コアなスタンプ ― 2017年08月17日 08:00
コアなスタンプ
夏休みの風物といえば、風鈴、朝顔、スタンプラリーと決まっている(そうなのかあ?)。
早期退職してぶらぶらしている浮沈子は、毎日が夏休みだ(まあ、夏だけですが)。
昨日、日本航空のハンガーを見学に行った記念に、展示コーナーにあったスタンプを、中綴じのパンフレットのページにべたべたと押す。
お土産とか、一切買わず、記念品は入場パスのストラップと、このスタンプ押したパンフだけ(出口で「AR体験!とびだす絵本」つーのも、貰いましたが)。
画像では分かりにくいが、左上の緑のスタンプに描かれているのは、ボーイング787。
(ボーイング787-8)
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/787.html
実物をよく見ると、主翼先端の形状、エンジン後部の波型の切り欠き(シェブロンノズル)が判別できる。
左下のオレンジ色のスタンプは、エンブラエル170。
(エンブラエル170 EMBRAER170(E70))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/e70.html
翼端のウイングレット、少ない客席の窓が特徴。
真ん中の青いスタンプは、ボーイング737(そう書いてあるしな)。
(ボーイング737-800(738/73H))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/737.html
ウイングレットが付いているので、ダッシュ800だと分かる。
右の2つは不明だが、767か777ということにしておこう(窓が多い、ウイングレットなし)。
(ボーイング767-300(767))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/767.html
(ボーイング777-200(777/772))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/772.html
767と777は、複数のバリエーションがあるが、てきとーに選んだ。
工場見学のご案内をしていただいた江端さんによれば、777は、あと2、3年で売却してしまうそうだ。
後継にはA350が導入される予定とのこと。
(だからJALはエアバスに乗り替えた)
http://toyokeizai.net/articles/-/21145
「JALが発注した31機の内訳は、「A350―900」が18機、「A350―1000」が13機。25機のオプションについては、今後の事業環境や需要を見極めたうえで行使の有無、機種を決める。」
「当社の要望にA350が一番マッチした。具体的に言うと、安全性、品質、サポートなどを含めた経済性、既存機の更新時期。その4点を判断基準として考えた結果だ」
日本航空の選定には、業界に衝撃が走ったようだ。
まあ、B社については、その分、ANAが埋め合わせるんだろう。
そういうことになってる(たぶん)。
利用者としては、優れたサービスを提供してもらえれば、どっちでもいいんだがな。
787(ANA便)は、バッテリートラブルなどでケチを付けたが、石垣行った時の乗り心地は抜群だった。
静かな機内、快適な空調、滑らかな加速・・・。
次世代の航空機の面目躍如だ。
逆に、ANAは、A380の導入に踏み切っている。
(ANA(全日空) 国際線でA380機を導入 ~ANA、ホノルル線へA380導入)
http://travel-west.net/travelinfo/ana-a380-honolulu/
「2019年春からANA(全日空)がA380機を購入し、
国際線のホノルル線に導入する予定」
導入時期が被るな。
日本の空に、国内航空会社のエアバス機が舞うわけだ。
しかし、A380を羽田で見ることはない。
後方乱気流などの理由で、現在、どの航空会社もA380で羽田には入っていない。
今後は分からないが、当分は成田まで行かなければならないだろう。
浮沈子は、A380に乗るために、バンコク行くのに成田から乗ったしな。
まあ、どうでもいいんですが。
日本航空がA350導入したら、見学記念スタンプにも、登場するかもしれないな・・・。
夏休みの風物といえば、風鈴、朝顔、スタンプラリーと決まっている(そうなのかあ?)。
早期退職してぶらぶらしている浮沈子は、毎日が夏休みだ(まあ、夏だけですが)。
昨日、日本航空のハンガーを見学に行った記念に、展示コーナーにあったスタンプを、中綴じのパンフレットのページにべたべたと押す。
お土産とか、一切買わず、記念品は入場パスのストラップと、このスタンプ押したパンフだけ(出口で「AR体験!とびだす絵本」つーのも、貰いましたが)。
画像では分かりにくいが、左上の緑のスタンプに描かれているのは、ボーイング787。
(ボーイング787-8)
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/787.html
実物をよく見ると、主翼先端の形状、エンジン後部の波型の切り欠き(シェブロンノズル)が判別できる。
左下のオレンジ色のスタンプは、エンブラエル170。
(エンブラエル170 EMBRAER170(E70))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/e70.html
翼端のウイングレット、少ない客席の窓が特徴。
真ん中の青いスタンプは、ボーイング737(そう書いてあるしな)。
(ボーイング737-800(738/73H))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/737.html
ウイングレットが付いているので、ダッシュ800だと分かる。
右の2つは不明だが、767か777ということにしておこう(窓が多い、ウイングレットなし)。
(ボーイング767-300(767))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/767.html
(ボーイング777-200(777/772))
https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/772.html
767と777は、複数のバリエーションがあるが、てきとーに選んだ。
工場見学のご案内をしていただいた江端さんによれば、777は、あと2、3年で売却してしまうそうだ。
後継にはA350が導入される予定とのこと。
(だからJALはエアバスに乗り替えた)
http://toyokeizai.net/articles/-/21145
「JALが発注した31機の内訳は、「A350―900」が18機、「A350―1000」が13機。25機のオプションについては、今後の事業環境や需要を見極めたうえで行使の有無、機種を決める。」
「当社の要望にA350が一番マッチした。具体的に言うと、安全性、品質、サポートなどを含めた経済性、既存機の更新時期。その4点を判断基準として考えた結果だ」
日本航空の選定には、業界に衝撃が走ったようだ。
まあ、B社については、その分、ANAが埋め合わせるんだろう。
そういうことになってる(たぶん)。
利用者としては、優れたサービスを提供してもらえれば、どっちでもいいんだがな。
787(ANA便)は、バッテリートラブルなどでケチを付けたが、石垣行った時の乗り心地は抜群だった。
静かな機内、快適な空調、滑らかな加速・・・。
次世代の航空機の面目躍如だ。
逆に、ANAは、A380の導入に踏み切っている。
(ANA(全日空) 国際線でA380機を導入 ~ANA、ホノルル線へA380導入)
http://travel-west.net/travelinfo/ana-a380-honolulu/
「2019年春からANA(全日空)がA380機を購入し、
国際線のホノルル線に導入する予定」
導入時期が被るな。
日本の空に、国内航空会社のエアバス機が舞うわけだ。
しかし、A380を羽田で見ることはない。
後方乱気流などの理由で、現在、どの航空会社もA380で羽田には入っていない。
今後は分からないが、当分は成田まで行かなければならないだろう。
浮沈子は、A380に乗るために、バンコク行くのに成田から乗ったしな。
まあ、どうでもいいんですが。
日本航空がA350導入したら、見学記念スタンプにも、登場するかもしれないな・・・。
臭いものにはシールする ― 2017年08月17日 21:05
臭いものにはシールする
浮沈子は誤解していた。
日本航空は、ボーイング社が行った修理ミスに気づいていなかったのだ(たぶん)。
当時は、メーカーの修理に立ち会いすらしなかったそうだ。
現在は、修理中も立ち会うようだ(手は出せないと、しつこく言ってましたが)。
案内してくれた鈴木さんに、チャイナエアラインの話をしたら、業界でも話題になっていたとのこと。
今日は、フィットネスで1600m泳いだ後(バタフライのキックで、水しぶき立てすぎ!、と係の方から注意を受けてしまった)、大井町から蒲田にJRで移動し、京浜急行蒲田駅まで歩き、京浜急行で羽田入りする。
ライオンでランチ(ミックスグリル:ライス大盛!)食べた後、第一ターミナルから腹ごなしに歩く。
昨日来たので、迷うことはない。
入り口で、入館証を渡され、同じM1ビルの6階に移動する。
32年前に、B社の修理ミスによって墜落した機体の一部がここに保存、展示されている。
ハンガーがある部分ではない建物の内部は、真ん中が吹き抜けになっていて、昨日来た3階のフロアー(展示コーナー)が上から覗ける。
家族連れできた子供達の賑やかな声が聞こえるが、6階は大人だけの静かな見学だ。
初めに事故の概要を説明された後、重々しくスライドドアが開き、ドデカイ垂直尾翼などが展示されている部屋に通される。
昨日と異なり、全面的に撮影禁止。
例の圧力隔壁の実物を見て驚く。
圧力差に耐える隔壁というから、少なくとも厚さ10cmくらいの「カベ」を想像していたんだが、なんと、紙きれのような、ペラペラの「膜」だった・・・。
正確な厚さは計れなかったが、1mmもないのではないか。
修理した後は、気密を保つためにシール材で合わせた部材の縁を塗ってしまうので、確認のしようがない。
修理に立ち会ったり、使用する材料を検査していなければ、絶対に分からない。
キャリア側が、修理ミスを知り得る状況にはなかった。
チャイナエアラインの修理と同じだな。
現在では、立ち合いをしていると言っていたが、全てのメーカー修理で、あらゆる工程を管理しているのかどうかは知らない。
使用する材料についても、どこまでチェックできるかは疑問だ。
材料のメーカーに、出荷証明とか求めているのかどうか。
材料検査を行い、施工に立ち会って、初めて航空会社としての責任を果たせると思うんだがな。
チャイナエアラインの修理は、22年間もった。
それでも、修理ミスは顕在化し、事故を招いた。
日本航空は7年でバレた。
その時に、チャイナエアラインも、貼り付けた部材を引っぺがして確認していれば、事故は起こらずに済んだ。
紙のように薄い圧力隔膜・・・。
その修理をてきとーに行い、その痕が分からないようにシールして隠した(そうなのかあ?)。
どう考えても、故意または重大な過失としか思えないな。
結果的にそれを見逃していた航空会社の責任はもちろんだが、一度ならず二度も起こっているというのは、尋常ではない。
787のバッテリーボックスの穴を、テープで塞ぎっぱなしにした修理の件を入れれば、3回だ。
リベット周りのクラックについては、現在は非破壊的に検査することが出来るんだという(ホントかあ?)。
まあ、そのうち、複合材料になっていくだろうから、それまでの話だが、経年劣化していく航空機の安全性は、砂上の楼閣のようにも思えた。
浮沈子は、回収された機体の全てが、体育館のような所に広げられて保管されているんだろうと思っていたが、展示されているのはごく一部だ。
他の破片がどうなったかは知らない。
遺族の方の話で、回収された破片を見ると、愛おしく感じるという話は堪えたな。
亡くなった乗客と、最後まで一緒にいた飛行機の破片・・・。
重い見学だったが、清々しい気持ちで終えることが出来たのは不思議だった。
32年という時間がそうさせたのか、日本航空の事故と向き合う姿勢がそうさせたのかは分からない。
見学を終えて、建物から出た。
昨日とは、違った感慨が脳裏をよぎる。
少し、一人になって考えてみたくなった。
てくてく歩いて、ANAの整備工場の前まで行った(片道、500m!)。
向かいのビルの中に、セブンイレブンがあったんだが、社員と見学の方向けで、外部から入って買い物することは出来ないと断られた(当然ですな)。
仕方がないんで、途中にあったガソリンスタンドの自動販売機で、経口補水液を買って、喉を潤す。
そのまま第一ターミナルまで、てくてく歩いて、蒲田行きのバスに乗り、大井町に戻って自転車こいで帰ってきた。
今日は、よく運動して、へろへろだな。
明日は、フィットネスはサボろう。
10月まで、ここに来ることはない。
初めに説明を受けた部屋には、日本航空が起こした123便を除く死者を出した7つの事故のパネルが貼ってあった。
・1952.4.9:三原山
・1971.7.3:横津岳
・1972.6.14:ニューデリー
・1972.11.28:モスクワ
・1977.1.13:アンカレッジ
・1977.9.27:クアラルンプール
・1982.2.9:羽田沖
浮沈子が覚えているのは、羽田沖の逆噴射だけ。
「機長、何をするんですか・・・」(ちょっと、記憶違いかあ?)
(日航機事故)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%88%AA%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85
「1.1 日本航空「もく星」号墜落事故
3.2 日本航空ニューデリー墜落事故
3.6 日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故
3.8 日本航空アンカレッジ墜落事故
3.9 日本航空クアラルンプール墜落事故
4.1 日本航空羽田空港沖墜落事故」
横津岳におちたばんだい号墜落事故は、東亜国内航空(日本エアシステムの前身)だが、日本航空では、自社事故として扱っている(2006年10月1日吸収合併)。
(ばんだい号墜落事故)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%E5%8F%B7%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
これらの事故については、パネル展示だけになっている。
つまり、もう、機体の破片とかはないのだ(たぶん)。
捨てちゃって・・・(そうなのかあ?)。
まあいい。
123便だって、もう少しで捨てられるところだったわけだからな。
そういう時代だ。
自衛隊の日報だって、文科省の文書だって、みーんな捨てちゃえ!、だからな。
整備服を着たままの社員の方が、たった一人で展示の前に佇んでいたのが印象的だった。
ここは、整備の方々にとっては聖地だ。
我々(20人くらい)が、ぞろぞろと団体で移動している間も、圧力隔壁の近くにずっと立っていて、通り過ぎても、まだそこにいた。
何を感じ、何を考えていたのかは知る由もないが、日本航空では社員全員がここで研修を受けることになっているそうだ。
また、新入社員は、3年以内に慰霊登山を行うという。
いいだろう。
事故を知る世代は、もうすぐ引退する。
この展示室は、昔の事故を忘れないための記念の部屋になっていくんだろう。
記憶は風化し、変質し、異なる意味を持つようになる。
事故後に取られた様々な改革の流れも、別の組織に吸収されたり、形骸化してしまったりしたものもあるのかもしれない。
既に、安全啓発センター自身が、1回の移転を経験しているしな。
今あるM1棟だって、そのうち、建て替えなければならなくなるかもしれない。
100年先、安全啓発センターは、どうなっているんだろうか?。
実物は朽ち果て、映像化された記録が、電子媒体の中だけに残るのではないのか。
そして、ボーイングの社員が、一人でも、そこを訪れることはあるのだろうか?。
ぽつんと立っていた整備の方を横目で見ながら、浮沈子はそんなことを考えていた・・・。
浮沈子は誤解していた。
日本航空は、ボーイング社が行った修理ミスに気づいていなかったのだ(たぶん)。
当時は、メーカーの修理に立ち会いすらしなかったそうだ。
現在は、修理中も立ち会うようだ(手は出せないと、しつこく言ってましたが)。
案内してくれた鈴木さんに、チャイナエアラインの話をしたら、業界でも話題になっていたとのこと。
今日は、フィットネスで1600m泳いだ後(バタフライのキックで、水しぶき立てすぎ!、と係の方から注意を受けてしまった)、大井町から蒲田にJRで移動し、京浜急行蒲田駅まで歩き、京浜急行で羽田入りする。
ライオンでランチ(ミックスグリル:ライス大盛!)食べた後、第一ターミナルから腹ごなしに歩く。
昨日来たので、迷うことはない。
入り口で、入館証を渡され、同じM1ビルの6階に移動する。
32年前に、B社の修理ミスによって墜落した機体の一部がここに保存、展示されている。
ハンガーがある部分ではない建物の内部は、真ん中が吹き抜けになっていて、昨日来た3階のフロアー(展示コーナー)が上から覗ける。
家族連れできた子供達の賑やかな声が聞こえるが、6階は大人だけの静かな見学だ。
初めに事故の概要を説明された後、重々しくスライドドアが開き、ドデカイ垂直尾翼などが展示されている部屋に通される。
昨日と異なり、全面的に撮影禁止。
例の圧力隔壁の実物を見て驚く。
圧力差に耐える隔壁というから、少なくとも厚さ10cmくらいの「カベ」を想像していたんだが、なんと、紙きれのような、ペラペラの「膜」だった・・・。
正確な厚さは計れなかったが、1mmもないのではないか。
修理した後は、気密を保つためにシール材で合わせた部材の縁を塗ってしまうので、確認のしようがない。
修理に立ち会ったり、使用する材料を検査していなければ、絶対に分からない。
キャリア側が、修理ミスを知り得る状況にはなかった。
チャイナエアラインの修理と同じだな。
現在では、立ち合いをしていると言っていたが、全てのメーカー修理で、あらゆる工程を管理しているのかどうかは知らない。
使用する材料についても、どこまでチェックできるかは疑問だ。
材料のメーカーに、出荷証明とか求めているのかどうか。
材料検査を行い、施工に立ち会って、初めて航空会社としての責任を果たせると思うんだがな。
チャイナエアラインの修理は、22年間もった。
それでも、修理ミスは顕在化し、事故を招いた。
日本航空は7年でバレた。
その時に、チャイナエアラインも、貼り付けた部材を引っぺがして確認していれば、事故は起こらずに済んだ。
紙のように薄い圧力隔膜・・・。
その修理をてきとーに行い、その痕が分からないようにシールして隠した(そうなのかあ?)。
どう考えても、故意または重大な過失としか思えないな。
結果的にそれを見逃していた航空会社の責任はもちろんだが、一度ならず二度も起こっているというのは、尋常ではない。
787のバッテリーボックスの穴を、テープで塞ぎっぱなしにした修理の件を入れれば、3回だ。
リベット周りのクラックについては、現在は非破壊的に検査することが出来るんだという(ホントかあ?)。
まあ、そのうち、複合材料になっていくだろうから、それまでの話だが、経年劣化していく航空機の安全性は、砂上の楼閣のようにも思えた。
浮沈子は、回収された機体の全てが、体育館のような所に広げられて保管されているんだろうと思っていたが、展示されているのはごく一部だ。
他の破片がどうなったかは知らない。
遺族の方の話で、回収された破片を見ると、愛おしく感じるという話は堪えたな。
亡くなった乗客と、最後まで一緒にいた飛行機の破片・・・。
重い見学だったが、清々しい気持ちで終えることが出来たのは不思議だった。
32年という時間がそうさせたのか、日本航空の事故と向き合う姿勢がそうさせたのかは分からない。
見学を終えて、建物から出た。
昨日とは、違った感慨が脳裏をよぎる。
少し、一人になって考えてみたくなった。
てくてく歩いて、ANAの整備工場の前まで行った(片道、500m!)。
向かいのビルの中に、セブンイレブンがあったんだが、社員と見学の方向けで、外部から入って買い物することは出来ないと断られた(当然ですな)。
仕方がないんで、途中にあったガソリンスタンドの自動販売機で、経口補水液を買って、喉を潤す。
そのまま第一ターミナルまで、てくてく歩いて、蒲田行きのバスに乗り、大井町に戻って自転車こいで帰ってきた。
今日は、よく運動して、へろへろだな。
明日は、フィットネスはサボろう。
10月まで、ここに来ることはない。
初めに説明を受けた部屋には、日本航空が起こした123便を除く死者を出した7つの事故のパネルが貼ってあった。
・1952.4.9:三原山
・1971.7.3:横津岳
・1972.6.14:ニューデリー
・1972.11.28:モスクワ
・1977.1.13:アンカレッジ
・1977.9.27:クアラルンプール
・1982.2.9:羽田沖
浮沈子が覚えているのは、羽田沖の逆噴射だけ。
「機長、何をするんですか・・・」(ちょっと、記憶違いかあ?)
(日航機事故)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%88%AA%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85
「1.1 日本航空「もく星」号墜落事故
3.2 日本航空ニューデリー墜落事故
3.6 日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故
3.8 日本航空アンカレッジ墜落事故
3.9 日本航空クアラルンプール墜落事故
4.1 日本航空羽田空港沖墜落事故」
横津岳におちたばんだい号墜落事故は、東亜国内航空(日本エアシステムの前身)だが、日本航空では、自社事故として扱っている(2006年10月1日吸収合併)。
(ばんだい号墜落事故)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%E5%8F%B7%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
これらの事故については、パネル展示だけになっている。
つまり、もう、機体の破片とかはないのだ(たぶん)。
捨てちゃって・・・(そうなのかあ?)。
まあいい。
123便だって、もう少しで捨てられるところだったわけだからな。
そういう時代だ。
自衛隊の日報だって、文科省の文書だって、みーんな捨てちゃえ!、だからな。
整備服を着たままの社員の方が、たった一人で展示の前に佇んでいたのが印象的だった。
ここは、整備の方々にとっては聖地だ。
我々(20人くらい)が、ぞろぞろと団体で移動している間も、圧力隔壁の近くにずっと立っていて、通り過ぎても、まだそこにいた。
何を感じ、何を考えていたのかは知る由もないが、日本航空では社員全員がここで研修を受けることになっているそうだ。
また、新入社員は、3年以内に慰霊登山を行うという。
いいだろう。
事故を知る世代は、もうすぐ引退する。
この展示室は、昔の事故を忘れないための記念の部屋になっていくんだろう。
記憶は風化し、変質し、異なる意味を持つようになる。
事故後に取られた様々な改革の流れも、別の組織に吸収されたり、形骸化してしまったりしたものもあるのかもしれない。
既に、安全啓発センター自身が、1回の移転を経験しているしな。
今あるM1棟だって、そのうち、建て替えなければならなくなるかもしれない。
100年先、安全啓発センターは、どうなっているんだろうか?。
実物は朽ち果て、映像化された記録が、電子媒体の中だけに残るのではないのか。
そして、ボーイングの社員が、一人でも、そこを訪れることはあるのだろうか?。
ぽつんと立っていた整備の方を横目で見ながら、浮沈子はそんなことを考えていた・・・。
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