運転補助機能2018年08月03日 07:45

運転補助機能


ホンダセンシングについての記事が続く。

パンフレットで、センシング読本というのがあって、オーナーの感想とかが書いてある(たぶん、やらせ?)。

記事の細かい内容は別として、サブタイトルに気になる記述があって考えさせられる。

「Honda SENSINGを経験すると元には戻れない」

「Honda SENSINGがないクルマはもう無理」

例えとして、テレビの大画面化が挙げられている。

大きい画面に慣れると、もう、小さい画面のテレビには戻れないということだ。

運転補助機能は、あくまでもいざという時のサポートで、作動条件も限られ、安全を保障するものではない。

本当に機能して欲しい時には、働かないと言ったこともある(豪雨時とか、降雪時とか)。

単眼カメラは、直射日光が正面から照らしている時には、人間と同じように眩しかったりするしな。

センサー類が作動する、比較的好条件の中、ドライバーのうっかりミスや疲労による注意散漫を、一部カバーするに過ぎない。

その程度の初歩的な機能でも、ドライバーに安心感を与え、依存症かと思うような効果を発揮するとしたら、メーカーとしては顧客のロイヤリティを獲得する手段としての価値を見出すのに十分な理由になる。

逆に、自動運転に至る「ラストワンマイル」を、莫大なコストを掛けて詰める必要性が少なくなるかもしれない。

最近どうかは知らないが、ホンダは自動運転にあまり積極的ではなかったしな。

日産がのめり込んでいたのと対照的に、高速道路で単車線程度の取り組みしかなかった。

高級車といわれる単価の高いクルマにおいては、そんなものは当たり前になっている。

前車追従オートクルーズや、車線を認識して中央をキープする機能が付いていない高級車(スポーツカーを除く)を探す方が難しい。

ホンダは、顧客囲い込みの手段として、大衆車に積極的にその機能を突っ込んできたわけだ。

追突防止、誤発進防止など、比較的簡単で、効果が期待できる機能も備えている。

センサーは同じだからな。

コンピューターのプログラムを、チョチョイのチョイといじくれば、簡単に実現できる(そうなのかあ?)。

自動運転の側から見れば、運転補助機能というのは明らかな欠陥商品だ。

作動条件が限定され、それによる安全が保障されないからな。

運転の責任は、ドライバーになすり付けられる(そんなあ!)。

誤作動によるリスクも、皆無ではないだろうし(工事中の道路標示の誤読など)。

それでも、マニュアル等での注意喚起と、販売時の説明、ヤバくなったら機能を停止して、ドライバーの操作に委ねるなどの対策で、十分カバーできると踏んでいるんだろう。

それよりも、ドライバーを依存させ、囲い込みによる販促効果を期待しているということだ。

商売、商売・・・。

浮沈子は、オートマチックトランスミッションがこれほど普及するとは思っていなかったからな。

あんなもんは、反社会的な装置だと確信していた。

燃費悪く、力なく、壊れやすく、カッコ悪い。

レバーも折れよとばかり、コキコキとシフトし、半クラッチを駆使し、ヒールアンドトゥを決めて走るのが正統派だと信じてきた。

時代は変わり、N-VANでは、オートマチックの方が税金が安くなっていたりする。

燃費表示も変わらず、耐久性も問題はない(たぶん)。

運転補助機能も、それが当たり前になり、全員が依存症になれば、それに依存していることすら意識しなくなるに違いない。

事故を避けたり、軽減したりすることを考えれば、それが正義であることは間違いない。

中途半端な技術であっても、正しく適用すれば、十分な効果が期待できる。

浮沈子は、運転補助機能にケチを付けようというのではない(そう聞こえるけど?)。

メーカーとドライバーと社会にとって、どんな意味を持つ技術かをハッキリさせたいだけだ。

大衆車に適用することによる量産効果で単価が下がり、さらに広範囲に適用させることが可能になる。

ホンダのことだからな。

バイクにだって付けだすかもしれない。

本質的に不安定で、転倒の危険が常にある乗り物だからな。

補助機能の効果は、こっちの方が大きいかもしれない。

具体的な適用は、なかなか難しいかもしれないが、そこは技術の向上でカバーだ。

そこからのフィードバックが、四輪車の機能向上に資するかもしれない。

事故の防止、被害の軽減という錦の御旗に抗うことは誰もできない。

運転補助機能、大いに結構。

この道が、自動運転に続く道なのか、それとも単なる袋小路なのかは分からない。

自動車の定義を変えるかもしれない自動運転は、確かに画期的な技術だが、まだ実現には至っていない。

運転補助機能は、あくまで補助だから、限定免許とかになることはないだろう。

ドライバーは、当分の間、最終的に運転の責任を免れることはない。

中途半端な自動運転は、混乱を招くだけだ。

メーカーとしては、難しい対応を迫られることになる。

日産が提唱するように、完全な自動運転と、ドライバーによる運転を、同じ車で切り替えられるようにするという手もある。

実現は困難だろうが、一つの考え方ではある。

その場合でも、てんこ盛りの運転補助機能が付いていて、おさるの電車の運転手のように、クルマの指示でハンドルを切り、アクセルを踏むことになるんだろう。

いや、ひょっとすると、ハンドルやアクセルはダミーで、付いているだけかもしれないからな(そ、そんなあ!)。

まあいい。

完全自動運転がもたらす、お先真っ暗な未来。

事故なく、不幸な被害者を作らない、素晴らしい新世界だ。

誰もが幸せにカーライフをエンジョイできる。

ドアツードアの利便性と、電車の安全性を、パーソナルに実現できる。

だれもが、運転手付きのクルマに乗れるようになる(タクシー乗ればあ?)。

それが幸せなのかは分からない。

自ら移動するという自由と引き換えに、安全安心の生活を手に入れる。

運転補助機能は、そういう世界とは一線を画している。

この記事では、自動運転と併せて書いているが、それは似て非なるものだ。

技術的には、延長線上にあるのかもしれないが、実際に適用するためのハードルは高い。

衛星とリンクし、ネットワークを介した神の目を得なければ難しいかもしれない。

しかし、それもやがて可能になるに違いない。

21世紀だからな。

未来は、もう、足元にきているのだ・・・。

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