違ってましたという、避けようのない事実を突きつけられても、やっぱ、未練は残るんだろう。
うまくやってたのに・・・。
浮沈子は、技術に対する無定見な信仰のようなものがあるから、人類の核エネルギーの利用については、原則として肯定的だ。
爆弾作ろうが、原発作ろうが、ラジオアイソトープを利用しようが、それは選択の問題だと思っている。
そもそも、電気を使おうなどという選択をした時から、何かが狂い始めている。
まあいい。
そう決めちまったんだからな。
今更、止めるわけにもいかないだろう。
有り余る石油を燃やしていた自動車まで、最近は電気で走りたがる。
日産ノートは、ヘンタイだけど。
どうやって電気を得るかというのも、選択の問題だ。
ひとたび事故を起こせば、長期に渡って影響が出ること、また、その廃棄物が始末に負えないことを考えれば、原発は、もうたくさんだという気分にもなる。
東芝のこともあるしな。
限られた市場にひしめく原発産業は、そろそろ引き際を考え始めている。
国民の選択は、現状、一定の割合で原発を残そうということになっている。
別に、国内の電力が賄えないわけではないんだから、無理して残しておくことはない。
石油(天然ガス含む)一辺倒のエネルギー政策に自信が持てないから、より不安定ではあっても、多様なエネルギー源を持ちたいだけだ。
今後、国内のエネルギー需要が増える見込みはない。
市場がクランチしていく我が国で、無理して原発を抱えていく必要はない。
失敗しました、ごめんなさいで、整理してしまうのも、一つの選択ではある。
世界中の、より原発立地に相応しい土地に、バンバン原発建てて、ますます需要がなくなってくる石油を輸入してエネルギーを賄う。
火力発電での二酸化炭素の排出については、いろいろ対策があるだろう。
当面は、それで賄えばいい。
核融合発電とかがものになれば、また、考えればいいのだ。
そうやって、21世紀を凌げば、22世紀には、世界の人口が減少を始め、人類全体でのエネルギー需要が頭打ちになる。
その時に、どんな選択肢があるかは、今は分からない。
2030年とか、いや、2030年代だとか、些末な話はこの際どーでもいー。
国策として維持したくても、出来なくなる時が来る。
先々を考えれば、核分裂反応に依存するエネルギー体系は、どのみち、一時的なものになる。
潜水艦とか、空母とか、限られた移動体の動力源としては残るだろうが、民生市場からは撤退を余儀なくされるだろう。
そして、石油をめぐる紛争は絶えることはない。
地球温暖化も止まらないだろう。
まあ、太陽活動が変化して、太陽磁気圏が弱まり、銀河宇宙線がバンバン降り注ぎ、雲の発生が増えて日照が減って寒冷化が進めば、相殺されるかもな。
もっと、石油掘って、温暖化ガスを出さなくっちゃ・・・。
(原発ゼロ前倒し、民進紛糾 問われる蓮舫代表の指導力)
http://www.asahi.com/articles/ASK2J4WK1K2JUTFK00F.html
100年後の人類は、この記事読んで、ピンとくるんだろうか?。
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