人間原理と環境保護2018年08月12日 23:12

人間原理と環境保護


昨日、名古屋でカバーン講習の座学を受ける。

夕方には、ランドドリルとして、ラインワークも教わる。

そっちはいいとして、座学の中で加藤さんから出された質問に答えられなかったことが気になっている。

水中洞窟を保護するには、そこに潜らないのが一番いいという考え方に、どのように対応するか。

加藤さん的答えは、保護するためには、それが貴重な存在であることを知る必要があり、そのうえで、その価値を広くアピールし、正しい洞窟潜水を行って保護していくことが大切ということだった。

カバーンダイビングの講習としては、模範的な回答なんだろうが(でないと、そもそも潜れないしな)、浮沈子は別のことを考えていた。

(人間原理)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86

「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」

(観察者効果)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E8%80%85%E5%8A%B9%E6%9E%9C

「科学における観察者効果とは、観察するという行為が観察される現象に与える変化を指す。」

或いは、惑星探査における生物汚染といった話も考えられる。

つまり、人類未踏の領域を探検し、そこに足跡を記すということは、ありのままの自然(そんなものがあるとして)を破壊し尽くすきっかけに過ぎないんじゃないかということだ。

もう一方では、人間も自然の一部なんだから、やりたい放題やればいいということもある。

月面に残された足跡もまた、自然の一部だ。

そう言ってしまえばおしまいになるから、この議論はしない。

洞窟を探検し、その造形の美しさや生息する生物を観察し、その貴重さをアピールすれば、大勢の観光客を期待でき、経済的にも潤い、いいことずくめになるかもしれない。

やり過ぎて、環境を壊してしまったら元も子もなくなるから、持続可能な程度の破壊に留めることは必要だ。

経済的なインセンティブを与えれば、それが持続する限りにおいて一定の環境保護(洞窟保護)は成立する。

心無いダイバーが、洞窟環境をぶっ壊したりしない限りはな。

しかし、侵入を完全にシャットアウトし、法的にも物理的にも入ることが出来ないようにするというのも、一つの方法であることは確かだ。

人間ではなく、小型の水中ロボットとかで、学術探検するだけならいいとか。

それさえも禁じるべきだという考えもある。

宇宙空間は、聖地として、人類未踏のまま残すべきだとかな。

今日は、パーカーソーラープローブが打ち上げられたが、信仰の対象である太陽ににじり寄って観察するなどというのは、もってのほかということになる。

(太陽に最接近、探査機打ち上げ=高温対策も万全-NASA)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081200224&g=int

「過去のどの探査機よりも太陽に接近し、太陽を薄く包む高温のガス「コロナ」を通過。高速で噴き出る粒子「太陽風」などを観測する。」

太陽神のオナラを嗅いでくるわけだ(そうなのかあ?)。

罰当たりな話だ・・・。

欧州では、水泳を禁止した時代が長くあったらしい。

(長年にわたり泳ぎ方を忘れていたヨーロッパの人々はどのようにして再び泳ぎだしたのか?)
https://gigazine.net/news/20180811-how-europe-learnt-to-swim/

「1530年代のドイツでは溺死する人への対策として、「泳ぎ方を教える」のではなく「泳ぐことを完全に禁止する」という方法を取りました。」

「同様の「水泳禁止令」はイギリスのケンブリッジでも1571年に施行され、泳いだ人物に対するムチ打ちや罰金などの罰則が定められました。」

「今後、地球温暖化が進んで地表を占める水の面積が増えるようなことになれば、さらに人々にとって水泳が身近なものになるでしょう」

まあいい。

洞窟も、それ自体が神聖化されていたり、神様の住みかとして大切に守られていたりするらしい。

そこに、土足で踏み込んでしまうというのは、何か間違っていると感じられる。

地元には地元のルールがあって、科学だとか観光だとかは、よそ者の勝手な理屈だ。

ハワイの巨大望遠鏡の設置でも、色々揉めたらしい。

そのうち、月面に望遠鏡が出来るんだろうが、地球での反対運動に嫌気がさして、設置場所で揉めることがないというのはメリットかもな。

洞窟潜水の話に戻る。

つまり、洞窟が貴重だというなら、そこに行くことを禁じてしまうのが一番手っ取り早い。

正しい手順や方法を周知して、可能な限り環境を守ると言ったって、長時間に及ぶ洞窟潜水で、ションベン垂れ流さないで戻ってこられるわけがない。

必要最小限の環境破壊は避けられない。

それを、どこまで許容するかは、そこに携わる人々が決めていくしかない。

大所高所から、こうあるべきだと決めつけることはできない。

ローカルルールの中で、それに適した接し方をしていくしかないだろう。

結局、浮沈子的な答えは、まだ出ていない。

そこに洞窟があると分かっていても、人間が入らずに、その貴重さが認識されなければ、宇宙に存在しないことと同義だ。

価値は、共有されることによって生じる。

それを、共通の財産として守ろうという発想も、広く共有されなければ生まれない。

科学者という特権階級だけが守ろうとしても、それはなかなか困難な話だ。

もちろん、そういうフォーマルな守り方もある。

探検に伴う危険が大きければ、進入禁止にするという発想もある。

それは文化の違いだからな。

どうしようもないかもしれない。

そういう形で締め出しを食らっていない、限られた水中洞窟に潜れるだけだ。

それで満足すべきだろう。

そこに潜らずに済めば、一番いいのかもしれない。

そうではないから、潜らずにはいられないからこそ、積極的環境保護とか持続可能な開発とかが出てくる。

それらは、たぶん、屁理屈だろう。

間違いなく、潜らないのが一番いい。

しかし、その次にいいのは、正しく潜り、その潜水活動を持続するために保護し続けようとすることに間違いはない。

洞窟潜水は、洞窟保護にとって、次善の策であることを十分わきまえる必要がある。

ケーブダイビングは、遊園地のアトラクションとは異なる。

人の命を奪う環境だ。

一方、正しく潜れば、これほど安全な娯楽もない。

事実、ケーブダイビングのトレーニングを受けたダイバーが、事故って死ぬことはまずない。

フロリダのケーブでは、300人ものダイバーが死んでいるという話だが、それはいささか過去の話だ。

メキシコのセノーテでは、この10年くらいで1名といわれる(もっと死んでるという話も:追加)。

フルケーブの探検家が、洞窟の崩落で亡くなっただけ。

何万人もの観光目的のダイバーの死亡事故はない。

それでも、甘く見ない方がいいだろう。

たまたま、運がいいだけかもしれないしな。

もちろん、ちゃんとしたトレーニングを受けずに潜れば、これほど危険なところはない。

講習では、その危険性の認識と共に、それを回避する方法を教える。

潜らせないことが目的ではないからな。

トレーニングに応じた制限を掛けるだけだ。

そして、その範囲で潜る。

それを守る限りは、リスクは最小限に抑えられる。

そのように、講習は設計されている。

それを守らなければ、リスクは飛躍的に増える。

指導団体による制限の範囲内にとどまることが、極めて重要な要素になる。

それだけ、逸脱した時のリスクが高いダイビングということになる。

それらは全て、次善の策である環境保護に繋がる。

正しいケーブダイビングを行うことは、それ自体が環境保護なわけだ。

その意味で、人間原理を適用して、洞窟内を探検し、それを広くアピールすることで洞窟保護を訴える行為(すなわち、ケーブダイビング)は洞窟保護の一環だと言える。

なんとなく、理屈は繋がった気がするけど、カバーン講習で、ここまで考えなくてもいいかもな。

光が見える洞窟の入り口で、明るいテックを楽しみながら、比較的安全なオーバーヘッド環境で遊ぶ。

宇宙であれ、水中であれ、それが可能であれば、人間はそこへ行くことになっている。

その是非を問うても仕方ない。

そういう存在だというしかない。

洞窟潜水を可能にしているのは、そういう天然の動機と、洞窟の所有者含めた地元の判断の調整の結果だ。

全員が、一番奥まで行くわけではない。

入り口近くで、雰囲気だけ楽しんで帰ってくるだけでも十分だろう。

奥まで行きたければ、必要なトレーニングを積んで、それなりの装備で行くしかない。

それは、限られた一部のダイバーだけでいい(浮沈子は、絶対行きませんけど)。

洞窟の中を観察するためにそこに行くことだけでも、洞窟の環境に影響を与える。

ケーブダイビングは、そんな繊細な行為だ。

ダイビングのリスクも、オープンウォーターの比ではない。

だからこそ、トレーニングを受ける必要がある。

浮沈子が、穴の奥まで潜ることはない。

そういうダイビングをしなくても、十分楽しめる。

やっぱ、サイドマウント2本差しは諦めて、バックマウント1本差し(ハーネス、プレート、ロングホース)で行こうかな・・・。