お籠りの冬 ― 2018年01月14日 00:52
お籠りの冬
寒中なれば、寒いのは当たり前だが、毎朝零下の気温を記録し、日中も10度に届かず、左足の脛の傷は癒えず、うだうだと引きこもり状態の冬の日々が流れていく。
やや風邪気味とはいえ、寝込むほどではなく、早朝に起きてネットを徘徊、書くことがあればブログに上げ、なければ、前日の記事を修正、追加など。
二度寝して、昼過ぎには食事に出かけ、帰ってからはまた昼寝。
夕食、夜食の間には、再び寝込む。
寝過ぎじゃね?。
この時期は、妙な夢を見ることが多い。
昔住んでいたところとか、出かけた場所がデフォルメされて出てくる。
怪しげな夢の後は、起きて暫く経ってからも、妙な感じは抜けない。
そう、あれは、夢だったのかしらん?。
浮沈子が好きな話に、胡蝶の夢というのがあって、このブログでも何度か書いた記憶がある。
(さらば現実19)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/05/12/8088530
「浮沈子が、VRに注目している最大の理由であり、このシリーズのタイトルにもしている「さらば現実」というのは、最早、その区別が付け難くなり、夢の世界に生きる人々が出てくるのではないかという問題意識だ。」
(胡蝶の夢)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2
「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。」
最近は、何かこの話を地で行っている感じがするな。
昨夜などは、夢の中でバイオリンを弾いていたんだが、弓の毛が切れて、弾くのに邪魔になって取り除こうとするんだが、フワフワしてなかなか捕まえられずにイラついたりするのだ。
とても現実とは思えず(まあ、夢ですから)、不思議な感覚になったのを覚えている。
時には、夢の中で、ああ、これは夢なんだと自覚することさえある。
大海原を大きな船に乗って渡っていく夢もよく見る。
これがまた、木造船という感じで、なかなかユニークな夢見だ。
前世は、きっと船乗りだったのかもしれない。
そのくせ、現世では船酔いするんだがな。
そして、目覚めてはパソコンに向かってマウスをグリグリしたり、こうしてキーボードを叩いたりして過ごしている。
ネットの向こうには、膨大な情報が溢れていて、検索エンジンで探すと、求めるものが得られることが多い。
しかし、それは、ひょっとすると、選別され、意図的に送られてくる夢のようなもので、現実はそれとは別のところで進行していたりするのかもしれない。
夢も、ネット上の仮想空間も、脳にとっては等価のビジョンでしかない。
聞いた話だが、脳が受け取る信号の大部分は、内臓からの情報らしい。
ひょっとしたら、目覚めている時に見聞きしているのは、ほんの僅かの情報で、寝ている時に見ている夢の方が、豊かな時間を過ごしているのかもしれない。
インセプションという映画があった。
(インセプション)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
「クリストファー・ノーランが構想期間約20年ほどの歳月をかけた作品」
もう、それだけでもクラクラするが、作品を見ると余計ワケワカになる。
「夢を安定させる強力な鎮静薬を調合するユスフ」
映画の中では、まるでアヘン窟のような、ベッドと鎮静薬を投与するチューブが張り巡らされた部屋が出てくる。
廃人のように、ただただ寝込んでいる人々。
(シーン9:調合師ユスフ~夢と現実~)
http://inception.eigakaisetsu.com/trace09.html
「彼らは眠りに来ているのではない。目覚めに来ているんだ」
「彼らにとっては夢こそ現実なんだよ」
脳は、寝ている間も休むことなく情報を処理し続ける。
忘れるべきことを忘れ、覚えているべきことを定着させ、リセットし、覚醒している時に自らを守り、必要な時に攻撃できるように準備しているのだ(そうなのかあ?)。
まあいい。
現代版の胡蝶の夢であるインセプションは、他人の夢の世界に入り込み、情報を盗んだり、仮想の意識を植え付けたりするという荒唐無稽なストーリーだが、夢の中で夢を見るという魅力的な展開が、構造的に設定されている。
短い実時間の夢でも、長い体験が出来るという現実の経験から発想し、夢の中の夢は、さらに短い時間で長時間を過ごすことが出来、夢の中の夢の、さらに深い階層での夢になればなるほど、永遠のように長い時間を過ごすことになる・・・。
深い階層での夢ほど不安定になり、薬の力を借りて、安定した睡眠を必要とする、という凝った設定なわけだ。
映画の詳細は、引用したページに詳しいが、ここでは深入りしない(第1階層止まり?)。
夢と現実という話からは少し外れるかもしれないが、クオリアという概念(?)も関係してくるかもしれない。
そう、質感とか、現実感とかいうやつだな。
昨夜の夢でいうと、バイオリンの弓の毛が切れて、漂っているのを捕まえようとするときの、あのもどかしさを伴ったリアルな感じ・・・。
(クオリア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2
「心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう」
ワケワカ・・・。
ウィキを読んでも、なかなかぴんと来ないんだが、以前にも、似たような話を書いたことがある。
(スピナー)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/11/24/8259346
乗り物の話から、意識とその乗り物である肉体の話へ。
「複雑系の中で、唯一、偶然獲得された意識が、今、クオリアを伴って、自意識として存在しているわけで、それを模倣したり、コピーしたり、移植したりすることはできないのではないのか。」
アバターの話も出てくる。
エイワの木のもとで、意識を転送するという、荒唐無稽な設定だったがな。
そもそも、クオリアを伴って、CTみたいなやつの中に入って、アバターを操縦するというのも荒唐無稽な話だが、VRで全周カメラ付きのドローン飛ばしたりすれば、似たような経験は出来るかもしれない。
まあ、どうでもいいんですが。
冬は引きこもりの季節・・・。
お出かけして、外部からの刺激がバンバン入って、その処理に明け暮れることもない。
週末だと、大きな事件でもなければ、ニュースの更新もまばらだ。
半分冬眠状態の中で、普段考えることがない意識のハードプロブレムとか、クオリアとか、脳移植とか、そういった浮世離れした話を思い返してみるのもいいかも知れない。
寒中なれば、寒いのは当たり前だが、毎朝零下の気温を記録し、日中も10度に届かず、左足の脛の傷は癒えず、うだうだと引きこもり状態の冬の日々が流れていく。
やや風邪気味とはいえ、寝込むほどではなく、早朝に起きてネットを徘徊、書くことがあればブログに上げ、なければ、前日の記事を修正、追加など。
二度寝して、昼過ぎには食事に出かけ、帰ってからはまた昼寝。
夕食、夜食の間には、再び寝込む。
寝過ぎじゃね?。
この時期は、妙な夢を見ることが多い。
昔住んでいたところとか、出かけた場所がデフォルメされて出てくる。
怪しげな夢の後は、起きて暫く経ってからも、妙な感じは抜けない。
そう、あれは、夢だったのかしらん?。
浮沈子が好きな話に、胡蝶の夢というのがあって、このブログでも何度か書いた記憶がある。
(さらば現実19)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/05/12/8088530
「浮沈子が、VRに注目している最大の理由であり、このシリーズのタイトルにもしている「さらば現実」というのは、最早、その区別が付け難くなり、夢の世界に生きる人々が出てくるのではないかという問題意識だ。」
(胡蝶の夢)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2
「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。」
最近は、何かこの話を地で行っている感じがするな。
昨夜などは、夢の中でバイオリンを弾いていたんだが、弓の毛が切れて、弾くのに邪魔になって取り除こうとするんだが、フワフワしてなかなか捕まえられずにイラついたりするのだ。
とても現実とは思えず(まあ、夢ですから)、不思議な感覚になったのを覚えている。
時には、夢の中で、ああ、これは夢なんだと自覚することさえある。
大海原を大きな船に乗って渡っていく夢もよく見る。
これがまた、木造船という感じで、なかなかユニークな夢見だ。
前世は、きっと船乗りだったのかもしれない。
そのくせ、現世では船酔いするんだがな。
そして、目覚めてはパソコンに向かってマウスをグリグリしたり、こうしてキーボードを叩いたりして過ごしている。
ネットの向こうには、膨大な情報が溢れていて、検索エンジンで探すと、求めるものが得られることが多い。
しかし、それは、ひょっとすると、選別され、意図的に送られてくる夢のようなもので、現実はそれとは別のところで進行していたりするのかもしれない。
夢も、ネット上の仮想空間も、脳にとっては等価のビジョンでしかない。
聞いた話だが、脳が受け取る信号の大部分は、内臓からの情報らしい。
ひょっとしたら、目覚めている時に見聞きしているのは、ほんの僅かの情報で、寝ている時に見ている夢の方が、豊かな時間を過ごしているのかもしれない。
インセプションという映画があった。
(インセプション)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
「クリストファー・ノーランが構想期間約20年ほどの歳月をかけた作品」
もう、それだけでもクラクラするが、作品を見ると余計ワケワカになる。
「夢を安定させる強力な鎮静薬を調合するユスフ」
映画の中では、まるでアヘン窟のような、ベッドと鎮静薬を投与するチューブが張り巡らされた部屋が出てくる。
廃人のように、ただただ寝込んでいる人々。
(シーン9:調合師ユスフ~夢と現実~)
http://inception.eigakaisetsu.com/trace09.html
「彼らは眠りに来ているのではない。目覚めに来ているんだ」
「彼らにとっては夢こそ現実なんだよ」
脳は、寝ている間も休むことなく情報を処理し続ける。
忘れるべきことを忘れ、覚えているべきことを定着させ、リセットし、覚醒している時に自らを守り、必要な時に攻撃できるように準備しているのだ(そうなのかあ?)。
まあいい。
現代版の胡蝶の夢であるインセプションは、他人の夢の世界に入り込み、情報を盗んだり、仮想の意識を植え付けたりするという荒唐無稽なストーリーだが、夢の中で夢を見るという魅力的な展開が、構造的に設定されている。
短い実時間の夢でも、長い体験が出来るという現実の経験から発想し、夢の中の夢は、さらに短い時間で長時間を過ごすことが出来、夢の中の夢の、さらに深い階層での夢になればなるほど、永遠のように長い時間を過ごすことになる・・・。
深い階層での夢ほど不安定になり、薬の力を借りて、安定した睡眠を必要とする、という凝った設定なわけだ。
映画の詳細は、引用したページに詳しいが、ここでは深入りしない(第1階層止まり?)。
夢と現実という話からは少し外れるかもしれないが、クオリアという概念(?)も関係してくるかもしれない。
そう、質感とか、現実感とかいうやつだな。
昨夜の夢でいうと、バイオリンの弓の毛が切れて、漂っているのを捕まえようとするときの、あのもどかしさを伴ったリアルな感じ・・・。
(クオリア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2
「心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう」
ワケワカ・・・。
ウィキを読んでも、なかなかぴんと来ないんだが、以前にも、似たような話を書いたことがある。
(スピナー)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/11/24/8259346
乗り物の話から、意識とその乗り物である肉体の話へ。
「複雑系の中で、唯一、偶然獲得された意識が、今、クオリアを伴って、自意識として存在しているわけで、それを模倣したり、コピーしたり、移植したりすることはできないのではないのか。」
アバターの話も出てくる。
エイワの木のもとで、意識を転送するという、荒唐無稽な設定だったがな。
そもそも、クオリアを伴って、CTみたいなやつの中に入って、アバターを操縦するというのも荒唐無稽な話だが、VRで全周カメラ付きのドローン飛ばしたりすれば、似たような経験は出来るかもしれない。
まあ、どうでもいいんですが。
冬は引きこもりの季節・・・。
お出かけして、外部からの刺激がバンバン入って、その処理に明け暮れることもない。
週末だと、大きな事件でもなければ、ニュースの更新もまばらだ。
半分冬眠状態の中で、普段考えることがない意識のハードプロブレムとか、クオリアとか、脳移植とか、そういった浮世離れした話を思い返してみるのもいいかも知れない。
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