小笠原の思い出 ― 2017年09月26日 08:39
小笠原の思い出
無事に帰宅を果たす。
手を付けなかったインスピレーションと、20kgのソフノライムを含め、宅急便5個口の荷物は、同じ便で送った。
出航日に潜ったので、サイドマウント1本差し用の器材とウエットスーツは、後便で送っていただくことにした。
帰りはチッキなしで、船内持ち込みでタンク2本を運ぶ。
下船して、浜松町の駅までナップザック2つを前後に背負って歩く。
寂寥感がこみ上げるな。
柄にもなく、お土産買ったりしたので、その分の重さは増えているが、荷物の総体はソフノダイブ6缶分減ったことになる。
およそ20kg。
それだけの二酸化炭素を排出したわけだ・・・。
ああ、サイドマウントでも3日間(4本)潜ってるからな。
9月14日から25日まで、12日間の小笠原ツアーは終わった。
怪我もなく、病気もせず、ダイビング中のトラブルもなかった。
CCR9台(3種類)という浮沈子の経験上、最大規模のイベントだったが、これがふつーにならなければいかんな。
ポセイドンでの減圧資格がないので、大部分はオープンサーキットチームと潜ったが、いい勉強になった。
ガン流れの中を泳いだり、深度変化がビミョーにあるOCのプロファイルに追従するという、ベイルアウトタンクを抱えたCCRダイバー泣かせの状況で、なんとか6日間のダイビングをこなした。
ボートも、フィッシュアイの持ち船(ビーストマスター3世)、エスコートのドルフィンテール(相乗り)、ベビードルフィン(TDI初日貸し切り)、吉祥丸(漁船:TDI2日間貸し切り)と、4種類乗れたしな。
2航海分のダイビングとはいえ、なかなか経験できない状況だった。
ビーチダイビングも2日間潜った。
ポセイドンと、サイドマウントで同じ宮之浜で潜り、違いを体験したりもした。
不愉快なことは何もなく、ビーストマスターのアクシデントも、イベントの一つとして楽しんでしまった(笠井さん、スミマセン!)。
なかなか経験できないからな・・・。
印象深かったダイビングは、TDI初日のバラ沈。
韓国チームの目から鱗のスキルを目の当たりにして、世界観が変わってしまった。
嫁島東の湾のイルカとの遭遇(ダイビング中)もサプライズだ。
鹿浜(1回目)のシロワニもビビったな。
ガン流れのタコ岩で、アップカレントを避けながら泳いだのも印象的だ。
出物はロウニンアジくらいだったけどな。
しかし、何といっても沈船だ。
バラ沈はそれなりだが、製氷海岸の駆潜艇50号と潜水艇は、3回潜ったけど、毎回印象が異なる。
枝サンゴや水クラゲなど、1粒で3度美味しいバラエティに富んだポイントだ。
TDI最終ダイブとなった洲崎沈船も、明るくまったりとした沈船で、なごみ系のダイビングだ。
2匹しかいないチンアナゴ、悠然と泳ぐミノカサゴ、水面近くのツバメウオなど、沈船だけではない見どころもあった。
やっぱ、浮沈子のダイビングは、沈船が一番だと確信する。
エントリーして徐々に深度を増し、初めての沈船に近づいていく時、全身が震えるような感動を覚える。
太古の地球で海の水に溶けていた鉄が、水中植物の出す酸素で沈殿し、やがて鉄鉱石として人間の手で船のカタチになり、本来浮くはずのない水に浮かべられる。
人の作りしものの運命は、ただ一つ。
全ては壊れ、神の作りし世界に還元される。
世界中に沈む沈船は、そうして神の御手に委ねられ、幸せな時間の中で朽ちていく。
多くの生命のゆりかごとなり、時に訪れるダイバーを楽しませながら・・・。
サメがデカいとか、クジラがデカいというレベルではない、その絶対的な大きさ、水底に横たわり動かない対象として、ダイビングのポイントとしての魅力に溢れている。
浮沈子は、あまり興味ないけど、魚や付着生物もいるしな。
ヘンタイ方面のダイバーにとっては、ペネトレーションの対象としても魅力的なんだろう。
浮沈子は、絶対中に入らないけどな(狭いとこや暗いとこは嫌いです)。
沈船の周りを、ふわふわと漂っているのがよろしい。
20本潜った(初日2本:サイドマウント、2日目3本:CCR、3日目3本:CCR、4日目アクシデントで潜らず、5日目2本:CCR、6日目2本:CCR、7日目1本:サイドマウント、8日目3本:CCR、9日目3本:CCR、10日目1本:サイドマウント)。
竹芝の出航日と入港日があるので、12日になる。
全ては終わり、陸酔いに悩まされながら、この記事を書いている。
バルブ開放して手荷物で運んだ酸素を詰めてもらわなければならない。
次の予定は確定していないけど、國富のプールで練習しておかなければな。
今回、水に浸けなかったインスピも、ちっとは触っておかなければならない。
サイドマウントへの改造プロジェクトも、復活させよう。
浮沈子の浮沈子たる由縁のダイビングを、生活の中心にしていこう・・・。
おっと、その前に、明日は水泳教室で泳がなければならない。
バタフライの両手回しだ。
小笠原では、水中、水上から、イルカを何度か見た。
奴らは、なんてったって、本格派だからな。
ドルフィンキックの本家本元だ。
お手本を生で見てきたんだから、ちっとは上手くなってもいいような気がする(あんま、関係ないんじゃね?)。
まあいい。
笠井さんご夫婦、ガイドの後藤さんと久保田さん、ハウスキーパーの鈴木さんはじめ、多くの方々のお世話になった。
竹内さんには、有益なアドバイスをいくつも頂いたしな。
前便で一緒に潜った方々や、TDIメンバーにも大感謝だ。
加藤さんや鐡本さんは、イベントの主催者としての気苦労が大変だったろうが、おかげで大成功になった。
神スキルの韓国チーム、TDI2日目以降、エボリューション軍団になった台湾チーム、ドデカビデオカメラで撮影していた台湾のカメラマン。
TDI日本チームも、加藤さんのSF2、鐡本さんのエボ、大阪チームのオープンサーキットと多彩だ。
そして、サイドマウントとポセイドンセブンで怪しげなスキルで潜る味噌っかすの浮沈子。
楽しかったあ・・・。
夢のような日々は終わり、いつもの日常が帰って来る。
部屋に戻って、外して持っていった延長コードを差し込んで、あちこちの電源を入れ、その日常生活に戻る儀式を行う。
ああ、がらんとした部屋に、宅急便6個口(後便含む)が帰って来る。
そして、それらが収まるべきところに収まり、お土産を配り終え、ブログの続きを書き、次のダイビングの予定を綴るまでは、静かな日常に戻るのだ。
画像は、ビーチダイビング初日、竹内さんが駆潜艇50号に潜った際にステージした酸素タンク。
本人は、BCも脱いで、アルミの32パーセントナイトロックスを抱えて、ペネトレーション中。
ったく、ヘンタイには付いていけねーよ・・・。
無事に帰宅を果たす。
手を付けなかったインスピレーションと、20kgのソフノライムを含め、宅急便5個口の荷物は、同じ便で送った。
出航日に潜ったので、サイドマウント1本差し用の器材とウエットスーツは、後便で送っていただくことにした。
帰りはチッキなしで、船内持ち込みでタンク2本を運ぶ。
下船して、浜松町の駅までナップザック2つを前後に背負って歩く。
寂寥感がこみ上げるな。
柄にもなく、お土産買ったりしたので、その分の重さは増えているが、荷物の総体はソフノダイブ6缶分減ったことになる。
およそ20kg。
それだけの二酸化炭素を排出したわけだ・・・。
ああ、サイドマウントでも3日間(4本)潜ってるからな。
9月14日から25日まで、12日間の小笠原ツアーは終わった。
怪我もなく、病気もせず、ダイビング中のトラブルもなかった。
CCR9台(3種類)という浮沈子の経験上、最大規模のイベントだったが、これがふつーにならなければいかんな。
ポセイドンでの減圧資格がないので、大部分はオープンサーキットチームと潜ったが、いい勉強になった。
ガン流れの中を泳いだり、深度変化がビミョーにあるOCのプロファイルに追従するという、ベイルアウトタンクを抱えたCCRダイバー泣かせの状況で、なんとか6日間のダイビングをこなした。
ボートも、フィッシュアイの持ち船(ビーストマスター3世)、エスコートのドルフィンテール(相乗り)、ベビードルフィン(TDI初日貸し切り)、吉祥丸(漁船:TDI2日間貸し切り)と、4種類乗れたしな。
2航海分のダイビングとはいえ、なかなか経験できない状況だった。
ビーチダイビングも2日間潜った。
ポセイドンと、サイドマウントで同じ宮之浜で潜り、違いを体験したりもした。
不愉快なことは何もなく、ビーストマスターのアクシデントも、イベントの一つとして楽しんでしまった(笠井さん、スミマセン!)。
なかなか経験できないからな・・・。
印象深かったダイビングは、TDI初日のバラ沈。
韓国チームの目から鱗のスキルを目の当たりにして、世界観が変わってしまった。
嫁島東の湾のイルカとの遭遇(ダイビング中)もサプライズだ。
鹿浜(1回目)のシロワニもビビったな。
ガン流れのタコ岩で、アップカレントを避けながら泳いだのも印象的だ。
出物はロウニンアジくらいだったけどな。
しかし、何といっても沈船だ。
バラ沈はそれなりだが、製氷海岸の駆潜艇50号と潜水艇は、3回潜ったけど、毎回印象が異なる。
枝サンゴや水クラゲなど、1粒で3度美味しいバラエティに富んだポイントだ。
TDI最終ダイブとなった洲崎沈船も、明るくまったりとした沈船で、なごみ系のダイビングだ。
2匹しかいないチンアナゴ、悠然と泳ぐミノカサゴ、水面近くのツバメウオなど、沈船だけではない見どころもあった。
やっぱ、浮沈子のダイビングは、沈船が一番だと確信する。
エントリーして徐々に深度を増し、初めての沈船に近づいていく時、全身が震えるような感動を覚える。
太古の地球で海の水に溶けていた鉄が、水中植物の出す酸素で沈殿し、やがて鉄鉱石として人間の手で船のカタチになり、本来浮くはずのない水に浮かべられる。
人の作りしものの運命は、ただ一つ。
全ては壊れ、神の作りし世界に還元される。
世界中に沈む沈船は、そうして神の御手に委ねられ、幸せな時間の中で朽ちていく。
多くの生命のゆりかごとなり、時に訪れるダイバーを楽しませながら・・・。
サメがデカいとか、クジラがデカいというレベルではない、その絶対的な大きさ、水底に横たわり動かない対象として、ダイビングのポイントとしての魅力に溢れている。
浮沈子は、あまり興味ないけど、魚や付着生物もいるしな。
ヘンタイ方面のダイバーにとっては、ペネトレーションの対象としても魅力的なんだろう。
浮沈子は、絶対中に入らないけどな(狭いとこや暗いとこは嫌いです)。
沈船の周りを、ふわふわと漂っているのがよろしい。
20本潜った(初日2本:サイドマウント、2日目3本:CCR、3日目3本:CCR、4日目アクシデントで潜らず、5日目2本:CCR、6日目2本:CCR、7日目1本:サイドマウント、8日目3本:CCR、9日目3本:CCR、10日目1本:サイドマウント)。
竹芝の出航日と入港日があるので、12日になる。
全ては終わり、陸酔いに悩まされながら、この記事を書いている。
バルブ開放して手荷物で運んだ酸素を詰めてもらわなければならない。
次の予定は確定していないけど、國富のプールで練習しておかなければな。
今回、水に浸けなかったインスピも、ちっとは触っておかなければならない。
サイドマウントへの改造プロジェクトも、復活させよう。
浮沈子の浮沈子たる由縁のダイビングを、生活の中心にしていこう・・・。
おっと、その前に、明日は水泳教室で泳がなければならない。
バタフライの両手回しだ。
小笠原では、水中、水上から、イルカを何度か見た。
奴らは、なんてったって、本格派だからな。
ドルフィンキックの本家本元だ。
お手本を生で見てきたんだから、ちっとは上手くなってもいいような気がする(あんま、関係ないんじゃね?)。
まあいい。
笠井さんご夫婦、ガイドの後藤さんと久保田さん、ハウスキーパーの鈴木さんはじめ、多くの方々のお世話になった。
竹内さんには、有益なアドバイスをいくつも頂いたしな。
前便で一緒に潜った方々や、TDIメンバーにも大感謝だ。
加藤さんや鐡本さんは、イベントの主催者としての気苦労が大変だったろうが、おかげで大成功になった。
神スキルの韓国チーム、TDI2日目以降、エボリューション軍団になった台湾チーム、ドデカビデオカメラで撮影していた台湾のカメラマン。
TDI日本チームも、加藤さんのSF2、鐡本さんのエボ、大阪チームのオープンサーキットと多彩だ。
そして、サイドマウントとポセイドンセブンで怪しげなスキルで潜る味噌っかすの浮沈子。
楽しかったあ・・・。
夢のような日々は終わり、いつもの日常が帰って来る。
部屋に戻って、外して持っていった延長コードを差し込んで、あちこちの電源を入れ、その日常生活に戻る儀式を行う。
ああ、がらんとした部屋に、宅急便6個口(後便含む)が帰って来る。
そして、それらが収まるべきところに収まり、お土産を配り終え、ブログの続きを書き、次のダイビングの予定を綴るまでは、静かな日常に戻るのだ。
画像は、ビーチダイビング初日、竹内さんが駆潜艇50号に潜った際にステージした酸素タンク。
本人は、BCも脱いで、アルミの32パーセントナイトロックスを抱えて、ペネトレーション中。
ったく、ヘンタイには付いていけねーよ・・・。
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