逆転の発想? ― 2017年10月12日 10:32
逆転の発想?
イタリア協奏曲の記事を書いて(おでんの記事じゃなかったっけ?)、ちょっと調べていたら、気になる記述があった。
(コンチェルタート)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88
「通奏低音の上で、器楽グループまたは声楽グループが一つの旋律を共有して、たいてい交互に奏でる(歌う)ような演奏様式または曲種のこと。」
「コンチェルタート様式は、16世紀後半のヴェネツィアにおいて、聖マルコ大聖堂の特異な音響空間(バシリカ)で活動した、ガブリエーリ一族の作品を通じて発展をみた。」
ここからの記述は、実に興味深い。
「この聖堂内では、別々の聖歌隊ないしは合奏団が、筋向いに相対することになる。」
「一般的に一方から他方への響きのディレイ効果のために、また音響的に言うと「ライヴ」空間のために、完全なユニゾンは困難だったので、作曲家はいわばステレオの原理で聖歌隊が互いに歌い交わすように作曲することにより、すばらしい効果のある音楽ができることに気づいたのである。」
「このようにして交唱様式を用いた聖マルコ大聖堂の合唱様式は、「コーリ・スペッツァーティ」様式と呼ばれた」
「コーリ・スペッツァーティの楽曲は、本来ア・カペラの合唱曲として作曲されたが、楽器を加えた演奏が行われるようになり、さらにジョヴァンニ・ガブリエーリによって、この原理を用いて器楽曲を作曲したり、あるいは声楽と器楽からなるアンサンブルのために作曲する習慣が確立され、単純な交唱ではなく、対比や競合の原理をそなえた「コンチェルタート様式」へと段階的に発展した。」
「さらに、通奏低音とモノディが導入されると、それまでの器楽と声楽の対比や、音色の異なる楽器同士の対比に加えて、独唱・重唱・合唱も対比や競合の選択の可能性を広げた。」
「ヴェネツィアで作曲された楽曲は、すぐさまその他各地で演奏されたため、新たな「コンチェルタート」様式は急速にヨーロッパ各地に(最初に北部イタリアで、次いでドイツと中部・南部のイタリアで、その後は徐々に残りのヨーロッパ大陸に)浸透した。」
浮沈子は、音楽史には詳しくないので、詳細は分からないが、要するにサンマルコ大聖堂の音響空間そのものの特性が、新しい音楽の流れを生み出したといってもいい(そうなのかあ?)。
(サン・マルコ寺院)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E5%AF%BA%E9%99%A2
「当時のヴェネツィア、とりわけサン・マルコ寺院は、ローマと並んでイタリア・バロック音楽の中心地の一つであった」
バロック音楽については、地域によって様々な特性があるようだが、イタリアの影響は大きいようだ。
(バロック音楽)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD
まあ、どうでもいいんですが。
演奏されるホールの特性が、作曲家に影響を与え、その形式が踏襲拡散されていったわけで、出来上がった音楽を近所のホールで聴いて楽しむしかない現代の聴衆というのは、そういうダイナミズムとはかけ離れたところにいるのかもしれない。
浮沈子が興味を持ったのは、ダイビングとの関連だ。
器材とダイビングスポットの適合を考えた時、この器材ならここで潜るのは最適だというマッチングってのがある。
最近のダイビングでは、小笠原の宮之浜でのダイビングがそうだ。
あすこは、最適な器材は、おそらくシュノーケルではないかと思うけど、少なくともCCRでないことは確かだな。
ミズンの群れを、着底して長時間見続けるというのなら別だけど、水深2mくらいで、サンゴの上を中性浮力保ちながらじっくり楽しむなら、サイドマウントがお薦めだ。
100mの水深で、ある程度の時間留まりたいなら、CCRがベストだろう。
どんな器材で、どんなダイビングするかというのは、ケースバイケースだ。
しかし、器材の特性に合わせたダイビングスポットを選んで、最適なダイビングを計画するというアプローチがあってもいい。
CCRのように、どこででも潜れるという状況にない器材を使うということになれば、そうせざるを得ないような気もする。
それを、ぼやいたり嘆いたりするだけではなく、積極的に捉えて、CCRに最適なスポットやダイビングスタイルを作り上げていってもいいのではないか。
音楽とダイビングは、似たところがある。
時間芸術である音楽は、時間の流れの中での音楽空間を楽しむレジャーだ。
ダイビングも、まあ、似たようなところはある。
その中で、楽器やホールが器材、聴衆はダイバーということになるんだろうか。
ダイビングスポットや、その潜り方が楽曲ということになるのかもしれない。
演奏されるホールが作曲家に影響を与え、新しい時代の音楽の流れを生み出すというのは、新しい器材であるCCRの普及にも通じるところがあるに違いない。
楽器とかの特性に合わせて、作曲が行われるという話はよく聞く(つーか、ふつーそうだろう)。
同じような話なのかもしれないけどな。
CCRは、流れが少なく、まったりと長時間潜れるようなところがいいな。
浮沈子は、浅く明るく暖かいダイビングがいいな。
まあ、オープンサーキットでもいいんですが。
そういうダイビングを、聴衆であるダイバーが求めているかどうかが問題だ。
水中世界の魅力を、余すところなく味わうことが出来るCCR(問題は、陸上での取り扱いだな)。
手間が掛からず、手っ取り早いレクリエーションを求めるなら、ダイビングは不向きかもしれない。
現代人は、スマホでチャットして、それで満足なんだろう。
映画も、ドライブも、ダイビングも、廃れる一方だからな。
世も末だな(結局、ぼやきじゃん!?)。
イタリア協奏曲の記事を書いて(おでんの記事じゃなかったっけ?)、ちょっと調べていたら、気になる記述があった。
(コンチェルタート)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88
「通奏低音の上で、器楽グループまたは声楽グループが一つの旋律を共有して、たいてい交互に奏でる(歌う)ような演奏様式または曲種のこと。」
「コンチェルタート様式は、16世紀後半のヴェネツィアにおいて、聖マルコ大聖堂の特異な音響空間(バシリカ)で活動した、ガブリエーリ一族の作品を通じて発展をみた。」
ここからの記述は、実に興味深い。
「この聖堂内では、別々の聖歌隊ないしは合奏団が、筋向いに相対することになる。」
「一般的に一方から他方への響きのディレイ効果のために、また音響的に言うと「ライヴ」空間のために、完全なユニゾンは困難だったので、作曲家はいわばステレオの原理で聖歌隊が互いに歌い交わすように作曲することにより、すばらしい効果のある音楽ができることに気づいたのである。」
「このようにして交唱様式を用いた聖マルコ大聖堂の合唱様式は、「コーリ・スペッツァーティ」様式と呼ばれた」
「コーリ・スペッツァーティの楽曲は、本来ア・カペラの合唱曲として作曲されたが、楽器を加えた演奏が行われるようになり、さらにジョヴァンニ・ガブリエーリによって、この原理を用いて器楽曲を作曲したり、あるいは声楽と器楽からなるアンサンブルのために作曲する習慣が確立され、単純な交唱ではなく、対比や競合の原理をそなえた「コンチェルタート様式」へと段階的に発展した。」
「さらに、通奏低音とモノディが導入されると、それまでの器楽と声楽の対比や、音色の異なる楽器同士の対比に加えて、独唱・重唱・合唱も対比や競合の選択の可能性を広げた。」
「ヴェネツィアで作曲された楽曲は、すぐさまその他各地で演奏されたため、新たな「コンチェルタート」様式は急速にヨーロッパ各地に(最初に北部イタリアで、次いでドイツと中部・南部のイタリアで、その後は徐々に残りのヨーロッパ大陸に)浸透した。」
浮沈子は、音楽史には詳しくないので、詳細は分からないが、要するにサンマルコ大聖堂の音響空間そのものの特性が、新しい音楽の流れを生み出したといってもいい(そうなのかあ?)。
(サン・マルコ寺院)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E5%AF%BA%E9%99%A2
「当時のヴェネツィア、とりわけサン・マルコ寺院は、ローマと並んでイタリア・バロック音楽の中心地の一つであった」
バロック音楽については、地域によって様々な特性があるようだが、イタリアの影響は大きいようだ。
(バロック音楽)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD
まあ、どうでもいいんですが。
演奏されるホールの特性が、作曲家に影響を与え、その形式が踏襲拡散されていったわけで、出来上がった音楽を近所のホールで聴いて楽しむしかない現代の聴衆というのは、そういうダイナミズムとはかけ離れたところにいるのかもしれない。
浮沈子が興味を持ったのは、ダイビングとの関連だ。
器材とダイビングスポットの適合を考えた時、この器材ならここで潜るのは最適だというマッチングってのがある。
最近のダイビングでは、小笠原の宮之浜でのダイビングがそうだ。
あすこは、最適な器材は、おそらくシュノーケルではないかと思うけど、少なくともCCRでないことは確かだな。
ミズンの群れを、着底して長時間見続けるというのなら別だけど、水深2mくらいで、サンゴの上を中性浮力保ちながらじっくり楽しむなら、サイドマウントがお薦めだ。
100mの水深で、ある程度の時間留まりたいなら、CCRがベストだろう。
どんな器材で、どんなダイビングするかというのは、ケースバイケースだ。
しかし、器材の特性に合わせたダイビングスポットを選んで、最適なダイビングを計画するというアプローチがあってもいい。
CCRのように、どこででも潜れるという状況にない器材を使うということになれば、そうせざるを得ないような気もする。
それを、ぼやいたり嘆いたりするだけではなく、積極的に捉えて、CCRに最適なスポットやダイビングスタイルを作り上げていってもいいのではないか。
音楽とダイビングは、似たところがある。
時間芸術である音楽は、時間の流れの中での音楽空間を楽しむレジャーだ。
ダイビングも、まあ、似たようなところはある。
その中で、楽器やホールが器材、聴衆はダイバーということになるんだろうか。
ダイビングスポットや、その潜り方が楽曲ということになるのかもしれない。
演奏されるホールが作曲家に影響を与え、新しい時代の音楽の流れを生み出すというのは、新しい器材であるCCRの普及にも通じるところがあるに違いない。
楽器とかの特性に合わせて、作曲が行われるという話はよく聞く(つーか、ふつーそうだろう)。
同じような話なのかもしれないけどな。
CCRは、流れが少なく、まったりと長時間潜れるようなところがいいな。
浮沈子は、浅く明るく暖かいダイビングがいいな。
まあ、オープンサーキットでもいいんですが。
そういうダイビングを、聴衆であるダイバーが求めているかどうかが問題だ。
水中世界の魅力を、余すところなく味わうことが出来るCCR(問題は、陸上での取り扱いだな)。
手間が掛からず、手っ取り早いレクリエーションを求めるなら、ダイビングは不向きかもしれない。
現代人は、スマホでチャットして、それで満足なんだろう。
映画も、ドライブも、ダイビングも、廃れる一方だからな。
世も末だな(結局、ぼやきじゃん!?)。
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