太陽系中心主義 ― 2017年03月27日 20:02
太陽系中心主義
記事中に登場するこの言葉に痺れる。
(地球の「きょうだい」に「生命発見」の現場を見に行く方法)
https://dot.asahi.com/aera/2017032300061.html
「惑星といえば地球を含む太陽系とそっくりのはずという中心主義は崩れた。」
「シナリオから外れた太陽系外惑星がどんどん見つかった。ひとつの恒星の惑星たちはひとつの円盤の上を同じ方向に回るはずだ。しかし、発見された惑星は、互いに垂直の軌道で回る星、逆方向に回る星、恒星に張り付くように回る巨大なガス惑星、まるで彗星のようにひしゃげた長い軌道を取る星など雑多」
この記事には、地球外生命の発見は時間の問題という、例の話も出てくる。
まあ、100億年くらい経てば、可能かもな。
地球に似た惑星系だから、生命がいると考えること自体が、太陽系中心主義なのではないのか。
地球外生命がいるかどうかを問われれば、分からないというのが正しい答えだ。
存在しない証明は極めて困難、かつ不可能に近いので、「可能性としてはいる」と答えるのが無難だ。
「NASAの科学担当副責任者のトーマス・ズールブッヒェン氏は、「もう、生命があるかどうかではなく、いつ見つかるかという問題だ」と、会見で言い切った。」
業界の人だからな。
あなたの商売は、儲かるんでしょうかと聞かれて、ぼちぼちでんな、と答えるようなもので、あまり意味はない。
立場上、そんな期待は持たない方がいいとは言えないしな。
「「生命発見」の現場に立ち会えないだろうか?」
「3桁の単位で速度を上げなければ、とても無理だ。」
「ブレークスルー・スターショット計画をあのスティーブン・ホーキング博士らが発表した。残念ながら、その技術は未開発だ。」
健全な感覚の科学記者がいて、なんかホッとする。
「観測で液体の水、水蒸気、あるいは生命の兆候を示す酸素やオゾン、メタンなどの証拠が見つかれば、ますます面白くなるだろう。」
しかし、それって、確実な証拠にはならない。
太陽系の中の、地球に最も近い惑星の一つである火星でさえ、サンプルリターン出来るのは、早くても2030年代になるだろう。
ましてや、それ以遠の惑星や衛星については何とも言えない。
今世紀中に出来るかどうか。
系外惑星においては、ほぼ確実に不可能と言っていい。
エウロパや、エンケラドゥスに存在しなければ、確認する術はない。
宇宙望遠鏡で大気組成や、その変化を観測しても、生命の存在を証明することにはならないからな。
惑星自体が生命体だとか、与太を飛ばさない限り、生きているうちに地球外生命の存在にお目にかかることはない。
少なくとも、向こうからやってこない限りは。
太陽系中心主義というのは、惑星科学の話だが、我々の存在が現にそこにあるんだから、まあ、仕方がないと言えば仕方ない話だ。
太陽系の惑星系が、どうやって出来たかについても諸説が入り乱れてるようだしな。
多様な惑星系の存在が明らかになって、益々賑やかになるだろう。
そして、生命という、一風変わった化学反応系が、この宇宙で普遍的存在なのか、そうでないのかについても、新たな知見がもたらされるかも知れない。
少なくとも、今のところ、一部の業界人を除いて、地球外生命が存在すると本気で考えている人はいない。
ああ、もちろん、宇宙人は別物だからな。
あれは、人間がこさえたもんだ。
宇宙人は、地球文化圏に普遍的に存在する。
テレビにも映画にも、沢山出てくるしな。
その存在を疑うことは、最早難しい状況だ。
そして、子供の頃から、そうやって洗脳されて、NASAとかの地球外生命探査のプロジェクトを支持する一般大衆とやらが形成されるわけだ。
業界の罠に、まんまとハメられている。
それは、大衆文化の罪と言えよう。
それに乗っかる業界人も、また、同罪だな。
ホントは、惑星科学の研究者は、地球外生命になんか興味ないに違いない。
しかし、大衆の関心を引き付けられるネタとしての価値は大きいのだ。
研究の継続にとって、地球外生命というのは欠かせない広告塔だ・・・。
浮沈子は、それは仕方がないと思うようになってきた。
立場が変われば、同じようなことを考えるだろうしな。
なんか、ダイビングと似たところがあるのかもしれない。
まあいい。
非日常的感覚ということでは、共通項はある。
本当の魅力は、そこにある。
しかし、それが日常になってしまえば、より一層、非日常的なものを求めたくなるのかもしれない。
ヘンタイ度がアップしていく・・・。
行きつく先は、テックか宇宙人だな。
「中心星は、太陽の光度の0.05%しか光っていないのに太陽と同じくらいの強いX線や紫外線を放射、すぐそばの惑星たちに浴びせている。厳しい環境のはずだ。」
突然変異を誘発する環境だけは整っている。
進化のスピードも驚異的だろう。
既に高度文明を築き上げて、地球に向かって艦隊が発進しているに違いない。
光速で移動する方法とかも、とっくに編み出している。
地球方向から発せられた電波を頼りに、既に無人探査は行われていただろう。
しかし、艦隊派遣には、異論も出たに違いない・・・。
この惑星は、中心星から遠く離れ、進化のスピードも遅く、生命が発生しているとしても下等なレベルに留まってるに違いない、とかなんとか。
電波なんか使ってるつまらん下等生物を見つけても、面白くはないしな。
とはいえ、既に月の裏側のラグランジュ点に艦隊を集結させて、侵略の機会を伺っているかも知れないのだ。
うーん、そうすると、生きているうちに地球外生命と遭遇する可能性もあるということになるのかあ?。
太陽系中心主義の崩壊も、楽じゃないってことか。
「もう、生命があるかどうかではなく、(我々が彼らに)いつ見つかるかという問題だ」
やれやれ・・・。
記事中に登場するこの言葉に痺れる。
(地球の「きょうだい」に「生命発見」の現場を見に行く方法)
https://dot.asahi.com/aera/2017032300061.html
「惑星といえば地球を含む太陽系とそっくりのはずという中心主義は崩れた。」
「シナリオから外れた太陽系外惑星がどんどん見つかった。ひとつの恒星の惑星たちはひとつの円盤の上を同じ方向に回るはずだ。しかし、発見された惑星は、互いに垂直の軌道で回る星、逆方向に回る星、恒星に張り付くように回る巨大なガス惑星、まるで彗星のようにひしゃげた長い軌道を取る星など雑多」
この記事には、地球外生命の発見は時間の問題という、例の話も出てくる。
まあ、100億年くらい経てば、可能かもな。
地球に似た惑星系だから、生命がいると考えること自体が、太陽系中心主義なのではないのか。
地球外生命がいるかどうかを問われれば、分からないというのが正しい答えだ。
存在しない証明は極めて困難、かつ不可能に近いので、「可能性としてはいる」と答えるのが無難だ。
「NASAの科学担当副責任者のトーマス・ズールブッヒェン氏は、「もう、生命があるかどうかではなく、いつ見つかるかという問題だ」と、会見で言い切った。」
業界の人だからな。
あなたの商売は、儲かるんでしょうかと聞かれて、ぼちぼちでんな、と答えるようなもので、あまり意味はない。
立場上、そんな期待は持たない方がいいとは言えないしな。
「「生命発見」の現場に立ち会えないだろうか?」
「3桁の単位で速度を上げなければ、とても無理だ。」
「ブレークスルー・スターショット計画をあのスティーブン・ホーキング博士らが発表した。残念ながら、その技術は未開発だ。」
健全な感覚の科学記者がいて、なんかホッとする。
「観測で液体の水、水蒸気、あるいは生命の兆候を示す酸素やオゾン、メタンなどの証拠が見つかれば、ますます面白くなるだろう。」
しかし、それって、確実な証拠にはならない。
太陽系の中の、地球に最も近い惑星の一つである火星でさえ、サンプルリターン出来るのは、早くても2030年代になるだろう。
ましてや、それ以遠の惑星や衛星については何とも言えない。
今世紀中に出来るかどうか。
系外惑星においては、ほぼ確実に不可能と言っていい。
エウロパや、エンケラドゥスに存在しなければ、確認する術はない。
宇宙望遠鏡で大気組成や、その変化を観測しても、生命の存在を証明することにはならないからな。
惑星自体が生命体だとか、与太を飛ばさない限り、生きているうちに地球外生命の存在にお目にかかることはない。
少なくとも、向こうからやってこない限りは。
太陽系中心主義というのは、惑星科学の話だが、我々の存在が現にそこにあるんだから、まあ、仕方がないと言えば仕方ない話だ。
太陽系の惑星系が、どうやって出来たかについても諸説が入り乱れてるようだしな。
多様な惑星系の存在が明らかになって、益々賑やかになるだろう。
そして、生命という、一風変わった化学反応系が、この宇宙で普遍的存在なのか、そうでないのかについても、新たな知見がもたらされるかも知れない。
少なくとも、今のところ、一部の業界人を除いて、地球外生命が存在すると本気で考えている人はいない。
ああ、もちろん、宇宙人は別物だからな。
あれは、人間がこさえたもんだ。
宇宙人は、地球文化圏に普遍的に存在する。
テレビにも映画にも、沢山出てくるしな。
その存在を疑うことは、最早難しい状況だ。
そして、子供の頃から、そうやって洗脳されて、NASAとかの地球外生命探査のプロジェクトを支持する一般大衆とやらが形成されるわけだ。
業界の罠に、まんまとハメられている。
それは、大衆文化の罪と言えよう。
それに乗っかる業界人も、また、同罪だな。
ホントは、惑星科学の研究者は、地球外生命になんか興味ないに違いない。
しかし、大衆の関心を引き付けられるネタとしての価値は大きいのだ。
研究の継続にとって、地球外生命というのは欠かせない広告塔だ・・・。
浮沈子は、それは仕方がないと思うようになってきた。
立場が変われば、同じようなことを考えるだろうしな。
なんか、ダイビングと似たところがあるのかもしれない。
まあいい。
非日常的感覚ということでは、共通項はある。
本当の魅力は、そこにある。
しかし、それが日常になってしまえば、より一層、非日常的なものを求めたくなるのかもしれない。
ヘンタイ度がアップしていく・・・。
行きつく先は、テックか宇宙人だな。
「中心星は、太陽の光度の0.05%しか光っていないのに太陽と同じくらいの強いX線や紫外線を放射、すぐそばの惑星たちに浴びせている。厳しい環境のはずだ。」
突然変異を誘発する環境だけは整っている。
進化のスピードも驚異的だろう。
既に高度文明を築き上げて、地球に向かって艦隊が発進しているに違いない。
光速で移動する方法とかも、とっくに編み出している。
地球方向から発せられた電波を頼りに、既に無人探査は行われていただろう。
しかし、艦隊派遣には、異論も出たに違いない・・・。
この惑星は、中心星から遠く離れ、進化のスピードも遅く、生命が発生しているとしても下等なレベルに留まってるに違いない、とかなんとか。
電波なんか使ってるつまらん下等生物を見つけても、面白くはないしな。
とはいえ、既に月の裏側のラグランジュ点に艦隊を集結させて、侵略の機会を伺っているかも知れないのだ。
うーん、そうすると、生きているうちに地球外生命と遭遇する可能性もあるということになるのかあ?。
太陽系中心主義の崩壊も、楽じゃないってことか。
「もう、生命があるかどうかではなく、(我々が彼らに)いつ見つかるかという問題だ」
やれやれ・・・。
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