米国が恐れたこと2017年08月13日 11:49

米国が恐れたこと


32年前の話だし、当事者の中で他界した方もいるかも知れない。

公式の調査が行われていなかったとすれば、情報公開によって、後に事実が明らかになることもない。

「<隔壁修理ミスのいきさつ、背景>
 なんといっても、この点があきらかにされていないことが、最大の問題だと思います。国を超えての交渉になると思いますが、新たな調査を是非試みてほしいです。」

「当時の国家間の事情で、残念ながら米国関係者のうち当事者の事情聴取はできませんでした。ご遺族の関心が高いことは、よく理解できますが、ご了承下さい。」

(巣鷹山墜落事故に係る航空機事故調査報告書の解説が、事故から26年目に作られ、公表されたことを受けて)
http://8-12.moo.jp/sources/document/110729_article.pdf

この中には、こんな記述もある。

「ボーイング社から五名、アメリカの国家安全運輸委員会から二名、連邦航空局から二名と連邦航空局の日本駐在官一名の計十名の調査団が来日し、八月十
四日に御巣鷹山に入った。その後、ボーイング社は、墜落から二十六日後の九月六日にニューヨークタイムズ紙上で、「ボーイング七四七型機の設計自体には問題はない。事故機は、修理ミスが原因で墜落した」と発表しました。」

「日本の事故調査委員会は、このアメリカの主張に大きく引きずられる形で、事故原因を「修理ミスによる隔壁破壊説」の決着になったといえないか。」

この件については、見方によって表現は異なる。

ウィキのリンクから、こんな記事も読んだ。

(日航機墜落30年 空の安全、課題今も:2015年の記事)
https://archive.is/20160604170317/http://mainichi.jp/articles/20150813/ddm/003/040/063000c#selection-829.0-829.18

「次席航空事故調査官として調査に携わった藤原洋さん(87)は「ボーイング社のガードが堅く、これ以上は無理だろうということで報告書を公表した」と振り返る。」

「事故機は墜落事故の7年前、大阪(伊丹)空港でしりもち事故を起こした。この時のボーイング社による修理が、指示書通りでなかったことが調査の過程で判明した。事故調は86年3月、同社に聞き取りをするため委員を米国に派遣する。」

「派遣された事故調メンバーの一人、幸尾治朗さん(91)によると、同社は「修理の担当者はもういない」と協力を拒んだ。幸尾さんらは約1週間、現地に滞在したが、同社の態度は変わらなかった。」

「幸尾さんは「日本の警察の捜査をおそれて、担当者をかくまった」と推測している。」

浮沈子は、それはあり得ると考えている。

しかし、ボーイングを始め、米国当局などが懸念したのは、当時、世界中を飛び回っていた747の安全性に疑問が生じることではなかったのか。

(米元検事初証言、捜査協力促した 日航機墜落事故)
https://web.archive.org/web/20160812162705/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016081101001667.html

「墜落につながる圧力隔壁の修理ミスを犯した機体メーカーのボーイングに対し、米司法省が日本の検察の捜査に協力するよう促していた」

個別修理のミスということになれば、その他の機体の安全性には波及しない。

B社としては、その方が都合がいいわけで、調査と捜査の違いも分からない東洋の野蛮な国からの任意調査なんて、突っぱねればどうにでもなると思ったに違いない。

実際の話、軍用輸送機を前提に設計された747は、頑丈な飛行機で、その後も機体自体の構造欠陥による墜落事故とかは聞かない。

(ボーイング747型機の機体損失事故)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0747%E5%9E%8B%E6%A9%9F%E3%81%AE%E6%A9%9F%E4%BD%93%E6%90%8D%E5%A4%B1%E4%BA%8B%E6%95%85

「日付:事故原因等
・1970年9月6日:テロによる機体爆破
・1973年7月23日:テロによる機体破壊
・1974年10月20日:航空機関士がパイロンバルブを開くのを忘れた
・1975年6月12日:滑走路上で11号タイヤ(右側メインギア)が故障
・1976年5月9日:落雷により主翼の中の燃料タンクが爆発
・1977年3月27日:濃霧のテネリフェ空港で747型機同士が衝突
・1978年1月1日:バンク角の状況認識不足からくる操縦ミス
・1980年11月19日:滑走路手前90メートル地点に着地
・1983年8月4日:着陸時にオーバーラン
・1983年9月1日:ソヴィエト空軍により撃墜
・1983年11月27日:ナビゲーションエラーにより山中に墜落
・1985年5月16日:清掃中の機内から出火
・1985年6月23日:手荷物の中に仕掛けた爆弾が爆発
・1985年8月12日:ボーイング社の修理ミス(123便事故)
・1985年12月2日:着陸した航空機が滑走を逸脱
・1987年11月28日:火災発生し操縦不能に陥り墜落
・1988年12月21日:前部貨物室に搭載されていた貨物が爆発
・1989年2月19日:着陸進入失敗?
・1990年5月7日:リバース制御の際に第1エンジンのパイロンの不具合
・1990年8月1日:多国籍軍の空爆
・1991年12月29日:第3、第4エンジンが脱落(構造欠陥)
・1992年10月4日:設計ミスによる金属疲労の結果、第3エンジンが脱落(構造欠陥)
・1993年11月4日:滑走路の末端で停止しきれず滑走路をオーバーラン
・1995年12月20日:離陸滑走中の航空機が左側に逸れる(原因?)
・1996年7月17日:電気ケーブルがショートし火花が燃料タンクに残留したガスに引火
・1996年11月12日:空中衝突
・1997年8月6日:パイロットミス
・1997年12月28日:晴天乱気流
・1998年8月5日:着陸失敗
・1998年10月5日:第3エンジンの故障
・1999年5月5日:(不明)
・1999年12月22日:姿勢指示器故障
・2000年10月31日:閉鎖中滑走路から離陸(車両と接触)
・2001年11月27日:滑走路700メートル手前に墜落
・2002年5月25日:機体スキン(外皮)の不完全な修理
・2004年10月14日:航空機の離陸重量の計算が間違っていた
・2008年5月25日:オーバーラン
・2008年7月7日:エンジンの1つが農家に落下
・2010年9月3日:積み荷のリチウムイオンバッテリーによる火災
・2011年7月28日:機内で火災
・2013年4月29日:貨物固定が外れた
・2017年1月16日:濃霧条件の中着陸に失敗」

結果的には正しかったんだろうが、当時の状況は、もっと生々しかったと推測される。

「米政府が米航空・防衛産業の中核企業ボーイングを擁護したとの見方も根強いが、キャンドラー氏は明確に否定した。」

米国政府は、司法省だけじゃないからな。

まあいい。

我が国の航空会社は、修理欠陥に気づかず、そのまま運航を続け、事故を起こしたことになる。

本当に気付いていなかったんだろうか?。

日本語のウィキにはないが、英語版に気になる記事があった。

「In the aftermath of the incident, Hiroo Tominaga, a JAL maintenance manager, killed himself to atone for the incident,while Susumu Tajima, an engineer who had inspected and cleared the aircraft as flight-worthy, committed suicide due to difficulties at work.」

関連の記事へのリンクは、いまでも生きている。

(ENGINEER WHO INSPECTED PLANE BEFORE CRASH COMMITS SUICIDE:1987年5月18日の記事)
http://www.apnewsarchive.com/1987/Engineer-Who-Inspected-Plane-Before-Crash-Commits-Suicide/id-9e547b614e03ed12439f2342f050cf11

「A Transport Ministry official, also speaking on condition of anonymity, said Tajima was one of three inspection engineers who gave the Boeing 747 jumbo jet a clean bill of health after repairs for a 1978 accident in which the plane scraped its tail on a runway while landing at Osaka Airport.」

「Tajima had been undergoing questioning by police since March 10 regarding the plane crash, the official added.」

警察の調書が残されているかどうかは知らない。

事故調査報告書が公表されたのは、1987年6月19日だ。

その前の自殺ということになる。

辛かったろうな・・・。

事故翌月には、別の方の自殺も報じられている。

(J.A.L. Official Dies, Apparently a Suicide:1985年9月22日の記事)
http://www.nytimes.com/1985/09/22/world/jal-official-dies-apparently-a-suicide.html

「A J.A.L. spokesman said Mr. Tominaga had been assigned since Sept. 1 to assist the relatives of the victims. Before taking up the assignment Mr. Tominaga had coordinated maintenance on J.A.L. planes at Tokyo's Haneda airport.」

事故の核心である整備の当事者を遺族の対応に充てるというのは、傍からはずいぶん残酷なことをしたようにも見える。

事の是非は別にしても、修理担当者を決して表に出さなかったB社との差は歴然だ。

浮沈子は、夕べほとんど眠れずに、今日もフィットネスをサボることに決めた。

少し、頭を冷やして、大人しくしていよう。

この事故では、米国籍の乗客も6名亡くなっている。

「乗客の国籍の最終集計:
国籍:乗客:乗員:合計
・日本:488:15:503
・中国:1:0:1
・西ドイツ:1:0:1
・イタリア:2:0:2
・インド:3:0:3
・イギリス(香港):4:0:4
・韓国:3:0:3
・イギリス:1:0:1
・アメリカ合衆国:6:0:6
合計:509:15:524」

そうか、当時は香港返還前だったわけだ(1997年7月1日返還)。

遠い遠い記憶の中に、今にも埋没しそうなわけだな・・・。

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