潜水25m2018年05月18日 07:49

潜水25m


GUEファンダメンタルズでは、達成条件に潜水15m(50フィート)というのがある。

275m(300ヤード)14分以内の水泳と共に、初老のジジイには過酷な項目だ。

通っている水泳教室でも、潜水は教えてくれない。

まあ、バタフライの第一キックで潜るコツとして、顎を引いて頭のてっぺんを水底に向けることを習う程度だ。

シュノーケルを咥えてのスキンダイビングでも、水中で息を止めていることに対するストレスが多い浮沈子だが、その状態で泳ぐということになると更にストレスは増える。

スキンダイビングではフィンを付けているが、課題の潜水はフィンなしで泳がなければならない。

昨日は、久しぶりに、自主練習としてプールでの潜水を行った。

ダイナミックアプネアの要領で、壁を蹴らずに25m潜ってみた。

壁を蹴らないので、最初の一搔きが難しいんだが、勢いがついてくれば、それ程浮上しないで進むことが分かった。

まだ、手を搔いたり足を蹴ったりする回数が多いが、慌てずにやれば回数も減らせそうな気がしている(気のせいじゃね?)。

前の人に追いついてしまったり、水中ですれ違ったりすると危険だから、空いている時でないとできない。

考えてみれば、平泳ぎのターン後の、一搔き一蹴りを繰り返すだけだからな。

水中でのストリームラインを維持するという点でも、平泳ぎと共通の要素がある。

手を搔いて体側に付けた後の、リカバリーのテクニックが重要だ。

ここを、如何に抵抗なく行うかがコツだと分かった。

速度が落ちてしまうと、身体が浮いてくるからな。

足の蹴りとのタイミングも重要で、リカバリーによる減速を、蹴りの推進力でしっかりとカバーしなければならない。

ダイナミックアプネアノーフィンで距離を稼ぐには、確かに息を止めている時間が長い方が有利だが、スピードを落とさずに効率よく水中を泳ぐ技術が欠かせない。

何てったって、使える酸素には限りがあるからな。

お昼時のプールは、朝一から泳いでいるお客さんと、午後から来るお客さんの入れ替えのタイミングで、初心者コースが一瞬ガラガラになる時がある。

そこを狙って練習している。

25mキッチリ泳いだのは、昨日が初めてだ(今までは、2mくらい手前で止めてましたから)。

呼吸的にはまだ余裕があるし、水中での身体の使い方には更に改善の余地がある(つまり、下手だということ)。

改善できるかどうかは、別の問題だがな。

安定して、楽に25m潜りきることが出来るようにしておけば、実際の試験の際にもストレスを感じないで済むだろう。

海では、やや浮力が増すので、若干工夫が必要かもしれない。

機会があれば試したいんだが、水温が上がらないと凍死しそうだしな。

水温が上がるのを待つしかないな・・・。

「合成生物学の衝撃」の衝撃2018年05月18日 13:48

「合成生物学の衝撃」の衝撃
「合成生物学の衝撃」の衝撃


まあ、どう考えても、書籍の宣伝記事としか思えなかったが、まんまとその手に乗って代官山の蔦屋に買いに行ってしまった。

(思うままに「いのち」をデザインする――人工的な生命を生み出す「合成生物学」の未来と懸念)
https://news.yahoo.co.jp/feature/968

ネットで検索して在庫を確認し、念のため電話までして取り置いてもらった。

電車賃をかけ、往復の手間をかけて買ってきた。

プロローグとエピローグ、あとがきだけ読んだが、いくつか思い当たる名前が出てくる。

クレイグベンターや、リサニップについては、このブログでも取り上げている。

(奇跡の惑星)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/12/11/8273383

(宇宙人の作り方?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/03/25/8811112

カズオイシグロの作品についても、書いたような記憶がある。

(わたしをアイランドに連れてって)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2017/10/06/8695799

浮沈子が気になっている生命のことに関する話題を、纏めてくれているような本だ。

エピローグの中に出てくる、リサニップの講演における聴衆の反応にビビる。

宣伝を兼ねて(?)、一部引用する。

「人間自体の改造はどうだろうか。もちろん、現在は拒否感を持つ人がほとんどだろう。だが、その目的が臓器提供や能力強化ではなく、「火星への移住」だったら?」

「以前、彼女が一般向けの講演で、「意志による進化」という自らのアイデアを生き生きと語ったとき、会場からはヒトゲノムを改変することへの疑問の声など出なかった。」

「代わりに人々は、合成生物学が切り開くかもしれない人類の新たなフロンティアに驚嘆し、盛大な拍手を送った。」

まあ、そういう講演を聞きに行く人々だから、バイアスがかかっていると考えるにしても、浮沈子には衝撃的な話だ。

それは、技術としての合成生物学が与える衝撃よりも、インパクトを感じさせる。

人類は、もう、遺伝子を自在に操り、それを新たな進化として受け入れる準備ができているとでもいうのだろうか?。

電子制御による機械の高度化に違和感を覚え、そのくせ、ECCRを好み、スマホやタブレットやPCに囲まれて生活している浮沈子に、人のことは言えない。

しかし、生命は、単独で進化してきたわけではないし、その形質を獲得し継続するために、何億年もの時間という莫大なコストを支払っている。

そう簡単に弄られてはたまらん!。

以前に、細胞は生命ではなく機械に過ぎないという話について書いた。

(細胞と生命)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796229

「単細胞生物の立つ瀬が無くなる・・・。」

まあ、どうでもいいんですが。

買ってきた本は、週末のダイビングの間に、じっくりと時間をかけて読むつもりだ。

丁寧な取材と、最先端科学に切り込む基礎知識を持った著者が、何を見てどう感じたのかは興味がある。

楽しみだな・・・。