雨のち晴れ2018年03月01日 13:20

雨のち晴れ


昨日書いたブログの記事に手を入れる。

(エンケラドゥスでの仕込み)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/02/28/8795775

表現を少し直し、引用記事を追加する。

勘違いしていたところを修正し、全体の流れを整理して読みやすくした。

それでも、重複してしつこくなっていたり、あまりに荒唐無稽で読むに堪えないきらいはあるが、とりあえずいいことにしよう。

新酒の仕込みになぞらえて、探査機による惑星(衛星)の生物汚染の懸念について書いたつもりだ。

そこに、関連する最近のトピックスを絡めて、惑星探査について立体的に分かるように仕立てる。

放っておくと、どんどん脱線して、収拾がつかなくなるので、適当なところで切り上げる。

一応、考えながら書いているつもりだ。

自分で読むことを目的に書いているんだが、後から読み直してワケワカになっちまっても困るからな。

昨夜から今朝にかけて、東京地方は雨が降った。

久しぶりのような気がするが、昼前からは眩しい日差しが照り付けて、気温がぐんぐん上昇している。

ひょっとすると、20度くらいまで行くかもしれない(最高気温は20.3度(14:46):追加)。

昨日は水泳教室だったが、行く前から体調がすぐれず、さぼっちまおうかどうしようか悩んだ挙句、だるい体を引きずって参加した。

その後、あまり調子が良くない。

食欲も、少し衰えていて心配だ(ちょうどいいんじゃね?)。

今朝は、二度寝して、昼前に目覚める。

眠りが浅く、身体の疲れが取れない。

季節の変わり目にありがちな体調不良だ。

ちなみに、浮沈子は花粉症ではない。

周り中でマスクや眼鏡をかけ、涙目とクシャミに悩まされている様子を見ては、気の毒に感じる季節だ。

ふと、石川啄木の歌が思い出された。

(石川啄木)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%95%84%E6%9C%A8

「やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに」

啄木が花粉症だったかどうかは知らない(柳の芽吹きとスギ花粉の飛散時期は近いけど)。

現地にいたわけではなく、故郷の風景を思い出して歌った歌だといわれている(花粉症で涙目になったわけではない?)。

ウィキにある啄木の歌は、なじみがあるものが多い。

「東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる」

「砂山の砂に腹這い
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日」

「たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず」

「はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る」

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ」

「ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく」

国語の試験問題とかによく出たやつだな。

「初恋」は、音楽の時間にも出たな。

最近、昔のことを思い出すことが多い。

概ね、辛かったことや気まずかったことが多く、逆にポジティブなことは忘れてしまっている。

よくない傾向だな。

短期記憶は衰える一方だが、そういうことだけは忘れない。

体調がすぐれずに引きこもりがちな時は、特にその傾向が強い。

当然、活動量計は休眠状態だ。

この3日間ほど、目標には達していない。

明日から、また頑張ろう。

ふつー、三日坊主というのは、修行が3日続くことだが、浮沈子の場合は、休む日が3日続く感じだな。

まあ、どうでもいいんですが。

せっかく暖かい日になったのに、身体を休めていなければならないというのも辛いな。

細胞と生命2018年03月01日 16:44

細胞と生命


浮沈子が学生だった頃、生命の根本は遺伝子で、細胞というのはその遺伝子の発現により生命現象を具現する装置という認識だったような気がする。

その後、細胞の地位が高まり、単に遺伝子のキャリアとしての存在から、生命現象の根本的な座としての存在に上り詰めた(そうなのかあ?)。

遺伝子(DNAとかRNAとか)は、細胞が共生させたウイルスの名残で、細胞の中に取り込まれ、細胞活動(代謝や分裂)の要素としての役割を担う。

細胞内には、ミトコンドリアなどというよそ者が住み着いて、勝手に(!)エネルギー作ったりしてるしな。

(ミトコンドリア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2

「ミトコンドリアは好気性細菌でリケッチアに近いαプロテオバクテリアが真核細胞に共生することによって獲得されたと考えられている」

おまけに、独自の遺伝子を持ち、母系で遺伝を繰り返す。

「ミトコンドリアのDNAは母親のmtDNAを引き継ぐ(同種交配の場合卵子に入った精子のミトコンドリアが選択的に排除されてしまうから)」

ミトコンドリアの遺伝子は、肥満しやすさに関係しているともいわれる。

(ミトコンドリアDNA)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2DNA

「ミトコンドリアDNAの遺伝子多型は、肥満しやすさの個体差に関係していると考えられている。」

エネルギー生産の大元だからな、その調整が上手くいかなければ、燃えないままデブになるというのはありそうな話だ。

まあ、どうでもいいんですが。

ミトコンドリアの生存(?)には、ミトコンドリア内の遺伝子だけではダメで、細胞核内の遺伝子の働きで作られたタンパク質を要する。

つまり、長年の共生の挙句に、大家である細胞にエネルギーを供給する代わりに、食わせてもらってるようなもんだ。

店子はつらいよ・・・。

まあいい。

先日見つけたネット動画の中で、細胞は生命ではないというのがあって、ちょっとドキッとした。

(What Is Life? Is Death Real?:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=QOCaacO8wus

1分7秒辺りで「しかし細胞は 生きているとは言えない」と出てくる(日本語字幕)。

化学反応の集合で、構造を持ち、環境の変化に適応し、分裂もするが、このビデオでは生命とは認めていない。

遺伝子そのものも、もちろん生命じゃあない。

構成要素の一つに過ぎない。

ひょっとしたら、個々の生物それ自体だって、完全な生物とは言えない。

他の生物がいなければ、単独では存在できないからな。

生態系そのものが生物の真の姿なのかもしれないし、地球環境が生物によって大きく変化してきたことを考えれば、地球という惑星の、少なくとも表面全体が一つの生命といえなくもない。

話が広がり過ぎたか。

ビデオにあった、コンピューターの中の人工生命とか、そういう話には浮沈子は付いていけないな。

遺伝情報という局面だけをとらえて、拡大解釈しているだけのように感じる。

全てが原子からできているから等価だというのも極論だな。

生命には独自の意味がある。

もちろん、その意味を与えているのは人間だがな。

しかし、細胞は生命を持たないただの機械だという見方にはショックを受けたな。

その機械は、遺伝情報によって組み立てられ、調律され、駆動されていても、それ自体はただの機械に過ぎないという。

勘弁してくれ。

単細胞生物の立つ瀬が無くなる・・・。

きっと、生物の中のどこを探しても生命などという実体を見つけることは出来ないだろう。

生命は、物とか法則ではなく、存在の仕方そのものことなんだろう。

物として見れば生物ということになるし、環境とのかかわりを広くとらえれば生態系ということになる。

今のところ、この地球以外に生命の存在は確認されていないし、自律的なプログラムを走らせているコンピューターが、自動的に分裂して子孫を増やしたという話は聞かない(プログラムをコピーするのとは違います!)。

まあ、現象的に見れば、それ自身では増殖することが出来ないウイルスが、他の細胞に感染して増殖するという意味では、プログラムのコピーというのはよく似た現象だがな。

つーことは、それを実行している人間自体も、プログラムという情報を増殖させるために機能している細胞のようなもんかもしれない。

メタ思考すれば、生命の進化とは、AIを生み出して宇宙にばらまくのが目的ということになるかもな。

宇宙人は、きっと進化の果てに電磁波の揺らぎとなって、銀河の間を飛び回っているのかもしれない。

この手の話は、また別の機会にしよう。